窓もない密閉されたこの部屋に届くのは、かすかに響く外気の音のみだが、僅かな破壊音が聞こえた地点で、サーシェスの瞳は鋭いそれへと変わっていた。
すでに2度イった後だが萎えてはいないそれをズルリと引き抜き、殺意を抱いたままの瞳で、戯れに刹那の黒髪を梳く手がひたりと止まる。
その直後に武装した男の足音が石畳の通路に響いた。
ドアの向こうから声が響く。

「どうした」
「不法侵入者を捕らえました」
「……やっぱりさっきのはソレか」
「はい。ご無事ですか」
「おかげで1回イかせそびれた。格納庫周辺か」
「はい。すみません、お騒がせしました」

黒髪から手を離し、シーツを蹴ってベッドを降りるサーシェスを横目で見つめながら、刹那はゆっくりと身体を動かした。節々が痛む。

…不法侵入者か。よくもここに来たものだ。こんな何も無い傭兵の砦に。
何も無い場所だからこそ、何故こんなところに来たのか、そして誰が来たのか、手に取るように判ってしまう。
あの男しかいない。…あの男しか。

ベッドを降りたサーシェスが、散らばった衣服に手を伸ばす。言伝を伝えにきた傭兵は扉の向こうから静かに言葉を続けた。
「侵入者は確保いたしました。が、手馴れた人物のようです」
「やられたのか?」
下着をつけ、アラビアじみた服を纏って、ベルト代わりの帯を腰に巻きつける。扉の向こうから僅かな空白の後、静かな声。
「…5人ほど。2人は死亡しました。3人は重傷ですが間もなく死亡するでしょう。胴体と首を撃たれています」
「5人とはな」
サーシェスはさすがに驚いて手を止めた。ここにいる傭兵は誰も戦争の最前線で戦うような猛者ばかりだ。それが5人。侵入者はどんな男だ。
「若い男ですが、あなどれませんでしたので厳重に拘束しました。まだ意識があります。お会いになりますか」
「…謁見の間があったな、ここにはたしか」
中世の時代の名残を残すこの城の敷地は広い。
大きな門をくぐったその先に広いフロアがある。謁見の間と名づけられたそこは、巨大なフロアと、最奥に玉座が2つ並んでいる。
「そこを使おう。連れててこれるな?気を抜くなよ」
了解を告げる傭兵が、足早に部屋の外から離れる。気配があっという間に消えた。
部屋に残されたのは、衣服を身に着けたサーシェスと、刹那の裸体だけ。

「ようやく来たか」
5人の傭兵をしとめたという不法侵入者。
こんな傭兵の砦に1人で乗り込んでくるなどとそんな無謀な事をする男。
ベッドを見れば、小さな身体が強張っている。…判ってやがるな。サーシェスは鼻で笑った。これは面白いことになりそうだ。
「おい」
着衣を終えたサーシェスが、胸元に拳銃と短剣を仕込みながら、ベッドで眠る刹那に目線を移す。
「お前も準備しろ」
「………何故」
「俺がこいと言っている。準備次第、こい」
先程まで刹那の身体に触れ、髪を梳いていた男とは思えぬ強い口調でそれだけを言い、サーシェスは部屋を出てゆく。
残された刹那は、しばらくは表情もなくシーツの白を見つめていたが、やがて静かに目を伏せた。
…あぁ。ついにこの日が来てしまった。
腕で顔を覆い、唇を噛み締めた。おそらく。…来たのはロックオンストラトスだろう。
それ以外に、誰が来るというんだ。
ガンダムの機密保持のために、ガンダムを破壊しにきたというのならば、生身で捕まるはずがない。
…もしもティエリアが来たとしたのならば、きっとこの古城ごとヴァーチェの火器で壊滅させているだろうが、自分はまだ生きている。
それでもいいと思っていた。けれど来たのは生身の人間一人だと言う。
事態は最悪の展開になっている。
生身でここに来る理由など1つだ。…刹那Fセイエイの、この身を取り戻しに来た。…その理由しか。

「なぜ来たんだ…ロックオンストラトス…」
つぶやいた言葉は、刹那の口の中で消えた。

なぜ、来た。
なぜ。
…こなければ良かった。
見捨ててくれたら良かった。
他の誰かが来たのなら。
お前がもっと無慈悲だったら。
…そうしたら、自分は死ねたし、
お前だって、

…死ぬことは無かったのに。


***


中世の時代、謁見の間として使われたと言うその場所で、サーシェスは椅子に深く腰掛け、拘束された男を見下ろしていた。
長い真紅の絨毯の先には、数段の階段があり、その先の玉座にサーシェスが座る。大きな椅子に乱暴に腰掛け、石畳でひざまづく男の顔を眺めて笑った。
傭兵に頭を押さえつけられ、腕は後ろ手に縛られている。抵抗したのか、口端は切れて血が滲んでおり、腕や足にも殴り飛ばされた痕がある。
それでも、傭兵を5人も殺害しておきながら、こんな軽傷であるこの男は奇跡だ。
(これはとんだ貰い物だ)
サーシェスに向けられるその青い眼に宿るは殺気ばかり。それさえ心地良く受け止めて、笑った。
あぁ、可笑しい。可笑しすぎる。

あのガンダムを1機奪い取った事で、こんなにも世界は自分を中心に動く。
手に入れた最強の矛。
純粋に傾倒する少年の身体。
目の前の敵意をむき出しにした、おそらくはソレスタルビーイングのガンダム乗りの青年。

「ガンダムを取り返しにここまで来たのか」
「お前に言う事は何も無い」
2人がかりで押さえつけられているこの状況で、そんな事を平気で言う。その若さと詭弁さが可笑しい。口端で笑って、顎を、つい、と出して合図を送った。押さえつけられた頭が持ち上げられて、一気に床へと叩き付けられる。
「ガッ…!」
悲鳴と共に、抵抗が一瞬で止んだ。
軽い脳震盪を起こした身体が床へ伏せられる。
「もういい」
ロックオンを押さえつけていた男達が離れるが、その手には銃が握りしめられている。下手なことをすればいつでも撃ち殺すと引き金に手をかけたままで。
「なかなか威勢がいいな」
「……ッ…」
「ガンダムが、よくここにあると判ったな。ソレスタルビーイングの情報網はさすがだ。それともなにか?俺達が調べた事以上の情報が積んであるのか?あの機体にはまだ」
組んだ足をぶらぶらと振りながら、床に叩きつけられたロックオンを見下ろす。
満身創痍なくせをして、よくもまぁここまでの虚勢が張れるものだ。

「何も答える気はねぇか」
強情だ。
こうして、傭兵の砦に捕まった事で、自分の命など簡単に消されると判っているはずなのに、それでも強がりを口にする。
誰しも命は惜しいだろう。
痛めつけられた青年にとって、この今の時間がどれだけの恐怖なのか。
「それとも何か?ソレスタルビーイングとやらは、死ぬ事さえも克服出来てるのか、ええ?お前、あの残りの3機のガンダムのどれかのパイロットだろう」
痛みに耐えるロックオンの身体がひくりと僅かに動くのを、サーシェスは見逃さなかった。
この男がガンダムのパイロットである事など、とっくに判りきっていた。ただ、この男が機密を知られた事で動揺する姿は見てみたかった。
玉座から見下ろせば、開き直った男の目が、サーシェスを射抜いていた。

「…刹那をやったのはお前、か」
「刹那?」
口を割らないと思っていたのに。突然手のひらを返したか。
自分がソレスタルビーイングのガンダムパイロットだと見抜かれて開き直ったのか。…しかし、刹那とは誰だ。
(…刹那……あぁあいつの名前なのか)
そういえば名前も知らなかったな。
名を知る必要はなかった。あの身体はセックスさえ出来れば良かった。ソレスタルビーイングの機密など、知ってもつまらない。
身体さえあれば、名前など知らなくても抱く事は出来る。
その身と、絶対の服従があればそれで良かった。

「刹那、か。…そうかあいつは刹那と名乗っているのか。俺が知ってる名とは違うな」
「……っ、」
「あいつが生まれてから名乗った名を知っているか?刹那、それはコードネームだな」

挑発をしている。
そうしてこの男を煽っている。

「…刹那を撃墜したのはお前か…!」
「あぁそうだ。あいつが弱かったからな。もっと強く育てたつもりだったんだがな。あのガンダムとやら俺が使えばもっと強くなっただろう?お前らでも苦戦する程に」
「刹那を、…どうした」
「殺した、といったら満足か?」
「……きさまッ…」
「殺すのは簡単だ。殺すのはな」
「…いるんだ、な…!?」
言った途端、顔色が変わった。不自由な身体を持ち上げて立ち上がろうとするから、また取り押さえられる事になる。
それでも食ってかかるのを辞めないロックオンに、サーシェスは肩をすくめて笑った。
これはこれは。
”刹那”とやらは、随分と愛されている。

「さあな。俺はあいつの名前を知らねぇ。だから直接聞いてみればいい」
「…っ?」
「なぁ、”刹那”?」
気だるげに伸ばした手の先。壇上の横の小さな扉がギギギと開く。そこから現れたのは、白い布地に包まれたひとりの少年だった。

「…せつ、…な、…」

顔を上げれば、確かに見知った顔があった。ロックオンは押さえつけられながらも身を前に乗り出す。
「刹那、お前生きて…!」
死んだと思っていた。
生きているはずはないとさえ、ヴェーダは言った。
エクシアはAEUが鹵獲したと情報が入り、パイロットは死亡したと情報が流されたが、そんなはずはないと深く憤ったのは、ソレスタルビーイングではロックオンだけだった。
死んでるはずねぇって!その証拠にパイロットの情報をAEUは何も漏らしていない!そんなのおかしいだろう!
言った言葉を、スメラギとティエリアは無言で返した。
声を荒げたロックオンを、アレルヤだけが押し止める。落ち着いて、ロックオン。お願いだから。

死んでるはずがない。
死ぬわけがないんだ、あいつが、刹那が、なぁ、…ほら、みてみろ。やっぱりだ。
生きていた。…生きて。

「刹那…!」
ロックオンが名を呼ぶ。けれど刹那は顔色も変えず、ロックオンの姿を見下ろすだけ。その目は見えているはずなのに。

「こい」
サーシェスが刹那を呼ぶ。無表情のまま玉座に近づいた刹那は、その膝の上に横抱きに抱え上げられて、身を委ねた。
白い布がひらりと舞い、サーシェスの身体にぴたりと密着する。
「…っ、…!」
ロックオンは驚愕に目を見開いた。
なんてことだ。…なんて。嘘だろう?
薬でも使われているのか?それとも精神的に何かを作用されて-----。

「いっとくがな。こいつが俺の傍にいるのは、こいつの意思だ」
「…なっ、…」
ロックオンの想いを読み取るかのようなサーシェスの言葉に、ロックオンは目を見開く。
「そんなわけ、ねぇ」
「あるんだよ、それがな」
くくく、と笑い、刹那の顎を取ってするりと撫でる。
「なぁ?お前がコイツに会うよりもずっと前から、俺の可愛い信徒だった」
白い布地に包まれた、刹那の足を晒す。絹のような滑らかな布地が、刹那の肌をするすると滑って露にしていく。
ふくらはぎ、ひざ、腿。
あらわになっていく肌を、サーシェスの手が追う。
するすると撫でさすって、尻へと手をかけて揉みしだく。
「ほら、な?」
身体を触れられながら、刹那はサーシェスの首に腕を回し、首筋に顔を埋めて、サーシェスのうなじを舌先でそっと舐める。
その仕草が酷く手馴れた行為だと判って、ロックオンは歯軋りした。

「…さぁて、どうするか。このガンダムパイロット」
ロックオンを舐めるように見つめながら、サーシェスが歌うように呟く。
刹那を返す気はない。もちろんガンダムもだ。
それよりも、この青い目の男がソレスタルビーイングのガンダムパイロットだと判ったのならば、使い道は幾らでもある。

「AEUにふっかけてみっか。高く売れるぜ。お前らのボーナスもたんと弾んでやれる」
言えば、周りにいた男達から口笛が鳴った。低い咆哮が響く。
ロックオンを狙う野獣のよう。

「PMCは幾らで買い取るかな。AEUは幾らだ?いっそユニオンと取引をするのも悪くないかもな。…競売にかけたい気分だ。ガンダムのパイロット1人の命の値段は、さぁ…幾らになる?」
笑い飛ばしながら、優しい手つきで刹那の髪を梳き、黒髪に唇を落とす。

「生きている方が高くつくだろうが、死んでいたとしてもかなりの金額が手に入るだろうな俺達には。生きてるガンダムのパイロットならすでにここにいる。なぁ?」
残酷な言葉とは裏腹に、刹那の髪に触れる手は優しい。サーシェスに声を掛けられて、刹那はのろのろと顔を上げた。至近距離で見詰め合う。
「お前は幾らだろうな」
刹那に告げられた言葉に、無抵抗な無表情で返す。…そうされてもいいと言葉なく伝えている。
「おまえっ…!」
返って来た言葉は、ロックオンのもの。
「それとも政府高官に売りつけるか。ありきたりすぎてつまらないか?お前の身体なら一晩でもかなりの額を稼げそうだ。俺がとびきりのやつを教えたからな」
「貴様…!」
そこまで懐柔しておきながら、刹那を売り飛ばすのか。
「くそっ、…!」
抵抗すれば、背後で結ばれた両腕が、ギリ、と音を立てた。
「…刹那を売り飛ばす気か…!」
「時が来たらそうするかもしれねぇな」
「…っ…!」
何でもない事のようにさらりと言い、刹那の唇に、ねっとりとしたキスを落す。それをうっとりとした表情で受け入れている刹那の表情はうつろだ。
本当にあれが正気なのか。ロックオンは刹那の変わり様に驚愕した。
売られると。
あれだけ懐柔させ陶酔させておきながら、ガンダムパイロットとして売りさばくのだと言う。…あの言葉が嘘や冗談だとは思えない。あの男の目に宿るのは本当の狂気だ。
ロックオンは怒りに震えた。
この男は、危険すぎる。

「…さぁて、どうする?ガンダムのパイロット」
拘束されたロックオンに拳銃をつきつけ、かつての仲間である刹那を懐柔し、そして今、命の選択など出来ない状態にしておきながら、どうすると告げる。…ロックオンがたとえ何を告げても出る答えなど1つのはずなのに。

殺す気だ。

ロックオンの背中に、冷たい汗が流れる。
今この男から感じるのは、殺意だけ。それも、追い詰めて恐怖におののかせ、絶望を与えておきながらの愉悦的な殺人意欲だけだ。
「…っ、」
殺される。
刹那を救う事さえも出来ずに。…殺される。

サーシェスの指先が、引き金にかかった。

「……、…」
静かな謁見の間に、上質な布が滑る音が、やけに大きく響いた。
刹那がかすかに腕を動かしたことによって、お情け程度にかけられていた布が肌を滑り、刹那の身体から布が取れ去り、サーシェスの膝の上に落ちる。
周囲に見せ付けられる少年の裸体。適度についている筋肉は、それでもソレスタルビーイングに居た頃に比べれば明らかに落ちていた。
ロックオンは、あらわになった刹那の背中を見つめた。
…何、を。

「どうした?」
腕を伸ばしてサーシェスの首に巻きついて、身を寄せ、まるで猫か何かのようにすりすりと肌に寄せる。
ゆったりと動いた身体、刹那の唇が、サーシェスの耳を掠めた。何言か呟いた言葉に、サーシェスは僅かに目を見開く。
…そうか、小さく声が響いた。

「お前はそうしたいのか」
先程とはうって変わった声色。甘い声を刹那に囁き耳朶を舐める。刹那の背中がひくりと震えた。
…何、を?
サーシェスの目が刹那から離され、ロックオンを見下ろす。その目はすでに冷たい死の目線に変わっていた。

「お前を殺せ、だとよ」

サーシェスの唇が動くのを、ロックオンは恐ろしい程の絶望の中で聞いた。