4年後


冬の東京に吹く寒風に身を凍わせながら、足早に帰る人々。
イルミネーションが灯される冬の街を1人歩きながら、手に持った紙袋を抱えなおした。
過去、ソレスタルビーイングという組織に所属していた頃に使用していた部屋よりもずっと小さな1LDKの部屋のドアを開け、息を吐く。
エアコンを入れていなければ、部屋の中とて気温は低い。
この部屋に自分以外の人間が入った事はない。ここを借りて、2年。

…ひとりきり。そうしてひとりで過ごした2年もあった日に、あの男は突然現れた。


「よお」
突然現れた男を目にしても、何を言えばいいのか。
その顔を見るのは2年ぶりだった。
あの頃は咥えていなかった煙草が口元にある。フィルターを噛みながら、ロックオンストラトスは笑って片手を上げた。
マンションの前の、中庭が見下ろさせる通路で煙草など。よく、隣人の若い女が怒らなかったものだ。いや、怒った女性をなだめるのはこの男の得意とするところだ。昔から、得意だった。

「おまえのいえ、ここだろ?とめてくれ刹那」
その名で呼ばなくなって、随分と久しい。
18まで使用していた偽名は、あの組織を抜けてからは一度も名乗った事がない。今、自分の事を「刹那Fセイエイ」だと知っているのはこの世の中に何人いるのか。
…では目の前に現れたこの男の今の名はなんだろうか。
まだあの組織にいるのなら、ロックオンストラトスという名であるはずだろうが。

「俺もさ、自由の身になったんだ。半年前だったかな?」
人の心を読んだかのように答え、許可もしてないのに勝手に人の家に上がり込んで部屋の中を見渡している。
大した物など何もない。生活に必要なものだけを手に入れて過ごしている。何がこの男の目に留まるというのか。
食材をダイニングテーブルに出している間に、ソファに腰を下ろす。そうしていながらも、あたりを見渡し、あの頃よりもちょっとは家具が増えたな、などと呑気な事をいう。

「おまえ探すの苦労したぜ。もう”刹那”じゃないからな。今はなんて名前だ?まさか、東京に家をとってるとは思わなかった。灯台元暗しってやつだな。ま、見つけられてラッキーってとこか」
一人でつらつらと話を進め、自己完結させる。
名前も変わっているのに、何故見つかったのだろう。
この男が勝手に一人で調べたのか。いや、…違う。
ソレスタルビーイングには、今の名前を報告していない。それでもあの優秀なホストコンピュータにアクセスさえすれば、わかってしまう。組織を抜け出る際に名前を調べたのか。…ならば名前のみで半年で見つかったのは確かにラッキーだ。
名前を知らないなどとよくも嘘を言えたものだ。
この男が、自分にそれほど興味を持つとは思えなかった。それはあの4年前から判っている。
ただ、なんとなく。
そんな理由できっと探し当てられた。ただそれだけの。

「な、刹那。…セックスしようぜ」

そうやって、何も考えずに誘うのが、何よりの証拠だった。


***


久しぶりにセックスという行為を受け入れた身体は、男の侵入を拒んだ。
「きっつぃな…刹那」
当たり前だ。そう簡単に以前のように受け入れられるものか。
セックスなど、あの組織から抜け出てから一度だってしていない。尻に何かを突っ込んだ経験もない。女を抱いた事さえも。
それでも腰をゆるゆると回しながら、入り口の皮膚を指で押し開くようにして、全長を収め息をつく。
ツキツキと、鋭い痛みが全身に広がっている。
高く抱え上げられた足、その指先、広げられた足の内股、胸の奥。その全てが痛みを発している。震えが止まらない。

「ま、そのうち慣れるだろ。ソレスタルビーイングであれほど抱いたもんな」

そんな簡単な言葉で済ませて、ぐちぐちと尻と結合部を同時に動かす。
「ひっ、ぁ…!」
思わず声が出てしまい、それを見逃がさなかった。
「ようやくお前の声が聞けたな。刹那」
上半身を倒され、結合部が、にちりと音を立てる。苦しい。
眉をひそめ、その不快感と痛みに耐えようとした時に降ってきたのは、あの頃よりも少しばかり長くなったロックオンストラトスの茶色の髪と、あの頃と変わらない、指先だった。
鼻梁を辿り、瞼の上を撫で、頬に添えられた手があたたかい。

「…刹那、きれいになった」

言われたその言葉が、馬鹿にされたのだと直ぐに判った。
20になった男を捕まえておいて、綺麗になった、は無い。
頬に触れている手を払うつもりで顔を背けた。触れた手は追う事もなくするりと離される。

「ま、いいけどな」

あれから4年が経っている。28になったこの男は、あの頃と少しも変わっていない。…少しばかり髪が伸び、骨格が深くなったような気がする。
そんな程度だ。声だって変わっていない。性格も、性癖も、服についている匂いさえも。

今夜泊めてくれと。
言われて驚いた。何故。きっとお前は行く場所を沢山持っている。おんなのところにいけるだろう。どことでも。
まだあの戦術予報士はプトレマイオスに居るのだろうか。
あの頃4人居たガンダムマイスターのうち、一番早くにマイスターから降ろされたのは自分だ。不適切だと烙印を押されて即座に組織から完全抹消された。殺されると思っていたのに生きている。まだ。
ロックオンストラトスは、あの組織に残り続けるだろうと思っていた。この男の射撃能力は、ソレスタルビーイングに必要不可欠なのだと知っている。それなのに。
(やめたのか…)
奥底を突かれ、胸の先端を押しつぶされながら、頭の片隅で考えた。
気持ちよくない、わけではない。けれどそれ以上に痛みと不快感ばかりが湧き上がる。どうにも辛い。眉間に皺が寄りそうで、もうやめろと叫んでしまいそうだ。
せめて頭の思考回路をどこかへ飛ばしていなければ、こんな状況を到底理解できない。
あの組織から抜け出し、
そうして再び全てを失い、
ただ、生きている事だけの毎日。

ソレスタルビーイングのガンダムから降ろされたマイスターに与えられる使命はただ1つ。
それを守って、ただ生きている。…生きているだけ。
無為に過ごしていた日々に、突然現れた過去の男。
人間との感傷を拒み続けていた自分に、声をかけたのは、2年ぶりにみる男の顔だった。
『よお』
そんな簡単な言葉ひとつで。
あの頃を忘れたわけではない。神だと崇めるガンダムに乗り、紛争根絶という上辺の理想のために戦った。
そうするしかなかった日々、あれが日常だった。
今、自分は、少しでも人間らしく生きているのだろうか。
神から離れ、世界が動こうと何も出来ずに居る自分。…2年間、そうして耐えて拳を握り続け、やがて怒りも悲しみも絶望も身体に溶け込んで麻痺していった。
友人も、ましてや知り合いさえも居ない。2年間、喋った言葉さえ少ない。
ソレスタルビーイングから生きていくに必要な金品だけを与えられている。それだけで充分だった。

自由の身に。

ソレスタルビーイングから降ろされたガンダムマイスターに課せられた使命は1つ。
世界の中の、ただ一個人として生きること。
決して歴史の表舞台に立たず、ソレスタルビーイングを名乗る事は許されない。
もしも、それが破られた場合は、己の死を持って償うこと。
ただそれだけが、今ある生きるための使命だった。

「何を考えてる?」
「…べつ、に、…」
「集中しろって。ほら、イってみろよ、善がってみろ。お前、そのぐらい出来るようになっただろ?」

当たり前のように言う。出来るわけがない。そんなの。
首を振れば、まだ駄目なのかと笑う声がした。

あとは、めちゃくちゃに腰を入れられて、苦しさに悲鳴が漏れた。
そうして終った2年ぶりのセックスの後、目をさました時には、ロックオンストラトスの姿はもう、なかった。