昼が夜に変わる瞬間、世界は真っ赤に染まる。
クルジスの廃墟。中東の砂漠の夕暮れ。
巨大で赤い太陽が、ずぶずぶと地上に沈みこんでいた。


刹那は表情をピクリとも動かさずに、ただ一点を見つめていた。
サーシェスの、唇だけを。

「…どうした」
「……、」
何を聞かれても答える事など出来ない。
肌を密着させ、腰をすり合わせている。服の布擦れの音が聞こえ、砂を噛み締める靴底がジャリ、と音を立てた。大人と子供の足。
徐々に勃起が始まっているが、それは刹那だけだ。サーシェスの股間は何も変わらない。
こんな程度の戯れの刺激では。

赤い太陽が沈んでいく。東の空にははかない光を放つ星がちらほらと光り輝き始めていた。
サーシェスの背中越し、刹那は真っ赤な太陽を顔に受ける。
褐色の肌が、赤く染まり、その頬をサーシェスの手が伝う。

「おい。呼び出しておきながらだんまりか」
言っておきながら、笑った声。
20センチも違う身長差。真下を覗き込むように刹那の頬に触れ、目の下の薄い皮膚を革の手袋越しに撫でる。
ロックオンのものとは違う、硬い革の感触に、刹那は目を細めた。

はやく。
はやく、この男を。

何も話さない代わりに、目を伏せて意思を伝える。
この男には伝わるはずだ。
言葉で何かを伝えなくとも、意思を伝える事が出来る。…それを教えたのもこの男なのだから。
手に入れたければ手を伸ばして奪い取れ。
いらないものは薙ぎ払え。
体が欲しいのなら、目を閉じて腕を絡ませればいい。

…だから、今は。

「…へっ、代わりばえがねぇな」

鼻で笑ったサーシェスが、刹那の腰を抱き寄せた。
教えたとおりだ。…あぁやはりあのガンダムを動かしていたのはこのガキだった。
あの頃はまだ10やそこらだったはずだ。…ならば今は15か6か。自分の年の半分もない子供。
教えた事を忠実に再現してみせた、あのクルジスの夜。
殺せ。
抱かれろ。
撃て。
殺せ。
教えたのはそんな事だけだった。代わり映えなどあるものか。

戯れに動かしていた腰の動きが止んだ。
飽きたのか。もう動かされない腰に刹那が焦れた。
じわりじわりと、腰に甘い余韻が残って官能の火種を燻らせていく。
やめるな。もっと。
…あぁ、セックスがしたい。この男と。

せめて一度、してからにすればよかったか。…いや無理だ。今でなければ。
今でなければこの男を。

近づいてくる唇に、この男の終焉を見る。
キスが触れれば最後。
そうして全てが終わる。
目を閉じ、顔が迫ってくるその距離感を肌で感じる。
赤く乱雑に伸ばされた髪が、刹那の黒髪を覆い隠す。
触れる。

唇が触れ合うその瞬間、刹那はようやく小さく口を開いた。

「…お前はワンパターン過ぎて反吐が出るぜ」

引き金が引かれる小さなカチリという音を、予測していなかったわけではない。
胸に当たる金属の感触。
予測はしていた。けれど今、行為に溺れて予知出来なかった。
銃を、突きつけられている。

ほんの少しで。
本当にあと一瞬で唇が触れ合ったのに。
…あぁ、何故この男には何もかも判ってしまう。

「お前は本当にな、可愛いんだよ」

口端で笑い、けれど突きつけられた拳銃は下ろされない。
殺す気なのか。胸を撃ち抜いて一瞬で。
見上げれば、笑った顔が刹那を見下ろしていた。…この顔を見ながら逝くのなら悪くはない。
刹那は自分の懐にしまったままの拳銃に手をかけるのをやめた。どうせこちらが引き金を引く前に、サーシェスの銃が火を噴く方が先だ。
刹那の命は、今サーシェスの指先にある。


「…唇に毒を仕込めと教えたのも俺だ」

本当に、なんて従順で可愛い。
高みから見下すような目線を、真上から受ける。
刹那に残されたのは絶望だった。
失敗した。この男を抹殺出来なかった。自分の、ほんの少しの欲で。
キスをしたかった。セックスがしたかった。それだけの希望で殺せなかったこの男を。


これまでか。

この男を殺せなかったのは自分の甘さだ。
舌を出して、毒の塗られた自らの唇に触れようとしたその瞬間、サーシェスが刹那の頬を掴みあげて止める。

「おっと。…そんな毒で死んでもらっちゃ困る」
だだでさえ、唇に塗った毒が徐々に刹那の体を蝕んでいるはずだ。
そう時間をかけずとも、このまま放っておけば刹那は死に至る。
サーシェスに口付ける事が出来たのなら、相打ちになれたものを。残念だったな。
捨て身の作戦も功を成さなかった。なんて甘い、命の無駄遣いを。

判りやすいガキだった。
会った途端に判る。何の決意を固めていやがる。そのくせその色気はなんだ。抱かれたいのか、そうか。そういう事か。
よほどスナイパーでも待機させているのかと思ったが、本当に一人で乗り込んできたらしい。
しかも暗殺方法を教えたのは他でもない、自分で。
そんなに俺を殺したかったのか?
そしてお前は死にたかったんだな。
…あぁ、一人で死ぬのが寂しかっただけか。残念だったな。

即効性の毒を仕込んだ所為で、力をなくしつつある少年の身体を、腰を抱きかかえる事で支える。
毒が気化する事も構わずに、口を開けてせわしない呼吸をすれば、なおのこと毒が体内に吸収されていく。

絶望の目をして生きていくこの少年の先を見たくなった。

「…そう簡単に殺す気はねぇ。せめてもう少し楽しませろよ。…もったいねぇだろ?」
革の手袋に包まれた指が、刹那の唇を辿った。
ルージュのようなつややかな唇に指を押し付けて、毒を拭き取る。
そうして現れた少年本来の乾いた唇に、サーシェスの唇が絡みつく。

毒に濡れた手袋を脱ぎ捨てて放り、黒髪の後頭部を引き寄せる。
髪を掴み上げ、強引に上を向かせて、吐息を全て奪いつくすようなキスを。

サーシェスの手から外れた革のグローブが、砂漠の風に乗って、赤い太陽へと舞って消えた。