蝋燭の火が、かすかに揺らいだのが判って、刹那はうっすらと目を開けた。
鼻につく甘い臭い。
シーツ代わりしているベルシャ絨毯の柄が目の中に鮮やかに飛び込んでくる。眠っていたわけではない。意識は覚醒していた。眠るものか、こんな得体の知れない男の元でなど。
セックス中に使われたのは依存性のある薬だった。ゴムの外側に塗った薬でこちらの理性ばかりを奪うセックス。免疫がなければ刹那とて理性など吹き飛んでいた。流されなかったのは、あの男が仕込んだセックスが役に立ったからだ。くそ、あの男はそこまで計算して抱いていたのか。…なんて周到な。
きっとこの身体は、幾つもの媚薬に慣れている。簡単な麻薬や毒で理性や命を失うような軟弱な身体に育てられてはいない。あの男は常に実践を伴っていた。あの内戦国で学んだ生き方だった。

蝋燭の火が揺れている。
ベッドから起き上がった男が部屋の穏やかな気流を乱し、幾本か備え付けられていた蝋燭の火を揺らす。ゆらゆらと出来上がる影が、円形の天井に影を映し出していた。ベッドから出て、部屋の入り口で通信機の電源を入れる。
部屋は蝋燭の灯りのみ。
電気を使用しないのは、この場所に電力が流れていると察知されないためだ。唯一この部屋にある電子機材は小型の通信機器のみで、それさえも長時間は使えない。ほんの一瞬、必要最低限の事だけを伝えられるその瞬間を、刹那はずっと狙っていた。
明後日の午後3時、ポイントWS02に集結。…たったそれだけの情報が欲しくて、ここにいた。
(ようやくか)
随分と時間がかかってしまったものだ。出来る限り早く情報を引き出すつもりが、この男の用心深さは尋常ではなかった。どうりで今まで尻尾の一つも掴めなかったはずだ。ここまで統率が取れている組織、片腕のものにまで完全に口を閉ざすその非情さ。今まで簡単に口を割らせてきたのに、今回ばかりはここまで手こずったのも頷ける。
万全なセキュリティ、戦争が起きる事前情報漏洩への徹底。それらは完璧だった。けれど、自分を味方に引き入れてしまったのが、この男の唯一のミスだった。
刹那は隠す事もせず、息を吐き、身体をよじった。
もう、眠ったふりをする事もない。この男の情人になってから、ろくに睡眠を取っていない。いつ何時、情報が手に入るかわからない。だからこそ、眠る事は出来なかった。そういえば、この男の傍に居るようになってから、2週間は経過している。

「…起きたのか」
通信機器を切り、再びベッドに近づいて刹那の肌に手を伸ばす。露になった肩に触れ、確かに性欲が絡んだ指先で、肩先と首筋をなぞった。もう一度したいらしい。…断るか。いや、これで最後だ。あとはゆっくりとこの男から離れ、掴んだ情報をあの男の元へ。
「…お前の身体は本当にいいな」
うっとりと酔いの回ったような声と舌使い。この男は酒と性欲に弱い。それも弱点だった。

刹那、という名前を教えてはいない。
名は、サーシェスがつけたものだ。刹那と名乗れば、気付かれてしまう。あの男の片腕だと。顔を広く知られていないのは幸いだが、名は知られている。
アリーアルサーシェスの片腕として。
「なぁ…セイエイ…」
仮に教えた名を紡ぎ、シーツを捲り、身体を露にして、感嘆の吐息を漏らす。上に乗り上げられて、もう一度するしかないかと諦めた。
19歳の青年らしく、筋肉のついた身体はどうみても男であるのに、それでもセックスをしたいと望む。
何故だ。これほどの組織であれば、女ぐらい、どれだけでも傍に置けるだろう。男である自分に、セクシャルな魅力があるとは思っていない。それでもこの身体を求める男が居る。
サーシェスから教えられた戦闘技術は、ナイフと接近戦とMSの操縦だけだった。あとはあの男の身体から学んでいる。
セックスの技が付いたのは経験ゆえだ。あの男は陳腐なセックスなど欲しがらない。だから、身に付いた。

「…どうした、もう一度するか?」
鎖骨に手を伸ばし、首筋の筋肉を指先で辿って、硬い胸板にたどり着く。シーツから見える刹那の胸先に指を絡め、後ろから覆い被さる男の股間はすでに勃起していた。これをどうにかしなければ、この男は眠りにさえ付かないだろう。
太い首に腕を回せば、顎髭と口髭がねっとりと刹那の皮膚に絡みついた。熱いねばついた吐息を受け止めながら、眉を顰めて男の舌を受け入れた。

はやく、戻らなくては。
何も無いあの空間へ。
あの男の隣へ。
目を閉じた刹那の瞼の裏に、赤い髪の男の影が揺れた。
蝋燭の火が、消える。