さあ躊躇うな。

この首を締め上げればいい。
ほら、今こんなにもこの男は無防備だ。
指に絡む薄茶色の髪。鍛えられた首に手を回す。

この男を殺しさえすれば、脅威は1つ減る。
そう、この男を殺せば。

じわじわと首を絞め続ける歪んだ表情を見上げながら、ロックオンはゆっくりと青年の頬に手を伸ばした。
涙は伝わぬその頬は、思いの他、熱い。
今にも泣きそうな程なのに、なぜ泣いていないのか不思議なぐらいに崩れた表情で、ロックオンを見下ろすその顔。
それは、いっそ誰よりも、何よりも、美しく見えた。

お前は、また、そんな顔して。

言葉にならぬロックオンの思いは、喉を圧迫され、声にはならなかったけれど、それでも思いは届いただろうか。
ロックオンを見つめる、濃茶の、目。
また、ロックオンも、その目を見つめる。
一瞬だけ、指先の力が怯んだその隙に、頬に触れた手を伸ばし、流れぬ涙の跡を辿るように、目尻からゆっくりと頬を伝い顎へとラインを描く。

「…ックオン、…」

ようやく名を呼んだな。
微笑みかけて、ゆっくりと目を閉じた。
あぁ、なんて甘い甘い殺人なんだろう。


***


(すげー夢見ちまったな…)
寒風吹きすさぶ町並みの、石畳が敷き詰められた車道を、履き慣れた靴でひょいひょいと渡って対岸へと渡る。路面電車が近づいて、ロックオンの背後を通り過ぎていった。
電車の車体が通り過ぎる轟音と共に、かすかに声が聞こえた気がした。オンナの声だった。
耳を澄ませば、それはロックオンの名を呼ぶ高い声で、どうやらあの路面電車の中に居たらしい。声だけは判別できないが、この街に居る知り合いで思い出せるのは、セックスフレンドのみだ。無視を決め込んでも、特に支障は無いだろう。
(あれは一体誰だったんだ)
夢の中、首を絞められる自分。
ゆっくりとゆったりと首を締め上げられるあの感触を覚えている。
思わず首に手を伸ばした。
この、スナイパーである俺の懐に入り込んで、首を絞めるなどと。
ありえない。
ロックオンは笑った。

「さっむ…」
この街に住み着いて、半年。
今までの環境から比べたら、格段に長い時間滞在していた事になる。
借りたアパートに通い慣れる程、居るのも稀だ。部屋に埃が積もる間もなく次の街へと移動しては、新しい契約の仕事をこなす日々を送っている。

この街で、最後と決めた仕事を終えたのは2週間前だった。
明日には新しい街へと行こうと決め、最後の酒をと訪れた飲み屋で、ロックオンは彼と出会ってしまった。
今日来たばかりなのだという、少年のような外見の青年は、この町には珍しい黒髪、
ざっぱに伸ばされた後ろ髪がうなじに流れていた。ちらりと見えた首筋は決して色の白いものではない。褐色の肌、それは砂漠に住むものの肌だ。顔立ちも中東のそれに近い。
こんな暗い酒場に一人で訪れる、中東生まれの青年。
只者ではないだろう。闇で知られるブラックリストの中から、幾人かの候補がロックオンの頭に浮かび上がる。
中東生まれの、まだ歳の行かぬ青年。
富豪が抱える殺し屋、身体を売って情報収集する少年、この世界で喧嘩を売っていはいけない男だといわれているものの側近。
酒を飲む、何気ない姿、その立ち居振る舞いが、常人離れしている。おそらくはその内の中の誰かだろう。

気になってしまえば目をそらす事も出来ず、遠く離れたカウンターからちらりと見つめては話すタイミングを狙った。
こんなあからさまな視線を送れば、彼はきっと気付くだろう。なんの用だと言われたら、それを誘いと受け取って、乗ってやればいい。
あの青年がセックス時にどちらを望むかは判らないが、したいというならどちらでもしてやろう。出来ればあのこ綺麗な顔を苦しみか快感で歪ませてやりたいとは思うから、こっちが突っ込む側になってみたいもんだ。
ロックオンが思ったのはそんな下世話な事だった。

どうやらあの青年の事を気にしているのは自分だけではないようだ。
見ればこの店の客の半分程が、ちらちらと彼に目線を送ってみたり、声を掛けようとしては跳ね返されている。誰も近づけないオーラの中、それでも彼から漂うのは、人を惹き付ける魅力だ。

(…おもしろいかもな)
ロックオンはうっすらと笑った。興味がわいた。あの青年はきっと、自分に何かをもたらす。
楽しくなってきやがった。
オーダーした強い酒を飲み干し、唇を舐めた。
この街に、用はないと思っていたが、あの青年に声をかけて何かしらのアクションをしてから去るのもいいかもしれない。

カウンター内のバーテンに、酒代を2杯分置いて、ロックオンは青年、刹那Fセイエイに近づいた。


***


「あそこで俺がお前に話しかけた地点で負けだったのかな…」
呟きながら、ロックオンは刹那の顔を見つめた。その表情は強い瞳のまま変わる事がない。そう、あの酒場で会った時から少しも。
刹那は、ロックオンの言いたい言葉を正確に理解したようだった。
あの初めて出会った日のこと。
サーシェスを待っていた間、情報収集にと繰り出した夜の闇街、小さな店で掛けられた声。

「アンタだけだ」
「ん?」
「俺に声をかけた」
「そりゃお前、あんだけ”俺に近づくな”ってオーラ出してりゃ声掛けたくても無理だろ」
「…あのぐらいで、声を掛けられないようなヤツに興味はない」

飄々と言う刹那は本当になんでもないように話に乗ってくる。今夜は幾分か饒舌だ。酒でも入っているのか。
「まぁいいさ、俺はお前にまた会えた、刹那」
両手で頬を取り、唇を近づけて、身長差を利用して上から覆いかぶさるようなキスを与える。
刹那の首が後ろに倒れ、髪がロックオンの手の中にさらりと流れた。癖のある髪、けれど触ればそれは柔らかい。

数日前、サーシェスの狙撃に失敗したロックオンが見たものは、この肌を貪り食うようなセックスだった。
立ったまま、後ろから強引に突き入れられ、それでも震える足を叱咤しながら立ち続けて、サーシェスの身体を隠すように腕を伸ばしていた。
狙い撃とうと思えば、撃てたのかもしれない。それでも、ロックオンはそのトリガーを引くことは出来なかった。
あの日、サーシェスに手酷く抱かれていたあの身体は、今確かにここにある。…この、ロックオンの腕の中に。
同じ身体なのだ。
あれほどの、歪んだ表情、触れないキス、震えた腰。悲鳴が聞こえるかのような酷いセックス。
あんな事を、お前はされ続けていたのか。
それでもいいと、それがいいのだと、思いこまされて、あの男の傍に。

黒髪に手を伸ばし引き寄せる。
今はこんなにも従順にキスを受け入れる。
それはあの日の刹那とはまるで別人のように思えた。

「口を開けろ、刹那」
言えば素直に反応する。
舌を出して、れろりと肉を舐め、咥内に唾液を送り込む。
そんなキスにさえ眉一つ動かずに受け止める刹那の姿を、ロックオンは確かに見ていた。
しっかりと閉じられた目、縋り付く腕。そしてキスに答える舌。それはどれも一度目のセックスではなかった事だ。そして、サーシェスとのセックスとは、まるで違うその行為。

頬を掴んだまま、徐々に体勢を変えて、刹那が主導権を握られるようなキスに変える。
頬から手を離し、腰に腕を回して引き寄せ、ジーンズの上から尻の肉をなぞり、谷間を辿る。
服の上からのもどかしい快感にも、刹那は腰を振って答えた。股間を擦り合わせて、勃起は始まっているんだと合図を送ってくるその動作が、まるで見せ付けるようだ。
セックスを楽しんでいる。
あんたとセックスしたかった。
そう、身体で伝えている。
そうだ、だからこそ、こうして再び俺達は会うことが出来たんだろう?
狙撃に失敗したことで、お互いに認識してしまった。どれだけ、あのサーシェスという男を殺したかったのか。殺させたくなかったのか。…知ってしまった。

「…こりゃ、本当に負けだな」
キスの合間、ロックオンは笑いながら刹那の唇を指で押した。
まるで吸い付くように唇が離れなかった。なんてキスだ。吐息まで奪う気だったのか。
キスを止められた事を口端を上げて抗議する刹那に、ロックオンは抱き締めていた腕に、力を篭めた。

「よく、俺と会う気になったな刹那」
「アンタが望んだだろう、会いたいと」
だから来た。
刹那の目が語る。

「あぁ…そうだな、そうだ」

望んだ。俺が。
まっすぐに刹那を見つめる。
誘うように動かす腰の動きとは対照的に、顔色一つ変えない刹那の表情を、ロックオンは苦笑して見つめるしかない。

負けだ。…これは本当に、負けだ。

「刹那、俺と何故もう一度会おうと思った?」

判りきった理由を聞く。
身体をこれだけ擦りつけられて、望むべきものはただひとつだ。
聞かれて、刹那も動きをぴたりと止めた。目と目が絡み合い、一瞬の空白の後、濡れたキスの唇から聞こえた言葉は、予想通りだった。

「アンタを、殺しにきた」

告げられた刹那の言葉に、ロックオンは笑う。
殺しに。

「…あぁいいな、刹那。殺してくれよ、俺を、お前の手で」

告げた言葉と同時、今までのキスが子供のものだと思える程に、深い呼吸さえ奪うキスが始まり、やがて倒れこむように、ベッドに身を躍らせた。