どうしても、殺したくなかった。
殺さなければいけないと判っていたのに、それでもどうしても。

サーシェスを、殺したくない
(本当か?)
ロックオンストラトス、この男を殺せば、サーシェスは死なない
(そんな簡単なものじゃない)
この男に与えられたものなど、まやかしだ
(そうだろう。…延々に与えられ続けるものじゃない)
けれど、この男が与える快楽だけはほんものだった
(あぁ…そうだ)
殺せるだろう、ロックオンストラトスを
(…殺せる。…殺してみせる)

たった一つの命を奪うだけだ。
そんなに簡単なことを、どうして出来ない。
何故、再び抱かれて、満たされ、何もかもを与えられてから、拳銃を握りしめた?
再び出会った瞬間に、この部屋のドアを開けた途端に、殺してしまえばよかった。拳銃やライフルを使うのは苦手で、けれど狙い定めろと言えば、定めて撃つぐらい、出来る。
得意なのはナイフや近距離戦だが、ライフルが撃てないわけじゃない。

このざまはなんだ。
腹の上にまたがり、男の胸に拳銃をつきつけ、そうしてまで、心が引き裂かれるように痛い。
簡単な事だ。
このトリガーを、ほんのわずか引くだけ。ほんの1センチでいい。力も要らない。ただそれだけなのに。

どうして、胸にこみ上げる感情が熱く、指も手も身体さえも震えてしまうのか!
(…苦しい…)
苦しい。
どうしても苦しい。

「ほら、刹那。もう苦しむな。楽になったらいい」

酷い事を言う。
…お前はこれで安らかに眠るんだ。
ほんの一瞬の痛みだけを感じて、俺に苦しみだけを与えて、与えるだけ全ての感情を与えておきながら死ぬんだ。
なんて楽で、なんで甘美な死を迎える。

死はやさしい。
きっと、誰にでもやさしい。
何もない世界にゆける。
神も人間も畜生も、何もない、ただあるべき無の世界に。

この男は死ぬ事で幸せになれるのか?
…違う。違うだろう。

アリーアルサーシェス。
アンタはこんな事をする俺をどういう顔をして見ている?
いつものように、口端を上げて、だらしねぇなと笑うのか。
それとも。

一発の銃声が響いた。
それは小さな部屋に共鳴して、消えた。
残ったのは、壁にめり込んだ弾と、硝煙のにおい。

「刹那ッ…お前っ…!」

ロックオンの腕が、拳銃と刹那の手首を握っていた。とっさに反らした弾道は、刹那の身体を掠めるギリギリのところで発射された。
ロックオンが拳銃を握らなければ、おそらく弾丸は刹那の身体を抉り、致命傷となっていただろう。

「何て事を、しやがる…!」

驚愕するロックオンに構うことなく、再び自分に拳銃を構えようとする刹那に戦慄を覚えた。
なんて目だ、なんて…!
ベッドから起き上がり、強い力で刹那の腕を押さえつける。
離せ、と僅かに刹那の唇が動いた気がした。

ロックオンを殺そうとしたその腕で、苦しみにもがいたその顔で、何故自分を狙うのか。

「この馬鹿野郎!」
ロックオンに腕を押さえられながらも、トリガーにかかった刹那の手は、己の頭を撃ち抜こうと銃口を構える。
その動きに躊躇いも、戸惑いも無かった。
それが恐ろしいのだ。
死を、まるで怖がりもしないで、あの男のためにと全てを投げ出すその覚悟と、冷え切った目が!
ちくしょう、
耐え切れず、ロックオンは歯軋りをする。
俺を殺せないから死ぬのか?!
そうしろと、あの男が言ったのか!?
いや、違う。そういう風に魂に刻み付けられているんだ、あの男が、刹那を呪縛でしばりつけて。

「だからって、お前は死ぬ事はねぇんだよ、馬鹿野郎、刹那ッ…!」

強い力で押さえつけていなければ、銃口が再び刹那のこめかみへと合わせられてしまう。
死なせるものか、死なせるなんて!
「刹那ッ…!」
名を呼び、僅かな隙を見計らって、刹那の腕を跳ね除け、トリガーにかかった指が動くより早く、ロックオンは振りかぶった拳を、刹那の鳩尾へとめり込ませた。
「…っ…!」
目を見開き、一瞬呼吸を止め、眼球が動く。その濃茶色の目がロックオンを見つめ、やがてゆっくりと閉じられた。
気を失ってくれた。
ロックオンは細く息を吐き出して肩の力を落とした。
力を失った刹那の手から、拳銃がゴトリと床に落ちる。

「刹那…」
うっすらと唇を開いたまま、意識をなくした刹那を抱きとめ、ロックオンは怒りに震えた。
刹那、刹那、刹那。


***



なんて必死な顔。
鳩尾に鈍い感触を受け、吐き気が込みあがってくる胸の閊えを感じながら、ブラックアウトしてゆく意識の中でロックオンの形相を見た。

おかしいな。アンタがそんな顔するなんて。
笑ってやりたい。けれど、口から吐き出るものは、声ではない。鳩尾に与えられた苦しさがせりあがって、喉を圧迫し、言葉どころか呼吸もままならない。
酷く痛いはずなのに、どうしてか、笑いたくなった。

サーシェス。
アンタはきっと判っていただろう?
こうなる事を。

ロックオンストラトスを殺せない。
アンタの命を狙っていると判っていても殺せない。
そう、知ってしまったから。この男を。アンタには無いものを。
拳銃を向けても、きっとナイフを構えても、殺す事なんて出来なかった。
サーシェスに与えられないものが欲しかった。渇望していたんだ、本当は。

殺せない。
ならば、果てよう。命を奪うことさえ出来ないのなら、今あるこの命を。
きっとサーシェスは、笑う。
きっとサーシェスは、悔やみもしない。
きっと、すぐに忘れてゆく。あの男が今までに奪った数多い命の一つとなって、いずれ記憶からも無くなって消える。
けれど、望んでいたんだろう。
サーシェス、アンタは、それを。

崩れてダメになっていく。
代えのきく俺がくたばるのを、あんたはずっと待っていた。
今度はどんなヤツを傍に置く?
俺はどのぐらいアンタの役に立った?
判らない。判りたくない。
何の役にも立っていないのだとしたら、生きる意味も無かったとしたのなら、なんのために今まで生きていたのか。
否定されたくはなかった。生きている意味の否定だけは、絶対に。
けど、それでもあの赤い髪の傍に居る事が全て、で。
呪縛だろうと、束縛だろうと、傍を離れるなんて事、少しも思いつかなかった。
ただ、憎くて苦しくて、殺したい程の感情を持っていたんだ。
殺してやりたい。…殺す程に、アンタの事で一杯になりたい。

なんて馬鹿な、なんて酷い妄想だ。


静かに、目を閉じた。
目の裏に映る暗闇。
ロックオンの声が遠くから聞こえる。
アンタの声、好きだ。
あぁ、好きだよ。

きっと、好きだったんだ。