「王留美、お久しぶりです」

ロールアウトされたばかりの1号機のコックピットから出てきた青年は、王留美の顔を見るなり表情をほころばせて微笑んだ。

「お久しぶりですわね」

清楚に佇む王留美に歩み寄りながらオレンジ色のメットを取り、髪を掻きあげてにこりと微笑む。その右目と左目の違う色彩に、つい目がいってしまうのはいつもの事だ。気味が悪いわけではない。金色と銀色に見えるそれがあまりにも美しいからだ。

「いかがです?」

握手を交わしながら、問いかけられた言葉。王留美の目線はアレルヤを見つめているが、問いかけられた言葉がロールアウトされたばかりの1号機の機体の状況の事を言っているのだとアレルヤは理解した。
つい先ほど、初めてのテスト飛行を終えて帰ってきたばかりだ。
下りたばかりの機体を見つめる。人工の光に照らされて機体は神々しいばかりにそこにある。

「調子はいいですよ。さすがです。太陽炉も正常に稼動している。あとは出力の具合とバランサーを見る必要があるぐらいです」
「いいえ、私が言いたいのは1号機ではなく」
「え…?」

王留美の声に目線を下ろせば、変わらず微笑む表情があった。自分を見つめている。
まさか、1号機ではなく、自分の調子を聞いていたのか。
驚けば、王留美はにこやかに微笑んで、いかがですか、と答えを望んだ。その表情が4年前とは随分と違う印象を受けたのは、彼女もそれなりに年齢を重ね、女性としても、人間としても経験を積んだからだろうか。
彼女の笑顔に、アレルヤは肩の力を抜いた。

「ええ、僕の調子はすこぶる。…元気ですよ。僕もティエリアも」
「そうですか。今、ティエリアは」
「彼の仲間達のところへ」
「そう」

それはなによりですと微笑む彼女の笑顔は柔らかい。女性の笑顔は素敵だとアレルヤは思う。もう24年も生きてはいるが、なかなか女性と触れ合う機会は少ない。エージェントとして王留美とは親交があるものの、スメラギやフェルトたちとは、そうプライベートで話をしているわけでもない。
女性の笑顔は綺麗だ。女性の身体は柔らかい。澄んだにおい、色づいた唇、それは男性にはないものだ。
意識せずとも、ノーマルスーツ越しに彼女の身体のラインを目で辿る。細い首筋、肩、膨らんだ胸。女性である証がそこにある。

「他のマイスターたちは?」
「えっ?」
問われて、目線を彼女の顔へと戻した。王留美の身体を凝視してしまっていた事に気付く。
困った、いやらしい目をしてしまっていただろうか。
しかし、王留美は表情さえ変えず、再度アレルヤへと問う。

「刹那Fセイエイ、彼はいかがです?」
「あ、刹那は今、メディカルルームに居ますよ」
「どこか具合が?」
「いえ、違います」

つい先ほど、このMSハンガーに彼が居たのは知っている。コックピットで微調整を行っていたが、今日の調整はここまでだとイアンに言われてハンガーを後にした。彼が向かった先は、メディカルルームだ。
調子が悪いわけではない。
彼の傷は、とうの昔に完治している。
4年前のラグランジュワンでの戦闘で、右半身を酷くやられしまった刹那は、しばらくの間、カプセルへ入る事になってしまったが、処置を終えてカプセルから出てきた彼が、以前と同じように身体の調子を戻るのは早かった。
カプセルで完全回復したお陰か、それ以後の彼の成長が早い。ここ1、2年で背もぐんぐんと伸び、アレルヤは刹那と話す度に、目線の高さが変わっていることに気付いていた。

完全に完治した刹那が、今もメディカルルームへ行くには訳がある。
…そう、刹那は。

「今は”彼”の傍にいます」
「…彼の?」
「ええ。刹那が彼の存在を知ったのはつい最近ですから。…それからは時間を見つけてはカプセルに行っていますよ。間もなくカプセルが開くと知っていてもそれでも」
「そうですか」
意図を察して、王留美は、ふわりと微笑んだ。まるで花のようだ。


花のように、穏やかに。
王留美の笑顔は美しい。
この宇宙は、真っ暗闇だ。星の光でさえ、なんとはかない事だろう。
資源衛星の残骸に囲まれた、この閉鎖された空間では、毎日の生活が淡々と過ぎてゆく。
その中で、少しずつ変わるものがある。
それは、刹那の身体の成長であったり、未だカプセルで眠る彼の様子であったりする。
岩石に囲まれた何も無い空間の中で、それは大きな希望だった。
もう、4年も眠り続けている身体がある。

「もうすぐ、彼も目覚めるのですね」
そう呟いて、ロールアウトされたばかりの1号機を見上げた。

世界は変わる。
世界はまわる。
何も変わらないように見えるこの宇宙にさえ変化はある。
そうして、静かに少しずつ、動いて変わってゆく。



***



手を伸ばす。
その先にあるのは、閉じられた瞳と、薄茶色の髪、見慣れた表情で眠る姿。
触れたくて、手を伸ばす。
しかし、その指先がたどり着く前に、ガラスによって遮られてしまう。
たどり着けない。
この男が持つであろう、体温に。


カプセルによって、少しずつ少しずつ回復し再生されてゆく身体を、刹那はじっと見つめていた。
瞑れた目が、形づくられる。
焼け爛れた皮膚が回復する。
破損した内臓が、再び機能を再開する。

小さな窓から見える、眠り続けた表情は、変わらぬまま。
データとして伝えられるのは、彼の体温、再生治療、心拍。

生きている。
こんな小さなカプセルの中で、再生を続けながら生きている。
何も変わらないように見えて、少しずつ少しずつ、回復をしているのだ。
つなぎとめられた命はこの中にある。

間もなく、カプセルは開く。
身体が動く。
この目が開く。

あの青緑色の目は、再び開くだろうか。
同じ色だろうか。
同じように、見てくれるだろうか。名を呼ぶだろうか。
同じ体温だろうか。

カプセルのガラスに額をつけても、熱は伝わらない。
だから、早く。
…早く。

「ロックオン…」

囁いた刹那の唇が、ガラスに触れてキスとなった。