ある日、ティエリアが血相を変えて帰ってきた。
全力で走って帰ってきたのだろう。髪を乱して玄関に突っ込むように入ってきて、バン!とドアを閉め、ガチャガチャと音を立てて鍵を閉めた。
キッチンで夕食の準備をしていたロックオンは、おたまを持ったままティエリアがあまりの形相を見ていた。
そんな顔をして一体どうしたんだと思いつつも、ロックオンは黙ってティエリアをアパートの家の中へと促す。
あまりにティエリアが緊張感を漂わせているから、とてつもない事でも起きたのかと心配になる。
もしやガンダムマイスターだという事がバレたのか。最悪の事態がふと頭をよぎる。

「ティエリア!」
「しっ、黙れ」
混乱しつつも、冷静に言うティエリアの表情は真剣そのもので、思わずロックオンは唾を飲み込んだ。
…あのティエリアがこの緊張感。なんだ。一体なにがあったんだ。

ティエリアが、キッチンの擦りガラスの隙間からそっと外を覗いた。そこに居たのは若い女性の塊ぐらいで、別段まずそうな雰囲気ではない。軍が動いているようにも見えなかった。
しかしティエリアの緊張感は解けない。
「……まだ居るな…」
ぼそりとつぶやく。
…まだ居るって。誰が。何処に誰が居るというのだろう。ティエリアだけが感じる気配だろうか。しかし其れ相応の訓練をつんだロックオンには、殺気のさの字も感じない。一体なんなんだ。
「……ティエリア、どうしたんだ」
「…バレたかもしれない」
「何っ?」
やはりそうなのか。しかし何故。
「……後をつけられている」
「マジでか」
「しかも数日前から」
「えええ?」
数日前から?そんな。そこまで事態が切迫してたのか!
「そんなマズイ事を放っておいたのか!お前は!」
「怒鳴るな。…何かいつもと違う…新手の追っ手なのかもしれない。殺気も感じないが圧迫感だけは戦場並みだ」
「…なんだよそりゃ…」
ティエリアだけが感じる圧迫感?そんなものがあるというのか?…ロックオンにはさっぱり感じる事が出来ない追っ手とは一体なんなんだ。
「まだ居るって、何処にいるんだ、ティエリア」
そっと窓の隙間から覗いてみるが、それらしき人は見当たらない。どこかに隠れているのか。
「…目の前に居る。道路にたむろしているのが見えないのか」
「……道路って…」
今、道路に居るのは、女子高校生…いや、大学生だろうか。若い女達ばかりだ。何かを探しているのかきょろきょろとあたりを見渡しては、ここじゃないんじゃない、もう逃げちゃったのかも、あぁまた逃げられちゃったねー、だとか叫んでいる。けたたましい事限りない。さすが若い女は元気だ。
「…っておい。お前まさか」
「あんな追っ手見たことない。けど俺を見ると駆けてくる。意味もなく話かけてくるし、俺の情報を根堀り葉堀り聞こうとする。…どう考えてもおかしい」
「…俺はお前の頭が一番おかしいと思うけどな…ティエリア…」

ティエリアしか圧迫感を感じない?当たり前だ。彼女達が狙っているのはティエリアただ1人なのだから。ロックオンに圧迫感が伝わるわけがない。
つまりは、あれだけの恋心を受け止めなくちゃならなかったティエリアが、勘違いをしているだけの話だ。
本人はそれがまったく判らないらしく、キッチンの影に身を隠しながら、彼女達から逃れようと必死だ。その様は普段のティエリアからは想像も付かないほど可愛く見えた。
小さく身を潜めてびくびくしている。

「ティエリア、お前…恋愛したことある?」
「くだらない事を聞くな」
「いや、重要だって」
あぁ。あの表情も変えない、淡々としたティエリアがこんな顔をするとは思っても見なかった。面白い。
人の恋心が判らないティエリアには、確かにあの女性陣の突っ込み具合は恐怖だろう。

「ま…あれは軍のものでもなければ追っ手でも何でもない。お前が余計な事をしなきゃ大丈夫だ」
「何故そう言い切れる」
「言えるもんは言えるんだよ」

こいつに恋心のイロハをとやかく言う気にはなれない。多分、判るまでには酷く時間が掛かるんだろう。
ロックオンの言葉が疑問だらけらしいティエリアの表情は曇っていて、困惑した顔でロックオンを見上げる。
そんな表情を見下ろしながら、こいつもかわいいところあるもんだな、と嬉しくなった。
ティエリアが、人よりもずば抜けて中性的な美しさを持っているのは誰しも認めるところだ。
大学に行っているのなら、確かにあれだけのファンがつくのも頷ける。それに加えて、ティエリアの禁欲的な表情と態度は、クールビューティーを好む人間ならば、誰しも心を奪われるだろう。

外では依然として女性陣がたむろしていた。
この辺でティエリアを見失ったのだという確証があるのだろう。
けれど彼女達も、まさかティエリアがこんなボロアパートに居るとは思いもよらないはずだ。その証拠に誰もこのアパートを見ようとはしない。
「はは、盲点盲点」
笑いながら、彼女達の動向を、窓の隙間から高みの見物と決め込む。
が、道の向こうから、そこにてくてくと歩いてくる1人の少年がロックオンの目に映った。

「…せ、刹那!!」
なんてタイミングなんだ。よりにもよってこんな時に!…いやまてよ、あいつが何も喋らずにここに帰ってこれば、全然問題ないじゃないか。
「…何があった」
小さくなっていたティエリアがそろりと顔を出す。
「刹那が帰ってきた。今、女の集団の所を通り過ぎようとしている」
「…、」
ティエリアが緊張したのが判る。まだ追っ手説を拭いきれない彼にとっては、今度は刹那が狙われるのではと思っているのだろう。
…そうか、コイツも刹那の事を少しは考えてるじゃないか可愛いところもあるな。と肩に手を置いたら、すぐに叩かれた。懐かない猫のようだ。

刹那は、何も知らず、家路につくべく女性の塊に突っ込んでいた。
普通なら、殺気だった女性の集団など寄りたくもないものだろうが、おそらく女性に免疫のない刹那にとってはさして問題ではないらしい。
「…刹那、そのまま帰ってこいよ〜…」
願ってはみるものの、しかしその願いは叶わなかった。

「あ、ねえ、君!この辺にすっごい綺麗な男の人、通らなかった?」
「そうそう、ピンクのカーディガン着ててね、メガネかけてて、ものすごい綺麗な人なの!」
「………」
刹那の周りに女性が群がる。
ブーツを履いていれば刹那以上の身長になっている女性も少なくなく、刹那がどんどん女性に囲まれた円の中心で小さくなっていく。後頭部だけが見えていた。はねた髪がふよふよ揺れている。
「おいおい刹那〜…!」
一方、平気で居られなくなったのはロックオンだ。いくら刹那が無愛想だとはいえ、あれだけの可愛い顔と容姿を持った少年だ。女性が群がれば心配にもなる。
「はやく無視して帰って来い!刹那!!」
そんな叫びは刹那に届くはずもなく、それどころか刹那の周りに女性は増え続け、そしてついに。
「わ、この子かわいい…!凄い、肌つやつや!」
「あ、ホントだぷにぷにだよ、かっわいいー」
「かわいねー!ね、いくつ?名前なんていうの?」
まるで小学生を可愛がるかのように刹那に触れてはほっぺたをつんつんと触る。挙句の果てに抱き締めてみたいなどと刹那の顔を胸に埋めだす女性達に、今度はロックオンがきれた。
「こぅおらぁぁぁぁっ、うちの刹那になんて事するんだ--------!!」
一瞬にしてブチ切れて、堪える事もなく怒鳴り任せて飛んでいったロックオンに、ティエリアはため息を吐き出し肩をがっくりと落とした。
「…ロックオンストラトス…。君が一番馬鹿だろう…」

あぁ、こんな馬鹿たちとガンダムマイスターなんてやってかなくちゃいけない俺は、とてもとても不幸だ。