「働く」
いつものように必要最低限の言葉だけを使う刹那が、そんな事を言い出すから、ロックオンは大根のかつら剥き中だった手を止めた。
「働くってお前」
何を、どうやって。
大体、今は普通のハイスクールの学生だというのに、何を、どうするというんだ。
あの沙慈クロスロードのようにピザのバイトでもするのか。そりゃ無理だろう、お前に笑顔なんて作れるわけがない。…というか、作れるのかもしれないが、それを他人においそれと見せてやって欲しくない!もったいない。あんな貴重で可愛げのあるものを、たかだか数千円の金を払ってピザを買っただけのやつらに見せる事はない。
ありがとうございました、またご利用ください、
あぁ利用するさ!お前にそんな事言われたら、利用するしかないじゃないか。朝昼晩全部ピザでもいいさ!

「バイトするって事?刹那が?」
きゃべつを丸ごと洗っていたアレルヤが助け船を出すと、刹那はこくりと小さく頷いた。これはまるで小動物だ。…いや、刹那の無愛想の中の可愛さは今に始まった事ではないが。

「なんでいきなり働きたいって事になってるの…?」
言われて、刹那は、「ん」と1冊の分厚い本を差し出す。
「なんだこれ?」
ぱっと見れば雑誌のようだ。A5サイズ、総ページ数200P前後、表紙には可愛い絵柄の女の子が、「デートのために軍資金☆」なんてウインク付きで微笑んでいる。恋愛本のようにも見えなくないファンシーな外見だが、いや、これはしかし。
ぱらぱらと中身を捲ったアレルヤだが、その中身に驚愕した。

「せ、せ、刹那、これッ!!」
一気に顔を青ざめさせてるアレルヤに。何事かとロックオンも本を取り上げた。
ぱっと開いたページ、その一番上にでかでかと書かれた文を読む。
「”お客様が一人オナニーするのを見てあげるお仕事です。簡単なプレイでさらに高額ゲット!”…ってなんだこりゃっ!?」
思わず、刹那がそんな事をしている場面を想像する。
ピンク色の灯り、大きなベッドの上、見るからに脂ぎった中年男性が、刹那に視姦されながら、マスを掻いて低い声で発射し……
(うわ…マズい…)
口元を覆ったのはロックオンだ。
そんなプレイを見ず知らずの飢えた男にやらせるのは絶対にごめんだが、…自分が体験するにはいいかもしれない。
あの刹那の大きな目が、まったく表情を変えずに無表情のままで自分を見つめる。下半身、それだけで勃起しそうだ。
お前はこういうのを見るのが好きなんだろう?そんな事を言っても表情を変えず、目の前でただセンズリ見てるだけで軽く二度はイけそうな気がする。
そんな事を一瞬思ってしまったロックオンは末期だ。

「なんでこんな本、刹那が持ってるの…、」
妄想に浸ったロックオンとは対照的に、顔を赤らめながら、ぱらぱらと本を捲ったアレルヤは、わなわなと震えている。
「こ、これあれだよ!そういう商売のパンフレットなんだよ!そんなのばっかり乗ってる。ホステスとか、おさわり役とか!」
よく街頭とかで配ってるやつ!
アレルヤがロックオンに本を差し出し、受け取ってぺらぺらと捲れば、確かにそんないかがわしい内容の仕事ばかりが書かれたページが並んでいる。
200P以上ある分厚い本のどこもかしこにも、そういったピンクな内容の仕事で溢れている。マトモな職業でもない。ほとんどが身体を売るような仕事だ。
「刹那、これ…、どうしたんだ?」
「…もらった」
そりゃあそうだろう、こんなもの、刹那が自分から求めるはずもない。歩いていて街頭で貰ったんだろうが、まさかこれを見て働く、とか言ってるんだろうか。そうだとしたら断固阻止だ。こんなもの、刹那にやらせるわけにはいかない。…というか、やらせてはいけない。16歳なのだし!
いや、そもそも俺達はガンダムマイスターであって、こんなピンクの仕事とはまったくかけ離れているはずで…!

表情を変えない刹那は、はたして何を思っているのか。
つい、と指を出し、本の端が折れているところを指し示した。
「…それを、紹介された」
本のページをぱらぱらと捲って、開く。
端を折り曲げられたページには、大きな広告があり、「空いている時間だけで働いても月収150万円!」という見出し。
…どこの世界に16歳の少年がちょっと働いただけで月収150万など出来るものか。
「これ紹介されたって…」
赤いペンで思い切り丸が付いた上に、携帯の電話番号もかかれている。挟み込まれた名刺には、名前と店名しか書かれていなかった。どうやら勧誘されたらしい。
「…街で声をかけられたの?」
こくり。刹那は頷く。
「この仕事やってみないかって?」
こくり。
「…よく無事に帰してもらえたね…」
「腕を捻ってやった」
あ、…連れ去られそうにはなったんだ、やっぱり。よかった刹那が自衛できる子で。
けれど、腕を捻り上げられたのに、それでもこうして意思表示をして勧誘するということは随分な熱の入れられようだ。
…まあ確かに、刹那の姿はぱっと見、気の強い可愛い少年という具合で、そういう少年が趣味の人も居るのだろう。
「お前なら稼げると」
「言われたの!?」
「…一晩で100万…だと」
「ひゃくっ…!」
確かにそれは喉から手が出るほど欲しいが、しかしその100万というので、刹那がどれだけのピンクな仕事をしなければならないと思ってるんだ!
オナニープレイを視姦するだけではさすがに100万は無理だろう!絶対その内、精液が絡んだ手を伸ばされて、やらせてくれって事になり、そこからは追加料金になりますけど、とかいえば、確かに簡単に客は釣れるだろうがしかし!

「あ、あぶないよ…刹那、君絶対、そういう人たちに狙われてる…!」
まさか、この家まで、つけられているんじゃないだろうなと、そっとキッチンの小窓から外を見る。怪しい人影はない。
刹那の迎撃が聞いたのだろうか。
「まさかこの家の住所教えたなんて事は」
「おしえてない」
即答。よかった。アレルヤとロックオンが大きく息を吐き出す。

「…でも刹那、働くって、これがどういう仕事か知ってる?」
「…知ってる」
「じゃあやろうなんて言ったら駄目だ。こういうのは、その、好きな人にだけするものだよ、普通は」
…多分。言いながらアレルヤも少しばかり自信がない。最近どうにも性への観念が薄らいでいるような気がする。傍にロックオンと刹那という、そもそも男女の恋愛をしていないマイスターが居る所為で。

「なんで働きたいなんていうんだ」
「お金がない…」
「刹那は心配しなくていいだろ」
まるで、本当の兄弟のような言い方だとロックオンは自分でも思った。
普段、貧乏だ貧乏だと言ってる所為で、刹那が心配したのだろう。
刹那なりの優しさなのだと思うと、胸がきゅんとなったが、しかし刹那が用意してきた仕事はあまりにも危なすぎる。
いや、働きたいと思うのはいい事なのだろうが、そもそも、元を正せば、俺達ガンダムマイスターは隠れるのが任務だったはずだ。
「お前は働かなくていいんだよ、今までどおり学校に行ってれば」
「そうだよ、そんな仕事してる方が怪しまれるよ」
ロックオンとアレルヤから同時に宥められ、刹那は、何も言わずに拳を握りしめた。

「高校生で、バイトもしないなんて珍しいと…」
「ああん?」
ぽつりと刹那が喋った。学校でそう言われたのか。
「だからって…こんな…。だってこれ、会員制のクラブだよ?刹那がオススメされたやつ」
「会員制のクラブ?」
本を凝視していたアレルヤが、その一文を読む。
「”アナタは指定された場所へ行って、男の人のお相手をするだけ!男女とも募集中。素敵な人と素敵な一夜を過ごしてみませんか”だって。”相手は選りすぐりの高給ばかり!身元は確かに保障”」
客はホテルの部屋を取って、相手が来るのを待つ。
そうしてやってきた刹那を抱き締めて、事に及ぶ。
教育された刹那は、”僕でいいですか…”なんて、常套文句を言うのだろう。
そんな仕込まれた言葉でも、刹那が言えばきっと破壊力は抜群だ。こいつの演技能力は、アザディスタンで知っている。…あぁ、あんなのをモロに言われたら、ちょっと正気保てるか…。
思わず考えてしまったロックオンは、いかんいかんと首を振った。
「…ただの出張ホステスじゃねぇかそれ」
想像力だけは逞しい。ロックオンの頭の中では、普段よりも5倍は素直な刹那が、ベッドの上で喘いでいる。
こうしろと言われ、それが金のためだといえば、刹那はやってのけてしまいそうだ。…いや、それもロックオンの妄想から始まった想像であるが。
「…こまったなこりゃ」
「何が困ったの、ロックオン…。とにかくね、刹那。こんな仕事はしちゃいけない」
「そうだぞ、これは無かった事にしよう」
本をビリ、と引き裂いて、中に挟まれていた名刺と携帯ナンバーもライターで焼く。
こんな時に、ハレルヤの吸う煙草のライターが役に立った。

「やらせてやればいい」
ふ、と。
三人の会話の中に入ってきた、ティエリアはさらりと言った。
「…ティエリア、いいわけないだろう!」
「稼がせればいい。刹那に客を取らせたくないというのなら、お前達が客になればいいだろう」
「……あ、そっか…!」
「なるほどね、…ってまて」
一瞬、なんて名案なんだと思った矢先、すぐに思った。
「それって、本末転倒ってか…俺達余計に貧乏になるじゃねぇか…」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ、3人を尻目に、刹那は破り捨てられた雑誌の残骸を見つめていた。
…どうしたら、この生活から抜け出して、エクシアの元にいけるのか。
それを考え、あぁ軌道エレベーターから宇宙へ上がれるじゃないかと思いついた。
軌道エレベーターの値段を調べて驚いた刹那が、苦肉の策で思いついたピンクのバイト作戦は失敗に終わった。

「俺のエクシア…」
呟いたその言葉さえ、3人のマイスターの喚き声によって掻き消されてしまったけれど。