モルディブの海は、24世紀になっても美しい。
コテージの下を、きらりと光る魚が流れていくのが見えた。
キラリキラリと尾びれをひるがえして、水上コテージの下を流れていく美しい魚達の群れ。
木目の美しい板に腰を下ろし、足を水面へと近づければ、足先がちゃぷりと海水に浸かった。突如現れた人間の足に反応した魚が、一瞬の内に散っていく。
けれど、その足が危険でないものだと判ると、また魚達は水上コテージの下へと舞い戻ってきた。
どうやら、エサを探しているようだ。
このあたりは、珊瑚も海草もプランクトンもふんだんにある。けれど、コテージの下を狙い済ましたかのように回遊するのは、きっとエサが与えられると判っているからだ。
どうやら、ここのコテージを預かるメイド達が、戯れに食事の残りなどを与えているのだろう。
王留美は、微笑みながら魚達を見やった。

私は、食事は与えられませんよ。貴方達が自身でお探しなさいな。

そんな事を思いながらも、水の中を悠々と泳ぐ魚の群れは美しい。
まるで芸術作品のように、流れ戯れて、目を楽しませてくれる。

「お嬢様」
紅龍の声に、留美は顔を上げる。水面に浸していた足を引き上げ、立ち上がる。
「どうしました?」
「…彼らが無事、経済特区東京で生活を開始したようです」
「そうですか。今のところ問題は?」
コテージ内へ入りながら、束ねた髪を下ろす。さらりと黒髪が舞った。
窓際に用意されたティーセットは、ブランチだ。今日の紅茶はアイスティのようで、オレンジ色の涼しげな色が、青い水面とのコントラストを描く。
ブランチのセットには、スイスから取り寄せたジャムと、ヨーグルト、焼きあがったばかりのスコーンがあった。

「彼らは、今のところ問題は?」
「無いようです。隣人トラブルなども報告されていません」
「まだ?」
「はい、まだ」
含みを持った言葉に、留美は笑顔をほころばせた。
薄い唇を少しばかりあけて、アイスティのストローを含む。甘味の抑えられた紅茶は、留美の好みの味だった。

「ガンダムマイスターに足りないのは、協調性ですものね。各々の能力はとても高いのに、どうしても彼らは分散してしまう。…今回の共棲で少しは良くなるといいんですけど」
スコーンに手を伸ばして一欠けらを掴み、小さく千切りながらバルコニーへと向かう。海の中を覗き込めば、案の定魚達がこちらを見ていた。
魚達にふわりと微笑みを向けると、留美は、手の中に千切ったスコーンを空へと掲げた。
やってきたのは、コテージの屋根に止まっていた小さな鳥達だった。留美の腕に乗り、与えられたスコーンを啄ばむ。
魚は、床下でその様子を見つめるだけ。
「…私は手を貸しませんわ。ご自分でなんとかなさいな、ガンダムマイスター」
留美は遠くの空を見つめながら、小さく笑った。


「……なぁあんて事を今頃やってると思うんだ、俺は」

ダイニングテーブルで、お茶を啜りながらロックオンが言った。
アレルヤも、ずずず、と日本茶を啜る。安い茶だが、味は悪くなかった。

「そういう妄想力は逞しい限りだねロックオン。あぁ、そういえば水道代の請求書が来てたよ」
「きやがったな、よし見せてみろ」
アレルヤの手の中から、請求を勢いよく奪い取って封を開く。そこに書かれていた数字を見た途端、ロックオンは机につっぷした。撃沈だ。
「……予想より、3500円も高いぞおい…」
「それだけ使ったって事だろ?」
ロックオンの手から請求書を取り上げて、目を通す。確かに高めだ。けれどこれも事実、仕方ない事だと、請求処理の手続きを済ます。今月の残金は1万円をきってしまった。

「どうすんだ、今月の生活費の残金が、残り1万だぞ1万。…食費…せめて食費をなんとかしないと…」
「新聞の集金もあるよ。あと、刹那が勝手に取っちゃったミルク配達の料金も今月から加算される」
「あー!!…っ忘れてた…」
盛大な悲鳴を上げて、ロックオンが再度机につっぷす。
もうやってらんない、無理だ、20万じゃ全然足りねぇ、などと、ぶつぶつ言う言葉が聞こえるが、それでもなんとかしなくちゃならないのだから仕方ないじゃないかとアレルヤは思う。

「どうする?君の想像しているような優雅な生活をしている王留美に支援を求める?」
「…いや、絶対にアイツには頼らない…鼻で笑われるのがオチだ…ガンダムマイスターは、満足に生活も出来ないのかって笑われる」
「まあそうだろうけどね」
けれど実際その通りなのだから仕方ないと思うけど、とアレルヤは思いつつ、声に出さなかった。
思った事は何でも口に出してしまう性格だと自分でも思っているが、最近、その癖がなくなりつつある。自分よりももっと喋る煩い男が傍に居るからだ。4人で暮らすようになって、色々見えてきたものがある。
ロックオンが想像している通り、この4人での生活が、協調性を養うためのものだというのならば、それは少しは成功しているのかもしれない。お互いの性格を少しばかりは理解できるようになったのだから。

「とにかくしょうがねえ、小さな事からコツコツとやるしかないだろ!水道代!なんでそんなに高くなっちまったのか考えよう。…っていうより安く上げる方法だな、ほら、トイレのタンクにペットボトルを入れておくとか」
「それ、もうやってるよ。ペットボトル3本も入れたら、さすがに流れなくなるんじゃない…?」
「風呂を使う時は、2人いっぺんに入るとか」
「それは、君と刹那がもうやってるだろう…」
頭を抱えたくなってきた。ロックオンという男は案外馬鹿だ。射撃と家事しか能力が無いんだろうか。

「でも気になるな、どうして水道代こんなに高くなったんだろう…そういえば電気代も高いよ?」
「理由が判ればなんとかするけどな、それも判らないんじゃな…今だってティエリアが風呂入ってるだろ?」
「そうだね」
風呂場からは、水音が聞こえ続けている。刹那は今テレビを見ているから、消去法で風呂に居るのはティエリアだ。
「ティエリアが出たら次俺な」
「どうぞ。僕は最後でいい。そういえば、ティエリア随分長いね、風呂」
「あいつはいつも長いだろ?」
それでも、もうそろそろ出る頃だろうと、ロックオンが立ち上がって風呂の支度をする。髪をゴムで結い、タオルを出してきて、ふと気づく。
「…そういえば、ティエリアの風呂、長いよな」
「長いと思うよ。ずっとシャワーの音してるからね」
「……あいつ入ったの、何時頃だ?」
「ええと…1時間ぐらい前じゃないかな」

アレルヤが時計を見上げながら言い、あぁ1時間前ぐらいか、と思い出した。そうだ、そのぐらいからずっとシャワーの音がしているから間違いない。ティエリアの風呂は長いんだ。

「…待てよ、おい。…ずっと?…シャワーの音がずっとだって…?」
「ずっと、だね」
今も、ザーザーと勢いよく流れる水音が聞こえてくる。風呂場から。

「あの馬鹿-----------!!!」
怒鳴りながら、風呂場へと突撃し、ノックもないまま、ドアをスパァン!と開けた。
「ティエリアお前、お湯!お湯!お…ぐはっ!??」
ロックオンに飛んできたのは、風呂桶だった。顎にヒットした桶と共に、ロックオンの身体が背中から傾く。

「……君、刹那だけじゃ飽き足らず、俺にまで手を出す程に見境が無くなったのか」

違う、と言い訳をしようとしたが、目の前には無数の星が飛び交っている。
しかも、桶は正確にロックオンの顎にクリティカルヒットしていた。当たった衝撃で喋る事も出来ない。

「最低だ」
のびたロックオンを見下しながら、擦りガラスのドアをぴしゃりと閉めた。
さすが古いアパート。鍵もついていない。
後に残されたのは、脱衣所で顎を押さえ蹲るロックオンの哀れな姿だけだった。




水上コテージで、アイスティを飲みながら、留美は。
「でもまぁ、そう簡単に仲良くなんてなれないと思うけれど」
つぶやいた言葉は、確信だった。