唇と唇を合わせる、この行為が、「キス」というものだと、知らなかった。言葉は知っていたけれど、それは現実を伴わないものだったから、知らないも一緒だ。
肛門に陰茎を突っ込む事を、「セックス」と言うんだと知っていたし、腐る程体験もしていたけれど。

キス。
人肌の、生暖かな唇の感触が気持ち悪いと思った。徐々に混ざる2人分の唾液、口を開いてと、合わせたままの唇で合図され、殆ど本能的に口を開けば今度はぬめる舌が入ってくる。
唾液。温かみのある体温。交わる吐息。
そんなもの、今まで何度セックスをしていても知らなかった。
だって、キスをしなくてもセックスは出来る。穴と手と口があれば出来る。唇なんていらない。命令を下す相手の声だけが必要だった。

クルジスの男も、
ロックオンストラトスさえも、こんな事をしなかった。
この男だけだ、こんな風に唇を合わせてくるのは。


***


身体は2人分、ぴたりとくっついていた。アレルヤの膝の上に乗って、後孔には中途半端に勃起したアレルヤのものが収まっている。
アレルヤは何も動かなかった。刹那が膝の上でみじろぎをして動けば、連動してナカが動く。それだけの刺激。刹那にとっては勃起する要因にもならない。こんな弱い快楽の刺激だけでは。
「ねえ、刹那。キスをしてよ。君から」
「……必要ない」
「僕には必要だ。ほら、唇をあわせるだけだ。簡単だよ。まさか出来ないわけじゃないだろう?」
「意味がない」
「意味もある。必要性もある。ほら刹那」
顎をくいと持ち上げられて、唇に近づく。
「キスをしよう」
言う、アレルヤの唇に挟まれたカプセル。
拒み続ければ、あきれたようにアレルヤが笑った。
「仕方ないね、刹那は」
結局、近づいてくるのはアレルヤから。
こちらからキスなど、してたまるか。
意味がない必要もない。キスというものに何のメリットもない。
知っている。どうせ、キスという名の口うつしなんだ。あの薬を飲むための。


口の中に、カプセルが溶ける無機質な味。
アレルヤの舌がぬめりと入ってきて、唾液と絡める。喉の奥にカプセルを移動させようとしているのは判っていた。いつもの事だ。判っている。ただ薬を飲ませようとしている。それだけで。
確実に喉の奥へ、強力な薬が入ったカプセルが流れていく。
唇を合わせていれば、吐き出す事は出来ない。歯に挟んで飲薬を避ける事も無理になる。飲み込むしかない。

それでも簡単に飲み込みたくは無くて、喉の奥に力を入れて、気管を塞ぐ。
自然と息が詰まった。呼吸が出来ない。
それでも構わない。2,3分なら平気で息を止めていられる。こうして下肢が繋がった、呼吸が荒い状態でもだ。息を止める事は慣れている。あぁそういえば首を絞められたままセックスをした事もあったな。それが気持ちいいのだとあのクルジスの男は言っていた。

子供の身体で遊ぶ、穢れたおとな。
それに付き合っていたのは、生きていくためだった。
眠れば死ぬ。逃げても死ぬ。戦闘に出たとて死ぬ。

キスなど、した事は無かった。けれど、口は利用価値があるから、幾らでも使われた。口の中に出すのが心地よかったらしい。歯を立てれば、頭蓋骨が割れるかと思う程の威力で、殴り飛ばされたけれど。
「………」
その時の砂の味を思い出した気がした。
口の中のカプセルが溶けかかって、中身が咥内に広がっている。

「刹那、…飲み込んで」
唇を離しつつも、刹那の顎を押さえてアレルヤが言う。唇が唾液で濡れていた。
刹那はまばたき1つで、アレルヤの言葉を受け流した。
カプセルは飲み込まずとも、もう咥内で溶けている。不味い不味い薬の味が、舌の上に広がって粘膜に吸収されている真っ最中だ。
…あぁ、どうせ薬は飲まされるんだ。

「…ほんとう、強情だ」
ロックオンも苦労するね、
そう言いながら、もう一度唇が合わされる。
唾液を流し込んで、確実に薬を吸収させる、その名目のために。


刹那が、寝室で眠れない事に気づいたのは何時ごろだろう。
ベッドの上で蹲る姿を何度も見ている。けれどそれは少しも眠っていない事を知った。
ある日、エクシアのコックピットの中で、少しばかりの睡眠をとる刹那の手には総樹幹が握りしめられていた。そういう子供なのだと気付いたその日には、刹那を抱いていた。

眠って欲しい。刹那。
君が眼を閉じるのは何のためなんだ。
現実から眼を背けるため?何もその眼に映さないため?
そんなの何の意味も無いって知っていて、そうしているの。
「なら、僕を見ているといいよ」
セックスをするならば、後ろからは挿れない。絶対に挿れないから。
前を向いて、眼をみて。ちゃんと見て。誰が抱いているのかを知って。
そうじゃなきゃ意味がない。

いつも決まって、アレルヤが正常位と座位ばかりする事に、刹那が気付いているだろうか。
君が、他の誰かと関係があるのは知っている。時折、手首や腰に傷を作ってくるのも知っている。
ロックオンは情深いから、彼が傷つけたわけじゃないと思うけれど。
こびりついた血の跡を見ながら刹那を抱くのは寂しかった。
「薬を飲もう。…その方がいい。ドクターも言っていた」
睡眠薬を渡そうとして、差し出した手を、刹那はちらりと見ただけですぐに眼を伏せた。
「必要ない」
「どうして」
「必要ないからだ」
「君には必要でしょう。僕が判断した」
つっぱねるから、ヤケになる。無理矢理飲ませれば、吐き出そうとするから唇を塞いだ。それが最初のキスだった。


「ほら、あとは眠るだけだ」
キスをして、薬を飲んで。
眠りに入っていこう。
幾ら眠りを妨げようとしても、薬が眠りを誘発する。
…ほら、まぶたが閉じるでしょう。

あぁまたあのまどろみの時間がやってくる。

刹那の後孔の中で、まったく動いていなかったアレルヤが、ゆっくりと腰を廻しはじめた。
もう、刹那の口の中には唾液とアレルヤの舌しか無い。
唇を合わせたまま、腰を繋げる。ゆるりゆるりとまわされる腰。背中にあたる硬いシーツ。少しの嘔吐感。慣れた感覚。
もう薬は溶けているのに。それでも唇を合わせてくる。
その必要はない。
意味もない。
そのはずだ。

「…刹那、眠る前にイって」
無理を言う。もう手の力が抜けかけている。刹那の手がだらりとシーツに落ちた。もう遅い。どうやって眠気にあがらっても、間もなく落ちる。
(自殺者みたいだ…)
眠りたくないのに。永遠の眠りにつくようだ。
現実から切り離される意識。眼の裏に焼きついた硝煙と破壊と死体が消えていく。

ゆらゆらと。揺らされる腰。
力の入らない、刹那の身体。

ねぇ。何が楽しい?
何故、皆、セックスをしたがるのだろう。
少年兵で弄ぶ、おとなも、
「お前だから欲しいだよ」と、刹那を求めるロックオンも。

お前は、何を求める。なぁアレルヤハプティズム。

だらりと、力の抜けた身体。感覚が鈍くなってゆく。
眠りたくない。
眼を開く。ぼんやりと開いたまぶたの隙間に、クルジスの戦闘が見えた。赤い炎。瓦礫の黒。人の焦げ跡、血の色。MSの金属。

(違う…)
もう違うんだ。今、いなくちゃならない場所は、そこじゃない。
俺が居る場所は、そこじゃないんだ。もっと違う、もっともっと行ける場所がある。エクシア。コックピット。ソレスタルビーイング、男の肌。
(…もう、こどもじゃない…)
少年兵と呼ばれた。今は違うはずだ。今はもう。
なあ、だからこんな、身体を突き刺して繋ぎ止めないで。キスで塞がないで。呼吸を止めるのならば、首を絞めて。

キスは苦すぎる。
苦すぎるんだ、アレルヤ。