「だから…言っただろう…」
ひぃ、ひぃ、と喉が詰まったような、苦しげな呼吸音が刹那の喉から溢れ出す。
全身を小さく震わせて脱力する身体を、無慈悲な表情で見下した。
横向きに横たわり、シーツを握りしている指が白い。
身体がびくりと震える度に、刹那の後孔から、どくっ、どくっと精液が腸液と混じって溢れ出していた。真っ白な精液に混じるピンク色は血液だ。
刹那が、げほっ、と咳まじりの息を吐き出したと同時、激しく咽せて、げほげほと喉を引き攣らせて痙攣を繰り返す。そのたびに、とぷとぷと音が出そうな程、精液が下肢へ溢れ出していた。

ロックオンは、手を伸ばす。
疲れ果て、意識を失いかけた刹那の身体に。
その手は、濡れて張り付いた前髪を梳き、そして首筋にかかった。筋を押せば、また大きく身体が跳ねた。苦しげに眉が寄る。呼吸が出来ない。

「だから、言っただろう刹那。…今夜は、辞めておいた方がいい、って」


***


この部屋にアルコールなど無いと判っていて、部屋に目線をくばらせる自分が居た。
ロックオンは自嘲する。何をしているんだ、俺は。

この部屋には何もない。
ベッドとデスク、椅子。それだけの部屋だ。身の回りのものなど必要がなかった。ガンダムマイスターになって与えられたのは、ガンダム1機と己の命だけ。
何かを守れといわれたわけではなく、何かを掴めといわれたわけでもない。
そんな、酷く単純なことだったんだ、自分がしている事は。

「酒…あったらな…」
ふと、音になった自分の声が不愉快だった。部屋は酷く静かな凪のようだったのに、自分の声で空気が震えて乱されたように思う。

酒を飲む事は滅多にない。
いつ出撃かかかるかわからない状況では、飲酒は命取りだ。ソレスタルビーイングに酒は常備されていない。
それが酷くもどかしく思えた。…今は酒に頼りたいと思い、けれどそれも出来ず悶々とする。こんな時に酒があればいい。あれはいい薬だ。どこまでも意識を別の世界へとやれる。騒ぎ立てても泣き出しても誰も文句はいわない。酒の所為すればいい。それこそセックスだって出来る。誰とでも。
煙草も、麻薬も、薬も、今はいらない。思い出してしまう。あの血の匂いを。あの日の事を。
耳をつんざく轟音だった。かき消された周りの声。破壊されつくしたビル。照明が落ち、中の電線がパチパチと音を立てていた。水道管の破裂。ふと見れば飛びちった身体のかけらが目の前に落ちていた。あぁこれは指だ。…誰かの。

今はこんなにも。
静かな夜。
静かな空間。
…部屋に1人、誰も入ってこない空間。
あぁ、耳にこびりついていた音が止んでいく。耳に広がる無音の世界。
そうだ、この世界に居ればいい。…あぁ、酒がなくたっていいじゃないか。今は何もかも忘れる。忘れられるはずだ。

人が。
死ぬことを、なんとも思わなくなったのはいつだったか。
思い出せない。

真っ白で真っ暗な世界。それをただ望んでいた。
眼を閉じる。
静かな空間にも、部屋の傍を通るダクトの音が聞こえる事に気付いた。ガンダムを整備する音もかすかに混じっている。
あぁなんだ、この世界も無音じゃなかったじゃないか。

耳を澄ませば、もう1つ、足音が近づいてきている事も判った。
コツコツと。革靴じゃない、スニーカーでもない小さな靴の音が近づいてきている。
誰か、知っている。
この足音を。

足音は予想通り、部屋の前で止まり、
勝手にロックを開錠して、何も言わずに部屋に侵入し、迷いもなく歩み寄って、ベッドに腰掛けるロックオンの前に立つ。至近距離だ。ロックオンが手を伸ばせば手が届いてしまう。そんな距離に。

「どうした刹那」
言っても、返ってくる返事はない。
…いつものことだ。答えなど期待しても刹那から返ってくる言葉は滅多にない。この少年は16だというのに、どうしてこうまで表情を失えるのか。喜怒哀楽がまったくない。
怒っていると思っていた表情が、本当は怒りなどではなく、諦めの表情だと気付いたのは最近だった。
俺はお前よりも、ずっと子供なのかもしれない。
あの頃から時間が止まっている。いつまで経ってもあの光景を忘れられない。眼に焼きついている。なあ、お前もそうなのか。内戦で、お前が見たものは俺が眼にした光景よりも酷く残酷なものだったのか。
それはお前のうわべの感情を全て焼き殺す程だったのだろうか。
…ならばなおの事だ。
今はお前と居たくはない。言ってやれる言葉もない。何も。

「…今は構ってやれないぜ」
静かな部屋に響く自分の声が不快だ。笑おうとして、それがあまりにも自然に出ている声で驚く。あぁまだこんな声を出せる。
「何しにきたんだ刹那」
返事がないと判っている。判っていても声が出てしまう。出て行ってくれ。そういいたいのに言えない。
刹那は動こうとしていないようだった。
近づいてきて、ロックオンを見下ろしているのに、何も話かけもせず、手を伸ばす事もしない。
あぁ、お前もそうやって俺を見下すのか、
「刹那…!」


ロックオンの声は悲鳴のようだと思った。
こういう男を知っている。…知っているとも。数年前には幾らでもみた光景だ。
丸まった背中。言っている事が支離滅裂で弱弱しいのに言葉は強い。
手を出すなと言っているのに、手を出して欲しいと願っている。…そういう男を幾らでもみたきた。そして対処方法も知っている。

一歩。踏み出した。
ロックオンの膝の間に身体を入れる。手を伸ばせば、すぐに抱きしめられる距離。
ベッドに腰掛けたロックオンの前にひざまづく。顔を上げれば、眼と眼が近い。
あぁ、こういう眼を久しぶりに見た。怒りに震えその吐き場所を求めさまよう眼。お前が吐き出していい怒りは何処にもない。その感情は不要だ。あれば邪魔になるだけだ。知っているはずだろうロックオンストラトス。
手を伸ばす。だから、吐き出させてやるんだ。

「刹那、やめておけ」
言われて、けれど辞める気などなかった。
ベルトのバックルを外した。かちゃりと小さな音。
慣れている。手が覚えている。出来る。このぐらい。
くつろげさせた中から出てきたものを掴んで口に入れた。途端、反応する。…あぁ、やっぱり出来るじゃないか。どれだけ精神が痛んでいようが、疲れていようが、ちゃんと、勃起する。
にち、ぬち、と。
音を聞くのは久しぶりで、この温かみを口の中に入れたのも懐かしい。
「刹那…ッ…」
こうして咥えている最中に、その名前で呼ばれるのは初めてで、髪の中に手を入れてかき回されるこの行為は、はじめてじゃない。
「…やめろ、刹那ッ…」
辞めてなどやらない。…辞める気はない。
ほら、イけばいい。このままイけば、楽になれる。何かの枷が外れる。もうどうでもよくなって、腰を振るしか考えられなくなればいい。
顔にかければ征服欲が満たされるだろう。吐き出せば性欲が落ち着くだろう。疲れたら眠る事が出来る。…ほら、そうすればいいんだ。そうして忘れて大人は先へ行け。銃を手にとって子供をはやし立てて自分も死に急ぐんだ。

「刹那ッ…ばかやろうッ…!」
そんな風に罵られたのは初めてで、刹那は口端で笑った。

もうすぐ、この男が全てを失う時がくる。