無様だ――――――。

処置室に備え付けられた固いベッドの上で、朦朧とする意識の中、思う。

なんて滑稽で、
なんてか弱い――。

こぶしをにぎりしめようとして出来ず、今の事態を笑い飛ばそうとして笑い方を忘れていた事に初めて気がついた。
何も出来ないとありありと自覚する。

たかがあんな程度で、見事に狼狽したものだ。あんなもの、ただの強姦だ。殺されもしない。精神的に追い詰めるためだけに利用されただけだ。自分が好きな相手のために、関係者を少しずつ嬲り殺す。そんな捩れ曲がった行為に愉悦を覚えている男にまんまとやられてしまった。
(情けない)
心底思う。
情けない。ふがいない。
今までの訓練や自制はどこに言ったというんだ。
穢され汚されただけで、簡単に突き崩された。自分を。

それが他愛もない事実だった。
確かにあの男はロックオンストラトスに良く似た男だった。あれは本人だったんじゃないのか。そんな疑惑が未だに胸の奥でくずぶっている。話し方も笑い方も、何もかも同じだったからだ。ただ違うのは、あの笑顔で、あんな犯し方をする。それだけ。…けれど、それさえも、そういうやつだったのかもしれないと思えてしまう。
(違う…)
違うだろう?言い聞かせられる絶対的な証拠はない。
同じ顔。同じ声。同じ姿。
ロックオンストラトスなのかもしれない。…違うかもしれない。
「……っ」
首を絞められた時に無我夢中で見た、男の顔をリアルに思い出す。突きつけられた拳銃の銃口も。震えた。
あぁ、まだこんなにも、あの過去を、身体が拒んでいる。

情けない。自分はガンダムマイスターだ。世界を変える。紛争を無くす。その使命のためだけに生きている。そうだ、なのにあの男が、こんなに自分の心を、身体を、ぐちゃぐちゃにしていく。
ソレスタルビーイングの行動理念。紛争根絶の志。その計画の邪魔をする男―――。

ああ、そうだ。あれは敵だ。

「…殺さなければ…」
口から溢れた言葉は、冷たい言葉と口調。感情なんて篭らない。だって殺さなくてはいけない。あの男を。
ソレスタルビーイングの計画を邪魔するのなら。自分の邪魔をしたから。
殺す。
殺すんだ。
そう。秘密を知ろうとした、いや秘密を知ってしまったあの冷たい男を。
「殺す、…俺が…」
殺さなくちゃならないんだ。
「あんな顔をして俺を惑わせて…!殺す、殺す…んだ、殺す」
何にを自分はこんなところで眠っている。目を閉じて休息をしている。
あの男を殺さなければ。

思えば、たった1人に明確な殺意を戴いたのは初めてだった。刹那はそれに気付いているのだろうか。
余りにも胸を渦巻く黒い思いに思考も全てをもっていかれてしまう。

「俺はッ…!!!」
怒鳴り、身体を硬直させれば、片肘が滑って、狭いベッドの上からがたりと落ちた。
「っ…!」
立て直そうと、無理矢理起き上がろうとして、自分の体重が邪魔をした。左腕が痛む。あの男に撃たれたからだ。あの男に、あの…!
「……あの男がッ…!」
冷たい腕、銃口、赤く開いた口元の嘲笑、口先に突きつけられた、浅黒い醜悪な…
「…っ!!」
脳裏に焼き付いている。あの笑った顔が。骨が軋む程にしめあげられた首筋。その声。その顔。
「俺を惑わすな…!ロックオンストラトス…!!」
激しく怒鳴った途端、身体の節々がぎしりと痛んだ。見れば、右腕にはチューブが接続されている。栄養と鎮痛剤を含んだ点滴。
「邪魔だ…!」
自分の腕に繋がる幾筋ものチューブが動きの邪魔をする。
こんなものを付けられているから動けないんだ、邪魔だ、こんなもの、ミッションには何も関係ないだろう…!
取り外そうとした、チューブを握りしめる手が震えた。力も入らない。腕を精一杯動かして、栄養を送り続けるチューブを引き抜こうとし、自分が倒れた。世界がまわる。----落ちる。
(くそっ…)
ベッドから転落するその時間がやけに長く感じて、刹那はいたたまれず唇を噛み締めた。
なんて、無様な。


「刹那!?」
転げ落ちた途端、ドアが開く。アレルヤの声が滑り込んでくる。
処置室のドアの向こうから、金属の何かが大量に落ちる音と大きな物音が聞こえて、アレルヤは慌ててドアを開けた。見れば、散らばった医療機器の中で、白い患者服を着た刹那が倒れている。点滴が倒れ、床に中身が飛び散っている中で、安静を言い渡されたはずの刹那は立ち上がろうともがく。
駆け寄った。
「刹那、大丈夫!?」
息を荒げている刹那は、自力で起き上がろうとし、力を篭められず、また倒れた。アレルヤは支えるしかなかった。
「まだ動かないほうがいい、刹那。どうしたんだ」
言いながらも、アレルヤは刹那の身体に目線を這わせた。
唇は酸素を求めていた。せわしなく呼吸を繰り返す。
手足は小刻みに震えたまま。痛みで、苦しげに伏せられた目、眉。
腕に繋がれた点滴のチューブには、引き抜こうとした跡があった。飛び散った点滴が、白い患者服に沁みていた。

「点滴抜こうとしたね?」
確認するまでもない。間違いない、刹那が自力でやったものだ。安定剤を打っていたと聞いているのに、刹那には効かなかったのか。
アレルヤは刹那の小さな身体を抱き抱えようと手を伸ばした。その手を弾かれる。弱弱しい力だった。
「刹那…」

処置室のドアの前で、刹那とロックオンの事を考えていた。
ありえないほど全身に傷を負って回収された刹那。その姿は、ちらりとしか見ていないけれど、全身には殴打の跡があったのは知っている。ロックオンは必死に隠そうとしていたけれど、アレルヤは見てしまった。刹那の内股を伝う白い液体を。
あれは精液だ。
そのぐらい、アレルヤとて判る。ロックオンが最初に刹那を発見したから隠せたようなものだ。あれはどうみても陵辱の跡だった。
(…相手はロックオンじゃない…誰かに犯されたのか…?)
下賎な世話だと思うが、考えてしまう。あれだけ手酷い傷を負ったのだ。徒事ではない。刹那とて小柄だが生身で戦う方法は知っている。そういう訓練も受けている。そう簡単に暴漢に襲われるとも思えない。
(だったらやっぱり軍人に捕まったのか…?)
いや、それは無い。ロックオンとも話をしたはずだ。ユニオンや人革連、AEUならばガンダムパイロットなど喉から手が出るほど欲しいだろう。情報も力も。犯したぐらいで殺しもせずに放置するわけがない。
(じゃあどうして…)
刹那は、確かに深手を負っているが、それ以上に精神的ダメージが大きい。安定剤を打っているのがその証拠だ。多少の事では顔色さえ変えなかった刹那が、どうしてこんなに。

『俺を惑わすな…!ロックオンストラトス…!!』
処置室のドアの向こうから聞こえてきた言葉を、アレルヤは思い出す。
そうだ。惑わすなと刹那は言った。
ロックオンに惑わされているとでも言うのか。…どうして。彼は君の手当てをしただけだろう。なのに。
(…違う、のか…?)
ロックオンと刹那がセックスをする関係にあるのは知っているが、関係は深くはない事も知っている。傷を舐めあうわけではなく、体温を写すような関係なのだとアレルヤは思っていた。家族も両親も知り合いすらロクにいないこの状況の中で、自分以外の誰かの体温を感じる事が出来るのは確かに貴重だ。特に強がってみせるあの2人に関しては。
ならば、なぜ。
ロックオンは刹那を兄弟のように慕っていたし、刹那とて警戒心を緩めて、ロックオンの介入を許していた。…憎みあうことなどないはずだ。
まして、あんな風になるまでにロックオンが刹那を犯す事はない。
刹那が居なかった3日間、誰よりも心配し、行方を捜すために奔走したのはロックオンだ。刹那は死んじゃいねぇ。自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、捜索を続けていた。見つかった時の喜びと失望は計り知れない。…ロックオンとて不安定な状態なのだ。
(そういえば…)
『いや。俺だからこそ、刹那に近づいてはいけないかもしれない』
彼の言葉は、一体どういう意味だったのだろう。


「とにかく。刹那、ベッドに戻ろう。まだ動いたらダメだ。ドクターを呼んでくる。ロックオンも」
刹那に何かあれば知らせてくれと言って、ロックオンは自室に戻っていった。ロックオンを呼ぼう。この互いに不安定な状態をなんとかしなくては。
電話をかけようと、部屋の内線の位置を捜そうとしたアレルヤの腕を、刹那が掴んだ。

「刹那?」
腕を掴んだ手にかすかに力が入る。
「刹那、どうし、」
「呼ぶな」
「え」
「あいつは、呼ぶな」
「でも」
アレルヤの声に、刹那は強い目で睨むように訴えてくる。
ロックオンは呼ぶな、という強い否定だった。

「なんで…」
なんで。
ついこの間までは、アレルヤから見ても、刹那はロックオンを信頼しているように見えた。もちろんそれは甘えるといったたぐいではないけれど、それでも己を信頼していたのは、2人の戦闘を見ていても、普段の生活を見ていても判るものだったのに。何故突然こんな事になるんだ。
「ロックオンは、刹那を看病していたんだよ。それに君だって彼なら」
心を許してるんじゃないのかい?
言おうとして、思い止まった。
セックスをする関係ならば、身体は許しているけれど、心は許しているわけではない。…恋愛をしているわけではなく、淡々と体温を分け与える関係は、恋愛とは呼ばないだろう。
本当は、心の中で、それだけの関係だったと割り切っているのか。
ならば、なぜ、この弱った時に頼らない?
頼ってもいいだろう。そういう関係だと割り切れるのならば。

(…いや、もしかして)
違うのか?

許した身体。淡々と続けられるセックス。陵辱された傷、ロックオンを呼ぶなと怯える姿、震えた身体。
それはアレルヤの直感だった。

(弱っているから頼れない…?)

自問自答した答えは、アレルヤの中で一つの結論を促す。そしてその答えを口にするのはなにより簡単だった。

「刹那、きみ、ロックオンの事が、本当はすきなの…?」

問い掛けた答えに、刹那は一際大きく震えた。
ゆっくりと持ち上げられた顔。唇は半開きのまま、アレルヤを見抜く。それを真正面から見返した。

答える事が出来ないままで固まったように目を見開いた刹那の頬を伝う汗が、まるで一筋の涙のようだとアレルヤは思った。

あまりにも、綺麗だ。