ねえロックオン。
刹那のそばにいてあげたら?
だって君はいつだって、彼の傍にいたじゃないか。今更それを否定するの?

アレルヤの銀色に輝く目は、まっすぐに見据えてくる。その目を見返せなかったのは、それは自分の弱さに他ならないのだけれど。

「アレルヤ、お前は何も知らないからだ…」

だからそんな事が言える。
そんな、表面的な事だけを。


自室のベッドに腰を下ろし、ロックオンはグローブを嵌めた手を握りしめては緩め、そうした意味もない事を繰りかえして、自分の手を見つめていた。
この手は刹那に触れた。
細い腕、血が通っていないのかと思う程、冷たくなってしまった身体。触れてあたためて、その身体を元あったように戻してやりたかったのに。
(あんなに…震えるなんてな)
びくりと震えた身体は、ロックオンの姿を見た途端に目を見開いて驚愕し、おそらく逃げようとした。重傷を負った刹那は動けもしなかったけれど、あれが本能の恐怖が起こした行動だというのは判る。殺される直前の、恐怖心理に似ている。怯え震えて許しを乞う行為を他ならぬロックオンは良く見て知っていた。刹那の震えは、その怯えに良く似ていた。
まさか刹那が。
思いもしなかった。
違う、大丈夫だ刹那。怖くないのだと、俺は殺意なんかこれっぽっちも無いんだと。
お前を犯し、陵辱した男とは違うと教えてやりたかった。触れてあたためて、お前を抱きしめるこの身体は、敵じゃないと。…そう思わせてやれるはずだったのに。

(…俺だからこそ、ダメだったんだな、刹那…)

声に震える。
顔に怯える。
身体が触れる事を怖がる。

ロックオンストラトスなのかと、名を呼ぶ刹那の唇は乾いて罅割れていていた。痛々しい。触れて水を与えてやりたい。キスを。キスをさせてくれ刹那。
触れたい。その身体の乾いたあちこちに、水を垂らしてやりたい。
…それなのに。

刹那。俺はロックオンだ。お前だって知っているだろう。俺はお前を攻撃しない。なぁ俺だ。刹那。

強く保とうとした刹那の目が揺れている。心の中の怯えが如実に現れた瞳は、ロックオンの目を受け止めきれずに伏せられた。
拒絶を、された。

「くそっ…」
革の手袋が、ギッ、と音を立てた。
当り散らして、なんでなんだと叫びたい想いが腹の中で濁流のように渦巻いて吐き出してしまいそうだ。壁を殴りつけ叫びだしたい。それを手の中にぎゅっと押し込めて、きつく目を瞑った。

何故刹那が怯えるのか。
理由が、判った気がした。

刹那を蹂躙し、それを見せ付けるように投げ捨る事で、ロックオンに意思を突きつけてくる。…そんな事をするのは。
「…あの男しか、」
ぎりと噛み締めた奥歯。力を入れすぎて顎と皮膚が震えた。髪が揺れる。
あの男しかいないんだ。…あの男しか。

あの男がどうやって刹那を犯したか、手に取るように判った。顔や姿を最大に利用して、刹那に身内だという安堵を与え引き寄せておきながら、その笑顔で突き崩す。
刹那は強い男だ。
ロックオンという男だと思い込ませる事が出来るほど良く似た顔、身体。そんなものでも刹那は振り切って、違うと履き捨てる事が出来る。
けれど、それでも、刹那が突き崩されたのは、ロックオンが刹那の内面に入り込みすぎた所為だ。
普段人を寄せ付けない刹那が、唯一、身体を許した人物。
ロックオンとて、自信も自覚もあった。刹那に許されている。その身体に触れる事も、話をする事も出来る。
刹那にとって、言葉交わせる数少ない人間の1人だと。
セックスを許された。
身体をあたためる事を許された。
許されるように、望んだから。
それは、刹那にとってどれだけの救いになっていたのか。…いま改めて判る。これほどまでに拒絶され怯えられる反面、どれだけ心を許されていたのかを知る。
あぁ、こんなにも必要とされていた。
こんなにも、近くに居る事が出来たのに。

「くそっ…」
それを利用されるとは思ってもみなかった。あの男はそこまで判っていたのか。刹那がロックオンを許していると、それも判った上で、刹那に恐怖植えつけたのだろう。何度も繰り返して、穏やかだった心が粉々に崩れる程に。
刹那にとって、それはどれだけの恐怖と屈辱だったのだろう。
人に触れられる事を許さない、いつもひとりで居た刹那の、一番深い心の居場所。
掻き乱され、荒らされて、
この顔は、この姿は、恐怖でしかないんだと、本能にこびり付く程に、犯し、汚した。

「なんて迂闊さだ、俺はっ…」

失った。
刹那を。
手に入れたあの小さな少年を、一瞬で。


処置室で、真っ白な顔で眠る刹那。
あの小さな刹那が、どれほど周りからの干渉を断ち切って生きてきたかを知っている。あの少年が本当はとても脆い事を、知っていた。
だから抱いたのに。
人のあたたかみを、肌の優しさを、心臓はちゃんと動いているんだって事を、幾度となく抱く事で伝えた。
触れられれば強くなるんだと、血のあたたかみじゃない、肌のあたたかさを教えてやりたかった。
それは、刹那にとって、もう恐怖でしかなく、もうロックオンに触れられる事さえ拒むだろう。
そして、ロックオンもまた、刹那に触れることは出来なくなった。怯えさせるだけの存在なら、もう彼に与えられるものは何もない。

「…刹那ッ…!」
握りしめたこぶしで、額を覆い隠した。
何故自分はこんな顔をしているんだ。
何故こんな声で、姿で、あの人と瓜二つの!

後悔は歯止めも聞かず、ロックオンの体内をのたうちまわって、苦しさが喉の奥から溢れ出てしまいそうになる。

刹那。
刹那、ごめんな。
俺はもう、お前を。

顔を覆い隠した手が、力なく落ちる頃、ロックオンはゆっくりと立ち上がり、部屋のドアを開けた。
最後に。せめて最後に伝える事が出来るなら。


***


処置室に人影はない。
ただ、定期的に発音する小さな電子音と、真っ白な処置室の真ん中で、死んだような顔色で眠る刹那の姿が、目の中で焼きついていく。
まるで死んでいるみたいだ。
心音を刻む、電子音は、確かに流れているのに、それでもあれが刹那という身体だけで、命がもう宿っていないのだとしたら。
あの身体は朽ち果てて冷たくなってしまうのだろうか。
…戦争をしている。
いつこの命が消えるのか。
死んだ体は冷たくなって、お前の前から消えて。…生きてきた事を抹消される運命にあるソレスタルビーイングの、それでも、それを望んで生きてきた。
刹那。お前はどうやって生きてきたんだろうな。
お前が、どれだけの間、一人で孤独で居たんだろう。
俺の存在は、その少しでも、まっとうな足しになったか?

「刹那」
呼んだ声が震えていた。
なんだ。怯えているのは自分じゃないか。そこではじめてロックオンは自分の心境に気付く。
怖いんだ。
怖い。刹那。もう触れられない。

「刹那。…刹那、なぁ…」
呼んだ声に反応はない。安定剤が効いているのか、深い眠りに入っている刹那の顔色は変わらず、ロックオンを見る事も無かった。

名を。これからも呼ばせてくれるだろうか。
彼が怯えるのなら。凌辱された恐怖を思い出すのなら。…もう名を呼ぶことも顔を合わせる事も抱きしめる事も出来ないだろう。

ならば、眠っている、今なら。
今だけは。

「せつな、」
彼のコードネームをゆっくりと呼び、ベッドの前で膝をつく。
目の前に、刹那の寝顔があった。
間近で見れば、思いの他、穏やかだった表情に、ロックオンに安堵の微笑みがもれた。ああ、いまだけでも、穏やかならばよい。

力の抜けた刹那の手を取り、そっと握る。
ロックオンのあたたかい体温を受けたかのように、刹那の指先がロックオンの体温と同化する。冷たい刹那の体温をもっとあたためてやりたいのに。
ごめんな、俺の身体も冷たくなっちまったみたいだ。
お前に触れるのが怖くて、お前にこの手を払われるのが怖くて、緊張しているんだ。手があたたかくならない。
…だからもう。

「俺達はこれで、」

ゆっくりと確認するかのように、囁かれる言葉。
刹那は眠りに落ちたまま、動きはない。
唇の端には、小さな傷。あの男とのセックスの間に噛んでしまったのか。
ロックオンは手を延ばし、渇いた刹那の唇に触れた。

「さよならだ、刹那」

別れの言葉を言いながら、別れを惜しむかのようにロックオンは、刹那の唇をキスで塞いだ。

最後に、冷たい体温を分け与える、このおろかな行為を。
許したまえ、刹那。