突き放された、と怒鳴ったロックオンの声が、狭い部屋の壁に僅かに響いて吸収されていく。
その声の余韻を耳に聞きとめながら、目を見開くアレルヤは、激昂のままに声を荒げる事が出来なかった。
酷い事しているのはロックオンだ。刹那が苦しんでいるのを見捨てて、一人で居る事を怯えると判っているのに手を離した。
刹那は決して弱くない。けれどそれでも何にも縋り付く事が出来なくなった子供をどうして一人に出来るだろうか。

見開いたアレルヤの目に、苦しげに歪むロックオンの表情がうつる。

どうして。
どうして、君が突き放されなくちゃならない。
刹那が君を拒絶したっていうのか?
そんな馬鹿な。

自分の中で答えを導き出そうとし、それが出来ずに唇が震える。
でもそれならば、どうして刹那もロックオンを避けるのか。
…どういう事?

「刹那を突き放したのは君だろう?」

再び問いかければ、ロックオンは静かに顔を上げた。壁に後頭部をこつりと付け、目が部屋の天井をさ迷う。
その目に映っているのはきっと刹那だろう。
「突き放したのは俺、か…。そうか、そうだな俺が…」
「ロックオン」
「おかしいだろ。お前にしてみればおかしいだろうな。今まであんなに傍に居たんだ。それがおかしいとも思わなかった。あいつもどんどん心を許していくのが判った。自覚していた。あいつを抱擁できるのは俺だって」
思いを告げながら自嘲気味に笑ったロックオンの唇が一転、いとしげに言葉を紡いだ。

「刹那が好きだ」

すきだ。
あの、強くはかない少年を。
いとしい。守ってやりたい。出来るのならば、ずっと、共にいることを許されるまで。

「だから、近づけないんだアレルヤ。…アレルヤ」
「なんで、ロックオン、」
顔を伏せ、その顔をゆがめたロックオンが、両手の平で目を覆い、前髪をぐしゃりと握りつぶした。
「だから、アレルヤ、おまえが」
なあ、おまえが看てやってほしい。あいつ本当に危なっかしくて、誰かが傍にいてやらないとダメになるんだ。
あいつは自分が強いと思い込まなくちゃ生きていけないやつだから。
「だから」
「待ってロックオン。意味が…意味が解らないよ、どうして」

座り込んだロックオンの肩を揺さぶる。長い茶色の髪が、ぱさぱさと揺れた。なんでこんなにも苦しんでるんだ。おかしいじゃないか。苦しいのは刹那で、なのにロックオンこそこんなにも一人で悩んでる。
なんで。なんでこんな事になった?
胸が痛い。ロックオンねぇ、どうして。どうして?

「大丈夫だアレルヤ。ミッションに支障は…」
「そういう事じゃない、そうじゃないよ。違うんだロックオン。…なんで、なんでこんな、」
「俺じゃなければ刹那は他人を受け入れる事ができる。あいつが信頼をおけるほどの男なら。…アレルヤ、おまえなら」
「それは、」

それはロックオンの役目だろう。言いたいのに、そんな簡単な言葉が言えない。
だってロックオンはその役目を放棄してしまった。俺じゃ駄目なんだと匙を投げて、アレルヤに縋りついている。

いつから、ロックオンはこんな風になってしまった?
刹那が行方不明になって、傷を追ってから。…そうだ、ロックオンが刹那に会ってから。あれからおかしくなってしまった。全ては、刹那が居なくなった空白の時間が過ぎてから。
あの日、ロックオンと共に運び込まれる刹那を見ている。あの小さな身体に何が起きたのか、知っている。
予想ぐらいついている。あの傷から想像できることは1つだ。

「…君は何に怯えているの。教えてはくれない?」
「…あぁ」
告げられる言葉は、強情な言葉。
だから、傷を抉るように、答えを望む。
だってそうしなければ、きっと君達の時間は止まったままだ。

「刹那が誰かに犯されたから?」

その言葉が、ロックオンを傷つけると判っている。けれど言わなければ始まらない言葉を告げた途端、ロックオンの怒りに満ちた目が見えた。
「…!」
「アレルヤッ…!」
次の瞬間にアレルヤの首に強烈な痛みが走り、呼吸が止まった。
アレルヤの首を、ロックオンが力任せに掴み上げている。
「……っ!ロックオ、ン!」
「何で知ってる…」
ぎり、と音がしそうな程の強さで、頚動脈を握りしめられてアレルヤは思わず喉を仰け反らせた。その手に宿るのは本当の殺意の篭った力で、ぎりぎりと締め上げられるロックオンの腕を解こうと手を伸ばしてみても、その腕は一向に力を弱めない。
「ロッ…、お、…!」
殺意が混じるような鋭い眼差しがアレルヤを射抜いていた。
「かはっ…」

この人の、こんなするどい怒りに満ちた目。
剥き出しになった殺気を、見たことがあっただろうか。
ギリギリと掴み上げられる首根はあまりにも強く、呼吸が出来ずに喉が喘ぐ。息を吐く事さえ出来ない。

「ロック、オ…!」
「アレルヤ、貴様なんでそれをッ…!」
「…ッ…!」

外聞もなく掴みあげられ、揺さぶられた体。
このままでは死んでしまう!
あまりの殺意に、アレルヤも力の限りでロックオンの腕を弾き飛ばす。
ロックオンの胸を足で蹴り上げて、強引に腕を離し、一気に流れ込んできた酸素を吸い込んでげほげほと咽れば、未だ殺意の篭る目で見つめるロックオンと距離を取った。
まるで正気ではない。

「わかるよ!僕だってあの日、刹那の体をみてる!」

刹那が行方不明になってから戻ってきた日、ロックオンが抱き抱えて連れ戻った刹那の姿が、瞼に焼きついている。忘れるわけはない。
「すべてを見たわけじゃない!だけど何があったのか、想像ぐらいつく」

あの日の衰弱した刹那の身体、それから、ロックオンを拒むようになった。そして、刹那から聞いた言葉達。
『俺を惑わすな…!ロックオンストラトス…!!』
少し考えれば判るだろう。けれどそれを信じたくなくて目を逸らしていた。
間違いないそうだったんだ。刹那は誰かに犯されている。そしてそれはロックオンにも関わりがある誰か、に。
だから、ロックオンも傷ついてる。自分が近づけば刹那が怯える事を知っているから。

なんて事だ。

ロックオンはうなだれたまま、アレルヤの言葉を受け止めたようだった。
殺意が消えて、だらりと腕を下ろす。

「刹那は、君にさよならを言われたって」

伝えれば、ロックオンの身体が驚くほど、ひくりと震えた。
それはまるで子供のようだった。

「それでも僕に言うんだ。何も失ってないって。何も無くしてなんかないって」

あんなにつらそうな顔で、無くした痛みを抱えながら言う。
最初から何もなかったと。

「…本当は刹那だって君のこと、」

すごく好きなのに。

伝えたくて伝えられない。
唇を噛み締めた。それはアレルヤが伝えていい感情ではない。意味がない。それでは。

「知ってるさ」

うなだれたロックオンは言う。
静かな声だった。

「ロックオン…?」
「知ってるさ。あいつの感情なんて手にとるように判るんだ」
「じゃあなんで!」

なんでそこまで判っているのに、お互いを感じあっているのに、こんな風に離れ離れになってしまう?
話をすればいいだけじゃないのか。好きだと伝えて、怯えを取り除いて。そうして元に戻る事じゃないのか。

「なぁアレルヤ…」

ロックオンの目がゆっくりと、宙をさ迷い、刹那が居るであろう、ガンダムの格納コンテナの方向で止まった。
一人で部屋に居る事を拒む刹那は、きっとエクシアと共に居る。

「どうしたら俺はあいつを受け止めてやれるかな。どうしたら怯えさせないで、あいつが望むことをしてやれる?」

大切なものを無くしすぎて、失う感覚さえ麻痺してしまったあいつを。
ただ抱き締めてやりたいだけだ。
あたたかさを与えてやりたいだけだ。
この体温がもうあの肌に触れる事が出来ないのなら、この血でもいい。

「ロックオン…」

ああなんてことだ。
この人もなんて色々なものを無くしているんだろう。
失って何も無くなって、それでもお互いを求めているんだ。
本当は手を伸ばせば届く距離に居るのに、それでも手を伸ばす勇気すらない。お互いがお互いを傷つけて怯えて何も出来ないと腕の力を落とす。

いとしい。とてもいとしい。

「なんだよ…」
「…すみません」
「…なんで謝りながら、こんなこと」

どうしても、いま貴方に、こうしたくて。
ロックオンの髪に触れ、その頭を抱きしめる。
こんなに大きな、失うことを恐れるこども。

ただ、抱きしめればいいだけだ。きっと刹那も。
失ってばかりで、その体温はあたたかいって事を忘れている。
ただそれだけなんじゃないか。
アレルヤは思う。
触れていいんだよ。
もっと近づいていいんだよ。
きっと刹那は受け止められる。だって望んでいるんだから。

触れられるでしょう。ロックオンは。
受け止められるんだよ、刹那は。

お互い、そのために別々に生まれてきた。互いの体温を感じあうために生まれたんだ、きっと。

「ロックオンと刹那には、まだ抱き合える身体があるでしょう?」

アレルヤが生きてきた19年間は、決して長い時間ではない。
短い短い19年の間に、誰かを恋い焦がれたことは無いし、誰かをどうしても守りたいと願ったことさえない。
それでも、もし可能ならば、ハレルヤを。
彼を抱きしめて、大丈夫なんだと言ってやりたいと、願いはある。

ねぇ。身体は一つじゃないから。
だから。それを伝えて。
さよならは、その後からでいい。
ロックオン、僕はね。
君にこれ以上のものを失ってほしくないんだ。