これで決定ね、と告げるスメラギの声を、ロックオンは苦々しい気持ちで聞いた。

「ミッションの開始は15時間後。ガンダムは所定の場所で待機を」

了解、と4人の声が重なり、各自の通信が切れる。ティエリアとアレルヤは地球だ。今頃次のミッションのためにガンダムを起動させている頃だろう。
通信の切れた静かな部屋の中で、クリスが刹那に衣服を渡す。次のミッションで使用するものだ。
ロックオンは拳を握り締めた。
どうしてこんな事になる。…どうして。

ブリーフィングリームでも、刹那と目もあわさずに作戦内容を聞いた。スメラギの口から語られるイレギュラーなミッション。何度も口を挟んでそんなものは無理だと言おうとし、それが私情だとわかって口をつぐむ。そんな事を言えた義理ではない。判っている。だからこそ何も言わず、その作戦内容を理解したのに。
同じく、作戦内容を受け取った刹那が、渡された衣服へと着替えるために部屋を出てゆく。その背中姿をちらりと見つめて見送った直後、ロックオンはスメラギに詰問を投げ付けた。
これは本当にヴェーダから提案された最善の作戦なのか、と。

「そんなに不満?」
「不満っていうより無謀だろう、こんな作戦を」
「ヴェーダが推奨して私が詳細立案した。こういうミッションもあるということよ。あなただって、偵察任務のシュミレーション、受けたでしょう?」
「だからって、エクシアも使わずに刹那を単独で敵陣に下ろすなんておかしいだろ!?」
思わず怒鳴ったロックオンをスメラギの冷たい目線が射抜く。
「ガンダムマイスターとは思えない言動ね」
「けどなあ!」
「過激なテロが繰り返されていて、ビジネス街を消滅させると言うテロ予告まで届いてる。あまりにも少ないテロリストの情報。正確につかめない拠点地。そしてなぜか歳もいかない子供たちばかりがテロ現場で目撃されている。…じゃあ反対に聞くわ。貴方はこれだけの情報から、他にどんな指令をだせるの?」
「だからって刹那を偵察になど!」
「私情はやめなさい、ロックオン」
引かないロックオンに、スメラギの厳しい声がとぶ。判っている。これが私情をはらんだものだと判っている。それでも。
握り締めた拳がグローブの中でギリ、と音を立てていた。この苛立ちを、この胸のもやもやを、どうしたらいい。
苦い。くるしい。
どうしてこうも、望んだように世界は動かない!

「ロックオン」
スメラギの手が、硬直した肩に触れた。けれどそれは決して慰めのものではない。

「刹那の身体はもう回復したって聞いたわ。本人もこの作戦を望んでる。わたしたちだって刹那を見殺しにするつもりじゃない。敵の拠点さえ判れば、刹那を救出するなり避難させるなりするわ。彼は死なない」
「助けが遅かったら」
「あら。そんなことになったら、それはあなたの責任でしょう。ロックオンストラトス」

敵陣を狙い撃つのはあなた。
刹那が教えるその場所を、ピンポイントで撃ち抜けばいい。
外したとしたのなら、それは狙撃手たる、ロックオンの責任だと。

「くそッ…」
なんて作戦だ。

ロックオンが苦々しげに吐き出したその直後、ブリーフィングルームのドアが開き、そこには身なりを替えた刹那が立っていた。
敵陣の本拠地である場所に降りるために、現地の恰好に身をつつんだ刹那が、防寒具に包まれながら、スメラギとロックオンをちらりと見る。
「あら似合うわね刹那」
普段の恰好とは似ても似つかない、極寒の地へ降りるための防寒具に身を包んだ、歳相応の、少年。
こんなちいさな少年が無慈悲なガンダムパイロットだと、誰が思うのか。

「…作戦は」
刹那が、静かにスメラギに指示をこう。
「間もなく、ティエリアとアレルヤは陽動行動に入るわ。あなたもロックオンとデュナメスへ。GN粒子最大散布のまま、アラスカ南部のテロリスト拠点予測地で降下、そのまま偵察よ」
「了解」

誰よりも危険な任務を、顔色ひとつ変えず受け止める。
体調こそ万全ではないはずだ。傷口が癒えたとて、それは表面的なもの。まだ食事さえまともに取れていないだろうということは顔色を見れば明らかだ。
それでも刹那は行くという。それがミッションだからと、戦うことしか知らない子供は。

(刹那…、)
なんてことだろう。
目を閉じる。腹の奥底から沸き上がるせつなさや怒り。憤る気持ちばかりが湧き上がってロックオンを圧迫していく。
部屋を後にする刹那のちいさな背中を見据えながら、ロックオンは髪を掻きむしった。
出来る事ならば、あの背中を抱き締めたい。けれどそれももう出来なくなった今、どうしたらいいんだろうか。
せめて、死ぬなと告げたいのに、それさえも出来ない。
なんて愚かなんだろう。


***


トレミーを離れると、すぐに地球の重力圏に捕まったのが判った。身体に掛かる重力が、コックピットに振動をもたらす。
実体の無かった魂へ、突然身体を分け与えられたようだ。じわじわと増す体重分の重みは、デュナメスのコックピットから見える地球が大きくなればなるほど感じる実感だ。
地球への降下は始まっている。
揺れるコックピット、背後の刹那が小さく呻いた。

コックピットシートに座るロックオンでさえ、重力に身体を持っていかれそうになる程だ。本来は2人乗りではないコックピットに無理矢理載った刹那はロックオンの比ではないだろう。
また万全ではない体調、シートもない、ベルトさえない場所で、衝撃に堪える。
大丈夫かと。言いたくて、言葉にならない。
何を話して何を伝えればいいのか。
刹那がなにを望んでいるのかさえ、わからなくなる。

前はあんなにも刹那を感じる事が出来たのに。
その気配で、表情で、背中で。刹那の考えている事など手に取るように判った。
それは心と閉ざされていなかったからだ。
今、こんなに近くに居るのに、なんて遠い。

セックスの、刹那を思い出していた。
身体を触れ合わせて、これ以上ない程に密着して。甘い睦言など吐くような間柄ではなかったけれど、それでもその頬を辿ってキスを落とす事を、刹那は拒否しなかった。
あんなにも自然に任せられていた身体が、今は。

デュナメスのコックピットから映る地球が真っ赤に染まった。灼熱に包まれながらも、GN粒子の光がガンダムを包み込む。
耐熱は万全だが、重力に引き込まれるシートの揺れは激しい。
ガタリと大きく揺れたコックピット。
「…っあ…!」
刹那の身体がモニターにぶつかりそうになったのが判った。
「刹那!」
ぶつかる!
とっさに手を延ばした。
浮き上がる刹那の体を引き寄せて、自分の膝の上に刹那を下ろし、抱きかかえる。強い力で引き寄せる。重力に、刹那を持って行かれないように。どこにも行かないように。それはとっさの行動だった。

「……、」
「あとすこしだ」
刹那の体を支えながら、大気圏突入の微調整を、操縦桿で行う。
ロックオンの胸の中に収まった刹那は、何も告げる事は無かった。
なにも話さない。動かない。
なにも。

(刹那、)
こんなちいさな、こんなあたたかな。
酷く久しぶりに触れた身体は、重力によって重さを増していく。それがまるで刹那の実体のようだ。生きている重み。あたたかさ。
あぁ、まだあたたかい。こんなに熱を持っている。刹那は、まだ。

大気圏に突入する、真っ赤に燃える機体。

ロックオンの胸の中、刹那は静かに目を閉じていた。



***



アラスカ南部マッキンリー山の裾野が広がる、冷気に閉ざされた森。
刹那はボアのついた防寒服のフードに髪を包んで、コックピットから足を踏み出した。
ハッチが開いた瞬間、痛いとさえ感じる程の冷気が一気に流れ込んで、刹那は眉を顰めた。寒さには慣れていない。灼熱の熱い大地には育ったが雪を見たことなど数える程しかない。ここまでの極寒地に赴く事は初めてだ。

あたりは一面の白。
雪と氷に閉ざされた、白とグレーの世界が広がっている。
深い雪と霧が立ち込めて数メートル前も見えない。針葉樹の葉の緑だけが白い世界にかすかな色をつけていた。

「外気温マイナス15度。ポイント位置に降下完了」
デュナメスのモニタに映る情報を正確に読み上げるロックオンに、刹那が頷いた。自分の位置を知らせる腕時計を左腕に装着する。
「ミッションに入る」
「…ああ」
ノーマルスーツ越しのロックオンでさえ肌を突き刺すような寒風がたたき付けるように吹きすさんでいる。
その中を一人、この真っ白な世界に下ろす。

「定時連絡を忘れるなよ」
「ああ」
これから死地へ向かうというのに。何かを告げたいその言葉は、ロックオンの胸に湧き上がり渦巻くものの、喉から出る事はない。
この気持ちを伝える言葉を知らない。どうしたらいい?

…いかせたくない。
こんな寒い場所に、敵だらけの街に、ひとりきりで。

大気圏突入の、灼熱に包まれた身体が無くなってしまう。
ロックオンの腕の中に確かにあったのに。

『まだ君達には、抱き合える体温があるでしょう?』

アレルヤの言葉が、頭の中に響く。
ああ、あるさ。まだあたたかいはずの身体が。
けれど、それでも俺と刹那の間には、今、こんなにも冷たい温度しかない。

「ミッション地に向かう」
振り向きもせずに、刹那が足を踏み出す。
地へ下りるための梯子状のコードへ手を延ばす。その手が震えていた。

ああ。耐え切れない。

「刹那!」

気がついたときには、身を乗り出し、ヘルメットを投げ出し刹那の頬を捕まえて、その唇に縋り付いていた。

いとしい。どうしてもいとしい。死ぬな。生き残れ。迎えにくるから。必ず。なあそうしたら、また話したいことがある。
…さよならを言った俺に何が言えた資格はないけれど、それでも。

全ての思いをこめて口付けを送り、ゆっくりと離せば、目を開いたままの刹那が、ロックオンの顔を見つめていた。
うっすらと開いたままの唇。その濡れた唇を拭う、ロックオンの指。

ひくりと動いた刹那の唇が、小さな小さな声となったのを、ロックオンは確かに聞いた。
「つめたい、」と。

電動音と共に、地上へ降り立つ刹那の姿を見つめながら、ロックオンは凍える息を吐き出した。
冷たいのは俺じゃない。お前なんだよ刹那。…なんて冷たくなってしまったんだろう。

凍える氷点下の気温の中に、ロックオンのあたたかな吐息が、白く霞んで大気に混じって消えた。