梅つ五月
両手を幾度も擦り合わせ、時折息を吐きかけながら廊下を渡る。
年が明けて“迎春”と言いつつも、それは名ばかりで、寒さはそれからひと月経った今頃が一番かと思われた。
天下の内で随分と北に位置する奥州では、先日雪が降り、未だそれが残っていた。
山々は銀を塗したようであった。
(あー、寒い寒い)
政宗は足早に自室に向かった。
そこには火鉢がよく火をおこしているだろうし、読みかけの書物もある。
今日はそれらを読もう。
早くに政務を終わらせたのだ、そのくらいゆっくり過ごしても構わないだろう。
政宗はうきうきとしながら、自室の襖を開けた。
目当てのものが全て並んでいて、思わず笑みが洩れる。
「Good.」
もういいぞ、と小姓を下がらせて、火鉢を抱くように座った。
手をかざし、かじかんだ指を温める。
じんわりと痺れるような感覚が、妙に心地よかった。
ひとしきり温め、手が言うことを聞くようになったので書物を取った。
中国から取り寄せたという、漢詩についての書物だ。
少々読解するのが困難な代物だが、漢詩部分を見ているだけでも飽きない。
漢詩も嗜む政宗にとってはとても有意義な時間だ。
勿論、邪魔をされたくはない。
けれどそう云うときに限って、計ったように現れる人物がいた。
「殿、入っていい?」
成実だ。
(…Shit.まぁた来やがったか、あいつ…)
政宗は「入るな」と言いそうになったが、律儀に入室許可を取る成実を邪険には扱えなかった。
諦め、書物を閉じた。
「殿ー?」
「…入れよ」
許した瞬間、スパンと襖が開けられた。
成実はにこやかな笑みを湛えながら、政宗と向かい合うように火鉢を囲んだ。
「今日も寒いなー。で、殿は寒さを理由に政務サボり?」
「馬鹿野郎、お前と一緒にすんな。もう終わらせた」
へぇ、珍しー、と感心する成実の頭を政宗は軽く叩いた。
「それより、何の用だよ」
「用、て程でもないんだけどー、」
成実は少し言い淀み、政宗は首を傾げた。
「政務終わったってことは、これから暇なんだよな?」
くしゃ、と前髪を握り込み、成実は言った。
癖、だった。
成実は思案するとき、決まって髪を握り、放し、を繰り返す。
それを見て政宗は、何か重要なことでもあるのだろうと、思った。
書物を読むから暇ではない、とは言わないことにした。
「じゃあちょっと、散歩行かねぇ?」
「…………、はぁ?」
成実の言葉に、政宗はややあってから、それだけを返した。
こんなにも寒いのに、何を言いだすのだろう。
政宗は成実を訝しげに見た。
成実はそんな政宗の表情を拒否と取ったようだ。
「あからさまに嫌な顔すんなよ!見せたいもんがあるんだよ」
「見せたいもん?」
別に嫌な顔をした訳ではないのだけれど、好ましくは思わなかったので政宗もそれは否定せずに続きを促した。
成実の言葉に興味を抱かなかった訳でもない。
成実も成実で、政宗が話の続きを聞きたそうにしてくれたのが嬉しく、大きく破顔した。
しかし、“見せたいもん”が何かはまだ言えない。
「それは行ってからのお楽しみ!じゃあ行こうぜ!」
成実は、政宗が閉じたまま手にしていた書物を取り上げ、脇に置いた。
そうして手を取り立ち上がる。
「へぃへぃ」
政宗はやる気の無さそうな声を上げつつも、元気のいい成実に引かれるまま立ち上がった。
+++++
成実に言われるままについてきた政宗だが、歩く内に少し不安になってきていた。
城を出、近くの森に入ったが成実は足を止める気配もない。
森の中は雪が多く残り、歩くたび固くなったそれがザクザクと音を立てた。
政宗は前を行く成実に声をかけた。
「Hey、成実。お前どこに連れてくつもりなんだ?」
「もうすぐ着くよ」
正直そろそろ着いてもらわないと、手がかじかんでしまう。
外に出るには、政宗も成実も酷く軽装だった。
部屋着に羽織を一枚重ねただけ。
動いているから、然程ではないが、やはり寒い。
政宗は白く濁る息を手に吐き掛けつつ、成実の後に続いた。
しばらくして、成実が声を上げた。
「ほら、見ろよ!」
前方を指差しながら、政宗を振り返る。
政宗はその指の先を見た。
一本の、けれど大きな梅の木があった。
それは花こそ咲いてはいなかったが、蕾がふっくらとし、それは間近であると感じさせた。
「、綺麗だな」
「これ、見せたかったんだ」
照れ臭そうに成実が言う。
「覚えてる?ここでよく遊んだの」
成実の言葉に政宗は辺りを見回し、あ、と小さく声を上げた。
「ここ、―――」
元服もまだ先であった頃、よく成実と城を抜け出し来た。
見覚えある、それどころかここだけは時が止まっているのではないかと思わせる程であった。
木が縮んだ気がするのは、自分達の背丈が伸びた所為だろう。
政宗はそっと梅の木に歩み寄り、目の高さより少し上にある太めの枝に触れた。
ふ、と蘇る記憶に苦笑する。
その表情を読み取った成実もまた笑った。
「そう言えば昔、梵がこの木に登って下りれなかったことあったよなー」
「言うなよ」
丁度自分が思い出していたことを言われ、政宗は笑いながら返した。
「『時宗丸が登れたなら、梵天丸も登れる!』とか言っちゃってさぁ。登れたはいいけど下りれなくて大泣き」
からかうように言う成実が気に食わなくて、政宗も負けじと言い返す。
「大泣きはお前もだろ。自分じゃ助けられない、とか言って」
言いつつ笑いが込み上げ、政宗は堪え切れず笑い声を上げた。
「それを言うなよー」
成実も情けない顔をしつつも笑った。
幼き日の自分は恥ずかしい。
けれど、もみ消したい程忌まわしい過去でもない。
成実と遊んだ頃の事に限っては。
「そういや、その後どうしたんだっけ?」
はた、と考えた成実は政宗に聞いた。
政宗も、さぁ、と曖昧に答えた。
木に登り下りれなくなった梵天丸にも、それを助けられなかった時宗丸にも、その後の記憶がない。
「小十郎にでも聞けば分かるんじゃねぇか?」
「そーだな」
政宗の言葉に、納得がいったらしい成実は大きく頷いた。
(こんな高さが怖かったんだよな…)
政宗は再び枝に触れ笑った。
今見ると大した高さではない。
同時に、今ではとても乗れそうにない。
余程軽かったのだろうな、と思い起こす。
その時、
「くらえ!」
べちゃ
成実の声に続いて、背中に何かが当たった。
冷たい。
それが雪玉だとはすぐに気が付いた。
しかも一度融けたような雪だ、些か痛い。
「し〜げ〜ざ〜ね〜?」
振り向くと成実は得意そうな顔をしている。
「やりやがったな、てめぇ!」
政宗も足元の雪を丸め、成実目がけ投げ付けた。
真っ正面から投げたそれは、いとも簡単に避けられてしまった。
「、Shit!」
「へへーん、当てられるもんなら当ててみな!」
成実が挑発する。
そこからはもうお互いに本気だった。
幼い頃のように大きく笑いながら、どんなに着物が濡れようとも汚れようとも気にならなかった。
「五郎!てめ、顔面狙うなよ!」
「梵だってさっき狙ったじゃんか!お返しだよ、お返し!」
「上ッ等!!」
お互いに昔のように呼び合い、思う存分楽しんだ。
こんな風に今の立場を完全に忘れ、羽目を外したのは初めてかもしれない。
あの頃は、背負うものが小さかった、否、その重さに気付いていなかった。
お互いがお互いの雪玉に当てられ、固い雪の上に転がった。
頬を紅潮させ、笑いが絶えない。
「はっはは、着物が冷てぇ!」
「俺もー!」
二人ともひとしきり笑うと、木々の合間に見える空を見上げ、暫し黙った。
風はないが、凛と冷たい空気。
気を抜けばその空気にさえ刺されそうだ。
「…帰るか、成実」
「そうしますか」
起き上がり、改めて互いを見て笑い合った。
酷い有様だ。
とても、奥州覇者とその片腕には見えない。
「ここまで来りゃとことんだな」
政宗が悪戯を企んだ子供のようにニヤリと笑んだ。
成実も同じように笑う。
「通れるかなー?」
「それより残ってるか、だな」
二人連れ立ち、来た道とは違う道を歩いた。
道ならぬ道だけれど、二人にはよく覚えがあった。
城の裏とこの森を繋ぐ、幼き頃の時宗丸が見つけた抜け道だ。
よくここを使い、城を抜け出したものだ。
政宗の頭に、その時の記憶がひとつひとつ浮かび上がってくる。
それは成実も同じようで、懐かしそうにそこかしこの木々に触れている。
「何か、全部が小さく見える」
「そうだな」
否応無しに見せ付けられる年月の経過を愛しく思う。
「あ、まだ残ってる!」
成実が声を上げ、走った。
城の裏の塀、そこには何の為か小さな穴があり、木の板がはめ込まれている。
「でもそれじゃ多分通れねぇぞ?」
昔は十分だったが、よく見れば一尺四方程の穴だ。
今の二人では恐らく肩が通らない。
万一、政宗が通れても成実は確実に無理だろう。
「どうする?」
政宗の問いに成実は、問題なし、と笑った。
「下が駄目なら、上からってねー」
かくして、侵入方法は決まったのだが、流石に塀は高い。
「どっちかが先に上がって、引っ張り上げるしかないな」
「じゃあ俺が先ね!」
ほら、梵は台になってよ。
そういう成実に政宗は、殿を足下にする気か、と言い掛け止めた。
今はそんな立場なんかどうでもいい。
「OK、早く乗れよ」
「さーんきゅ」
成実は政宗の異国語を真似、それを掛け声にひらりと塀を登った。
流石に伊達家・武の代表。
その身のこなしは見事だった。
「よ、っと。、っあ…」
塀の上に立った成実は、城の庭を見て、青い顔をした。
それに気付かない政宗は塀の下から手を伸ばした。
「Hey、五郎。早く手を貸せよ」
言われ、ぎこちなく伸ばされた成実の手を政宗が握った瞬間、
「成実様、そんな所で何をなさってるのですか!」
怒気を含んだ小十郎の声が聞こえた。
二人は青い顔を見合わせ、力なく笑った。
「おい、五郎、手を離せ」
「やだよ、梵だけ逃げるつもりだろ!卑怯者!」
「何とでも言え!こんなとこ小十郎に見られたら、――」
「殿もいらっしゃるのですね?そこからで構いません、早くこちらにおいでなさい!」
その声に観念したらしい政宗は大人しく成実に引っ張り上げられた。
「残念でしたー!」
怒られるのは自分だけではない、と成実は少し嬉しそうだ。
二人は塀を下り、仁王立ちする小十郎の前に立った。
その背中は大きくも、幼き頃と何も変わらなかった。
「…全く、お二人して姿が見えないと思えば、こんな所から現れて。しかも何ですか、その恰好は!もう少し、ご自分の御立場をお考えくださらねば…――」
くどくどと続く小十郎の小言の合間、二人は顔を見合わせ忍び笑った。
それに目聡く気付いた小十郎は、二人の頭を叩き、溜息を吐いた。
「…全く…。お説教は後にします。先に湯浴みをなさいませ。お風邪を召されては大変です」
何をされたら、そんなに濡れなさるのですか。
溜息と一緒に吐き出された問いに二人が答える。
「、雪合戦だよ」
「裏の森の梅を見に行ったんだ」
「あぁ、あの梅ですか」
小十郎が微かに笑った。
それを見て、成実が先程の問いを思い出した。
「昔、あの木に登って下りれなくなった梵を助けたの誰だったか覚えてる?」
「お忘れですか?泣き喚くお二人を連れ帰ったのは私ですよ」
懐かしいですね。
小十郎はそう言い、目を細めた。
「その時のお二人も今のように汚れてらした」
そう言われ、政宗も成実もその時を思い出した。
小十郎は森の道を歩く間は、片手に一人ずつ手を握り、優しい声を掛けていた。
けれど、城に着くなり物凄い勢いで怒られ、湯浴みさせられたのだ。
今度は二人で帰ってきたものの、その後は昔と全く、変わりない。
二人は顔を見合わせ、大笑いした。
「さぁ、笑っていないで早く湯浴みなさいませ!」
小十郎も半ば笑いながら二人を急かした。
風が吹き、冷たいながらも優しく、三人の頬を撫でた。
終
突発的な感じで成実政宗。
うちの成実はこんな感じです。
単純なやんちゃ坊主。愛しい。
政宗はそんな成実に呆れつつも、自分も一緒になってはしゃいじゃったらいい。
むしろ、ユー、はしゃいじゃいなよ。(ジャ○ーさん!?)
お題に関連させるために無理やり梅を出してみた。
ていうか、梅ってそんなに太い木じゃないはず。
まぁ、その辺は目をつぶってください。
因みに(分かるだろうけど)、文中の「時宗丸」「五郎」は成実のことです。
「時宗丸」は幼名、「五郎」は「藤五郎成実」の略です。
成実は政宗の事を、普段は「殿」、プライベートだと「梵」と呼んでて欲しい。
あんまり「次郎」(藤次郎政宗の略)では呼ばせたくない。
政宗は成実の事を「成実」「五郎」と使い分けてて欲しい。
05.11.09