花残月
ムカツクくらい真っ白で、
一緒に居ると、自分がいかに汚れてるか、見せ付けられるようで。
何故かいつも、右眼の奥が痛いほどに疼いた。
外は既に陽が高く昇り、部屋にはその光が煌煌と射し込んでいた。
「殿、」
戸の向こうで、成実の不機嫌そうな声がした。
それだけで用件は分かった。
また、来たんだ、あいつが。
「…何だ」
「甲斐からの使者殿に御座ります」
いやに刺のある物言いで成実が説明する。
余程、その“使者殿”が嫌いらしい。
思わず苦笑した。
「いいぜ、通せよ」
「…いつもながらに思うけど、自室に上げるのはまずくない?」
心配してる成実の気持ちが分からないわけじゃない。
でも、あいつに警戒心を抱けというのが無理なんだ。
「お前等が無礼なくらいに武器持ってないか調べてんだろ、何かあったらお前等のせいだ」
「だけど、――」
「通せ。分かったな?」
少し語気を強め、言い募る声を遮った。
渋々退がる成実の顔が目の前に見えるようだった。
向こうは俺を慕って来ているかもしれない。
だけど、何が起こるもない。
何より、俺はあいつを、弟の様にしか思えない。
成実と同列、だな。
これを成実に言うもんなら、顔を真っ赤にして怒るだろうが。
成実は、同族嫌悪なのか、あいつが殊の外気に食わないらしいから。
そこまで考えて、俺は忍び笑った。
そうじゃなくてもあの成実だ、敵武将と同列ということに怒るだろう。
喉の奥で笑いを殺し、ふと窓の外を見た。
暖かい陽射しが青々とした草木を照らしている。
皮肉なまでに爽やかな風景が俺の胸を刺した。
…自分の嘘には気付いている。
あいつは、…幸村は、本当は成実と同列でなんかないんだ。
弟みたいだと思う気持ちは事実ではある。
けれど、成実に対する気持ちと幸村に対するそれでは、大分違った。
「殿、真田殿をお連れしました」
戸の外から聞こえた声は成実のものではなかった。
あまりにも嫌だったのか、今外にいるのは小十郎だった。
「お入りいただけ」
開いた戸から小十郎と、暗い紅の着物を着た幸村が入ってきた。
真前の座につき、幸村は深々と頭を下げた。
「真田源二郎幸村、主君武田信玄の命により、参上仕りました。まずは書状を」
「ご苦労にござった。…小十郎、酒を」
小十郎を退がらせ、書状に目を通した。
一応は結んだ、対上杉の同盟についてだ。
戦時ではあれ、上杉側が特に動きがないために、こちらもわざわざ動かない、という内容。
相互不可侵の同盟においては、俺たちにはやはりその程度の情報しか寄越されない。
俺は息を吐き、書状を畳んだ。
改めて幸村を見直すと、両拳をつき軽く頭を下げたままだった。
「Hey,幸村。堅苦しいのは苦手だろ、顔上げていいぜ」
助け船を出すと、安堵したように顔を上げた。
「申し訳ござらぬ…。じっとしていると、体が固まってしまいそうで」
そう言って楽に座り直した幸村は笑った。
眩しい限りのそれ。
何故か、胸が締め付けられる思いがした。
慌てて、会話を繕った。
「お前はホント、紅が好きだな」
紅でも落ち着いた色合いの紅だから、着ている主の性格とはまるで逆だったが。
俺が言うと、幸村は自分の着物を見回した。
「紅が一番拙者に似合う色だと言われたのでござる。この色は少々大人びているように思いまするが…」
「そうだな、お前にはもっと燃えるような紅がいいと思うぜ」
血のようにどす黒い紅はこいつには合わない。
…合ってほしくない、というべきか。
戦では嫌でも降りかかるんだ、せめて普段には――。
「政宗殿は藍が似合いまするな」
笑みに乗せられた言葉が、妙に耳にくすぐったかった。
その藍に合わぬ朱が自分の頬を染めているのが分かる。
「いつも落ち着いておられる政宗殿に、よう合っております」
騙されてる、そう幸村に言ってしまいそうだった。
落ち着いてなんかいない。
幸村を目の前にすると、そこが戦場だろうと自室だろうと、心が跳ね上がる。
逢えた喜び、相変わらずの幼さへの呆れ、傷の心配、対照的な自分。
すべてが俺を落ち着かせてはくれない。
息を詰まらせ、心を乱し、それでも近くを望んでしまう。
いずれ、失うことを知りながら。
「…俺は、――」
愚かだ。分かっている。
けれど、失うことを否定しなければ或いは…、と口には出来ないでいる。
愚かで、臆病だ。
竜が聞いて呆れる、な。
「何でござろう?」
「…いや、何でもない」
「そうでござるか」
幸村が笑んだその時に、外から声がかかり酒が運ばれてきた。
酒宴目的ではない、使者を労うためのもの。
小十郎の酌を受け、杯を乾す幸村を、俺は黙って見ていた。
…俺は何を望んでいるのだろう。
武田と同盟を結んだ理由は、少なからず幸村にある。
“両者の使者は幸村を使うこと”
俺が出した条件の中で最も個人的で、無意味なものだった。
ただの職権濫用。
結構な道程である甲斐・奥州間を、幸村が嫌そうでなく来るその理由が、俺にあるらしい、と些細な噂に縋りたい気持ちさえするのに、自分の心は分からない。
だって決定的なものが何もないんだ。
自分の気持ちも、
幸村の気持ちも。
本当に俺は何を望んでいるのだろう。
やがて小十郎がさがり、また二人の空間が出来上がった。
思案ごとの所為でかける言葉がとっさに見つからなくて、俺は傍らの扇を弄んだ。
幸村は穏やかな笑みを湛えながら俺を見ていて、益々頭が混乱した。
また頬に朱が走り始めると、幸村は口を開いた。
「、忘れるところでござった」
幸村は斜め後ろに置いていた、紫の風呂敷を自分の前に置いた。
「何だよ、それ」
「来る途中、余りに綺麗であった故つい…」
咎めるように言ったわけじゃないが、幸村は僅かにバツの悪そうな顔をして結び目を解いた。
風呂敷を開いた中にあったのは、一枝の桜だった。
「政宗殿、」
「…何だ」
これを政宗殿に、とか言うに決まってると予想がついた。
これ以上、表情を変えてしまわないように心構えをした。
けれど、
「…お側に寄っても構いませぬか?」
思わず眉をひそめた。
肩透かしをされた気分だ。
思ったようなこっ恥ずかしい台詞は、幸村から出て来なかった。
「、構わないが、何だよ?」
問うたが、幸村はそれには答えず静かに笑って寄ってきた。
手には桜の枝を持っている。
目の前で正座した幸村は、懐の扇を開いた。
そこに桜を乗せ傍らに置き、また懐を探った。
「な、何する気だよ…?」
もう、耳の裏が煩いくらいにドクドクと音を立てている。
眩暈がしそうだ。
ここまでの至近距離は、初めてかもしれない。
何をされるか分からない、恐怖もあるのに、俺の身体は凍ったように動かなかった。
「失礼いたす」
今度は両膝を付いたまま腰を上げ、幸村は俺の髪に触れた。
髪の毛一本一本が神経を持ったかのように、形容しがたい感覚が身体を走った。
「痛かったら言ってくだされ」
やっと幸村がしたいことが分かった。
俺の髪を結いたいらしい。
先ほど懐から取り出した紐を口にくわえ、俺の髪を後ろで一纏めにしていく。
後ろからすれば良いのに、と呆れたが、抱かれているような錯覚さえするこの態勢は、避けたいものではなかった。
「政宗殿の髪は、ふんわりとしておりますな」
うなじから耳の後ろ辺りを撫でられ、震えが走った。
「、ッ…早くやれよ…!」
「急かさないでくだされ」
そう言いながらも、幸村は器用に紐で髪を纏め上げた。
「出来ましたぞ」
再び片膝をついた幸村は嬉しそうに笑っていて、思わずつられそうになるのを堪えた。
すっきりとする首筋を撫で、幸村から視線を外した。
「…で、何する気なんだ?」
三度目になる問いに、漸く幸村は答えてくれた。
扇に乗せた桜の小枝を取り上げ、
「失礼いたす」
「、っ…」
髪を纏めた結紐辺りに挿した。
さながら簪のような形で、それは俺の髪に収まった。
ふわり、と幸村の匂いが遠ざかった。
「よう似合うております」
今度は堪えなかった。
笑う幸村と同じに、俺は小さく笑った。
「、ばーか、女じゃあるまいし」
…馬鹿は俺だ。
こんなことが、どうしようもなく嬉しい。
「政宗殿は藍だけでなく、薄紅も似合いまする」
笑んで言う幸村が、愛しくて憎くもあった。
薄紅よりもっと濃い、朱色した頬の責任をどう取ってくれるんだ。
お前に出会う前の、冷静で、藍の合う伊達政宗に戻してくれ。
だけど、今この時は、愛しさの方が勝った。
「…Thanks.」
面と向かって言えなかったから、瞬間の幸村の顔は分からなかった。
けれど、紅に覆われた視界と幸村の匂いに、抱き締められているを悟った。
「ゆ、きむら…」
「無礼は承知の上!…しかし某、どうしてもこうしたくて…!」
強まる腕の力に、何故か、涙が出そうだった。
「幸村…」
「某…、政宗殿をお慕いしておりまする」
「、…!」
一瞬にして身体が強張った。
何回も幸村の言葉が頭を駆け巡るのに、意味を理解することが出来なくて。
離れた幸村が哀しげな表情を見せるまで、声が出なかった。
「申し訳、ございませぬ…。拙者、少し酒に酔うたようで…、」
「、酒のせいにするのかよ!」
「ま、さむねどの…?」
駆け巡った言葉が沸騰したみたいだった。
頭が熱くて、ぼぅ、として。
だけど胸は痛いほどに跳ね上がっていた。
「今の言葉、口からの出任せなのかよ!俺は…――」
俺は何を望んでいたのだろう。
それが漸く分かった。
幸村に、決定的な言葉を、言ってほしかったんだ。
自覚したら、もう離したくなくて。
縋るように、堰切った言葉達が溢れ出た。
「…俺は…、誰彼と簡単に二人きりになったりしないし、傍に寄せたり、ましてや髪を結わせたりしない。、俺は…」
だけど、最後が言えなかった。
言えば、すべて望み通りになる。
言えば、すべてを犠牲にする。
「――俺はどうすればいい…?」
初めてまともに幸村の顔を見たような気がした。
「お前を…離したくない…」
「ならば、離さなければいい」
凛とした幸村の声が響いた。
「某には政宗殿から離れる気は毛頭御座いませぬ」
「…、幸村…」
「始終お傍に居ることは叶いませぬが、代わりを常にお持ちしまする」
今日はそれを、と幸村は桜の簪を指差した。
生木の枝だ、そう長くは保つまい。
それはつまり、近く幸村は現れることを意味していて。
「だから、そんな顔をしないでくだされ」
困ったように笑われ、初めて気付いた。
零れ落ちそうな程の涙が、目に溜まっていることに。
驚きに瞬きをしてしまい、それは落ちた。
咄嗟に顔を背け、袖で覆ったけれど、隠し切れたかは分からなかった。
「ああ、擦られてはなりませぬ」
慌てて強く目を拭えば、いつの間に近寄ったのか、幸村がそ、と右手を制した。
「笑ってくだされ、政宗殿。某はそれで満足でござる」
「、無欲な奴…」
「それ以上を欲しては、見境がなくなってしまいまする」
俺は疾うに見境をなくしている。
もう戻れはしない。
「もっと強欲になっていいぜ」
与えられるものは与えよう。
笑顔で良いなら、いくらでも。
お前も、堕ちてしまえばいい。
俺は袖に残る涙の跡を見つめ、そうして顔を上げた。
穏やかに笑う幸村を捉え、静かに目を閉じる。
幸村の匂いが濃くなり、瞼の裏が一層暗くなった。
部屋に風が入り、桜簪の花びらが飛んだ、気がした。
終
サナダテ!意味不明だー!!
シリアスなんだか暗いんだか甘いんだか。
うちのサナダテは何だか政宗さんが大分幸村を好きな人になってしまうよ。
敵なのに好きでどうしよう、みたいな葛藤で鬱々とする政宗さんが大好きみたい、私!
まぁ若干サスダテもそれだね。
悩む美人っていいわよね…(じゅるり)
花残月は4月の異名。
まぁ、今回も特には絡ませられなかった☆(お題の意味なし)
06.01.12