春愁
上杉領との国境。
そこにある森は、狩猟にもってこいの穴場だった。
上杉の奴らに見つかると面倒なことになるのは重々承知だが、まだ見つかったことはない。
今日も鷹匠ひとりだけをつれて馬を走らせ来た。
少し寒いが、狩り日和だった。
「少し考え事をする。お前は離れたところで狩ってくれ」
鷹匠を遠ざけて、俺は木の根元に腰を下ろした。
…別に鷹狩りがしたくて来るわけじゃない。
落ち着ける場所のひとつが此処なだけだ。
ただ城に居たくない、それだけの理由で外に出られる立場でないことは分かってる。
でも時々、何もかもが嫌になるときがある。
立場、戦、奥州、母親…。
投げ出してしまいたくて、でもどうしようなくて。
煮詰まってはよくこの森に来ていた。
今日も鷹狩りと称して、飼い馴らした鷹を連れて逃げるように馬を走らせた。
先ほど飛ばした鷹は、今頃獲物を探して飛び回っていることだろう。
人に属しても、生まれ持った自由がある鳥が羨ましくさえあった。
「…鳥に、なりてぇなぁ…」
不意に口をついた言葉は、虚しく風にさらわれていった。
空は青々と澄み渡っていて、だからこそ鬱々とした気分は晴れない。
いっそ、その空を飛び回れたら。
立てた膝に顔を埋め、頭を抱えた。
このまま木の一部になってしまえればいいのに。
ぎゅ、と閉じた眼の奥の暗闇に、僅かな安堵すら感じたその時、
「、キィ〜」
軋んだような、引きつった声のような、聞き慣れない音がした。
不思議と恐怖感はなくて、俺は然して気にしなかった。
「キィッ」
けれど、それが耳の傍近くで聞こえ、肩に何か重さを感じてはさすがに無視出来なかった。
眼を開け、肩を見た。
「、ッ!?」
そこに居たのは小さな猿だった。
驚いた俺を余所に、丸い眼を見開き首を傾げて見つめてくる。
頬が一際赤く、それが却って愛くるしかった。
詰めた息を、ふ、と吐いた。
「…んだよ、迷子か?」
正直、一人になりたがりながら、独りは苦しかった。
この子猿のお陰で、ほんの少しだけ心は楽になった気がした。
そんな自分を自嘲しそうになる。
「お前も独りなのか…?」
警戒心の欠片もないのか、子猿は何言か鳴きながら頬に擦り寄ってきた。
思わず涙が出そうだった。
「生憎だが、そいつは迷子でも独りでもないぜ」
背後でガサガサと音がし、低い声が響いた。
(上杉のか…?)
僅かに身構え振り返ると、そこには六尺を優に越える長身の男が立っていた。
(…やたら派手な格好をしているな)
今流行の傾奇者であるのは容易に想像できた。
警戒を少し解いた。
「こい、弥市」
男は手を差し出した。
子猿は俺の肩から飛び降り、男の腕を肩まで素早く登っていった。
「その格好…狩りか」
俺の狩装束をまじまじと見つめ、男は言った。
そう言われ、鷹が戻らないのを気にしたが、この際どうでもよくなった。
あいつは、自由を勝ち取れたんだ。
「…あぁ。今までで一番デカイ獲物が来た」
からかうように笑ってみせると、同じように笑い返された。
「なら、自分が餌である自覚はあるんだな」
くつくつと、身体に似合わない忍び笑いに、俺は眉を寄せた。
無礼なやつとは思ったが、今の俺は立場を捨てた只の男だ。
そもそもこいつに礼儀を求めること自体、馬鹿らしい。
「考え事も良いが、自分がいかに無防備かを知った上でしたほうが良いと思うがな」
笑い顔のまま言われ、腹が立った。
俺のどこが無防備なんだ。
睨み返してやっても、奴はただ呆れたように肩を竦めるだけだった。
「…、チッ」
わざと聞こえるように舌打ちをしてやれば、溜息が返ってきた。
「分かってないな、アンタ」
もう一度吐かれた溜息と同時に、俺は横から刃物を突き付けられていた。
頭は瞬時に働いたが、身体は動かなかった。
(、山賊か…ッ!)
「だから、言っただろ」
いつのまにか五、六人の山賊に取り囲まれていた。
男も、同様だった。
「餌、だって」
奴がふ、と笑い、山賊どもが激昂し斬り掛かり、そして倒れ逃げるまで、俺は何度瞬きをしただろうか。
気付けば、砂煙が立ちこめ視界が悪かった。
その中で奴の、身の丈程もある大刀がきらりと光った。
瞬間それは自分の喉元で見ることになった。
「ッ…!」
「横から来りゃ、不意を突けたわけだ」
なるほど、などと言いながら、奴は刀を収めた。
「…何が言いたいんだ、てめぇ」
「別に。ただ、餌になりたくないならまずその眼帯を外せよ、独眼竜」
「な、…ッ!」
身構え少しの距離をとった俺に反し、奴はそのままどっかりと腰を下ろした。
「まさかとは思ったが、本物か。…意外だな、あの独眼竜がこんなに人間臭い奴とは」
呟くように言われたその台詞の方が余程“意外”だった。
射るように視線を投げ続けると、目が合い、奴は笑った。
「血が出てるな」
指差され、首元に手を当てる。
さっきの山賊にやられた傷だろう。大したことは、ない。
直後こいつは、その巨体でどうやって、と思う程機敏な動きを見せた。
素早く距離を詰め、俺の胸ぐらを掴んだ。
それから、あろうことか、血の滲む傷口に舌を這わせてきた。
「ッてめ、…!!」
「そんな反応が人間臭いって言ってるんだ」
言葉も聞かず殴り飛ばしてやろうと腕を振り上げた。
が、その腕に猿、――弥市と言ったか――が絡み付いてきて、叶わなかった。
「キィ」
弥市の目が咎めるような視線で、少し怯んだ。
仕方なく腕を下ろすと、満足したのか俺の肩に座った。
「珍しいんだぜ、弥市が俺以外に懐くのは」
「…別に嬉しくねぇよ」
素直でなく返すと、弥市はキィッ、と鳴いて頬を叩いてきた。
冗談だ、と頭を撫でるとまた一声鳴いた。
「、で。アンタの名前は?」
「獲物に名前を聞くのか」
憎らしい返しも、今は何故か心地いい。
自然の俺を受け入れてもらえている気がする。
「記念にな」
笑いを含めて返した。
実際にもそう思った。
この奇妙な出会いが何故か嬉しくもあるのだから。
「俺は慶次だ、独眼竜伊達政宗殿」
「…止めろ。今の俺は独眼竜なんかじゃない」
その立場が嫌で城を抜け出したんだ。
外でまで呼ばれたくない。
「なら、政宗、」
「、何だよ」
「ここで何してる?」
一人で、と付け加えられ、可笑しくなった。
まるで一人では存在意義がないみたいな言われ方だ。
「…一人になりたかったんだ。ただそれだけだ。今頃、城は落ち着かねぇでいるだろうな」
冗談粧して笑っても、乾いた笑いでは虚しくなるだけだった。
慰みに弥市を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。
「お前は…いいな。奔放に生きてる」
純粋に羨ましいと思った。
贅沢な無い物ねだりであることは分かってる。
だけど、やはり。
「俺は…俺には背負うものが多すぎるんだ」
思い浮かぶ家族や家臣の顔。
愛しい、愛しいんだ。
…今はその感情すら煩わしい。
「なら、捨てればいい」
「…バッカ、それは無理だ」
上に立つべき自覚があるから、慶次が言うことは出来ない。
ただ時々の現実逃避を許されたい。
「甘え、だな」
慶次は俺を見ずに、切り捨てた。
それは本当に斬られたように、心臓が痛んだ。
痛くて、熱い。
「…ッ分かってる…!」
「常に格好良くなくていいんじゃないか?上に立つ奴ってのは」
分かってる、痛いほどに。
俺が柔軟でなく臆病だからだ、ってことは。
だから、余計に慶次の言葉が痛い。
「背負ってるんだ、って思うなよ。背を預けてるんだ、って、そう思えば楽じゃないか?」
慶次は声なく静かに笑って、俺の頭に手を置いた。
「人間臭くいけよ。俺は人間臭い、素の政宗のがいいと思うぜ」
「…な、何言ってんだよ…」
やけに熱い慶次の手を慌てて振り払った。
けれど、俺の手も然して変わらず熱かった。
「背負うのに疲れたら、俺がお前を背負ってやるよ」
馬鹿馬鹿しい慰めだ、と一蹴できなかった。
出来ないとは分かっていても嬉しい。
複雑な気持ちのまま曖昧に笑い返すと、慶次は真剣な顔を向けてきた。
「真面目に言ってんだぜ?」
「なら本物の馬鹿野郎だな」
悪態を吐いても、心根では安らいだ。
慶次の気遣いが響く。
「最低だな、人の本気を。背負ってやるよ!」
慶次は苛立ったように早言でまくし立てた。
そして、
「ほら、」
と俺に背を向けてきた。
意味が分からずきょとんとすると、企み顔が振り返った。
「まずはおんぶから、な」
思わず声を上げて笑っていた。
「“背負う”違いだろ!」
「分かりやすくていいだろ」
まだこちらに向けたままの背を小刻みに揺らしながら、慶次はくつくつと笑った。
俺は言い知れない温かさが込み上げてきて、その広い背に身体を預けた。
「…本当に…どうしようもなくなったら、この背中借りる…。だから今だけ貸してくれ」
「ご存分に」
「キィ」
心が溶けだしそうな心地だった。
浸ろうと目を閉じると何を思ったか、弥市が俺の頭をいじりだした。
「…馬鹿、俺の頭にゃ蚤はいねぇぞ」
しばらくずっとそうしていて、その温かさに微睡みかけたとき、ふいに慶次の背中が揺れた。
「おんぶより抱っこの方が建設的だったか」
何を言ってるんだと身体を起こした瞬間、素早い慶次に抱き締められていた。
衝撃に弥市が転げ落ちて、何やら文句のようなものを言ってる気がする。
「こっちの方が見える」
慶次は親指で俺の頬を擦った。
「泣いてる顔が、な」
「……、見逃すだろ、普通は……」
「生憎、普通が嫌でこんな格好してるんだ」
襟元を見せる慶次と顔を見合わせ笑った。
「違いないな」
「アンタも似合うぜ、きっと」
「…いいかもな、…でも、」
陽は傾きだしていた。
「そろそろ帰るわ。……独眼竜に戻るよ」
「…ああ」
遠くで鷹匠の呼ぶ声が聞こえた気がした。
「刻限だな。また…会えたら良いな」
慶次は笑い返すだけだった。
肯定も否定もない返事。
一番、嬉しかった。
慶次に背を向け足を踏み出した。
枯れた枝が音を立てて折れ、続いて鷹匠の声がはっきりと聞こえた。
「政宗はここだ!」
終
ややややっちゃった…!!!
しかも何なの、このエセたちは…。
や、慶次に至ってはエセかどうかすらも分からないが(笑)
まず鷹狩自体間違ってるよ…!(痛)
素の政宗ってことで訛らせてみても良かったんだけど、無理だったよ。
代わりに英語は喋らない方向で。
慶次は政宗が素を曝け出せる場所だと良い…よ…ッ!!
今んとこうちの慶次はワイルドな理性人(笑)
猿の名前はえびこ嬢がつけてくれました!
弥市は動かせやすいので無くてはならない存在です。そしてメス希望(笑)
いきなり突っ込んだりは、乙女な私には出来ませんでした(にこ)
(公式HPで慶次が登場した後3日で仕上げた文で、夢吉の名前が分かってなかったので、完全オリジです。あしからず)
06.01.16