天つ姫
年末年始は休みだから。
そう連絡が来たのは三日前だった。
下手すりゃバイト先で年越しかなと思ってたところだったから、拍子抜けした。
どっかに行く予定なんて、勿論考えてない。
実家に帰る気はさらさら無いし、かと言ってここに留まってるのも微妙だけど。
「ここは大人しくレコ大見て、紅白見て、CDTVのカウントダウンライブを見るべきか」
なんて、ありがちな年越しプランをクリスマス直後、早々に立てたとき、携帯が鳴った。
夏、海の家でバイトしたときに知り合った強面の兄さんからだった。
この電話で、俺の年越しプランは大幅に書き換えられた。
向かうは冬の“海の家”。
* * *
冬の海は、寂しい。
風が強くて、波が高くて、人が居ない。
夏は人でごった返す浜辺も、年末となるとそれが嘘みたいに静かだ。
夏にバイトした海の家の、内装替えとちょっとした補強が、強面の兄さん・小十郎さんに呼ばれた理由だった。
業者に頼むほどでもないから、俺にやれ、と。
まぁ、給料も出るし、旅館にも泊めてもらえるらしいから、有り難い話だ(小十郎さんの本業は旅館の主人。海
の家は夏場の副業らしい)。
堅苦しい旅館で働けと言われる方が厳しい。
寂しいけど気兼ね無い海の家の方がよっぽどいいや。
快く引き受けて数日。
内装替えも終わって、あとは細かいとこの補強のみ。
いつの間にか大晦日らしく、夕飯は年越しそばだった。
「たくさんあるからいっぱい食べてね」
女将さんの言葉に遠慮なくおかわりを重ねて、満腹で部屋に戻ったのはまだ大晦日の時間だった。
紅白は一人で見てもつまらないからと、押し掛けてきた旅館の一人息子の重綱とごろごろテレビを見るうち、眠
気が出てきた。
うつらうつらとしている俺に、重綱が嬉々として話しかけてきた。
「慶次、ずっと海に居たんでしょ?天女には会わなかった?」
「はぁ…?天女って、どこの昔話だよ」
「昔話じゃないよ、この浜は天女が降りてくるんだよ」
重綱はまだ小学生だから、おとぎ話を信じているのかもしれない。
可愛いもんだ。
分かった、と頭をポンポンと叩くと怒られた。
「信じてないな!俺見たもん、天女!薄青の服着てて、右側の前髪が長いんだ」
おとぎ話の天女なら普通髪を結ってそうだけれど、そうじゃないらしい。
一生懸命に語る重綱には適当に相槌を打って、うたた寝を決め込んだ。
テレビでは大物演歌歌手が歌っていて、紅白はそろそろ終わりみたいだ。
どこだかの寺の鐘が映ったテレビのチャンネルを変えたことまでは覚えている。
それから本当に寝てしまったらしく、次目覚めたのは3時を過ぎていた。
いつの間にか帰ったらしい重綱はそこに居なかった。
「布団で寝なきゃなー…」
まだ眠たい目を擦って外を見ると、静かに波だけが動いていて、奇妙なくらい無音だった。
貸してもらった部屋はすぐそばの浜に降りられるようになっている。
その浜も海水浴に使われるような浜じゃなく、松が植わってて、それこそ天女が舞い降りてきそうな浜だった。
「天女、ね…」
重綱の言葉を信じるつもりはない。
けれど、寝ぼけたに近い頭は少しだけ天女が来たら面白いのに、と思っていた。
俺はジャケット一枚を羽織って、浜に降りた。
寒いけれど、波は不思議と穏やかで、やんわりと頬を刺す風が心地いい。
松の木にもたれて、目映い星星を見上げた。
吐く息がまるで雲のように星を隠すけれど、実際にはよく晴れているらしい。
低いところでは、灯台が遠くで光っている。
四方八方を照らすそれをぼんやりと眺めて、寒さに両手を擦り合わせた時だった。
「ん?」
灯台の明かりが動かなくなった。
いつまで待ってもこちらを照らさない。
故障かと凝らした目に映ったのは、灯台の明かりではなかった。
「、な…」
人間が、空から降ってきた。
有り得ない光景に、開いた口が塞がらない。
――まさか。
そればかりが頭を巡る。
「珍しいな、先客か」
薄藍の衣、長い右の前髪。
重綱が言っていた容姿とまるで同じだ。
“天女”はふわりと裸足の爪先を砂浜につけた。
重力に逆らっていた羽衣みたいなやつがゆっくりと落ちていく。
「…喋れねぇのか?」
意外そうな目を向けられ、声も出ないくらいに驚いている自分に気づいた。
それにしても、
(随分口の悪い天女だな…)
なんてくだらない考えもあった。
「…ちょっと驚いただけだよ」
「そりゃそうだな」
天女は薄く笑って、ゆっくり近づいてきた。
その笑顔が堪らなく綺麗で、また俺は声が出なくなった。
気付けば真ん前に天女は立っていた。
(…どう見ても、)
天“女”じゃない。
灯台はもう動き始めている。
薄ら闇でも顔くらいなら近くで見れば分かる。
長い前髪に半分を隠された顔は、綺麗だけれど男のものだ。
口の悪さも頷ける。
天…女、らしいこの人は、そっと手を上げ、俺の背後の松に触れた。
「あんまり凭れないでやってくれ。こいつはもう、長くない」
「…え、」
“こいつ”が松だとはすぐに分かった。
ただそう言って俯いた顔が、堪らなく愛しく思えて戸惑った。
「ちょっと、離れてくれねぇか」
追いやられ、松から距離を置くと、天女は少しだけ笑んだ。
そうして、肩の羽衣を取って、それを細く割いた。
大体1cmくらいの幅になった羽衣を、天女は松の幹に結んだ。
手を離すと、結びつけた羽衣は見る見る内に消えてしまった。
「…これで今年は大丈夫だろう」
安堵の笑みを見せる天女に、俺は只々見惚れた。
邪魔なのか、羽衣を帯のように腰に巻き付けている。
僅かに光るそれを器用に結ぶ手を、気付けば掴んでいた。
「、何だよ」
「その松、大切なんだ?」
「あぁ」
素っ気ない返事と裏腹に、松に投げられた視線は柔らかい。
胸がじり、と音を立てた理由は分かっている。
「名前は?」
「松の?名前なんてねぇよ」
「違う。あんたの名前」
にこりと笑んでも、天女は仏頂面のままだ。
別の表情も見たいな。
泣いたり怒ったり、拗ねたり恥ずかしがったり。
俺だけに向けてくれないかな。
「教えちゃいけない決まりとかある?」
「…ねぇけど、」
「じゃあ教えてよ」
触れた薄藍の衣は絹みたいに滑らかだった。
きっとこの中の肌も、――。
「政宗」
俺の腕を振り解きながらに告げられた名前を、口の中で何回も呟いた。
(政宗、政宗、…やっぱり男の名前だ)
けれど天女というには相応しいと思った。
きっと羽衣には、生き物を守るだとか救うだとかいう力があって、自分の羽衣を割いてまで松を守る慈悲深い人
なんだ。
なのに、偽善的というか、自己満に見えて、酷く人間くさい。
そこが愛しく思えた。
振り払われた腕を、もう一度伸ばした。
抵抗も全部両腕の中に抱き込んで、大きく息を吸い込んだ。
少し潮の匂いがして、少し知らない匂いがした。
「ねぇ、キスって分かる?」
「、はぁ…?」
「俺、政宗に惚れたみたい」
ああ、“みたい”は余計か。確実に惚れた。
今まで、ちょっと変わった人ばかり好きになってきたけど、遂に天女だなんて、自分に笑っちまう。
でも出会って、惚れて、触れちゃったら、もう仕方ない。
「…お前、馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿になんか」
「俺は天人だ、人間となんて…――」
声を荒げたかと思うと、政宗はフッと笑んだ。
「いや、別にしてやっても良いぜ。だが、言ったが俺は天人だ。キスひとつだって、命の保証はしねぇぜ?」
「いいね、天人に命を取られてみたいもんだ」
笑い返すと、ぐっと言葉に詰まっている。
勝ったね、これは。
そんなその場しのぎの嘘になんか引っかかってやらない。
そっと政宗の唇を親指でなぞって、口を開かせた。
「ほら、取ってみせてよ」
政宗は動かない。
それを良いことに、体をもっと寄せた。
「どうしたの?キスが怖い?それとも、俺の命を取るのが怖い?」
政宗は俺の命を取ったりしない。
理由はないけど確信はしてる。
「政宗がしないなら、俺が取るからね、政宗の命」
「な、…ッん…っ!!」
ほんの少ししかなかった距離を縮めたら、簡単にキスできた。
ちょっと勢い良すぎて、ぶつかった感があるけど、まぁそこは愛嬌ってことで。
とにかく、合わせた唇は柔らかくって、女の子みたいだった。
ああ、こんなとこも天女に相応しい。
しっかり堪能して、唇を離した。
「ごちそうさま」
冗談粧して片目を閉じると、政宗は堅く瞑っていたらしい目をそっと開けた。
「…、え…?」
「ん?」
「…俺、生きてる…?」
何でまたそんなことを、と思ったけれど、そう言えばキスする前に“命をとる”みたいなこと言ったかもしれな
い。
あれは嘘というか、政宗のハッタリに俺もハッタリで返しただけなんだけど、まさかそれを信じた?
「政宗?」
頬に触れただけなのに、ビクッと肩を震わせた。
「まさかとは思うけどさ…、俺が本気で政宗の命取るとか思ったわけ?」
「ッだってお前がそう…!!」
ビンゴらしい。
俺は堪らず大笑いしていた。
「冗談だよ!人間にそんな力あったら怖いよ!」
涙まで出てきた。
そんな妖怪じみたこと、出来るわけないのに。
政宗は本気で騙されていたらしく、唖然としている。
「お前、嘘ついたのか…!?」
「嘘はお互い様だろ?」
鼻先をつついてやると、政宗は誤魔化すように視線を反らした。
そんな仕草がやたら可愛くて、もう一回キスをした。
今度はさっきよりも素直に応じてくれた。
「何なんだよ、お前は…」
呆れたというか、信じられないといった表情で言われて、なんだか満足した。
天女なんて、信じられない存在に言われたんだから、それはそうかもしれない。
「政宗を好きで好きで堪らなくなった愚かな人間だよ」
冗談ぽく笑えば、政宗はひとつ息を吐いた。
白い靄が散っていくのをぼんやり見ていると、その向こうで政宗の手が動いた。
帯を解いているらしい。
「、…どうしたの?」
「所詮、住む世界が違うんだ…。お前を連れて行けたらどんなにか…」
「政宗?」
政宗の顔を覗き込むと、歪んだ表情が酷く痛々しかった。
帯を解く手は澱みがなくて、簡単に先が浜に垂れた。
「…帰る」
政宗は色のない顔で言った。
少しだけ寂しそうだと思ったのは、俺の都合の良い解釈だろうか。
「また会える?」
「…それを聞くか」
笑みを含んだ声は誤魔化してるんじゃなく、否定を表してた。
無言で突き出された手には、さっき解いていた帯が握られていた。
薄く光る布だった。
きっと松の木に巻いた羽衣だ。
「やるよ」
「でもこれ大事なんじゃないの?」
「それが無かったら俺はもう降りて来れない」
「だったら、…」
どんと胸元に羽衣を押しつけられと、言葉を飲み込んだ。
取り落としそうになったのを寸でのところで受け止めた。
その短い時間で政宗は波打ち際まで移動していた。
「それがあったら、また来ちまうだろ」
半ば叫ぶような声は距離だけじゃなく、どこか遠い気がした。
「お前みたいな人間、初めてだ」
薄い金色の光が政宗を包んでる。
俺は行かせたくなくて、何度も叫んでるのに、声にはならなかった。
多分政宗が言わせないようにしてるんだ。
ずるいよ、そんな魔法使いみたいなこと出来るなんて。
「その松はお前に任せる」
嫌だよ、そんな勝手なこと。
俺、惚れた相手は絶対逃がさないんだから。
天まで追っかけるからな。
言いたいことは全部叫んだ。
全部声にならなかった。
「…期待しねぇで待ってる」
政宗がくしゃくしゃの顔で笑った。
瞬間、金色の光が強くなって、眩しさに目を閉じていた内に、政宗の姿は消えてしまった。
* * *
時間の流れは誰にも変えられないんだって痛感した。
短い冬休みも終わって、今日から大学も再開。
何の変哲もなく、また“いつも”通りが始まろうとしてた。
ただ、夢みたいに出会って別れたことは実際にあったことで、今はそれから何日も経っている。
夢だとも嘘だとも思えないのは、翌朝になっても手に握っていた羽衣があったから。
薄い光を放ってたそれは、日が経つにつれて濁っていった。
何に使うわけでもなく、ただ置いておいただけなのに、今ではもう灰色の布切れに変わってしまった。
でもこれは政宗がくれたものだ。
これを無くしたら、もう二度と会えない気がしてた。
そうでなくとも、会える気はしないけれど。
政宗はもう来ないと言った。
でも会いたい。いっそ、あの松を切り倒そうか。
週末には絶対あの松のところに行こう。
それまではなるべく忘れていよう。
政宗のことを考えると、愛しくて悔しくて堪らなくなる。
でも、大学に居ても上の空だった。
何度も空を見上げた。
ただ雲が流れるだけの空に人影を見た気さえして、単に危ない人間だ。
昼を過ぎた頃には、空を見ることも止めた。
諦めたんじゃない。
大学終わったら、松のところへ行くって決めたから。
「どうしようもないなら、何でもするに限る!」
鞄に入れた羽衣をぎゅっと握った。
大教室に移動して、出やすいように最後列の席をとった。
本当は今にも抜け出したいけど、学業は学業できちんとしないと。
「はぁ…」
溜息を覆い隠すように机に突っ伏すと、頭に声が降ってきた。
「隣は空いてっか?」
その声は酷く、政宗に似ていて、俺は飛び上がった。
そこに居たのは、スカジャンにジーンズ穿いた、天女には似ても似つかない男だったけれど。
「ま、政宗!」
間違いない。
右の前髪が長くて、唇は柔らかそうで、背格好も。
ずっと頭から離れなかった、政宗が目の前にいる。
「な、んで…?」
やばい、泣いちゃいそう。
こんなに頭回んなくなるなんて予想外だ。
「アンタに羽衣やったから、神さんに怒られて、下界に追放食らった」
事も無げに告げられて、ただ相槌を打った。
柔らかく笑んだ政宗の顔は、どことなく光って見えた。
「惚れた相手は逃がさない、んだろ?」
「…俺、やっぱ取っちゃったね」
「何を」
横に座った政宗をぎゅっと抱き寄せた。
「政宗の命。天人としての政宗は居なくなっちゃった」
「その代わり、お前だけの政宗の一丁上がり、だ」
「最高だ」
笑うと、どこからか潮の香りがした。
そっと唇を寄せたけれど、やんわりと止められた。
「キスもいいけど、」
政宗は堪らなく綺麗な笑みで言った。
「アンタの名前は?色男さん?」
聞いたら帰るとか、無しだからね?
絶対させないけど。
終
血迷いパロ第一弾。
本当は、お正月に上げたかったんだけれども、書き上がりませんでした。
つぅかしょうもない…(苦笑)
重綱を出したかったことがバレバレですね。
重綱の初恋は政宗ですから(笑顔)
07.01.22