「疲れたか」
小瓶からサフランの香油を手に取り、自分の膝に頭を齎せた弟の首筋に塗っていく。

「いいや、兄上もいるし、父上や家臣達の助言もある。疲れてはいないよ」
カーブを描く甘い香りが周囲に広がる。
「…ッ…」 
夜着の裾がめくられ、体温の低い手のひらが緩やかに腿を撫でていく。子供の頃のように寝台の上に座り、他愛のない話を続ける。
だがその頃よりも会話は政事に関する事が多くなり、話が終われば、夫婦としての務めが待っていた。王であり、弟であるロキを受け入れる。俺ですら知らない部分まで支配され、熱く激しく揺さぶられる。

どこか不器用な部分がある弟を昔から庇護してきた。誰よりも愛していた。だがそれは親愛であって、恋情ではなかった。それでもいい、と求婚したロキはそう告げた。不安げな青白い顔で、まるで求道者のような真摯な眼差しで。何故帝冠が俺ではなく、弟の上に齎されたのか。それほど自分は未熟だったのか。互いのために用意された閨で抱かれるたび、俺は何度も考えた。
弟は柔らかな態度で民に接し、その柔和な面立ちのまま、政敵には冷徹な判断を幾度も下した。まるで春の花畑のように、自分の部屋には甘く香る新鮮な花束が日々届けられ、国王だった頃の父に寄りそう母のように、側にあることを求められた。

アスガルドの戦士として戦場に向かうこともロキは決して止めはしなかった。ただ武運を祈る短い言葉と共に想いを込めた口づけが齎された。
血まみれになりながら戦場を駆け巡ると荒々しい戦神としての自分が戻ってくるように感じていた。
国に帰ればまた豪奢な衣装を纏い、弟に寄り添い、夜は激しく犯される日々が待っている。
誰よりも勇敢に戦い、敵を屠る自分が王宮では勝利者として付与された月桂冠を被った姿のまま、背後から荒々しく貫かれる。
王の種をもらい、淫蕩に悦ぶ身体。躾けられた肉体とは裏腹に心は常に自由を求め、今にも瓦解しそうな危うさを抱えていた。


「兄上…」
熱の籠る声で呼ばれながら、愛撫のように太ももをさすられる。
「…っ」
堪えきれず短い吐息が漏れてしまう。
完全に"入口"にされてしまった肉穴が肉尻の奥で雄を求めてうずき始める。
「こうして共にいることが出来て幸せなんだ」
益々美貌が増した、と、女達の間でそう弟は評されるようになっていた。確かに以前にはなかった満ち足りた輝きがその整った容姿に加味されたようにも思えていた。睦み合っている時以外でもロキはよく俺を抱き寄せた。齎される口づけはいつも甘かった。いつからその口づけに夢中で舌を絡めるようになったのか、弟の鋼のように硬い痩躯が自分を抱きすくめるたび、奇妙に胸が疼くのか。自分が徐々に自分でなくなる不安に溺れそうになる。
「あっ…ロキッ…今日は駄目だっ…」
弟の白い手に大きく夜着の裾をめくられ、焦る声が出る。
「どうして?」
「まだ傷の治りが悪いんだ…」
咄嗟に思いついた言葉であるものの、腹部にじくじくと疼く戦傷があるのは事実だった。
「ならば後でエイアに見てもらうといい」
治癒の女神の名を告げながら形のいい頭が自分の股の間にうずめられる。
「ロキ…!」
「抱きはしないよ。ただ腰布の中がこんなに膨らんでいるんだ。兄上も辛いだろう…?」
「…ッ…」
指で腿をなぞられただけで反応してしまった自分が惨めだった。弟から目を背けながら唇を噛み、ゆっくりと始まる口淫に耐える。
「くっ…あっ…」
なるべく声を出したくはなくて曲げた人差し指を口に入れ、歯で強く噛む。巧みな愛撫に腰がびくびくと揺れ、やがて押し殺した吐息とともにどろりとした精が自分の肉棒から垂れていく。
「んっ…」
乳を飲む猫のように萎えた肉茎から丁寧に欲望の証を舐めとられる。乱された夜着を直され、吐精で熱くなった身体に再び弟が頭を凭れる。



「兄上はいつも辛そうだ」
どこか遠くを眺めながらロキが言葉を漏らす。
「……」
否定も肯定も出来ずにその横顔を見下ろす。
「母上の様にただ優しく傅かれることを望んでいる訳じゃない。それならば戦場になど出したりしない」
青い静脈の浮いた白い手が俺の膝に乗せられる。
「兄上にはいつも対等でいて欲しい。そうして側にいて欲しいんだ。ずっと私の側に――」
弟の欲している言葉は十分に分かっていた。だがそれをかけてやる事は出来なかった。何よりも大切な者を守りたい。ただ同時に自由でもありたかった。アスガルドの戦士として、誇り高きオーディンの息子として。伴侶として王となったロキに寄り添う傀儡のような日々は果たして自由だと言えるのかどうか。

「ロキ…」
声をかけ、血の様に赤く薄い唇にそっと口づける。穏やかに灰緑の瞳が笑みで狭まる。
自分が今唯一与えてやれるもの。引き攣れるような戦傷の痛みに眉を寄せながら夜着をはだける。衣擦れの音に気付いた弟の手が、初めと同じようにゆっくりと腿を撫でていく。束の間の慰みを与えてやれるなら、そう思い誘う様に脚を開く。
夜の深い闇が閨の中に満ちていく。誰よりも愛しい者と抱き合っている筈なのに、心は酷く孤独だった。