ドゥセット@
旅の途中、海のように広がる深い森林の中で美しい一角獣に出会った。
威風堂々とした螺旋状の長く大きな角、金色のたてがみ、白絹に似た艶やかな体毛、透き通った碧く丸い瞳。人間を厭う筈のその幻獣は躊躇なく近付き、肌触りのいい表皮を私に擦り付けた。
「仲間とはぐれたのか?それとも私と同じように旅をしているのか…?」
動物とはいえ、久方ぶりに見かけた自分以外の存在につい声が弾んでしまう。しかも人間には懐く筈のない一角獣。
大きな体を寄せ、ぺろりとその長い舌で私の頬を舐めた彼は、好奇心を表すかのように漆黒の濃い睫を何度も瞬かせた。
鹿皮の頭陀袋を取り出し、やっと見つけた毒水ではない川の汲んだばかりの水を手のひらに垂らし、彼の口元に寄せる。まぶたが閉じられ、静かに一角獣がそれを飲む。
「私と共に旅をするか?」
立ち去る気配のない彼にそう声をかける。
何故か自分の言葉が相手に通じるのではないかという確信があった。貴重な幻獣ともう少し過ごしたいという欲も。短いいななきが愛らしい口から漏れ、頷きの代わりに彼は再度私の頬をそろりと舐めた。
それから数日間、私たちは共に旅を続けた。私自身、あてのある旅ではなかった。ただ魔術の才のある人間でも虐げられない場所がどこかにあるのではないかと思い、茫洋と探し続けた。人里を避けて移動し、夜は暖かな彼の傍で眠りについた。幻獣は食欲すら感じないのか、ほとんど自ら食べ物を口にすることはしなかった。だが案じた私が干草や果実を与えると嬉しそうにそれを食んだ。彼はとても陽気で、時々悪戯に私の髪を引っ張り、川を見つけると大急ぎでそれに近寄り、幾度も前脚をばたつかせながら冷たい水飛沫がかかる様を楽しんだ。時折彼が人間のように思えることもあった。それ位彼は明るく人懐こく、私の語り掛けに耳を傾ける、心根の優しい優れた牡馬だった。
ある朝のこと、幾分早い時分に目覚めた私は自分の傍に彼がいないことに気付いた。近くの岸辺から水の跳ねる音が聞こえてくる。金色の鬣を陽に反射させながら水面で戯れる彼の姿を見るのが好きだった。朝食の用意をしながらそれを眺めようとそこに近付く。
「……」
ぽとり、と自分の手の中から森で拾い集めた楢の実が落ちていく。目の前にいたのは見知った一角獣ではなく、見事な黄金の長い髪をなびかせながら水浴びをする一人の男の姿だった。
「おお、ロキ。目覚めたのか」
気配に気付いた男が振り返り、親しげな笑みを見せる。自分と同じほどの背丈、隆々たる筋骨に脂肪が載った肉付きのいい体躯、白瑪の肌は木目細やかで、瞳は陽に透かした碧玉のように淡く青く輝いている。
『ロキ。私の名前はロキというんだ。小さな村の出でね、魔術の才を持つ者は私しかいなかった。追われるように村を出たんだ…』
仄かな焚き火の灯りに照らされた中、唯一の同伴者に語りかけた言葉を思い出す。眼前の奇妙な男が彼だという事は問わずとも分かっていた。親愛に満ちた瞳が人懐こいあの幻獣の瞳とまったく同じものだったからだ。
「すまぬな。驚かせるつもりはなかったんだ。お前が目覚める前に戻ろうとしたのだが…」
水辺に佇んだままの男は何一つ身に着けていない状態だった。水滴が弾力のある肌を弾くように伝い、厚い胸板の上にひっそりと色づく二つの小さな肉粒はぬらぬらと濡れ、薄紅色の大きな男根、男の両手でも収まりきらぬほどの重量のある臀部は続く腿まで太く、むっちりとした肉が載っている。黄金の薄い下生えはより彼の陰部を卑猥に強調し、物心ついた時より同性に欲望を覚える自身にとって、その純然たる眼差しとは裏腹の色香漂う身体は雄としての激しい飢えを誘うものだった。
「…一角獣とは皆人の姿をとれるものなのか?」
彼に気付かれぬよう微かに喉を嚥下させ、興奮で乾いた口内を湿らせる。
「皆ではないな。高位のものだけだ。幻獣しか住めぬ国がお前達の与り知らぬ場所にあってな。俺はそこから来たんだ」
太い首が軽く振られ、緩くうねる金糸の髪から球のように光る雫がぱらぱらと落ちていく。
「なぜその国に帰らないんだ」
「ははっ。お前も自分の故郷には戻らぬだろう?」
私と言葉を交わせることが余程嬉しいのだろう。悪戯そうに微笑みながら上機嫌の彼がきらきらとした瞳で私を見つめる。
「帰れば王位継承が待っている。長である父上は俺に王位を譲りたがっていてな。俺はまだ様々なものをこの目で見て廻りたいんだ」
ならば尚のこと、隠遁者のような自分と旅をするべきではない。そう進言すべきだった。だが私はどうしてもこの名も知らぬ男を手放したくはなかった。自分でも気付けぬほど突然に、危険な傾斜の坂道を転がり落ちるように、激しい恋情の渦に私はいつの間にか巻き込まれてしまっていた。