冬ごもりの林檎 



「オイ、おっさん。何でこんなとこで寝てんだよ」
「酷いよね…ほんと…。会議に次ぐ会議をやっと終わらせて帰ってきたのに、帰宅早々これだもの…」
ダイニングルームの隣にある部屋のソファで寝そべっていた男がぼそりと言葉を漏らす。
「寝室で寝りゃあいいだろ。あんだけ広いんだし」
無造作に置かれた外套や帽子を拾い、鉄製のハンガーコートにかけていく。
「俺はね…自分の奥さんの顔が見たくていち早く帰宅したの。きっと君は飽きもせずジグナタスの訓練場に行ってるだろうし、玄関ホールに近いここなら帰ってすぐの君に会えるからね…」
「俺は妻じゃねーぞ…。同性婚なんだから"夫"と"夫"だ」
苦い顔をする俺に指抜きのレザーグローブをはめた手がひらひらとからかうように振られていく。
「ハイハイ。そーだね。じゃ、さ、俺の側に来て」
「ったく…」
乱暴な仕草で隣に座ると、太ももに相手の手が緩く載せられる。
「おかえりのキスは…?」
「…ッ…」
寝そべる相手の上に覆いかぶさり、唇をぶつけるようにして口づけると鳶色の瞳が嬉しそうに細められる。
「ねえ…キスが嫌いなの?俺が抱いてる時は大好きだよね…?舌を吸われながら凄くよがって…」
「てめえ、俺を怒らせてえのか…」
「冗談だよ、じょーだん。そんな怖い顔しないでよー…さ、俺は暫く寝たいから膝貸して」
そういうと、了承も得ずに紫がかった赤毛の髪が俺の膝の上に載せられる。本当に疲れていたのか。暫くすると規則的な寝息が男の口から漏れ始める。
「ったく――…」



M.E.358年の侵略戦争を皮切りに、軍事大国であるニフルハイムと魔法国家であるルシスは幾度もの戦争を繰り広げてきた。現皇帝であるイドラ・エルダーキャプトも例外ではなく、34年前に開発された人型兵器・魔導兵の導入により、ルシスは徐々に劣勢に陥り、頼みの綱である魔法障壁も大規模な縮小を余儀なくされていた。

"君、さっき王室の前で警備してたよね?王都警護隊だっけ…?"
今思えば、偶然だったのか、故意なのか。帝国の使者として派遣された宰相・アーデン・イズニアは王都城でそう俺に声をかけてきた。
"そんな怖い顔しないで。戦争を仕掛けに来たんじゃないんだから。今回だって停戦の余地があるかどうかの話し合いだし…"
護衛の帝国兵を軽く手で払い、人払いさせると泰然とした態度で男が微笑む。
"ここの王都城ってさ、大規模な庭園があるんでしょ?――良かったら後で案内してくれないかな。何日も滞在しなきゃいけないし、息抜きが欲しいんだよねー…"
どこか道化的な、飄々とした様子からは魔導兵の開発と促進を提言し、帝国の宰相にまで上り詰めた男の顔を窺い知る事は出来なかった。敵国の情報が僅かでも引き出せるのならば。そう思い、案内役を了承すると穏やかに微笑まれる。だが鳶色の瞳自体は笑みで狭まることはなく、どこまでも真意を見せない笑顔だった。

帰国までの間、幾度か庭園を案内し、リード地方でしか採取できない赤い野の花フロス・キャンピィ、猫の尻尾のような鍵型の長い種子を持つブルー・タンソール、その他様々な植物を物珍し気に男は眺めていた。会話はそれなりに弾み、内部の情報は得られなかったものの、帝国領を襲撃した氷神シヴァとの戦闘など、色々と興味深い話を聞くことが出来た。

そうして帝国に帰還する最終日。奇妙な提案を俺は持ちかけられた。

"良く聞いて。君にも俺にももう時間はない。だから決断はすぐに下さなきゃいけない"
着陸した帝国軍の巨大揚陸艇を前に、そう男は口を開いた。王都警護隊の一員として要人を見送る為にその場にいた俺とアーデンの組み合わせを、同じく自国の宰相として参列していた親父が驚きながら見つめていたことを思い出す。
"停戦協定が無意味なものだとは君も気付いているよね…?じゃなきゃ世話役を買って出て俺を探ろうだなんて思わない"
鴉の羽を模した装飾が施された外套の中にある、血管の浮いた壮年の男の手が目の前に差し出される。
"チャンスは一度きりだ。――帝国においで。君が俺のものになるなら、開戦を引き延ばせるよう尽力するよ…"
一瞬何を言われているのかが理解できなかった。だが周囲の騒めきでやっと相手の言葉を飲み込み、混乱で顔が青ざめる。
"流石にこの場で連れ去ることは出来ないからね。4日後、迎えを寄こすよ。それまでに決めるといい"
取られなかった手を残念そうに摩りながら、笑顔で男が言葉を紡ぐ。時間がない。その言葉が帰還までの時間ではなく、開戦までの猶予がないことを暗に知らしめる。

"じゃあ、またね…"
閉じられていく艦尾の開口部から一度だけ手が振られる。
浮上していく揚陸艇を見つめながら幼少時から厳命されてきた言葉が蘇る。
『この先、なにがあっても王子をお守りしろ』
過酷な訓練はすべて"王の盾"としてノクトの側にあり続ける為のものだった。聡明な現王とは違い、内向的で威厳もないと世間からは評されていた王子。だが誰よりも優しさと強さを秘めた真の男だいうことは昔からよく分かっていた。配下として、友として、次代の王を守る為に何が出来るのか――。問わずとも答えは既に示されていた。




「……」
自分を膝枕にして眠る男の顔を観察する。普段は無造作に跳ねた髪の印象が強いが、十分に精悍で整った面立ちだった。顔をあわせたのは何日ぶりか。幾分削げたように見える頬は緊迫した状況下での宰相としての過酷な職務を物語るかのようだった。アーデンの提案から3日後、迎えに来た揚陸艇の奴の為に用意された部屋の中で、俺は抱かれた。慰み者になる覚悟はあったものの、敵艦の内部で帝国の宰相に犯される自分が酷く惨めで、奴を受け入れながら、味わわされる痛みと恥辱に何度も唇を噛みしめた。

"正式な手続きは後になるけどね。君は今日からグラディオラス・イズニアだ。いい名前だろ…?"
事後、告げられた言葉は自分の予想とは異なるものだった。人質兼奴隷としての契約ではないのか。そう問い質す俺を一笑に付し、行為で汚れた身体を丁寧に布で拭われる。
"まさかそう捉えるとはね…。王都での君に惚れたのさ"
その言葉に安堵したのも束の間、唯一、拭われていなかった吐精で濡れたままの萎えたペニスを口に含まれる。体内に感じる生で出された男の精液の感触が不快だった。嫌がる俺を無視して強引な口淫が始まり、肉付きのいい尻を揉まれ、そのはざまにつぷりと指を入れられる。――その後のことはもう思い出したくはなかった。帝都グラレアに到着するまでの二日間、俺は徹底的に夫となった男の欲望を教え込まれた。



「君が見つめているのが気になって、目が覚めちゃったよ…」
甘えるように声がかけられ、俺の両頬にグローブをはめたままの手がそっと押し当てられる。腰をかがめ、もう一度口づけると満足するように指が離れていく。
「ジグナタスの訓練場はどうかな…?これでも結構許可を取るのに苦労したんだ。どこかのこわーい将軍が、ルシス人の君をあの場に通わせることを渋ってね…彼だって属領出身の癖にねえ…」
帝都についた1週間ほどはアーデンの住む邸宅からの外出は許されなかった。奴が宰相としての職務をこなす時間以外はすべて、昼も夜もなく犯され続け、"やっと素直になった"と、そう褒められる頃には俺の身体は完全に陥落し、浅ましい肉奴と化していた。未来の王の安寧の為に取捨した選択に後悔はなかった。だが日毎に生気を失っていく自分に思うところがあったのか。帝都グラレアの中央に位置する移動要塞・ジグナタス内部にある帝国兵用の訓練場の使用を特別に許可され、様々な武器を用いた鍛錬をそこで繰り返すようになっていた。

「ああ、勿論気に入ってるぜ。真剣じゃなくても誰かと手合わせするのはいいもんだ」
「へえ、君の相手が出来るほどの剣の腕の持ち主なんているんだ…」
愛撫のようにアーデンの指が俺の喉や頬を撫でていく。
「訓練場での帝国兵との接触はレイヴスに禁止されてるからな。奴らはこっちを眺めてくるだけなんだが、アイツ自身が時々手合わせしてくれるんだ。中々つえーぞ」
「…え?」
「ん?」
「今こわーい人の名前出したよね」
「おお」
「俺の嘆願を最後まで渋ってた人だよね」
「ああ」
「どうして君と関わってるの…」
「そりゃ武人同士だからな。俺の太刀筋を見て手合わせしたくなったんだろ」
「んー…」
縦縞のボトムにシャツとベストを着込んだラフな外見のアーデンが目を閉じた後に微かに眉を寄せる。
「何だよ」
「俺さあー…。要塞内でことあるごとに吹聴して回ってたんだよね。グラディオっていうルシス出身の若くて美人な奥さんを手に入れたって…」
「――まったくてめえは、どうしようもねえ野郎だな…」
容易に想像できるその様子に羞恥で顔が赤らんでいく。
「人妻ってことが更にいけなかったのかな…。あのお堅くて融通の利かない将軍にも再三俺のものだって言ってきた筈なんだけどねえ…」
「お前と同じ同性に興味がある奴とは限らねえし、そもそも何度か剣を交えただけだっつーの」
「だって君、俺が抱くようになってから色気すごいもの…。ホラ、今も見てるだけで腰にくるし…」
「…ッ…」
鳶色の瞳が静かに開かれ、欲望を帯びた光が宿り始める。

「数日前に抱いた時は俺が望む分だけイッてくれて嬉しかったよ…君のとっても大きなお尻が何度も俺をくわえてくれて…たっぷり中出しもさせてくれて…最後はびゅるびゅるって俺が種をつけた精液が溢れすぎて止まらなくなって…君が恥ずかしがってお尻を抑えてもどんどん中から溢れてきて…俺の形にくぱっ…って広がった中のピンク色の肉ひだもイッてぴくぴくしてるのが丸見えで…」
「アーデンッ…!」
「ねえ、自分の名前いえる?」
「っだよっ…!当たり前だろ…っ」
「じゃあいってよ」
「グラディオラスだ」
「その続きは…?」
「ッ…イズニア…」
「続けて」
「グラディオラス…ッ…イズニア…」
「そうだね…よく出来ました。君はもう俺の名前で俺のもの…」
俺の左手の薬指に光る、プラチナの結婚指輪を愛おしそうにアーデンが撫でる。

「――ねえ、あともう少しで、本当の意味で停戦協定が実現するかもしれないんだ。それが恒久の平和でないことは確かだけれどね。少なくとも暫くは休戦出来る…」
キスをせがむ顔が近付き、甘く唇を奪われる。
「…っ…」
数日ぶりに犯される予感で、ひくっ、ひくんっ…、とはしたなく自分の肉尻の奥が雄を求めて切なく疼き始めてしまう。
「そうなったら俺はもう君の怖すぎるお義父様に命を狙われることはないかもしれないな」
いつもの軽口に思わず笑いが零れてしまう。
「何だよそれ。アミシティア家の長子を奪ったんだ。親父は多分一生アンタを恨んでるぞ」
「酷いなあ。愛する者同士の駆け落ちだっただけなのに…」
「ふふっ。言ってろよ」
俺を見つめる笑みを湛えた顔が不意に真摯なものになる。
「でも本当にルシスで君に会って…夜の庭園を散歩しただろう。あの夜、とても深く眠れたんだ…」
欲望を煽るように、舌が柔らかく俺の口腔をなぞり、その仕草に熱い吐息が漏れていく。
「だから君がもしかしたらそうじゃないかって――…」
「もしかしたらってッ…、何だ…?」
「いつか話すよ。君が覚悟を決めてくれたらね…俺はもう君を選んでいるし、君以外はいらないから…」
「……?」
要領を得ない会話に首を傾げると、小さく囁く声で寝室に行くことを誘われる。
「……」
何度も共に夜を過ごす内に、淫蕩になった身体とは別に心が熱く騒めくことがあった。これ以上すべてが近付けば、どうなるのか。影のように不安が忍び寄る。だがもう引き返す道は俺には残されていなかった。