「あれ、何してるの?」
アスガルドにグランドマスターのレジャー船"コモドール"で到着してから以降の記憶は僕にはない。再度バナーとしての僕が戻ったのは何故か宇宙に浮かぶ巨大な船の中。周囲には怯える中世風の衣装を着た人々、剣を構えたヴァルキリー、そして"日が沈む"と言い続けるソーの姿だった。
「やあ、チャンピオン」
「その名前はやめてよ」
「じゃあ博士。今ミークと舞台の練習をしてるんだ」
ソーが闘技場で出会ったクロナン人のコーグ。全身を硬い石で覆われた彼が相棒の昆虫型宇宙人であるミークと台本のようなものを片手に身振り手振りで話し出す。
「舞台?」
「うん、ずっと宇宙船の中で皆退屈してるからね。俺っち考えたんだ。ちょうど台本があるし、舞台をやろうって」
「へえ、いいね。どんな台本?サカールにも有名な文学作品や映画があるのかな」
「文学?映画?よく分からないけどロキがこの前、落としていったものだよ」
「えっ……」
「俺っちの前を通った時に落としたんだ。俺っち渡そうとしたけどいつもロキって怖い顔で睨むから近づけなくて」
「もしかして僕達を殺す計画書とかなんじゃ…」
「どうだろう?でも楽しそうな話だよ。ね、ミーク」
キシャッ、と小さな背丈の昆虫型宇宙人が同意する。
「じゃあ、練習始めるよ」
そういってコーグがどっかりと床に腰を下ろし、話し出す。
「ロキ、アスガルドの王を娶りたくはないか」
「えっっ」
「キシャー、キシーッ」
「違う、違うよ、ミーク。俺っちが腰をくねらせて君を誘惑するから君っていうかロキは無言で伸し掛かるんだ」
「キシャッ」
「えっ、ちょっと待って」
「それでお互いの身体がこう何度か跳ねて、最後に『私は王を妻にしたのだな』ってひと言…」
「えっ、待って。これいわゆる思春期の黒歴史的なものじゃないかな…」
「そうなの?でもよく出来てる台本だよ。この後兵士が乱入してきて3Pにとつ…」
「いっ、いいよ。その先はいわなくていいッ…」
「?」
そういえばここ数日血眼で何かを探すロキを見た気がする。ロキはゲイなんだろうか。しかも近親相姦だ。いや、養子だからセーフか。いやいやいやそういう問題じゃない。そもそもあれは何なんだ…?
「ちょっ、ちょっと見せてくれる?」
「いいよ」
ロキが落としたらしいものに目を通すといわゆるそれはファンフィクションの一種だった。過剰な性表現ありの。しかもコーグが言った通り、性描写があるものの、最後は悲恋に終わり、中々の作品に仕上がっていた。
「――まさかロキにこんな才能があったなんて…」
「だよね、俺っちも驚いた。じゃ返して。練習するから」
「だだだだ駄目だよっ!こんなもの皆に見せるなんてッ…」
「ヴァルキリーは呂律が回らない舌でいいんじゃないっていってたよ」
「酔っぱらいならそりゃ何みたっていいっていうよッ!」
「うーん、じゃあ俺っちとミークはどうすればいい?皆を喜ばせたいんだ」
「うーん…」
考え抜いた末に僕なりに校正を考えてみる。ソーの役柄を別名にして王女に、ロキの役柄を別名にして遠縁の眷属に、性表現は抜いて、悲恋部分はそれなりに強調して――。
「じゃあ、こういうのどうかな?」
「ん?――…」
それから1週間後、大勢の観衆の前で披露した舞台劇は大歓声と拍手をもって幕を閉じた。僕も端役として出演し、素面のヴァルキリーや真実を知らないソーも人々の為ならば、と共に演者になってくれた。主演であるコーグやミークもとても嬉しそうにはしゃいでいた。が、勿論、話の大元は変えてない。つまりに誰かには何かが分かった訳で――。
「――私を愚弄するつもりか…?」
「わっ!」
上演後の夜、廊下を進む僕に向けて突如暗闇から二本の短剣が向けられる。
「こっ、これから不具合のあった操舵室に行かなきゃいけなんだ。邪魔しないでくれるっ…?」
喉元に突き付けられた剣の切っ先が冷たくて必要以上に怯えてしまう。やっぱり怖い。温厚なソーとは全然似ても似つかない。
「…僕を怒らせてもいいの…?」
半ば本気で尋ねると、舌打ちとともに剣がしまわれる。
「いっ、いい話だったよ…ちょっと性表現が過剰だけど…」
「返せ」
「コーグが持ってる」
コーグからソーに渡ることはないだろう。絶対。いや、多分。
「――覚えておけよ」
「……」
ソーが好きなの?そう聞いてみたい気もした。ロキは残酷な悪戯の神だ。その彼がことソーの事になると冷静さを失い、時には共闘までしてしまう。宇宙人である彼らの心情は僕には理解しがたい部分がある。だけど時折、彼が兄であるソーに向ける目線。眩しさと憎しみとそれに熱っぽい何かが加味されたもの。好きだから執着してしまうんだという単純な結論を思い浮かべてしまう。
「あっ、あのさ!」
「……?」
去ろうとするロキに声をかける。
「あっ、ああいうのもっと書きたい時はtumblrに投稿するといいよ…!僕とトニーのファンフィクも良くあそこで見かけるから…!」
義姉のヘラそっくりの凍り付く眼差しを僕に向けながら彼が去っていく。コーグからはちゃんとあの小説を取り返せるんだろうか。そんな心配を呑気に僕は考えていた。
「コーグ、ロキの部屋からすごい量の煙が出てるんだけど…」
翌朝、食堂として用意された大部屋の中で全体が緑色のスクランブルエッグもどきの朝食を食べるクロナン人に話しかける。
「ああ、昨日ロキが台本を返せっていってきてから渡したんだ。でも俺っち、君が手直ししてくれた方を渡したみたいで。で、劇の台本を読みたがってたソーに元の方を渡したみたい」
「……」
「すごかったよ。ソーがアスガルドの虹色の橋でやってた放電しながらのトルネード移動を見せてくれたんだ」
「………」
「それでギュイギュイってロキの部屋へ…」
「――いいかい、暫く僕と君とミークはロキを見たら避けた方がいい」
「どうして?」
「どうしてもだ」
「OK。分かった。あ、これサカールの八本足の軟体動物が産む卵なんだ。食べる?」
「いや、いいよ…」
丁重に断り、コーヒーを入れるために厨房に向かう。これからも繰り返されるであろうアスガルド人兄弟の痴話喧嘩にうんざりしながら、でもどこかでロキを応援したい気持ちが僕の中には芽生えていた。