兄上、順調に成長する
「ロキ!」
久方ぶりに会えた私に嬉しそうにソーが抱きつく。
地球での生活拠点として兄に用意したニューメキシコ州のアパートメントの一室。アスガルドから転送してきた私を見て、驚きと喜びを称えた顔で兄は駆け寄った。
「兄上…」
いつもの匂い。ソーの肌から香る、暖められた蜂蜜のような甘い日なたの匂い。
むちむちとした大柄な筋肉質の身体を抱きしめ、胸いっぱいにその魅惑的な香りを嗅ぎながら顔をあげる。
「ッッ!?」
「どうしたのだ?ロキ」
「兄上、だいぶ髪が伸びたのだな…」
アスガルドからの定期観察で分かっていたことだが、実際に見ると更に愛らしい変化を兄は遂げていた。黄金の髪はジェーンと変わらぬほど長くなり、きらきらと輝くふわふわさらさらのそれが緩く肩に広がり、兄の雄雄しくも麗しい姿を引き立てる。
「ああ、ほら以前話しただろう?連日スティーブやトニー達とヒーローとしての活動に追われているんだ。すっかり髪を切る暇もなくなってしまってな」
「そうか…」
ミッドガルドの救世主を気取るヒーローとかいう下らぬ輩達。
奴らとともにソーが何かに取り組もうとしているのは知っていた。いわく地球に未曾有の危機が迫っているらしい。
ともに戦うことを正義に燃える青い瞳で嘆願されたが、正義とは対極のものに魅力を感じる私が協力するはずもなく、当然ながら私は蚊帳の外に置かれたままだった。
アイアンマン、キャプテンアメリカ、ハルク、ホークアイ、ブラックウィドウ、奴らと結集し、日々精力的に、時には楽しそうに活動を繰り広げる兄。
女のように伸ばした長い髪を一箇所だけ後ろでまとめ、姫君と見まごうような愛らしい髪型でライトアーマーから覗くむっちりとした太い丸太のような腕を好きなだけ見せ付けながら屈託なく笑う兄。
道化のように丸い赤鼻をつけ、ヒーロー仲間達と撮影した集合写真では最前列に座り、あろうことか両腕をまるで恥らいから隠すように陰部にあて、むちむちとした太ももを地面につけ、どうみても雌なポーズでカメラを見つめた兄。
たまの休日が訪れると、恋人に見送られながら熱中している波乗りに喜び勇んで出かけていき、豊満な臀部を背後に突き出すようにして布一枚のみを身に着けた姿で生着替えを始め、何人でも私の子が産めることをアピールするかのように安産型の肉尻であることを見せつけた兄。
日毎に増していく色気はまるで私にいつ自分を娶るのかと強請っているかのようで、堅固な筈の自制心ががりがりと削られていく。
もっと慎み深く二人の関係を進展させたい私にとって、兄の急激な変化は喜びでもあり、戸惑いでもあった。
「昔のように短い方が俺には似合うか?」
笑いながら太く無骨な指が照れ臭そうに髪を掻く。
「いや、今の兄上も悪くは無いぞ…ん…?そういえば今日は随分上質な地球人の衣装を身に着けているじゃないか」
品良く仕立てられた淡いスカイブルーのスーツは明らかにソーの現在の資産では用意できぬものだった。
「ああ。トニーがある機関から表彰されることになってそれで仲間とともに駆けつけることになったんだ。"10ドルのシャツなんて着て来るんじゃないぞ"と彼にいわれてこれを渡されて…」
兄の口からあのいけすかないプレイボーイを気取る男の名が飛び出し、私の眉根が寄せられる。
金色の絹糸のような髪と凪いだ海に似た澄んだ青い瞳にその上質なスーツの色は酷く似合うものだった。兄の魅力をよりいっそうひき立てるもの。奴の公私ともにパートナーの女が用意したものかもしれなかったが、どうにも私の暗い心が刺激されてしまう。
「私に言えばいつでも用意してやったのに…」
「そうだな。今度このようなことがあればお前を頼ろう」
ソーは常に拍子抜けするほど無邪気で素直だ。愚鈍な兄は疑う心を持たず、他人の邪な感情に感化されることもない。
私よりもはるかに強靭で、強大な力を持つ男だというのに、いつもこうして私を心配させ、簡単に私の心を掴み、惑わせる。
「お前もよければ来ないか?会場はスターク・タワーなんだ。ライトアップされたイーストリバーの橋も見ることが出来るぞ」
「遠慮しておくよ。兄上の仲間は騒々しすぎるし、ヒーローとかいう下らぬ慈善活動にも興味がないんだ」
「そうか…」
「だが今日はここに泊まってもいいか?久しぶりに兄弟として話をしたいんだ」
「あ、ああ…!勿論だ!わが弟よ…!」
なんて嬉しそうな顔で兄はほほ笑むのだろう。その淡い花びらのような唇に口付けてしまいたくなる。
昔から幾度も眠る兄に悪戯を施してきた。唇も兄の周りにいる女達よりも早く奪ってやったし、幹のように太く血管の浮いたむちむちとした上腕も気付かれぬように何度も口付け、その薄紅色の肌の質感や甘い匂いをたっぷりと味わってきた。
今夜も眠る兄をそうして味わい、わたしだけのものだと改めて確信したい。
「では行って来るぞ、ロキ」
そうしてほくほくとした無邪気な笑顔で私に手を振り、エントランスに兄は向かっていった。
「………」
夜になり、会場から上機嫌で帰宅した兄から渡されたものを見て完全に私は固まってしまっていた。
「ははっ!よく出来ているだろう?」
今日は様々な催し物があり、その中の一つにヒーロー達のファンから寄せられた似顔絵を披露する時間があったらしい。
私の手の中には美麗な一枚の絵があった。まるで生き写しのように細微な画風で描かれた兄上。
だがあろうことか絵の中のソーが身に着けているのは一枚のマントだけだった。
「…………」
「おもしろいだろう?ロキ。トニーやナターシャにも酷く受けていたんだぞ」
たとえ絵画とはいえ兄上の見事な裸体が大衆の目に晒されてしまった。これは由々しき事態だった。
だがこの絵を見たものを一人ひとり抹殺していってはきりが無い。
これは絵だ。本人に酷似しているがあくまでも絵なんだ、と私は自分の渦巻く嫉妬を抑えるべく何度もぶつぶつと呟いた。
「大丈夫か?ロキ。さっきから青くなったり赤くなったりしているが…」
「あ、ああ…」
「そういえば"クイズ"という遊びもやったのだぞ。実にあれもおもしろかった」
「そうなのか?」
「映画館で映画を見る以外に何をする?という問いでな。俺はみなを笑わせてやろうと思ってこういったんだ」
「なんていったんだ?兄上」
「セックスだ」
その瞬間、ぱくっと私の両耳は自動で塞がれてしまった。
私の純粋で愛らしい兄上がそのようないかがわしい言葉を言うはずが無い。地球で多少すれて穢れたとはいえ、私の大天使であることには変わりが無い。大天使であることは大正義だ。なんだかどんどん混乱してきたがそうだといったらそうなんだ。
ふらふらと動揺で前後に揺れる私を尻目にソーが屈託の無い笑い声をあげる。
「だが驚いたことにその答えが1位でな!車輪がついたとても長い3人乗りの乗り物までもらえたんだ!」
「そ、そうか…」
だがそう首肯してから私はある可能性に気付いてしまった。わざわざそんな答えを道化の役割を演じるためとはいえ発した兄上はもしや発情しているのではないのか、と。そういう如何わしい行為を自分が愛してやまない弟である私としたいのではないかと…。
私に持ち帰った絵も自身の裸を描いたもので酷く劣情をあおるものだった。これはそろそろいいぞ、ロキ。俺のムジョルニアをケイン・ブラストしてくれないか、と。そういう暗喩ではないのかと思えてくる。
「あ、兄上…」
「ん?どうしたロキ。そのようにしがみついて」
すりすりと厚い胸板に頬を寄せて見る。ソーが望むのならば、少し早すぎる展開とはいえ私が拒否できる筈も無かった。
期待で胸がどくどくと早鐘のように鼓動を打つ。初めての兄を包み込むように優しくリードし、決して傷つけないよう抱く自信が私にはあった。
だが大きく暖かい手のひらでぽんぽんと頭を撫でられ、無言の静寂が訪れたことを不審に思い、見上げると酷く穏やかな眼差しで私を見つめる碧玉の瞳があった。
「…ロキ、俺は嬉しいんだ。まるで子供の頃のようにお前と仲良くなれて…俺は自身の傲慢さから父上に地球へと追放されてしまった。そんな愚かな俺をお前はいつまでも見捨てず、兄として慕ってくれている。俺は本当に幸せ者だな…」
よく見るとじわりと兄の眦に光る涙の粒があった。
「……」
私はその瞬間、いまだと思った。強引に唇を奪い、抱いてしまえばいい。長い間求め続けた自分の欲するものを手に入れてしまえばいいと、そう思った。
「…兄上、当然だろう?私達はたった二人だけの兄弟なのだから…」
だが私の口から出た言葉は兄を慰めるためのものだった。抱きしめたくなる暖かく大きな身体から無理やり手を放し、親しみを込めてソーの逞しい前腕を軽くさする。
「アンタに話したいことが沢山あるんだ。聞いてくれるか?」
少しばかりの笑みをたたえた顔でそう提案すると嬉しそうに兄が頷く。そのまま部屋にある少し固めのクッションが敷かれた水色のカウチソファーに二人で腰をおろし、とりとめもない話を話し始める。
こうして兄と二人だけの穏やかで長い夜は過ぎていった。
後日、苦心して取り寄せた例のヒーロー達のイベントが映った映像の中には確かにはしゃぎながらクイズに答えるソーの姿があった。
少しのショックがあったが兄ははっきりいって大きな子供だ。わざと不健全な言葉を発しておもしろがるのも致し方のない事だろう。
そう私は自分を無理やり納得させた。そして特筆すべきはあの淫らなファンアートを贈られた瞬間の兄の様子だった。
野太く低い声でソーは笑いながらも途端に口数が少なくなり、その日の主役である天才発明家の大富豪に大きく囃し立てられると頬は真っ赤に染まり、絵画とはいえ自分の裸を全員に見られたことで恥ずかしげにそっと顔を伏せ、むき出しの純真無垢さを見せ付ける。
「ああ、兄上…」
やはり可愛い。どうしようもなく可愛い。私の兄上。わたしだけのソー。
いつかその戦神として鍛え上げられた見事な裸身を私だけに披露してくれることを夢見ながら、私は映像の中の兄に熱い眼差しを注ぐのだった。