THOR MAX(●ー●)


 
 

「俺はソー。ソーマックス。お前の心と身体を守るケア・ロボットだ」
 そういって私の前に現れたのは巨大なマシュマロのような奇妙なロボットだった。
 空気が内部に充填された、バルーンに似た球状の白く柔らかい身体。金髪のふわふわとした髪とまん丸で透き通った青い瞳、私よりはるかに高い背。おかしな外見なのにまるでヒーローのような赤いマントを身につけ、ヒーローポーズらしきものをとっている。
「そんなものは必要ない」
「だが今お前は痛みをかんじただろう?」
 技術会社「アスガルド・コーポーレーション」の社長でもある父・オーディンがなくなって半年が過ぎた。すでに飛び級で高校を卒業しているものの、14歳の少年でしかない自分に全権が任されることはなく、また生前の父が望んでいた大学進学にも興味を持てない私は日々違法なロボット・ファイトに熱中していた。
 研究施設で原因不明の爆発事故により命を落とした父。養子だった自分に母と同じくらいの愛情を注いでくれた彼はいつも"なぜその賢い頭を人々の為に使わないのか"と嘆いては私を困らせた。
 父の葬儀の日、灰色の雨空に参列者の黒い傘がいくつも開いて、棺の中で眠る姿はいまにも目覚めそうで。また私を温かく見守り叱ってくれるんじゃないかと、棺の蓋が閉められるまでずっとその厳格な横顔を眺めていた。
 熱心な説得のお陰で持ち始めていたロボット工学に対する興味もあの瞬間に永遠に消えてしまった。
 ロボット・ファイトは何の実りもない危険な趣味でしかない。だが熱中している間は哀しみを忘れることが出来る。言葉少なに自分を見守る母の悲しげな眼差しを見るのも辛かった。
 いつしか私は屋敷を飛び出し、非合法ファイトで稼いだ資金でカフェの2階にある部屋を借り、そこで怠惰な生活を送るようになっていた。
 自分の部屋から持ち出した唯一のものは父の形見でもあるケア・ロボットが収納された赤いスーツケース。生前このロボットが人の役に立つことを父は願っていた。
 父の想い、父の夢。持ち出したものの彼の意思の名残を見ることが辛く、ずっと雑多な部屋の奥にしまいこんでいた。
「足をぶつけただけだ。勝手に出てくるな。さっさとあのスーツケースの中に戻れ」
 きゅむきゅむと音を立てながらその大柄なロボットが近付いてくる。部屋が自身のサイズには狭すぎるのだろう。飾り棚の上に並べられた本や脱ぎ散らかした衣類がマシュマロのようなふわふわの巨体に押しのけられ踏みつられる。試行錯誤を繰り返し、父がたった一人で作り上げた、人を癒す為に生まれたソーマックス。

 私が父上なら戦闘に特化したロボットを作るのに
 そう彼に進言したこともあった。だが父はただぽつりと、そういったものを多く作り過ぎてしまったのだ、と私に語った。
「スキャン中だ」
 ジーッ、と間近に迫ったソーの青い瞳から無機質な機械音が聞こえてくる。
「勝手にスキャンするな!」
 憤る私をよそにスキャン完了の電子音が白くふわふわな身体から呑気にひびき、ふむふむとソーが首肯を繰り返す。
「確かにわずかな足の腫れ以外の異常はないな。だが脳波に若干の乱れがある。お前の症状はずばり――」
 ぴっ、とロボットの太く丸い人差し指が目の前で立てられる。
「思春期だ」
「……」
「ロキ、お前の年頃になると人は体毛が増え、感情が不安定になり、ちょっとエッチな気分も芽ばえ…」
「も、もういいからっ…頼むからケースに戻ってくれ」
 酷く冷静に今の自分を診断されると何故かロボット相手なのに羞恥が沸いてくる。思春期――確かにそうだ。父の喪失と思春期が重なって今の自分は酷い状態なのだろう。だがそれが例えケア・ロボットあろうとも自分を診て欲しくはなかった。
 喪失の悲しみがいつ癒えるのかは分からない。ただ誰からも放っておいて欲しかった。
「少し疲れてるようだな。目も充血している」
 そういってぷにっ、とした大きな身体が私を覆う。
「よし、よし」
 ロボット・ファイトに熱中するあまり、手入れを怠っていた伸び過ぎた黒髪をぱふぱふと丸い手のひらでなでられる。
 体内の動力源であるリチウムリオン電池から作られたふわりとした熱が私を包む。まるで人肌だ。やわらかく温かい。
『ロキ、この子は人を癒す為に生まれたロボットなのだ』
 生前の父の声が甦る。どれ位ソーの腕の中にいたのだろう。気付けば痩せっぽちな私の身体はぽかぽかと暖かく、その熱は心の中にまでじんわりとしみこんでいくようだった。
「ソー、もう平気だから…」
 そういって大柄なケア・ロボットを見上げると青くまん丸な瞳がきらりと光り、こちらの様子を窺うように常に笑みを湛えた口元のまま、頭が軽くかしげられる。
「ッッ!?」
 その瞬間の気持ちをなんと表現すればいいのか。まるで従順なペットのように私を見つめ、頭を傾げるソーを見た瞬間、私の中に芽生えた感情は非常に奇妙なものだった。
 顔に血が上り、ソーが説明した思春期の症状そのままに淫らな心地がほんの一瞬私を包む。
 詩の朗読とバッファローウィングが大好きな陽気で親切なカフェの女主人、キャスの愛猫である三毛猫のモチ。彼そっくりのまんまるな身体でぷにぷにでふわふわで、私を癒す為に作られたロボットのソーマックス。
 だがソーに感じたのは愛らしい動物に対する親しみではなく、まるで初めて恋をする者の様な純粋で熱い何かだった。
「ならばロキ、"ソー、もう大丈夫だ"とそういってくれ」
 むちむちとした大きな身体でふわふわの金色の長髪をなびかせ、ヒーローのようなマントを見につけたケア・ロボットが私を覗き込む。
「ソー、もう大丈夫だ」
 そういいつつも丸々とした白い腕をぎゅっ、と掴む。
「でももう少しだけ側に…」
「ああ。勿論だとも」
 ぷにぷにとした丸みのある温かい胸に顔をうずめ、うっとりと目を閉じる。
 もし彼が人間ならどんな外見だったのだろう。今の彼のように大柄で、広大な海のように澄んだ綺麗な碧眼で、すべすべとした手触りの真白い肌、見事な黄金の髪、男らしく精悍な容姿で、その勇ましい外見に似合わぬ癒しの心に満ちていて――。
 想像の中で大人になった自分が人間になった彼を抱えてみる。重くて大柄でいかつくて、でも酷く愛らしい。
 父上が死んでからずっと目の前にある悲しみから逃げることばかり考えていた。誰かとともに悲しみを分け合い、傷を癒すことを考えるだなんて、このケア・ロボットに出会うまで思うことすらしなかった。
「ありがとう。ソー」
 小さな呟きは感謝と熱いきらめきに満ちていた。
 父の遺したロボットが私を魅了し、喪失の悲しみを和らげる。それはまるで彼からの最後のプレゼントのようで。
「ありがとう…」
 もう一度呟かれた感謝の言葉は天国で眠る大好きな父へと捧げるものだった。