蜂蜜酒とチーズ





「姉上、無事で良かった…」
「ロキ…」

 戦場で奮起する姉を庇い、負傷した私は涙で青い瞳を潤ませた女神の訪問を受けた。

 彼女のハンマーと同じくらい鈍い姉はいつも、何故自分を庇うのかと私を叱るが、これまで何千何万回と囁いてきた愛の言葉も、彼女の身体に降らせた口付けの雨も、全てを兄弟としての親しみに変換させてしまうらしい。
 この呆れるほどの鈍さに、幼馴染であるシフの私を見る眼差しも益々悲哀を帯びたものになっていく。

"きっと少し強引な方がいいのよ。あの子はとても初心だから"

 そう嗾けられて、私なりに強引にソーを押し倒したこともあった。だが、少年のように笑う彼女によって全身をくすぐられ、その様を偶然目撃した侍女によって、今でも子供の頃のように仲睦まじい姉弟だと美談めいた話まで作られてしまっていた。
 八方塞とはまさにこの事。かくなる上は私が王位を引き継ぎ、后となるよう姉上に求婚するしか道は残されていないように思えていた。 



「いつも貴女が塗ってくれると傷の治りも早いんだ。今日もそうしてくれないか…?」
 寝台の上で半身を起こし、亜麻製の肌着をはだけると、看護を望まれたソーが嬉しそうに処方された膏薬を手に側にある背もたせのある長持ちに腰掛ける。

 世話好きな母上があつらえたのだろう。普段は男装を好む彼女が今日は貴婦人のように麗しい。
 月長石が中央についた装飾用の鎖で黄金の長い髪を後方に留め、立てられた襟のひだ飾りは赤糸で刺繍された透明のモスリンで、薔薇結びの胸元、鮮やかな真紅の天鵞絨で作られたドレスは胴部分を短いビュスクで固定し、より彼女の豊かな胸元を強調させるかのようだった。

 膏薬をつけた指が私の傷口をそっと覆い、黄みを帯びた獣脂に似たそれを丹念に塗りこめていく。

 介抱する手元に眼差しを向けると、普段ムジョルニアを握るその手は所々に戦傷が刻まれ、皮も厚く、戦を知らぬ数多の女神達のような可憐なものとは言い難かった。
 だが民を必死に守り抜いてきた手だと思うと、その無骨さすら愛おしかった。それに十分男の私の手と比べると姉の手は小さく、口付けしたくなるほど細く愛らしい。


 幾度彼女に心の中で詫びながら、その厚い手のひらで自身の昂ぶりをこすられることを夢想しただろう。
 妄想の中で姉は戸惑い、恥らい、だが官能を帯びた瞳で私の隆起したものを見つめながら男の欲望を慰め続けた。
 そうして昂ぶりが弾けると自分の手についた欲望の証をじっと見つめ、薄紅色の花びらのような艶やかな唇を喘ぐようにそっと開いた。
 そうされるといつも私は吐息ごと彼女の唇を奪い、誰にも見せたことのない白瑪の肌を露にさせ、ソーを一人の娘から"女"にさせた。

「っ……」
 痛みで漏れそうになる声を密やかに喉奥へと隠す。
 右胸の上部に出来た刺傷は脂肉が覗くほど深く、薬を塗りこめるその僅かな接触ですら強い痛みを私に齎す。

 彼女がもしこれを負っていたら。そう思うとそれだけで怖気が立つ。湖面に反射する光のように眩く煌く黄金の髪も、真白い肌も、青く澄んだ大きな瞳も、すべてが私のもので、誰にもそれを傷つけさせたくはなかった。
 王宮の書庫で様々な魔術書や古代の知識を記した蔵書に目を通す日々を好んでいた自分にとって、戦場は魅力的な場所とは言い難かった。嘆かわしいことだが、この神の国で生を受けた者として持ち得る筈の武芸の才も私には備わっていなかった。

 だがもしソーが私のいない所で敗戦を喫してしまったら、敵兵の将に姉が囚われてしまったら。彼女に訪れるかもしれないおぞましい運命を思うと同行するしか術はなかった。

 自身の滾る欲情を抑えきれず、魔力を使い幾度か湯浴みする姿を覗きみたこともあった。
 柔らかな金糸の髪は上部に束ねられ、後れ毛がはらりと白い項にかかる様が清廉な中にも女の色気を漂わせていた。
 たわわに実り、つんと先端を尖らせたまろやかな乳房、細腰から広がる大きな尻はむっちりと豊満で柔らかく、上気した薄紅色の肌は開花した花びらのように艶めきすべらかで、その見事な曲線を描く肢体といい、極上の乙女がそこにいて私の目をいつまでも楽しませた。



「……」
 今その熟れ頃に育った甘い身体が私の上を這い、甲斐甲斐しく世話をしている。唇を奪えばどうなるだろうか。それも弟からの親しみだと思うのだろうか。舌を入れたら流石に鈍い姉でも気付くのだろうか。私に覆いかぶさる身体を強引に捕まえて舌を入れ、この大きな尻に昂ぶりを押し付けて――。

「ロキ、どうした。そんなに傷が痛むのか…?」
 悪しき妄想に耽る私に労わりに満ちたソーの声がかけられる。
「すまぬな。いつもお前にばかり無理をさせて」
 ふわりと柔らかく抱き締められ、小さな声で詫びを告げられる。姉上、ドレスに血がついてしまう。そう気遣う私を首を横に振ることで彼女が遮る。

「お前が本当は戦場を好んではいないことも良く知っている。だがただ一人の姉弟である俺を気にかけてともに戦い、守ってくれているのだろう…?有難う、ロキ…」
 花の蜜に似た、甘く温かい肌の香をくゆらせながらソーが首元に緩くしがみ付く。

 傷の痛みをこらえながら、想いに答えるように抱き締め返すと自身の中で食らい尽くしたい欲望と弟としての理性が拮抗し、益々彼女への対処に迷いが生じてくる。だがきっと、どちらに矛先が向いてもソーに向ける想いはたった一つで――。

「…愛してるよ姉上。誰よりも…」

 そう囁くと満面の笑みで微笑まれ、同じ言葉を返される。もう暫くこの温かく柔らかな身体と触れ合っていたい。
 そう思った私は甘えるように柔らかな彼女の長い髪に自分の頬を摺り寄せ、そっと目を閉じた。