「ロキ、何度言えば分かるんだ」
語気を強めて自分の部屋にいる弟を問いただす。
「魔法は使ってもいい。だが悪戯や、こうして俺の部屋に転移する為の魔法は使うな」
背高椅子に腰かけたロキが退屈そうに欠伸を漏らす。
「別に姉上に許しを請う必要はないさ」
白い指が音を鳴らし、途端湯浴みしたばかりの自分の身体を覆う寝衣が床に落とされる。
「ロキッッ…!!」
忌まわしいほど大きな乳房と陰部を手を隠しながら憤りをあらわにする。
「いい眺めだ、姉上…」
少し伏せた瞼から覗く灰緑の瞳がぬるりとした光を帯びる。
「ッ……」
視線が這うように俺の全身を見つめ、青年になった弟の男としての眼差しが自分を熱く眺めていく。

他国からの婚姻の話は悪戯な弟によって幾度もかき消された。ありもしない悪質な噂を婚姻相手へと流されたり、ロキが用意した魅惑的な女を相手に宛がうことで破談になった事も一度や二度ではなかった。どんなに俺や父上に叱責されても、弟はその悪戯をやめはしなかった。その事で父上の怒りを買い、地下牢に幽閉された時も何食わぬ顔で謹慎が解けるのを待つだけだった。

「父上は盲目だ」
ゆっくりとロキが立ち上がり、深緑のマントから覗く、金糸織のブラウスを飾る腰帯についた宝石飾りを揺らしながら俺に近づいて来る。
「こんなにも姉上に相応しい伴侶が身近にいるのに認めようとはしない」
「ロキ…」
兄弟としての愛情が自分の怒気を緩ませる。
「姉上…」
一糸纏わぬ姿の俺を弟の痩躯が抱き寄せる。小さく、弱く、華奢な少年だったロキが今は自分よりも身の丈があり、抱きしめる腕も力強い。子供の頃の様な蜜菓子の甘い匂いがしないその身体に溜息と共に頬を摺り寄せる。
「俺も愛しているぞ、ロキ。いつだって心の底から――…だが、お前は俺の弟だ。兄弟で婚姻は出来ない」
「――本当に…?」
どこか危うい色を含んだ灰緑の瞳が俺を見つめる。弟を愛していることは本当だった。何度も求婚され、その度に戸惑いとともにただ一人の兄弟を拒み続けた。硝子に似た美しい瞳に傷心の影が宿るのを見るのは辛いことだった。どんなに愛していても、血を分けた兄弟を伴侶にすることは出来ない。ロキが兄弟ではなければ、そう思う時もあった。若く、美しく、魅惑的な青年。どこか脆さのあるまま成長してしまった大切な弟。きっと兄弟でなければ、ロキを受け入れていたことだろう。どんなに精悍で、雄々しい異性を前にしても、自分の心を占めるのはいつも弟のことだった。でもだからこそ、禁忌を破る枷をロキに負わせたくはなかった。

「あっ…」
無言で唇を奪われそうになり、慌てて顔を横にずらす。身動いたことで自分の柔らかな乳房が弟の十分に鍛えられた胸板に押し当てられる。肉付きの良い臀部に触れる手の感触があった。急いで抱き寄せる身体を押しのけ、床に落ちた寝衣を拾い、身に着ける。
「もう部屋に戻れ」
ロキに背を向け、言葉を告げる。背後で短い溜息とともに、気配が消えていく。あと一滴、器に水が注がれればそこから零れ落ちてしまいそうだった。弟を受け入れれば、もう戻れない。何人もの子をロキに産ませられることになるだろう。ともに学び、遊び、戦場では幾度もの死線をも二人で越えた。弟と過ごす時間が何よりも楽しかった。だがもう離れる時期なのかもしれなかった。







「……」
生温かい血が自分の頬を流れてくる。初めて戦場に赴いた時、体に感じる痛みはまず痛みよりも先に皮膚の熱さを感じるのだとそう学んだ。ロキを拒んだ夜から三週間が経っていた。リアでの戦いは大規模なものではなく、すぐに収束する筈だった。だが丘での戦闘で騎兵が周囲にある生垣で進行に困難が生じ、突破口を探している間に両翼に配備されていた弓兵によって攻撃され、激しい戦闘の末、俺は捕虜として捕らえられた。
敵軍の指揮官だった男は戦勝の宴の夜、拘束された俺を手籠めにしようと自身の天幕に連れ去った。激しく抵抗し、相手の耳を噛みちぎろうとしたことで男の逆鱗に触れ、俺は幾度も頬をぶたれた。意識が混濁し、身に着けていた鎧が外れていく感触があった。男の汗ばんだ手が自分の柔らかな乳房を鷲掴む。その時、自分に触れたロキの白い指が何故か浮かんだ。薄れていく意識を繋ぎ止め、血の味がする唾を飲みこむ。狡猾な男が酒と欲で判断が鈍っていたのは幸いだった。俺は自分に出せる限りの甘やかな声で拘束を解くことを望んだ。抱かれるのならば楽しみたい、と、無力で憐れな女を装った。口づけを受け入れるために唇を開き、望まぬ相手に口腔を貪られる。手枷が外された瞬間、奪われていたムジョルニアを呼び、俺は怒りと共にハンマーを振り下ろした。激しく轟く雷鳴と共にいくつもの火種が野営地から上がり、捕虜として同じく拘束されていたファンドラルに諫められるまで、俺は多くの敵を屠り続けた。



オーディンの娘として、自身の戦勝がまた一つ増えたことを国王である父は喜んだ。捕虜となった夜に降りかかった災厄は伏せ、ただ残兵による奇襲に成功したとそう嘘をついた。傷が残る頬を痛ましげに養母である母は撫ぜた。ロキは自分を見つめるものの、決して近寄ろうとはしなかった。今まで幾多の戦闘で傷を負ってきた。その中の一つだと、名誉の証だと自分に信じ込ませた。
盛大な宴が王宮で行われ、エールやワインでしたたかによった身体で俺は侍女たちに支えられながら自分の部屋に辿り着いた。清潔な真白い敷き布が敷かれた寝台に身を投げ出し、解放感と共に目を閉じる。身体の節々に戦闘の疲労による痛みがあった。人払いした筈の閨にふと気配を感じ、目を開ける。また窘めなければ、そう思い俺は佇む影へと声をかけた。だが応えはなく、暗闇から、すべて聞いたと、それだけを告げる声が返ってきた。冷やりとした腕にゆっくりと身体を抱きかかえられる。泣かずとも悲しみが伝わってくるようだった。
なにもなかった。
それだけを告げ、俺は縋る弟の身体を撫でた。



それからまた数日が過ぎた。戦傷も徐々に治り、殴打された際に出来た頬の傷もうっすらとした線状のものに今では変わっていた。あれから弟は毎晩自分の寝所に現れた。子供の頃の様に他愛のない会話を交わし、ともに眠りに就く。ロキが側にいると心穏やかに眠ることが出来た。忌まわしい夢に苦しめられたくはなかった。そうして共に眠るようになってひと月が過ぎた。ある夜、俺は不意に弟の前で自分の寝衣をくつろげ、胸の谷間を露わにした。白い指が乳房に伸ばされ、赤子の様に先端を口に含まれる。自分がどうなるのかは良く分かっていた。またいつの日か捕虜になり、慰みものにされる可能性があるのならば、その前に一番大切な弟にすべてを奪われたかった。俺の上でロキの痩躯が身動き、甘い声が次々に自分の唇から漏れていく。つながった瞬間は喪失の痛みと、女として初めて味わう快楽があった。
文字通り全てを奪われた俺は涙の膜が張った目で弟を見上げた。ロキは酷く幸せそうだった。その顔を見て、同じように幸せを感じているのを、やっと俺は気付くことが出来た。