ガロワ
酒浸りになった自分を救ったのは幼い頃からの友人であるチェイスだった。農夫だった父親が投獄後、孤児同然に育った彼は俺よりも悲惨な環境で育ちながら常に強靭な心を持ち続けた。そうしなければ父親のように、この島で、島以外で、いくらでも見ることが出来る希望もなく唯老いていく男たちのようになるからだと知っていたからだろう。
「またお前のお陰で船に乗れる」
「碌な経験のない船長の子守をするんだ。あんなデカい赤ん坊なんだぞ。俺だけじゃとても出来そうにないからな」
そうおどけながら水差しから注いだ水を飲む。勧めたスコッチの酒瓶のコルクは抜かれないままだった。断酒した自分の前では決して酒に口をつけようとはしない。生まれがなんだというのか。例え名家の出でなくとも彼は十分に高潔な魂をもっていた。
「そういえばペギーの腹の子はどっちなんだ」
「あいつは娘だといってる。どうなんだろうな」
まるで酩酊した時のように、上機嫌でチェイスが笑う。捕鯨道具に囲まれ、潮の匂いがこびりついたみすぼらしい我が家。愛想を尽かした女が去ってからは清潔さとも無縁だった。そんな家の中でもチェイスの髪はまばゆい黄金に輝き、瞳はまるで晴天の下の凪いだ海のようだった。何も気づかれたくはなくて顎を引いて軽く笑う。自宅での夕食の誘いを断り、乗船する日付を確認し、彼を愛する妻の元へと送り出す。今以上の生活はいらない。航海で失われるかもしれない夫の命を危惧し、ペギーはそんな言葉を漏らしたという。金がなくとも彼女は確かに幸せだろう。貧しくとも奴が、チェイスがいるのだから。
その夜、夢を見た。酒に溺れた自分をいつも優しく包んでいた、慣れ親しんだ夢の内容だった。
いつも左頬にある彼の傷を触る。自分よりもはるかに上背のある、力強さの溢れる頑丈な身体を、陽に焼けた浅黒い肌を、ゆっくりと撫でる。そうして徐々に熱くなる吐息をその肌に吹きかける。誘うように開かれた硬い唇の感触を貪るように味わい、白リンネルのシャツをめくりあげ、厚い胸板にそっと唇を落とす。自分の中にある暗い欲望を隠そうと思えば思うほど見る夢は淫靡さを増していった。帆先に登るあの堂々とした姿。海上で仲間たちを鼓舞し、守り抜く、不屈の精神と頑健な身体。誰もが彼に惹かれ、彼を敬う。欲しいと思うことは自然な欲求だった。だが伝えられる筈もなかった。すべてを隠し、自分の居場所が彼の隣であり続けることを願うしかなかった。
『マシュー…』
夢の中で幼いころから苦楽を共にした友は娼婦のように足を広げ、自分を迎え入れる。狂気にも似た捕鯨への思いからも、彼に温もりと安らぎを与えるペギーからも、何一つ現実では奪えないまま、夢の中で彼を抱く。酒量を増やせば増やすほど現実と夢の境は曖昧になった。まるでそれが現実であるかのように、見る夢は惨めな自分に喜びを齎した。
『…ッ』
背後から逞しい体躯に覆いかぶさるようにして中で射精を繰り返す。肉欲に溺れる己を恥じ、声を出すまいとするチェイスの口に無理やり指を差し込み、腰を振りながら甘く擦れた声を上げさせる。
酒を断ってからは幸せな夢からも遠ざかっていた。だがもしこれが陸で見る最後の夢ならば、自分はどんなに幸運なことか。
二千樽の鯨油とともに島に戻る。そうしてチェイスは今度こそ船長になり、妻子とともに豊かで実りのある日々を過ごす。
彼の見る夢が自分の夢だった。それが叶えられるのならば後はなにもいらなかった。