村が丸ごと消えた事件の数年後ーーーーー





 ジョーノは王宮で下働きの一人として働いていた。






 それまでの記憶の一切を無くして










『 愛しき…… 2 』







 ガシャーーーーン!


 厨房に皿の割れる音が響き、忙しなく働いていた人の動きが止まり、一瞬音が消える。

 もう、この次にくるものは分かっているのだ。



「ジョーノッ!!!また、あんたかいっ!!!」
「ご、っごっ、ごめんなさいっ」


 ほら、またあの子だ。
 たく、毎日毎日懲りないね。
 また、怒られるぜ


 そこにいる人の視線を一身に受けて、ジョーノは何度も何度も謝っている。俯いて震えている足元には割れたばかりの皿が粉々になって散らばっていた。

「この役立たず。あんたは皿の一枚もまともに運べないのかい?何枚、皿を割れば気が済むんだいっ!」
「ごめんなさい」
 中年女の怒声に、ジョーノはびくっと身を竦ませた。
「あんたのせいで何枚、皿が割れたと思ってんだっ!」
「ご……めんなさ…い」
 中年女の攻め立てる声とは反対にジョーノの声はどんどん小さくなっいった。それもそのはずで中年女は山のような大女なのだ。身長もさることながら、でっぷりとした女の迫力は並みの男よりも怖いものがある。
 町にいるような優男など、ひと睨みで退散出来るだろう。
「あんたの謝罪は聞き飽きたんだっ!」
「……っ!」
 雷鳴のような怒鳴り声に、ジョーノがガタガタと合わない奥歯を食いしばった。


 好奇の目で見ている他人よりも、ジョーノは次に何が起こるか身体が覚えている。




 バチーンッ!



「きゃぁっ」


 中年女の大きな手で叩かれたジョーノの身体が、衝撃に耐え切れず壁際までふっ飛ばされた。
 叩かれた頬の痛みに壁にぶつかった背中の痛みが加わって、息が止まりそうになる。
「…ィっ…」
 痛みに身体を丸めて床に伏せたジョーノの腹を蹴り上げ、中年女は


「罰として今夜の皿洗いは一人でやんなっ!もちろん出来るまで飯抜きだからね」


 残酷な一言を告げた。そして、蹲ったままのジョーノを置いて他の者たちと厨房を出て行ってしまった。
 ざわざわとした音が次第に遠くなっていき、厨房がシンと静まり返る。
「…ぃ…」
 それでもジョーノは身動き一つしない。まだ側に誰かが居るのではないかと警戒して、だんご虫のように身体を丸めて、じぃっとしていた。


 やがて本当に誰も居ないということが確信できるようになると、ようやく顔を上げる。
「ィッ……た…」
 筋肉に力を入れるだけで、背中に痛みが走りジョーノは顔を顰めた。すると叩かれ腫れ上がってしまった頬にも痛みが来て、相変わらずの容赦の無い暴力に涙が出そうになる。
 身体を庇いながら何とか身体を起こすと、目の前には誰一人いない厨房と、汚れた皿の山が広がっていて、自然にため息が出てきた。


 これからこれを片付けないといけないのだ。


「……がんばろう」
 中年女に言いつけ通りこれを綺麗にしないと、朝ごはんも食べさせてもらえないまもしれない。現に夕飯は食べ損ねてしまっている。
 ジョーノはのろのろと立ち上がると、手始めに割ってしまった皿を集めた。カチャカチャと破片を拾うたびに涙が出てきそうになるが、唇を結んで堪える。泣いたからといって状況が変わることがないことも幼いながらに、悲しいほど理解していた。







*****






 それからどれくらいの時間がかかったのか、厨房ではまだジョーノが皿を洗っていた。それもそのはずで王宮全部の皿がここに集まるのだから、ジョーノ一人の手に負えるものではなかった。
 中年女はそれを分かっていてジョーノに皿洗いを言いつけていた。


 夜空には月がとっくに高く昇っていて、松明だけでは心もとない手元を照らしている。

 ずっと同じ姿勢で腰が痛いし、お腹も減っている。そして疲れきった身体は強烈に眠気を訴えていて、気を抜くと目が閉じてしまいそうになってくる。

 山のように積まれている皿は、半分くらいしか減っていなくて、朝までに終わるのかでさえ怪しい。それでもやらなければ後でどんな罰が待っているか分からない。ジョーノはただ黙々と手を動かしていた。


「終わるかな…」
 額の汗を軽く拭いジョーノが顔を上げた途端、お腹がぐうっと鳴る。
「お腹減った」
 そういえば今日はお昼ご飯も食べさせて貰えなかった。朝に小さなパンと水を口にしただけだから、空腹感が限界に近い。ぐうぐうと鳴り止まない腹の虫を宥めつつ、ジョーノの視線が皿の上に残された食べ物に釘付けになる。

 皿に残っているのはジョーノが一度も口にしたことのないものばかりだ。
 そういえば誰かが今日は王妃さまの誕生日だと話していた気がする。

「……ごくっ」
 
 ソースの掛かった肉や色鮮やかな果物が手付かずのまま残されていて、味も知らないけれどそれはジョーノの食欲を鷲掴みにするものだ。口の中に唾液が自然と溢れてくる。

「ょ…ちょっとだけな…ら、バレない…よな」

 ああ、一口残されている肉の塊はどんな味がするのだろうか?中心の甘いところだけ食べられて残された果物の端っこはどのくらい甘いのだろうか。

 身分の高い人間しか食べることが許されていない食事は、この空っぽのお腹を満たしてくれるのか。
 でも、もしもジョーノが残り物を食べたとバレたら、きついお仕置きがまっているに違いない。
 死にたくなるくらいの罰を与えられてしまうかもしれないのだ。


 痛いくらいに分かりきっている顛末の恐怖と、目の前にぶら下がっている甘い誘惑の罠。


 空腹感は既に限界値と突破していて、涎が止まらない。


「ちょっと…だけ…」

 大の大人ならともかく、まだ子どものジョーノが誘惑に勝てるわけもなく、ジョーノは辺りを見渡して誰も居ないことを確かめると、皿に手を伸ばしていった。



「ちょっとだけだから…ごめんなさい」
 と、もう少しで皿に手が届きそうになった時、背後から、



「ジョーノ!!!」




 入り口から名前を呼ばれた。




「ひゃっうっ!!」


 どうしよう。見つかった!



 真っ青になったジョーノがすっとんきょうな声を上げ、その場に頭を抱えて蹲まってしまった。


「ご、ごめんなさいっ、もう、しません。しませんから」
 ジョーノは頭を抱え、ガタガタと謝っている。身についた恐怖に一気に血の気が引いて、身体が震えてくる。




「す、すみませ…ん」



「なーんてね。驚いた?」



「   え???」





 怒号の変わりに、明るい声が降りてきてジョーノが恐る恐る顔を上げると、入り口に明るい栗色の髪をした少女が立っていた。


「シズカ…?」
「ごめんね。驚かせちゃったみたい。びっくりした?」


 シズカは両手を合わせて謝る仕草をする。

「うううん。大丈夫。あたいが悪いから」
 ジョーノはブンブンと頭を振り、やっと笑顔になった。

 シズカはジョーノと同室の女中仲間で、この王宮で心の許せるたった一人の友達だ。
 失敗ばかりするジョーノとは違い、要領よく作業をこなす姿はジョーノの憧れであり、こうしジョーノに何かあるごとにフォローしてくれる大切な存在だった。


「そんなことないよ。ジョーノは悪くない。だいたいラーラが、悪いんじゃない。こんなに仕事を押し付けてさ」
 シズカは積まれたままの皿の量にため息をつく。そして懐からパンを一つ取り出した。
「ふふ、お腹空いたでしょ。夕飯のを一つ盗ってきちゃった」
 ジョーノに手渡すと、壁際にある椅子にジョーノを座らせて、皿に残っている食べ物を適当に運んでくる。
「ほら、食べよう」
「…でも、これはっ…」

 皿に盛り付けられた沢山の食べ物。中年女…ラーラから絶対に食べてはいけないときつく戒められてきたことに、ジョーノは戸惑いの表情を見せた。

 こうしてパンを食べるだけでも怒られるに違いないのに、その上他のものまで食べたと知られたら…自分だけでなく、シズカにも迷惑が掛かってしまうのだ。

「気にしない気にしない。みんなやってることよ」



「えっ?!」


 ごく当たり前のことのようにシズカはいうと、皿の上のブドウを摘んだ。
「こうして残り物はこっそりと頂いてるの」
 いとも簡単に紫の珠がシズカの口の中に消えていった。とたんに甘い香りがジョーノの鼻をくすぐってくる。
「本当に…いいの?」
「当たり前じゃない。これ捨てるほうがもったいないわよ。残り物だってご馳走はご馳走。食べないほうが損なんだって。それにちゃんと食べとかないと明日も大変だよ」
 さりげなくジョーノのことを心配してくれるやさしさに、喉の奥が苦しくなる。
「……うん」
 零れてしまいそうな涙を堪えて、ジョーノも笑顔を作ると、手の中にあるブドウを一つ口の中に放り込んだ。



「おいしいっ!!!」
 香りに負けない甘い果汁に、ジョーノの頬が赤くなる。
「でしょ。ほら、これも、美味しいんだから」
「うん!」
 ようやく元気のもどったジョーノに、シズカも笑顔になるともう一つブドウを摘んだ。
 皿のご馳走を、もごもごと頬を膨らませて食べているジョーノの仕草に思わず噴出してしまいそうになりつつ、いつも嫌がらせに耐えているジョーノに心が痛んだ。


「食べたら、次は皿を片付けようね。手伝うからさ」
「え、でも、それこそ、シズカが怒られちゃう。あたいが一人でやるからシズカはもう部屋に戻ってて」
 ぱっと顔を上げたジョーノは首を振る。
「こんなのジョーノ一人じゃ絶対に終わらないよ。そしたら明日、他の人にも迷惑が掛かっちゃう。今度はラーラじゃなくてもっとえらい人に怒られるよ。そんなの嫌でしょ?だから、一緒にやろう」
 シズカはジョーノのぼさぼさの髪を撫でると、最後の一切れの肉を口の中に押し込んだ。


「…ありがとう」


 初めての肉の味と、涙を一気に飲み込んでジョーノは、パンっと両頬を叩いた。


 






*****







 秘密の夕食を終えたジョーノとシズカが肩を並べて皿を洗っている。小さな声でおしゃべりをしつつする皿洗いは、快適で嘘のような速さで片付いていくのだった。


「ねえ、いつも思ってたんだけど、ジョーノの眉間に皺を寄せるのはクセなの?」
「ん?」
 突然のことにジョーノは首を傾げる。
「だって、ジョーノって、いつも不機嫌そうな顔してるんだよ。さっきみたいに笑ってると可愛いのに」
「…あたいが…かわいい?」
「うん。かわいいよ」
「そんなことない。可愛いのはシズカのほうだよ」


 初めて容姿を褒められたことに、なんともいえない気持ちになりつつ、ジョーノは俯いてしまった。
 たぶん、可愛いという形容詞はシズカのためにあると思うのに。



 それともう一つ、ジョーノが眉間に皺を寄せるのには訳があった。

 

 それは、ジョーノの視力が極端に悪い。
 生まれつきかどうかは知らないけれど、気がつけば物がはっきりと捕らえられない視界になっていた。輪郭が滲んだ視界では、そうしないと物の境界線が分からない。
 

 でも、それが普通でないこともジョーノには分かるはずのこともなく、おかしいと考えることもないまま、再び皿洗いに没頭していった。

















 考えれば考えるほど、ジョーノの頭が黒く塗りつぶされていくようで、


 ある一点から以前の記憶が全く無い。



 どこで、生まれたのか。
 両親の顔はどんななのか。
 兄弟はいたのか。




 ジョーノはごっそりと抜け落ちた記憶に、不安を抱きつつも、いつの間にか、それさえ考えることを止めてしまった。


 
 






 まるで、何かに支配されているように……










 

 オンリーの勢いのまま一気にイってみました。
 
 とりあえずいえるのは  ジョーノは城之内くんではないということでしょうか。


 そのうち神官さまとか、ごっそりと出てきます。
 てか、早く出してがっつりと進めて行きたいです!!