祈り2



 「…っま……」
 誰かの声がした。
 「兄さ…ま!…起きて!朝だよ!」
 「……ん…モクバ…か…」
 瀬人はモクバに揺すられて、目が覚める。いつの間にか部屋にもどっていたようだ。
 確かに昨夜は奥の部屋で祖父たちの淫らな光景を見たはすだ。決して、夏の夜の悪夢ではない。現に今だってあの金色の少年の姿をありありと思い出すことが出来る。肌に纏わりつくあの淫らで濃密な空気でさえ覚えていた。
 しかし、奥の部屋からここまで戻ってきたのか記憶が曖昧だった。明るくなった部屋にこうして横になっていると、昨夜のことが夢だったのではないかと思われてくる。
 「もうっ、兄さまったら全然起きないんだから。何回も起こしたんだよ!俺、朝ごはん食べちゃったよ。」
 重い目をこすって声のするほうを見れば、頬を膨らませた弟がいる。瀬人は壁にかかった時計を見ると針は9時を指している。モクバが怒るのも無理は無いと瀬人は苦笑した。
 「…すまない。昨夜は寝苦しかったから…もう、起きるよ。」
 モクバの頭を撫でると、瀬人は布団から出ようと起き上がった。
 「…!!」
 腰に感じる不快感に瀬人は顔を顰めた。ねっとりとしたモノが下半身に纏わりついている。
 「モクバ、悪いが先に行って朝食の支度をするように言ってきてくれないか。俺も仕度を済ませてすぐに行く。」
 「うん。じゃあ先に行くね。早く来てね。朝ご飯を食べたら兄さまと遊びたいなぁ。いいでしょ?」
 唯一の兄弟で遊び相手なのだから仕方が無いなと、瀬人は頷いた。
 「ただし、疲れない程度にだ。熱がでるといけないからな。」
 「大丈夫だって、こっちに来てから調子がいいもん。」
 モクバは満面の笑みを浮かべて、部屋から出ていった。ぱたぱたと廊下を走る足音が遠ざかるのを確認して、瀬人は夏掛けをめくっておもむろに浴衣のすそをめくった。
 「……」
 下着の中はびっしょりと吐き出したモノで濡れている。年頃の男児の生理的な現象だと括ってしまえば済むことなのだが、昨夜のこともあってか瀬人を悩ませる。

 そう、モクバに起こされるまで瀬人は夢を見ていた。
 あの蝋燭の明かりの下で、金色の少年を抱いていたのは瀬人だったのだ。
 白い肌を愛で、紅い朱を散らすのも瀬人。
 桜色の唇を堪能したのも、そして最奥の小さな蕾を貫いたのも瀬人だった。
 男の欲望を煽ってならない艶やかな喘ぎ声も、ふれ合うところからあがる濡れた音。
 全てがリアルに感じる夢だったのだ。
 「……俺もおじい様と同じではないか。」
 瀬人は自嘲気味につぶやく。あの部屋で祖父と叔父を見たときは、吐き気がするくらいの嫌悪感が込みあがってきた。しかし、一晩たてば自分も少年を思うがままに貪っていたのだ。たとえ夢の中であろうとも同じはすだ。いや、夢のほうが性質が悪いのかもしれない。
 瀬人は着替えを手にすると部屋を後にした。乾き始めた精液の不快感を堪えて浴室に向かう。

 着替えを済ませて居間に行くとモクバが待っていた。
 「遅いよ〜」
 モクバは拗ねている。この様子だと1日開放されないのではないかと瀬人は首を竦め、用意された朝食に手を付ける。
 白いご飯を盛った茶碗を手にして、瀬人は祖父と叔父がいない事に気がつく。
 「そういえば、おじいさまは出かけたのか?」
 女中たちはそれぞれに与えられた仕事をしているのだろう、部屋には蝉の声と小鳥の鳴き声しかなく、静かな屋敷をいっそうひきたてている。
 「おじいさまは今朝早くに出かけたよ。街で商談があるんだって。2.3日帰れないって言ってた。兄さまに留守を頼むぞ。って言ってたよ。」
 瀬人は祖父たちがいない事に内心ほっとしていた。祖父たちと顔をあわせれば嫌がおうにも昨夜のことを思い出してしまう。正直平静を保っている自信が無かった。
 これで少なくとも数日間は悪夢を見なくて済むと胸を撫で下ろした。
 「早く食べてよね。終わったら何をしようかな。」
 そんな瀬人の思いを知るわけでもなく、モクバは今日1日どのように過ごすか、予定をたてることに夢中になっている。実際、軽井沢の別荘に来て以来、モクバの体調は良かった。喘息の発作も出ないし、熱が上がることも無い。何よりも瀬人を独占できることが嬉しくて仕方が無いのだ。東京にいるときは兄は何かと忙しくて、長い時間話すことが出来ない。それでも瀬人は時間の許す限り側にいてくれていた。モクバはそんな兄が大好きだった。と同じくらいに感じる寂しさがモクバの心を占める。
 この身体がもっと健康なら兄を悩ますこともなかっただろう。父は仕事に忙しく屋敷にはめったに帰ってこない。死に別れた母の記憶は全く無かった。たびたび体調を崩すたびに、側に居ていてくれたのは瀬人だった。モクバにとって瀬人は兄であり友であり、そして母親であったのだ。
 瀬人もモクバの気持ちは十分に理解している。弱い体への苛立ちも、寂しさも。だから誰よりも愛しい弟の為に出来ることをしようとしていた。
 「そうだ!兄さま。久しぶりに絵を描きたいな。ここから見える庭は綺麗だからさ。」
 瀬人はモクバの言葉につられるかのように庭に視線を馳せる。開いた窓の向こうには、玉砂利の白が眩しく映える庭がある。
 植えられた木々の深い緑と、清涼な風。
 「そうだな、軽井沢に着いてから筆をとっていないしな。いいだろう。ただし無理は絶対に駄目だ。絵を描くのは思った以上に体力を消耗させるからな。」
 モクバにはそう言ったが瀬人も描きたくて仕方ないのだろう、食べるのはそこそこに部屋からスケッチブックを持ってきた。一冊をモクバに手渡すと、縁側に腰を降ろして手入れされた庭を眺める。
 「…!」
 ここからだと、嫌がおうにも瀬人の視界に奥の部屋が入り、片隅に追いやっていた光景が蘇ってくる。
 その淫らな思いを振り切るように白い紙に集中しようとするのだが、
 「…兄さま?どうしたの?」
 気がつけば、隣に座っているモクバが心配そうに覗き込んでいる。
 「具合が悪いの?全然描けてないよ。」
 ハッと我に返り手元のスケッチブックを見るとそこには何も描かれてはいない。
 忘れようとすればするほど、生々しいまでに浮かびあがってくる映像。視線は奥の部屋から離れなかった。
 「ちょっと散歩に行って来る。」
 ここにいては駄目だ。と、瀬人は立ち上がった。モクバの僕も連れて行ってとの言葉を聞くことも無く、部屋を後にする。


 屋敷を出た瀬人は舗装されていない林道を歩いていた。
 どこに行く当てはないが、森の深い緑と清らかな空気に身を任せて、足の赴くままに歩みを進める。
 瀬人は運命に引き寄せられるかのように、祖父が話していた湖に向かっていくのだった。
 生い茂る草を掻き分けて、人一人通れるほどの小道を行くと、突然視界が拡がる。
 
 その名も無い湖は美しい。
 鏡面のような湖面に抱くのは山の頂と青い空と緑の木々。湖岸には梅や桜、もみじが生えていて、春は淡いピンク。夏は深い緑。秋は燃えるような紅。冬は雪景色の白。と多彩な表情を見せるのであろう。
 人の手が触れることの無い湖は、神秘的な美しさで神々しくもあった。
 瀬人は言葉が出ない。湖の持つ圧倒的な存在感に飲まれてそこに立つことしか出来なかった。

 ・・・・・?

 暫らく景色に見とれていた瀬人だったが、岸辺に先客がいるのに気がついた。
 「あの子は!!」
 瀬人は驚きのあまりに目を見開く。
 見間違えるはずのない金色の髪。白いシャツと紺色の半ズボンに身を包んでいる少年。
 まるで、風景に溶け込んでしまうかのように少年も湖を見つめていた。時折通り抜けるそよ風が少年と戯れて、金色の髪と白いシャツの裾を揺らす。湖を見つめるその青い目は湖面の青と相まって、その色を深めている。湖を眺める表情は穏やかで昨夜の妖しい気配は一切ない。

 ぱきっ。
 瀬人の踏んだ小枝が音をたてた。
 「………!」
 少年が物音に気付いて振り返る。こちらもまた驚いたようで固まったように動けず、手にしていた物が地面に落ちた。
 「あ…いや……その…」
 なんと声をかければいいのだろうか。瀬人が考えていると、突風が二人の間を駆け抜けた。
 「ぷぁっ…!」
 舞い上がる土ぼこりに、視界が奪われる。
 「……いない…?」
 瀬人が再び目を開いたときには少年の姿は無かった。
 風とともに姿を消した少年。瀬人は見事な退場の仕方に感心すると、少年の落としていった物を拾い上げた。
 「スケッチブック…」
 少年も絵を描いていたのか。瀬人はスケッチブックを開いた。
 「!!!!!これは……!」
 そこに描かれているものを見て、瀬人の身体に震えが走り抜ける。震える手で次々とページを捲っていく。
 「あの子が描いたのか……?」
 瀬人が驚くのも無理は無い。スケッチブック一杯に描きためられている数々の絵。風景画が中心だがあの少年が描いたとは思えないくらい上手い。繊細に描きこまれてどの絵も完成度が高い。しかも美しいだけでなく、躍動感に溢れていて1枚1枚から自然の息吹さえ感じとることが出来るようだった。
 瀬人も絵を学んでいる身だ、だからこそ少年の溢れる才能をいやというほど感じ取った。いや、少年の場合は才能という範囲に納まらないであろう。飛びぬけた才能は絵の神様に愛されたというほうがぴったりだった。
 「何者なのだ……」
 明らかに日本人とは違う異質な容姿。祖父たちの慰み者だと思っていれば、苦しいまでに見せ付けられる才能。瀬人は呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

 名も無い湖で、名も知らない少年との出会い。これが二人の人生を変える出会いになるとは誰が予想できただろうか。

       


やっと、続きを書きました。と、その前にごめんなさい。UPしたものを訂正するという禁じ手を使ってしまいました。物語の展開上どうしても必要なので訂正させていただきました。
「2」でしめるには短いかなと思いつつ、キリがいいのでここまでです。
あっ、モクバのイメージか違うとか瀬人が大人しいとか、思われた方も多いと思いますが(特にモクバ…ぜい口調がないから…)いいとこの坊ちゃん&病弱でかんべんしてくださいませ。
まだ、登場してませんが、遊戯もあんずも本田も静香も出てきますよ〜!
背景はまたまた、こちらでおかりしました。