傷跡.1              
       
傷跡.1



その人は

人に愛されることを知らなかった。

人を愛することを知らなかった。

深い心の底に真実を隠し

暗い闇の迷路をただ歩むしかなかった。

あの人と出会うまでは・・・

1.受け入れられない日常の中で

 町が夜の帳に沈むころ、人気のない公園に一人の少年がたたずんでいる。
 心もとない外灯の下で手の中にあるものをじっと見つめている。まだ暖かかった。
 友人である遊戯の母親からなかば強引にもたされたおかずのお裾分けだ。中身は肉じゃがだった。何も変哲のない料理。
 普通の家庭なら定番メニューのひとつだ。世間の女性はこれで男を落とすと豪語してはばからない。タッパー越しに伝わってくる暖かさが、遊戯の家庭環境を表しているようだ。
 城之内が切望してやまない家族像がそこにはあった。
 もうとっくにあきらめたもの。手の中からすり抜けて二度と戻らない日々。今となっては母親の顔さえよく思い出せない。母親の作った料理の味はどんなんだっただろう。
 「ざまーねーな。」
 はき捨てるような言葉が口から出る。学費を捻出するために日々新聞配達に精を出す姿は哀れに見えるのだろうか?
 タッパーの中に詰まっていた、肉じゃがを植え込みの中に捨てる。甘辛いような香りが、城之内の鼻についた。
 「うっ・・・げっ・・」
 急に嘔吐感がこみ上げてきて、さっき遊戯の家で食べたお菓子やジュースを吐きだした。まるで城之内の自身が「幸せな家族」を拒むように。胃の中の物を吐き出しながら城の内の目に涙が滲んできた。喉から手が出るほど渇望している「幸福」に拒絶反応を示す自分の心。統率の取れないちぐはぐな自分自身に苛立ちながら砂利を握り締めた。
  「夕飯代浮いたと思ったのによ。まっいいか。」
 胃の中のものを全て出し切ると、城之内は乱暴に袖口で口元を拭う。
   タッパーを無理やりかばんに押し込むと夜空を仰いだ。日はとっくに暮れているのにも関わらず、夜空は地上の明かりに照らさせれて薄ぼんやりしていた。本当は輝いているであろう星の輝きを見ることはできない。
 城之内はそんな上空を見上げながら、ふと自分に重ね合わせた。
 真実はあまりにもか弱く遠くにあり、周りからの明かりでいやおうなしにかき消されてしまう。もう、自分自身でさえ見つけることは出来なかった。
 視線を下ろせば目の前には色とりどりの灯りが飛び込んでくる。昼の顔とは違う、欲望が滲み出している夜のドミノ町の顔。
 こんな俺にはお似合いだと城之内は夜の街に紛れていった。





 

 「ちーっす。」
 扉を開けると、そこは城之内の仕事場だった。ドミノ町のとあるマンションの一室。
 リビングには長身の男がいる。肩まである黒紙をひとつにまとめて、黒ふちのめがねをかけている。男は読んでいた雑誌を閉じると城之内を迎える。が、制服姿の城之内をみて顔をしかめる。
 「あ〜ら、かっちゃん。今日は早いのねえ〜って、また、制服できたの?だめよ。ちゃんと着替えて来ないと。第一困るのはかっちゃんなんだから。」
 城之内はばつの悪そうな顔をしながら部屋の隅にかばんを置く。
 「チーフごめん。今まで、友達の家にいたんだ。直行できたからさ。」
 そういいながら、テーブルの上にあるシフト表に目を通す。
 「あれっ?今晩は一人かあ…場所は…あぁVIPね。」
 「し・か・も・お初の上、上客よ。サービスして常連になってもらえるようにがんばんないとね。だから、今日の予定は一人なのよ。」
 「まだ、時間まで3時間もあるじゃん。これなら、もう一人…」
 城之内は恨めしそうに、チーフと呼ぶ男を見上げる。男は困ったように肩をすくめると、手にしたコーヒーを城之内に渡す。
 「それくらいの上物なのよ。あんたには素性は教えられないけど、先客との疲れを引きずったまま、相手をしてもらったらこっちが困るのよ。とにかく今日の予定はそれだけ。それに、もうすく中間テストなんでしょう?空き時間に勉強デモしたら?なんなら、見てあげようか?赤点とったら、また、お仕事の時間へっちゃうわよ。」
 城の内は手にしたコーヒーカップをテーブルに置くと、がさがさとかばんの中から教科書を取り出した。
 「サンキューチーフ。わかんないところがあったら、聞くよ。」
 「なーんて、わかるところがあるのかしら?」
 「ちぇっ。いーよ。一人でやる。」
 城之内はぷうっとほほを膨らませると、教科書をめくり始めた。男もまた、読みかけの雑誌を手に取る。

  ここは、城之内の夜のアルバイト先。いわゆる出張型の売春宿。しかも、男が男の相手をする特殊なところだ。お相手は政治家や会社役員などの地位も名誉もあるものたちばかりだ。城之内のように顔を出す者もいれば、携帯で予定を聞き直接アルバイトに励むものもいる。そしてここにいる男は監視役。優男風の外見やおねえ言葉はこの男が装っているに過ぎない。その証拠にめがねの下の眼光は鋭い。

 しずかな部屋には雑誌のページをめくる音と…城之内の寝息だけが聞こえてくる。
 男はすっかり夢の世界に旅立ってしまった城之内の顔を覗き込んだ。
 もう、高校生だと言うのにその寝顔はとても幼い。6年前に父親に連れられてはじめてこの部屋にやってきたときと変わらなかった。
 男はふとそのころを思い出した。ろくでなしの父親に売られてきた不幸な子供。そんな子供はいやというほど見てきたし、けして同情はしなかった。しかし、城之内は他に見てきたものとはどこか様子が違っていたのだ。
 夜毎、男たちの慰み者になろうとも、どんなに汚されようとも、けして輝きを失わないその琥珀色の瞳。この、金と欲にまみれた世界でなお光を放つ存在に男は惹かれずにはいられない。
 こんな感傷的な気分になることに男は驚く。こんな子に深入りするなんて・・・この子は大事な金の卵なのよ。と自嘲的な笑みを浮かべると男は部屋の照明を落とした。
 きっと他のバイトでつかれているのだろう。ほんの数時間でいい。休息をあてえてあげたかった。