傷跡.3



 「せ〜ふ。」
 始業前の教室に城之内が駆け込んでくる。いつものように家から走ってきたのだろう、息が乱れていた。
 「お〜今日は間に合ったね。」
 「また、遅刻かとおもったよ。」
 「へへ〜わりい、わりい」
 いつものように、遊戯たちが城之内を迎える。いつもの変わらない風景。
 万年寝不足の城之内にとって、朝の光に包まれている教室はまぶしかった。なによりまぶしいのは未来への夢と希望で輝いている遊戯達の姿。社会のヤミに紛れて生活の糧を得ている城之内にとって別世界の住人のように見える。
 杏子はダンサーになりたい夢を現実に変えるために努力しているだろうし、遊戯も本田さえ漠然とながらも将来の姿を思い描いているはずだ。しかし城之内には何もない。あるのは莫大な額の借金と、父親という重い足かせ。だからだろうか城之内はあるはずのない夢を語り将来への希望を持っているふりをする。城之内にとって学校生活こそが夢の世界なのだった。卒業と同時に醒めてしまうことがわかっている、残酷な夢の世界。その夢の世界を壊したくない一心で城之内は必死にしがみつき守ろうとする。

 その輪の中に解けこむように、歩を進めようとして城之内は異変に気づいた。いつもは空席の場に珍しく人が座っているのだ。周りの視線に動じることもなく、なにやら英語でかかれた雑誌を読んでいる。
 「あれっ?今日は朝から社長さんが出勤してるぜ。嵐でもきそうだな・・・」
 とは、口が裂けてもいえない。本当に嵐になるからだ。また、いつものように凡骨だの負け犬だのと痛烈な言葉が返ってくるのが落ちだ。城之内は気にしない振りをして後ろを通り過ぎようとした時、ふと、どこかでかいだような香りがした。
 「???」
 しかし、それも一瞬のことで気のせいだろうと城之内は遊戯たちとの会話の中に入っていった。
 「なあなあ、遊戯。放課後久しぶりにゲーセン行こうぜ。」
 「あれ、いいの?給料日前じゃない?」
 「臨時収入があったんだ。駅前のゲーセンに新作が入っただろ。一回、やってみたかったんだ〜」
 城之内は使い古した財布をうっとりとにぎりしめている。中は夕べの客が渡したチップでずっしりと重い。
 「臨時収入?パチンコでもしたのか?もしかしてかつあげだったりして〜」
 
中学時代からの付き合いの本田がからかう。  「なろっ、本田。朝から何言ってるんだよ。かつあげなんかとっくに卒業したし、パチンコはたま〜にしかやらねえぜ。健全な男子高校生だよ。」
 「たくよ〜パチンコやるやつのどこが健全な高校生だよ。」
 本田が呆れ顔で城之内のおでこをはじいた。
 「いて〜ぞ、本田。」
 城之内ははじかれた額を大げさになでながら、かばんの中からタッパーを取り出した。
 「遊戯、ご馳走さん。おいしかったぜ〜。やっぱり遊戯んとこの飯は最高だぜ。」
 「本当に?」
 遊戯の表情が一瞬曇った。
 「本当だってば、親父にやるのがもったいないくらいさ。」
 遊戯の表情の些細な変化を感じ取ったのか、城之内は言葉を続けた。本当は捨ててしまったのだから味なんて分かるはずもない。飛び切りの笑顔を作り感謝を伝えるしかない。
 (ごめんな・・遊戯・・)
 そっと、心の中で謝った。
 「・・・そう、ママにも言っとくね。きっと喜ぶよ。」
 城之内の気持ちを汲み取ったのか遊戯も言葉を合わせた。

 城之内はテレビや、新作ゲームの話など、ごくありふれた高校生の会話で盛り上がっている。遊戯たちと笑い会っている城之内はどこから見てもただの高校生だ。
 昨夜の城之内の片鱗もない。この、オトモダチは知らないであろう、城之内のもうひとつの顔を思い出すと海馬はのどの奥で笑う。
 始業のチャイムと共に担任が入ってきた。みなそれぞれの席についてゆく。海馬も読んでいた雑誌をかばんの中にしまった。退屈な授業も今日は気にならない。斜め前に城之内がいるからだ。まだ1時間目なのにかかわらずあくびをしながらノートをとる城之内。
 海馬はその後姿を眺めながら夕べの城之内の乱れる姿を思い出す。
 海馬の施す愛撫に敏感に反応する身体。快楽の波に流され上気した顔は黒い布に覆われていて、より艶めかしい。
 身体の奥深くまで貫き、思うがままに揺さぶった。こらえきれない声が海馬の耳に心地よく響いた。
 夕べの痴態を想像するだけで海馬の股間に熱が篭る。それに気づいた海馬は苦笑いをすると、振り切るように退屈な授業に耳を傾けた。

 2時間目は体育。
 その光景に生徒も先生でさえ固まっていた。
 1時間目から海馬がいることにも驚いたが、体育の時間にまで参加するとは誰も思っていなかった。いや、海馬もれっきとした高校生なのだから体育をして当たり前なのだが、いかんせん、相手があの海馬だ。ごく普通の体操着さえモデル張りに着こなしているさまを見て女子は自分たちの授業をボイコットしてサッカーの観戦に夢中だ。もちろん教師もあきれている・・・いや、あきらめていた。
 今日の授業は、サッカーだ。初めのうちは両者まみえての試合だったが、いつの間にか、城之内と海馬の一騎打ちになっている。城之内がドリブルで抜けようとするとすかさず海馬がブロックする。そんな光景がすでに2分くらい過ぎようとしていた。周りの生徒もあきらめモードで観戦を決め込んでいる。
 女生徒からは二人の一挙一動に黄色い歓声があがる。男子生徒は女子の声援を一身にあびる海馬に面白くないようだ。しだがって女子は海馬を、男子は城の内を応援していた。
 二人とも一歩も譲らない。いや、城之内が遊ばれているのだろうか?運動には自信のある城之内はどんどん剥きになっていった。
  「にゃろっ!ぜっていぬいてやる!」
 城之内はりょう頬を叩いて気合を入れなおすと、身体を低くして海馬をパスしようとした。
 その時また城之内にあの香りが鼻をついた。
 夕べの名前も知らない、客。
 抱かれながらかすかに感じたあの香り。
 「うわっ!」
 昨夜の事が一瞬頭をよぎり城之内の気がそれた。と同時に海馬とぶつかり、その挙句に派手にころんでしまった。
 「・・・くっ。」
   ぐきっ!
 ついでに足首の辺りからいなや音も聞こえた。
 (やべっ、捻った。めんどくせ〜)
 「大丈夫!城之内くん?」
 「はでにころんだ〜ね〜」
 と遊戯たちが駆け寄ってくる。城之内は砂埃を払いながら立ち上がると
 「こんなぐらい、どおってことないさ。つづきをやろうぜ。おれは今燃えているんだ〜!海馬に絶対勝ってやる!」
 「そうだね〜デュエルじゃ何年かかっても勝てそうにないもんね〜」
 と、バクラが隣で冷やかした。
 「だろっ?この、毎日の新聞配達や肉体労働でならした俺様が、カードおたくのへなちょこ社長に負けるわけにはいかないんだ。」
 「あと、けんかもだな。」
 すかさず御伽もちゃちゃをいれた。
 「城之内くん、お取り込み中水を射す様で悪いんだけど、保健室言ったほうがいいよ。ほらっ」
 変な転び方をしかのか、城之内の膝から血が滲んでいた。それもかなり広範囲を擦り剥いたらしく、所々小石で深く切ったところもある。じんわりと赤く拡がる血を見て遊戯が城之内を保健室へ行くように促す。
 城之内は心配そうに見上げる遊戯の髪をくしゃくしゃになでながら、
 「遊戯は心配性だなあ、これくらいどおってことないさ、つばでもつけとけば治るぜ。それより、海馬〜勝負・・・だ?」
 いつの間にか、海馬が城之内を見下ろすように立っていた。もちろん海馬のほうが城之内より背が高いわけだから必然的に見下ろされるわけだが、海馬の深い青い瞳に見つめられて城之内は戸惑う。

 うっ、やっぱりはらたつよなあ。黙っていれば美形の仲間に入るし、単位だって学校に来なくたってもらえるし、まあ、遊戯には劣るけどデュエルだって強いし・・・くっ〜思いつくだけ並べても情けなくなるぜ。やっぱこれだけは絶対!負けられねえ。身体能力だけは負けたくねえ。

「海馬〜勝負だ!勝負!」
 城之内がボールに向かって駆け出そうと一歩を踏み出すと、かくんと膝が抜けたようによろめいた。とっさにそばにいた遊戯に支えられて、再び膝を突くことはまぬがれた。
 不安そうな瞳で城之内を見つめる遊戯。
 あれ?変だなあ?
 城之内は首をかしげながら足元をみる。擦り剥いたところは多少痛々しいがそれだけのこと。喧嘩上等の日常生活を送っている城之内にとってはこれくらいの怪我は朝飯前のことだった。事実、骨折だって1度や2度ではない。つま先で地面を突きながら、骨折をしていないことを確かめた。
「城の内くん。やばいって、保健室いったほうがいいって。僕もついていくからさ。」
 城之内の事に関しては心配性になる遊戯が気遣う。
 「本当に平気だって。」
 城之内は保健室が嫌いだった。消毒液くさいところや保険医の同情じみた作り笑いが気に入らなかった。どうしても城之内は保健室に行くのをしぶる。

 そんな、遊戯と城之内のやり取りを見ていた海馬は深くため息をつくと、
 「俺が保健室に連れて行こう。おぶされ。」
 海馬は城之内に背を剥けしゃがむ。その場にいた全員が凍りついた。
 あの海馬がいつも凡骨だの負け犬だのとさげすんでいる城之内をたかが授業で転んだくらいの怪我で保健室に連れて行こうとしている。しかも、おんぶをしようとしていた。この状況に遊戯でさえ固まっていた。
 「かいば・・」
 肩越しの青い瞳に見つめられて、城之内は仕方なく海馬に身を預けた。校舎へと姿を消した二人。

 この日このクラスの者たちは奇跡を見た。天変地異がくるのではないか。いや悪い夢でも見たのだと、忘れようとしたのだった。
 そんな、クラスメイトの苦悩も知らず、とうの城之内は海馬の背中で揺られながら、海馬からかすかに香る香りと、背中の感触に夕べの情事の相手が海馬だったことを悟った。
(やっぱり、海馬だったんだ・・・まいったな。もち、海馬は俺だって気づいてるよな・・・)
 海馬の背に顔をうずめながら、顔が赤くなるのを止められなかった。

   海馬は城之内を背負いながら混乱していた。
 なぜ、こんなことをしているのだろう。
 背中から感じる暖かい体温が心地いい。背中にぬくもりを感じるのはモクバ以外は初めてだった。
 まだ、若い身でトップクラスの企業を背負い、海千山千の財界人や政治家と取引をしていく海馬にとって、他人に背を向けることはありえなかった。背を向けるということは敗北を意味するからだ。それ以上に海馬は他人と交わることを徹底的に拒む。他人に情を向けることが弱点にならないように。守るものはモクバだけで十分だ。
 肩にまわされた城之内の腕。ふとその腕に薄く残る一筋の傷跡が目に入った。
 一瞬何かが脳裏によぎる。しかし、それは再び記憶の中に混ざってゆきかき消されてゆく。

 ・・・・?

 「下ろせよ。もう一人で歩けるからさ。」
 授業中の廊下に城之内の声が響く。
 「すこしは静かに出来ないのか。小学生じゃあるまい。」
 「だ〜か〜ら〜、高校生にもなって、野郎なんかにおぶわれたくないんだよ。それこそ子供だっちゅ〜の!」
 「人の親切を無駄にするな。」
 「親切じゃねえ、迷惑だって言ってるだろ?お前、耳ついてるのか?」
 「あいにく、犬の言葉はわからない。」
 「だーっ!とにかくおろせよっ」
 なんだかんだ言いながら、海馬のペースに乗せられ、気がつくと保健室に着いていた。海馬は城之内を背負ったまま器用に保健室の扉を開く。
 扉の向こうにはこの世の不思議を見たような顔をした保険医がいた。持っていたペンが床に転がった。
 城之内は海馬の肩越しにその様子を見て、さらに顔が赤くなった。海馬にだけ聞こえるような声でつぶやく。
 「だから、降ろせっていったのによ。」
 保険医と向き合った城之内は見た目よりは派手に血が流れる傷の手当てを受ける。
 「ちょっと、しみるけどがまんししなさいよ。」
 消毒液で傷口を洗っていく。さすがに城之内もおとなしくしていた。

 膝に大き目のガーゼを当てられたころには、2時間目終わりを知らせるチャイムが鳴った。
 しばらくすると体育の授業を終えた遊戯たちが保健室に駆け込んできた。
「城之内〜痛くて泣いてねえか?」
 本田はいつものようにからかうし、
 「大丈夫?歩けるかい?今度は俺がおぶってやるぜ。」
 いつの間にか人格が交代している、もう一人の遊戯が必要以上に過保護になっている。どうやら良いところを海馬にとられて面白くないようだ。そんな遊戯にあきれるようにバクラが口を挟んだ。
 「遊戯君じゃつぶされちゃうよ〜」
 と、めいめいに言いたいことを言い、急に保健室が騒がしくなる。軽口を言いながらもみな城之内を心配しているのだ。
 「みんな、大げさだなあ。これくらいのことでさ。転んだだけだぜ?」
 城之内は照れるように頭をかく。
 「はいはい、次の授業が始まるわよ。教室に戻りなさい。」
 保険医に追い出されるように保健室を後にする遊戯たち。城之内もあとに続いて椅子から立ち上がると、振り返った保険医が
 「城之内君。ちゃんと傷口は消毒しなさいよ。この時期は化膿しやすいからね。出来なかったらここに来なさいね。」
 「へいへい。」
 片手を挙げてこたえる城之内。
 気がつけば海馬の姿はなかった。もちろん教室にもいなくて、どうやら会社に行ったようだった。
 (社長さんだもんな・・・礼を言いそびれたな・・)
 城之内は窓からKCのビルを見る。
(かいば せと・・・か)

 そして、その夜も城之内は海馬の指名を受けた。