這い上がれない谷底にいるような現実の中で 流されるしかない無力な俺 あの時交わした約束 「友達になろう」 かなうことのないまま時を重ね、過去に置き去りにされた約束。 二人の道が交わらなければ永遠に忘れ去られていたのに… 二人は再び出会ってしまった。
その日、夕方から降りだした雨は一向にやむ気配もなく、次第に雷も伴った嵐の様相をていし始めていた。
足早に帰宅する人の波に逆らうように、コンビニで買ったビニール傘を差して城之内は歩いていた。時折強く吹き付ける雨風にほとんど傘は役に立っていない。スニーカーもズボンのすそも濡れそぼっている。 放課後、遊戯たちと別れるとそこからはお仕事の時間だ。いつものように本日の予定を聞いて、城之内の気分はさらに重くなっていた。 昨夜の客が再指名してきた。チーフから「大物を捕まえたわね。」と褒められるが、城之内はうれしいわけがない。 「海馬の野郎・・・なにやってんだよ・・」 城之内はつぶやいた。 昨夜の客―――海馬であろうその姿を思い浮かべる。 今日の海馬の不自然な態度も、昨夜のことと繋げるとつじつまがあう。普段はまともに出てこない授業にも体育にまで参加したのだ。 誰にも知られてはならない、もう一つの顔を隠しながら学校生活を送っている、城之内の姿は海馬にはどのように映ったのだろうか。 馬鹿野郎 ちくしょう ふざけんな カードオタク 城之内は思いつく限りの悪態を並べながら指定のホテルへと向かうのだった。 「なんで、俺を指名したんだよ・・・」 城之内は消えいりそうな声でつぶやいた。 海馬は昨夜と同じホテルの最上階の部屋にいる。豪雨に滲む街の灯りを見下ろしながら、もうやってくるであろう城之内を待っている。 1度目は偶然。しかし、2度目の指名は海馬の意思だ。 海馬自身、この状況に当惑していた。 なぜ、指名したのだろうか・・・・ 窓に映る自分自身の姿を見つめて自問自答する。 なぜ。 といわれると上手く説明できないのだが、何かが引っかかる。海馬の記憶の片隅に追いやられている、何かとても大事なことが抜けているように思えてしかたなかったのだった。 ドアをノックする音が聞こえた。城之内が到着したようだ。 海馬は静に扉を開けた。 城之内の閉ざされた視界の中で、扉の軋む僅かな音と、微かに鼻腔をくすぐるあの香りがした。城之内は指名した見えない相手が海馬だと悟る。 城之内は促されることもなく、部屋の中へと入る。 (こんとこ、長居はしたくねえ。とっとと終わらせてやる。) 城之内は早く海馬の側から離れたい一心で、手早く身につけている洋服を脱ぎ捨てていった。 床に散らばる濡れた洋服。その洋服を辿ると城之内の肢体が海馬の目に映る。 怪我をした膝には真新しい包帯が巻かれている。体育の時間に見た以上に擦り剥いた状態が悪いのか、白い包帯に赤く血が滲んでいる。 「――――!!!」 突然、落雷の轟音と共に部屋が真っ暗になる。 停電だ。人工の灯りが消えた部屋は、時折差し込む稲光の青白い光に照らされた。 真っ暗な部屋の中、雷鳴と共に蒼く一瞬だけ浮かびあがる城之内の姿。 赤く血に染まる包帯。 落雷と停電。 そして、城之内の腕に残る傷跡。 「ともだちになろう。」 海馬の脳裏に施設での出来事が鮮やかに蘇ってきた。 「城之内克也くんです。今日からみんなの新しい友達です。みんな仲良くしましょうね。」 ここは、海馬が幼いころ預けられていた施設。 ホールには海馬のほかに、たくさんの児童が集合していた。 幼い瀬人の前には身体のあちこちに絆創膏をはって、半そでのシャツから出た腕や足を包帯で覆った金髪の子供がうつむいて立っている。その 身体中には新しいのから消えかけているのもふくめて、あざがいたるとこにあり、この少年が日常的に受けていた暴行を想像するにかたくない。 「ほら、かつやくんみんなにあいさつしましょうね。」 園長にうながされて、少年はようやく顔をあげると、 「じょうのうちかつやです。」 と、精一杯の笑顔をつくるとぺこり頭を下げ、そのままうつむく。 全身傷だらけの少年は、子供たちの目にも特異に映るのか、もしくは同じく虐待を受けた経験が思い出されるのか、ホールはざわざわとしたままだった。 城之内が来たその夜、海馬は弟のモクバとのチェスに夢中になってしまい、風呂が最後になってしまった。ねむりについたモクバをふとんに寝かせると、海馬は風呂場にむかった。 ガラッ、 「・・・っ」 もうだれもいないと思った浴室に小さな人影があった。体中傷だらけの金色の髪の小さな少年。名前はたしか・・ 「じょうのうちくん?」 瀬人が声をかけると、城之内がビクッと身をすくめたのがわかった。誰にも見られたくなかったのだ。あざだらけのこの姿を。瀬人はため息をつくと、 「包帯が濡れてるぞ。はずすとか、ビニールで包まないと後でしかられるぞ。」 「ほっとけよ。」 昼間ホールで会った時とは別人のような声。瀬人をにらみつける瞳は他人を拒絶する意思を発していた。 しばしにらみ合いがつづいたが、折れたのは瀬人だった。城之内は入所して間もない。この状況からして、簡単に他人に打ち解けるのは無理な話だ。 (今日は風呂は抜きか・・・) 瀬人があきらめようとすると、城之内の包帯が赤く染まってきているのに気づいた。 瀬人が城之内の腕をつかんだ。とっさのことに城之内は身構えることができなかった。 「おいっ、血がでてるぞ。医務室に・・・っ」 その手が振り払われた。 「さわるなっ!お前には関係ない。」 振り払った腕に巻かれた包帯が赤く染まっていく。今にも流れ出しそうだ。 「そんな問題じゃないだろう。傷口がひらいたかもしれないし。とにかく、行こう。」 もう一度腕を掴もうとしたところで、瀬人の頬に衝撃が走った。鉄くさい味が口の中に広がる。殴られたと理解するまでには時間はかからない。 「おれに指図するんじゃねえ。」 その琥珀色の瞳にはじめて感情が浮かんでいる。怒り?それとも警戒心。おそらく後者だろう。図鑑で見た野生の獣のようだ。けっして、群れようとしない孤高の存在。その瞳に魅入られそうになって、瀬人ははっとする。 せっかくの親切心を仇で返す仕打ちに、かっときた瀬人もお返しに一発お見舞いする。 広くない浴室に鈍い音がひびいた。殴った勢いで城之内の小さい体がタイルの上をころがり洗面器や椅子がひっくり返る。 「へへっ・・やるじゃん。でも、これくらいじゃ、きかねえよ。」 プッと血が混じったつばを吐き捨てると、城之内が瀬人に迫って来た。 それからはふたりの乱闘が始まる。殴られ、殴り。まわりに城之内の血が飛び散った。 まだ、第2次成長期を迎えていない城之内は海馬より一回りも小さい。なのに一歩も引かなかった。喧嘩の才能は天性のものなのだろうか。これまでの経験からなのか。 瀬人も喧嘩には自信があった。普段はトラブルを起こさないが、たくさんの子供といるとそれなりに腕力は必要なものなのだ。 しかし、城之内はこれまでの相手とは違った。それなりに場数を踏んだ瀬人でさえ、思わずひるんでしまいそだ。 城之内は笑っていた。まるで、この行為を楽しんでいるように。いや、喧嘩の意味がわかっていないのか。心のおもむくままにただ腕をふりおろしていた。 (こんなの・・・・しらない・・) したたかに殴られながら、瀬人は思った。真っ赤に色を変えた包帯を巻く腕から繰り出される拳はまったく躊躇というものがない。むしろ強い力が込められている。 (負ける?・・・この俺が?) 初めて瀬人に恐怖心が生まれた。 「何をしているのですか!!!」 派手な物音を聞きつけた大人達があわてて二人を引き剥がす。 城之内も我に帰ったようでやっとおとなしくなった。瀬人は荒い息をしながら床に座り込んでしまった。生まれて初めての敗北の経験に体から力が抜けてしまったのだ。 血だらけの浴室は映画に出てくるワンシーンのようだ。入り口には他の子供が集まっていた。あちこちに飛び散った血痕を見て何人かの女の子が泣き出した。 医務室で手当てを受けているふたり。 瀬人は特に心配はない。口と目の下を切ったくらいで、お仕置きとばかりに手痛い消毒をされた。 「…痛い。」 「当たり前よ。これくらい。男の子なんだから我慢しなさい。こうゆうのを自業自得というのよ。よくおぼえておいてね。」 瀬人はちらりと隣の城之内の様子を見た。包帯の下から現れた傷は見事にひらいている。刃物傷なのかぱっくりと口をあけた傷口が痛々しい。止血をしようとするが血が止まる気配はない。 この腕で殴っていたのかと思うと瀬人はあらためて異常さにぞっとした。 「城之内くん…今、救急車を呼んだからもう少し我慢してね。病院にいこうね。」 保護士は城之内を励ますように声をかける。 「あっ、大丈夫だから。こんなことぐらい慣れてるし、それにぜんぜん痛くないしさ。」 城之内の発言に医務室の空気が凍る。みんなの視線が城の内に集まった。 痛くない?そんな馬鹿な! 当の本人は周りの反応にきょとんとしている。瀬人は城之内から目がはなせなかった。 こんなに傷ついているのに、まったく無反応な身体。 遠くから救急車のサイレンの音がしてきた。 救急隊員に運ばれていく城之内。そして、残された瀬人には永い長いお小言がはじまる。 次の朝、食堂では夕べの話で持ちきりだった。主役の一人である瀬人の周りには子供たちが集まっていた。 「あいつはどうだった?やっぱり強いのか?」 「センコーが嘆いてたぞ、浴室がホラー映画だって。壁にも血が飛び散ってるんだってさ。」 「女子なんか風呂に入りたくないって言ってるぜ。」 「病院送りにしたってことは、瀬人が勝ったのか?」 子供たちの質問攻めも、瀬人の耳には届いていない。もちろん寝不足気味なこともあるが、心ここにあらず。風呂場での城之内の顔が目に焼きついて離れないのだ。拳が振り下ろされるたびに回りに飛び散る血の赤さ。城之内の琥珀の瞳の中にある狂喜。思い出すだけで、身体が震えてくる。 きっと、あのまま誰も来なかったら自分もこの程度の怪我ではすまなかっただろう。 (俺は負けたんだ・・・あんなやつに!) 悔しさが今になってこみ上げてきた。負けたという事実が瀬人の自尊心をゆらした。ぐっとテーブルの下で拳を握り締める。 ガラッと立て付けの悪いドアがあくと、昨日より派手に包帯を巻いた城之内が保護士に連れられて入ってきた。水を打ったように静まり返った食堂に彼の足音だけが響く。全員の視線が彼に集まった。城之内は表情を変えることなく、保護士に促された席に着く。 「さあ、朝食の時間です。残さずにたべましょうね。」 「いただきます。」 子供たちはそういうと、めいめい食べ始めた。 その日、城之内は一人だった。 誰も彼に近づかない。ちらちらと遠目で見るものの話かけるものはいない。保育士でさえどう扱っていいのかわからないのだった。それほど城之内からは他人を寄せ付けない空気が漂っているのだった。 窓ぎわの場所に陣取った、城之内は外を眺めている。 空を見ているのか、誰かを待っているのか? それとも、何も見ていないのか。その表情からは何も読み取れない。 時折吹く風が金色の髪を揺らす。 さらさらと。 モクバと相変わらずチェスをしている海馬。 どうしても、城之内が気になって仕方がない。何度もモクバに注意されるのだが、視線をそらせることはできなかった。 太陽の光を反射してきらきら輝く髪。微動だにしないその姿は呼吸をしているのかもあやしい。まるで彫像のように光の中にいる城之内はそのまま空気の中に溶けてしまいそうだった。 夜、夕方から振り出した雨は嵐になり、雷まで鳴り出した。 消灯の時間も過ぎ、子供たちはそれぞれの部屋で眠っている。 瀬人が自分の部屋で読書をしていると、ドアをノックする音が聞こえる。 「・・・・?誰だ?こんな時間に・・」 瀬人は首を傾げながらドアを開けた。 ドアの向こうには、枕を抱えた城之内がいた。予想もしない来訪者に瀬人は息を呑んだ。 「・・・・いい?」 城之内はそう聞くと、瀬人の返事を待つことなく部屋に入っていく。 「おいっ・・・まてよ・・・」 瀬人がやっと口を開いたとき、 どかーん 落雷だった。音とほぼ同時の閃光。そして、バチンという音と共に部屋の灯りが消える。停電。真っ暗な部屋の中、雨音と雷鳴だけが響いている。 「停電か。平気だ。すぐに回復するさ。」 暗闇の中瀬人は城之内に話しかけた。しかし、返事はない。 どれくらいそうしていただろうか、1分ほどで明かりがもどった。 机のライトだけのぼんやりと明かりが戻った部屋の中で城之内がうずくまっていたのだ。 呼吸が荒く、顔色は真っ青で、滝のような汗をかいている。流れ落ちる汗に気づくこともなく、がたがたと小刻みに震えて膝を抱えている。 何かの発作か?尋常でないその様子に大人を呼ぼうと、瀬人があわてて部屋を出ようとする。 その腕を城之内が掴んだ。 「・・・大丈夫だから・・このままで・・いい」 必死に呼吸を戻そうとしている姿からは、夕べの城之内につながらない。まるで、別人のようだ。 ギャップの大きさに瀬人はますます戸惑っていく。 ふーっと大きな深呼吸をすると、発作のようなものはおさまったようだった。 「わりい。俺、・・・には弱くて・・・もう、大丈夫だから。」 罰の悪そうに言うと、城之内は部屋を出て行こうとする。 今度は瀬人が城之内の腕を掴んだ。もちろん包帯をしていないほうの腕だ。 「どこに行く。まだ嵐は収まっていない。また、停電したらどうするの?とにかく雨が峠を越えるまで、しばらくここにいるといいよ。」 瀬人は城之内をいすに座るようにうながした。 城之内も少し考えたが、おとなしくしたがった。 椅子に座る城之内。瀬人もベッドに腰を降ろした。 両者とも無言のまま対峙する。 雨の音と風の音、雷鳴だけが部屋に響く。 それに耐え切れず口を開いたのは瀬人だった。 「どうして俺の部屋に来たんだ?」 「お前しか思いつかなかった。」 城之内の瞳がまっすぐに瀬人を見る。 「俺と喧嘩して負けなかったのはお前が初めてだから・・・そのっ・・・」 言葉をつなごうとしたとき、また、雷鳴が響き再び停電した。思わずせとに抱きついた。椅子が床に倒れる音が響いた。 小さく震える城之内。 その小さな体でどれほどの苦痛を感じてきたのだろう。苦痛を苦痛と感じないようになるくらい心が病んでしまっている。父親からの重なる暴行から身を守るために城之内は痛みを感じることを忘れてしまった。夏の暑さも冬の寒さも感じなければしのいでゆける。そうすれば寒さに凍えることも暑さに負けてしまうこともない。守ってくれるものは誰もいなくて、ただ一人でこの世の嵐を乗り切って行くために、幼くなんの力も持たない城之内が唯一見つけ出した自分を守る方法だった。 瀬人は城之内の髪をやさしくなでながらモクバをあやすように語り掛けた。 「怖くなんかないさ。雨がやむまでこうしてあげるよ。」 髪をなでるせとの手の暖かさ。硬く閉じられた心にそっと響いてくる声。 城之内のこわばった表情が揺るむ。 父親が借金を抱え両親のけんかと暴力で城之内の家族が壊れていった。理不尽な拳から逃げることも出来ずただ殴られるだけの日々。増え続ける傷の痛みはいつしか感じなくなったが、反対に暗いところが怖くなっていった。見えないところから父親の殴る腕が、蹴り上げる脚が出てきそうな錯覚にとらわれた。きっかけは気を失うまで殴られたあげく押入に閉じこめられたからだろうか。目を開いても何も見えない空間の中で叫ぶ。「ごめんなさい。ごめんなさい。」と。恐怖の余り失禁し、押入の仕切りを開けることも考えつかないほどパニックになりながらもひたすらに許しを請うた。 城之内は何一つ変わらないのに友達は離れていく。他人からやさしく語りかけられたのはいつ以来だろう。ずっと待っていたんだ。誰かが手を差し伸べてこの闇の中から救い出してくれることを。 城之内の目から涙が流れ落ちる。瀬人にぎゅっと抱きついた。パジャマを握り締める。 「友達になろう。」 城之内が落ち着くのを見計らって瀬人は小指を出した。 「ああ、そうだな。この俺に勝とうとするやつなんてお前くらいだよ。」 照れながら笑い同じく小指を絡める城之内。その顔は年相応の笑顔だった。 その一日は二人にとって忘れられない日となった。 片時も離れずにいる二人。食事のときも眠りにつくときさえ。二人ともこの時間が続くと信じていた。 しかし、幸せな時間は続かない。 次の朝、城之内の父親が迎えにやってきたのだ。 へらへらと卑屈に笑いながら、城之内を引き取ってゆく父親。 再び始まる日々を冷静に悟った少年は振り返ることなく施設を出て行った。 父親に手を引かれ小さくなってゆく、後ろ姿を瀬人はいつまでも見つめていた。 友達になろうと言ったのに。友達になれると思ったのに。 自分たちの力ではどうにもならない理不尽な別れにただうつむくことしかできなかった。 とうとう、出てきました海馬と城之内の過去。ちょっと城之内かわいそうかな?と思いつつ、これくらいが城之内にあっていると思うのは私だけ? 誤字脱字はみのがして〜。感想なんかあったらうれしいな… 傷跡4の背景はこちらからおかりしました。 |