どのくらい、そうしていたのだろうか。数十秒か数分?どちらにせよ海馬に眠っていた記憶を呼び覚ますには十分な時間だ。
鈍い音と共に部屋に灯りが戻る。
初めて出会ったときから何か気になる存在だった。
遊戯の腰巾着としか見えない、事あるごとに噛み付いてくるうるさいだけの人間
無邪気にカードゲームに熱中する世間知らずの生意気な奴。ごく一般的な家庭環境で苦労なんてしたことのない甘ちゃんだと思っていた。
しかし、その陽気な笑顔と対照的に、時折みせる暗い表情。
そんな城之内を見るたびに海馬は苛立っていた。気に入らなかった。
何故、城之内が気に入らなかったのか。何故、城之内に苛立っていたのか。
今なら理解できる。それは、思い出すことの出来なかった自分自身への苛立ちだったのだ。
いつのまにかトランクス姿になっていた城之内が最後の1枚を取り払おうとしている。海馬は手を添えてそれを止めさせると、椅子を持ってきてそこに座るように促した。
「・・・・?」
城之内を座らせると海馬は足に巻かれた包帯に目をおとした。膝から脛にかけて巻かれた白い包帯に滲む赤い血。
(捻挫もしていたのか・・・)
包帯ばかりに気を取られていたが、足首が赤黒く腫れ上がっている事に気づいた。昼間は靴下に隠されて判らなかったが、変な捻り方でもしたのか内出血をしているようだ。
(なんて奴だ。鈍感にもほどがある。)
海馬はため息をつくと、フロントに薬箱を持ってくるように指示をする。もちろん城之内に聞こえないような小さい声で。
程なく薬箱が部屋に届けられた。ボーイが医者を呼びますかと尋ねるが、海馬は心配無用だと城之内の身に着けていた服を洗濯してくるようにとボーイに渡した。
入り口のほうで聞こえる話し声。部屋を歩く足音。とバスルームから聞こえてくる水音。
昨日とはうってかわり、いっこうに抱こうとしない海馬の行動が理解できない城之内は閉ざされた視界の中で苛立ちがつのる。
「なに、勿体つけてるんだよ。とっとと気持ちよくなって終わらせようぜ。」
足をぶらぶらさせながら、声を荒げる。
城之内の子供じみた悪態に耳を貸さず、海馬は水を張った洗面器を片手に城之内の足元にしゃがんだ。
(この俺が膝を折ることになろうとは。)
カイバコーポレーションの社長として、他人の為に膝をつくなどとプライドが許さなかった。しかし、それはちっぽけなプライドだと簡単に折ってしまう城之内の存在に海馬は唇を歪めた。
(まずは冷やさないと・・・な)
城之内の足をそっと水の中に浸す。
「うわっ!!なにすんだよ!!」
予想外の出来事に立ち上がろうとする城之内。洗面器の中から跳ねでた水が毛足の長い絨毯に吸い込まれる。
「余計なことしないでよ、早くやろうぜ?俺はそのために来た・・・・っ」
城之内はそれ以上言葉を紡げなかった。肩に置かれた海馬の手の力の強さに反抗することが出来ず再び椅子に座ることとなった。
「・・・くそっ・・!」
ふてくされながらも、おとなしく従った城之内に満足すると、海馬は氷を足してさらに足を冷やす。
遠くで聞こえる雷鳴と吹き付ける風の音の中、二人の間に穏やかな時が流れる。
海馬は手馴れた様子で傷を消毒し、新しい包帯を巻きつけてゆく。
傷に負担のないように注意しながら、手当てをする海馬の整った指先。
冷たくなった指先が熱を持つ足に触れるたびに城之内の気持ちが揺れる。
(…悪くないかも…な。)
海馬の意図していることが理解出来ないが、悪い気はしない。海馬の普段からは想像の出来ない柔らかなしぐさに城之内の緊張がほぐれてゆく。
皮がめくれて赤い上皮が見えている。想像以上にひどい傷に顔をしかめながら、一向に痛がる素振りを見せない城之内に驚きを隠せない。
改めて城之内の身体を見ると、新しい物から古いもの、刃物で切られた腕の傷はもちろんのことタバコを押し付けられたやけどの跡が無数に散っている。
初めて会った時の様に真新しい物はないにしろ、売春をしているのだ。暴力を伴った外的虐待が性的な虐待に変わっただけのことに過ぎない。
おそらく、施設に預けられた時から何も変わっていないであろう城之内の置かれている状況を想像するにたやすいことだった。
ともだちになろう
海馬の中で幼いころの城之内と交わした約束が響いた。
海馬は城之内を抱きしめる。あの夏の日の夜のように。
腕の中に納まる華奢な身体。必要最低限の食事は取れているのかさえあやしいほど、無駄な肉はない。
頭をなでると柔らかな質の髪が指先に心地よく絡まる。
「…ん…」
とっさのことに城之内は微かに身じろぐが、されるがままに身体を預ける。海馬の胸に顔をうずめると瞳を閉じ規則的な鼓動に耳を傾けた。
一体どれくらいの苦痛をその身に受けてきたのだろうか。
苦痛からその身を守るために心と身体を切り離した城之内。
しかし、その代償は大きなものだ。
痛みを感じるということは=生命の危機を知らせることであり、今の城之内なら、なんの苦痛を感じ取るとることのないまま、命を終わらせることになるだろう。
おそらく、幼いころから「死」と隣り合わせの生活を送ってきた城之内は「死」の恐怖さえ感じなくなってしまったのだった。
人は城之内を弱い人間だというだろうか。
現実から逃避し、抗うことをしないのが悪いと攻めるのだろうか。
海馬はそうは思わない。過酷な環境の中、ここまで命を繋いできた城之内は強い人間だ。きっと海馬なら耐えることは出来なかったであろう。
城之内の芯の強さを悟った海馬は同時に自分自身の弱さを知る。
対等でありたい
弱肉強食の資本主義の社会に身を投じ、勝負の世界にいる海馬にとって「対等」など考えたこともない。常に上か下か。強者か弱者か。勝ちか負けか。それだけだ。
デュエルの世界で肩を並べる遊戯でさえ、上手く言葉を使えば「好敵手」だ。「対等」などありえない。
たった2日間で城之内の存在が大きく変化していった。
ただの目障りで五月蝿いだけの奴だったのに、どうしようもなく気になって仕方のない存在に変わる。そして、今現在は対等でありたいへと。
今も二人の間にある黒い布が象徴しているように、生活環境も社会的立場も大きく違う二人だ。同級生でデュエリスとでなければ言葉を交わすこともなく、大人になっていっただろう。
城之内に同情し、城之内の世界に下りていくわけでもなく、海馬の世界に引き上げるわけでもなく、お互いの立場や人生を認め合って「対等」な関係になりたいと思った。
この、不可解な感情をなんと呼べば良いのかまだ分からなかった。
(そういえば、初めて会ったときもこんな夜だったな…)
城之内は海馬に身を預けながら、ぼんやりと施設での嵐の夜のことを思い出していた。些細なことから喧嘩をして、友達になったあの夜。
海馬との出会いがあったからこそ城之内は今日まで生きてこれたのだった。
高校で再会したときには、海馬は城之内のことをあの約束を覚えていなかった。
城之内もまたそんな海馬に苛立ちワザと憎まれ口をたたく。全ては城之内がそこにいることに気づいて欲しかったからだ。
しかし、仕事やカードのことしか考えていない海馬には城之内の言葉にならない叫びは届かなかった。城之内がデュエルを始めたのも海馬に気づいて欲しい一心からだった。。
そして今、あの夜のような心地いい腕の中にいると、もしかしたら海馬が約束を思い出してくれたのではないかと感じて仕方が無い。
(瀬人、俺に気づいてくれたか?俺はここにいる。あのころのように綺麗なままじゃないけどな。早く、この目隠しを取ってくれ。そして、馬鹿なことをするなと俺を叱って…助けてくれ…助けて…)
城之内の腕が助けを請うように海馬の背に回された。
ぎゅっとしがみつく城之内。あの夜と変わらないに城之内のしぐさに海馬は二人を隔てている黒い布を取ってしまいたい衝動にかられた。
布を取り払い、昔のことを打ち明ければ城之内と友達になれるだろうか?
城之内を救ってやることが出来るだろうか?
海馬の手が布の結び目を解こうとした時。
部屋に響く呼び鈴の音。洗濯に出した洋服が届いたようだ。
我に返った海馬が洋服を受け取るために、しがみつく城之内から強引に離れた。一人取り残される城之内。
(瀬人…)
海馬を求める城之内の腕が宙を彷徨ったが、やがて諦めるようにおろされた。
(…だよな…子供のころの約束なんて覚えてるはず無いよな…なに期待してたんだろう…)
自嘲する笑みを浮かべると椅子にもたれ掛かった。
(あいつは客だ。俺は男娼。SXEして金をもらう。それだけだ。)
そして、城之内は助け求めることを心の奥底に沈めた。もう2度と空しい思いはしたくなかった。
こちらに海馬が近づいてくる気配がする。と同時に何かが渡される。まだ、暖かい城之内の洋服だ。
「はぁ?」
服を着ろといっているのだろうか?夜はこれからだ。まだ、仕事は済んでいない。
戸惑っていると、頭からシャツをかぶされた。
「ちょ、ちょっとまてよ!まだSEXしてねーぞっ」
騒ぐ城之内を無視して海馬はシャツに腕を通す。
いっこうに聞く耳を持たない海馬の態度に城之内の頭に血が上った。立ち上がり、海馬を押しのけた。
「だーっ!てめえは何考えてんだよ。俺はここに仕事に来てんだ。SEXだSEXするぞ。」
ワザと直接な表現をして、再びシャツを脱ごうとする。
(この、馬鹿が。)
海馬は城之内の腕を引っ張ると部屋を横断する。
「おぃっ、どこに行くんだよ。」
見えない視界の中で腕を引かれるままに歩く城之内。バスルームかベッドに行くと思っていた。しかし海馬は城之内を部屋から追い出した。
明らかに室内とは違う気配。そして扉の閉まる音。ご丁寧にも鍵までかけられた。
全く理解できない海馬の行動。城之内は目隠しをとると、扉を叩き、中にいるであろう海馬に怒鳴る。
「こらっ、てめえ!ふざけんじゃねえ。俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!俺は仕事に来てんだぞ!!中に入れろよっ!」
しかし、どんなに怒鳴っても、扉を叩いても返事は無かった。
「くそっ、ふざけやがって…」
騒ぎ疲れたのか、どんなに待っても海馬はドアを開けることは無いと悟った城之内は廊下に投げ出されたズボンをはく。
(…何だ?)
そしてポケットが膨らんでいるのに気がついた。中を探ると束になって折られた万札が出てきた。
「馬鹿にしやがって!」
ぐしゃっと札束をにぎり潰すその手がわなわなと震えていた。
(お恵みのつもりか?俺はそこまで落ちちゃいねえよ。)
城之内は金を廊下に叩きつけようとする。しかし、掲げた腕が振り下ろされることはない。
金だ。城之内が夜毎男に抱かれるのも、父親が暴力を振るうようになったのも、家族が離れてしまったのも、全ては金のせいだ。
城之内が喉から手が出るほどに欲しい、金。
手の中にある額だけで父親がつけにしている飲み屋の代金が払える。滞納している家賃が払える。金に縛られる生活を送ってきたからこそ、金のありがたさが身にしみていた。
「くそっ」
欲してやまない金だが、受け取ることはプライドが許さない。城之内は思いっきり札束をドアに叩きつけた。
廊下に散らばる金。城之内は振り返ることなく、ホテルを後にするのだった。
閉じた扉に背を向けてた海馬は城之内の怒鳴り声を聞いている。
しがみつく城之内の震える手の感触がまだ背中に残っていた。
「これで、良かった…のか?」
城之内を帰して良かったのか海馬は迷っていた。あの時ボーイが来なければ今頃、城之内を攻め立てていただろう。それは避けたかった。
城之内を否定することにしかならないと思ったからだ。
城之内の深く暗い闇をこれ以上大きくしてはならない。
あの施設で出会う前も、別れてからも、城之内はどのような人生を歩み、生きてきたのか?
海馬も何も判らないままに城之内の全てを背負いきれるほど、大人ではなかった。
海馬は携帯を取り出す。
「…磯野。至急城之内の身辺調査をしろ…期限?至急だ。」
磯野の困惑したような声をさえぎるように携帯を閉じると海馬は扉にもたれ掛かり深く息をつく。
結果的に城之内には今以上に憎まれるかも知れないな。
気がつくと嵐はさり、雨によって洗われた夜空には星が浮かんでいた。
しかし、城之内との嵐はこれからだった。
やっと、ここまで来ました。これからの展開で海馬の城之内に対する気持ちをはっきりとしたかったので、だらだらと書いてしまいました。
「対等」夫婦も恋人との関係もこうあれば良いなという貴腐人の願望です。お互い長所も短所も認め合ってこそいい関係が作れるのではないかと思うので。
現実問題としての反論は置いておいて、男×男ならなおさらだと思います。海城は「対等」で「ラブラブ」支離滅裂?ですがこれを基本にしたいですね。
とはいえ、まともなエロもなく進む話ですみません。次はありますからっ(汗)
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