傷跡.6



その日はまた朝から雨が降り出して気分は最悪だ。梅雨独特の肌に張り付くような湿気がうっとうしい。

昇降口でコンビニのビニール傘を畳んで靴を履き変えていると、後ろから遊戯が追いついてきた。
 「おはよう。城之内くん。」
 変わらない遊戯の声。
 「よお、遊戯。」
 「うわっ、どうしたの、その顔!」
 振り向いた城之内の顔には明らかに殴られたであろう傷があった。まぶたと頬が幾分腫れているように見える。
 「また、けんかしたの?」
 遊戯が心配そうに顔を覗き込んだ。
 「まあ…な。そんなにひどいか…俺?」
 「うん。今までで5番以内に入るよ。」
 「まじ?」
 「うん。」
 あれから、海馬に部屋を追い出された城之内はどこに行くともなく街を彷徨っていた。
 気晴らしに立ち寄ったゲーセンで中学時代から因縁の尽きない蛭谷らのグループと鉢合わせしたのだった。
 いつもなら蛭谷の挑発に乗ることは無いのだが、海馬との一件で虫の居所が悪い城之内はまってましたと喧嘩を買ったのだ。後はお決まりのコース。人気の無い路地に移動すると、蛭谷も含め5.6人を相手に海馬への思いを振り払うかのように暴れた。
 ただ、今回は足の怪我のせいか動きに切れが無かった。結果がこの有様だ。もちろん蛭谷たちには100倍返しにしてある。
 暗い路地で足元に転がる蛭谷たちの姿を思い出した城之内は、側に遊戯がいるのも忘れて薄く笑みを作る。
 「じょうの…うちく…ん?」
 遊戯の顔が強張った。無理もないその笑みには感情が感じられなかったのだ。無表情の笑み――こんな、城之内の顔は見たことが無かった。遊戯は思わず傘を取り落とす。ばさっと傘の落ちる音にはっとする城之内。
 「んぁっ、悪りい。ぼーっとしちゃったな。なあ遊戯、英語の宿題やってきたか?今日俺当たりそうだから、写させてくれよ。」
 遊戯の肩をぼすぼすたたく城之内。いつもの城之内だ。遊戯は見間違いだったのだろうと思うことにした。
 「エーっまたぁ?たまには自分でやってきなよ。」
 「無理、無理、俺はバイトで忙しいの。今時、貴重な勤労少年なんだ。」
 胸を張りながら自慢げに話す城之内の横顔を眺めながら、遊戯はため息をつくと、
 「仕方ないなあ。城之内くんにそういわれるとかなわないや。でも、僕もやってるだけだよ。正しいか保障しないからね。」
 「はは。それくらいがちょうど良いって。俺、ばかだし〜な。」
 隣を歩く遊戯に同意を求めるように、ウインクをした。
 「それって、僕のことの馬鹿だって言ってるようなもんだよ。」
 遊戯はぷうっと頬を膨らませた。
 「ま〜ま〜気にしないでさ。」
 相変わらず城之内は楽しそうに笑っている。
 そんな会話をしていると、教室に着いた。

     「……っ!!」
 教室に入ったと同時に海馬と目が合う。今朝も海馬が登校していたのだ。
 城之内から笑みが消えた。変わりに沸きあがって来るのは敵意と苛立ち。
 海馬の何もかも見透かしているような青い瞳で見つめられると城之内は落ち着かなくなった。いつもならなにかいやみでも言うところだろうが、今日はそんな気力も体力も持ち合わせていなかった。

 こんなときは無視するのが一番いい。いないことにしよう。
「遊戯〜ノート、写させてくれよ。」
 城之内が無視を決め込もうとしたのに対し、海馬は口元をゆがめながら城之内を見据えていた。
「くそっ…」
 城之内は気がついたら海馬を殴っていた。派手な音と共に海馬が床に倒れこんだと同時に女子の悲鳴が上がる。
 「・・はぁ・・」
 われに返った城之内が殴った拳を見つめて呆然と立ちすくんでいる。教室は水をうったかのように静まりかえる。
「城之内君!!」
 遊戯がそばに駆け寄ってきた。少し遅れて本田や杏子も来る。
「なにやってんだよっ!城之内!らしくないぜ?」
「あ・ああ…」
 城之内はまだ何をしてしまったのか、理解していないようだった。
 海馬が口元に手を当てながら起き上がる。青い瞳に見つめられて後退る城之内。
「…っ…悪い遊戯。サボるわ。ノートは後ででいいや。」
 そういい残すと城之内は逃げるように教室を後にした。
「城之内くん…」
 遊戯は城之内が出て行ったドアを見つめている。
 その横をすり抜ける海馬。
 「どこに行くの?海馬君、授業がはじまるよ。」
 「野良犬に咬まれたのだ。消毒してくる。」
 海馬はそう言い残すと、廊下に消えていった。

   はあ…はあ……
 城之内は屋上に続く階段を駆け上がる。始業を知らせるチャイムも聞いたし先生ともすれ違った。しかし、足を止めることなく、最上階にたどり着いた。
 外に出ようとして、雨が降っていることを思い出し、しかたなく踊り場に腰を下ろした。背中から感じるコンクリートの冷たさが心地いい。太陽の日差しを浴びることのないここは空気がひんやりとしていて、疲れきった城之内はすぐに寝息を立て始めた。

 しばらくすると、現れたもう一人の影。海馬だ。城之内が寝ていることに確かめると足音を立てないようにそっと、城之内のそばに寄り添った。
 膝を抱え、小さく背中を丸めて寝ている姿は、手負いの獣のようだ。
 獣は傷ついた身体を人目に曝すことを嫌い、ただじっとして回復するのを待つのだ。
 誰かに労わられることなく成長した城之内は本能に命令されるままに、傷ついた身体を休める。
 海馬の整った指が、城之内の顔にかかる伸びた髪をすくい、新しく着いた傷を確認する。切れた口元。擦り傷がある頬。目の下にもあざが出来ていた。
 「…馬鹿が。」
 海馬が頬をそっとなでる。
 「んっ……」
 城之内は相変わらず眠っているが体温の低い掌が気持ち良いのか、頬を摺り寄せた。
 「ふっ。まさしく犬だな。」
 城之内が聞いていれば真っ赤になって怒りそうなセリフだが、海馬の顔は満足そうに微笑んでいる。
 時間の流れが止まったような空間。海馬はこの穏やかな空気に浸っていたかったが、ポケットのなかの携帯が振動を始めた。
 「ちっ。あれほど、かけてくるなと指示しておいたのに。」
 舌打ちし、携帯を取り出しディスプレイを見ると、相手は磯野からだった。仕方ない、よほど緊急のことだろう。
 海馬は名残惜しそうに城之内の側から離れる。
 城之内の眠りを妨げないように階段を下りようとすると、半階下の踊り場にいる遊戯が海馬を見上げて立ちすくんでいた。
 「海馬、何故ここにいる?」
 その表情は硬く強ばっていた。いつもの柔らかな面影がない…もう一人の遊戯だ。
 「城之内君に何をした?」
 犬猿の仲だと思っていた海馬がここにいたのだ。手すりの鉄柵の陰になってよく見えなかったが、遊戯の見間違えで無ければ城之内を見つめる目にはいつものような棘の無く、微笑みさえ浮かんでいた。
 先ほどの教室での一件のこともあり、海馬と城之内に遊戯の知らないなにかがあるのではないかと遊戯は不安に陥った。
 「………」

 貴様らに何が出来るというのだ。じゃれあうだけしか脳のない、オトモダチに。

 海馬は無言で遊戯を見下ろすと階段を下りる。遊戯もまた一歩一歩近づく海馬を睨みつけた。
 「くっ…」
 海馬の行く手を遮るように立っていた遊戯だが、海馬の威圧感に押され道を譲ってしまった。
 「待て!海馬…!」
 遊戯が海馬を呼び止めようとするが、
 (ちょっと待ちなよ、もう一人の僕。城之内君の方が先だよ。)
 「あ…そう、だな。」
 遊戯が早足で階段を上る。城之内はまだ起きる気配が無い。規則的に寝息を立てていた。
 「城之内くん…」
 海馬は一体何をしようとしていたのか?遊戯も同じように城之内に手を伸ばす。

 バシッ

 と、その手が反射的に払いのけられた。
 「ゆ…うぎ?」
 眠たげな目をこすりながら城之内が目を覚ます。寝起きでぼうっとしている城之内は、側で頬をなでていたのが誰なのか、遊戯の手を払いのけたこともわかっていないだろう。
 無意識の拒絶。
 いつもの城之内とは対照的な反応に遊戯はショックを受ける。
 城之内はいつも遊戯の足りない部分を励まし、諭すように背中を押してくれていた。千年パズルと共に現れたもう一人の遊戯も臆することなく受け入れてくれている。と、思っていた。
 俺と海馬は違うのか?
 海馬より城之内と過ごす時間は長いはずだ。ゲームもデュエルだって遊戯が教えたようなものだ。城之内の笑顔は遊戯にいつも向いていたはずなのに、
 気を許しているのは海馬なのか?
 遊戯は唇をかみ締めた。
 「…ん――っん…ゆうぎ?」
 一瞬身構えたように体を強張らせたが、隣にいるのが遊戯と分かるといつもの城之内に戻る。
「起きたんだね。もう1時間目終わっちゃうよ。あんまりぐっすりと寝てるから起こせなくて。」
 城之内の拒絶がショックだったのだろう、もう一人の遊戯が落ち込む様子を見ていられなくて普段の遊戯が交代して出てきたのだ。
「マジ?爆睡かよ。」
 たまんねーなと髪を触りながら照れ笑いをした。ふと遊戯の顔を見るとそこには笑顔がない。きっと、さっき海馬を殴ったことを気にしているはずだ。
 (まじいな。)
 城之内は気まずい空気から逃げようと腰を上げた。しかし、遊戯に腕を捕まれる。
「なんで海馬君を殴ったりしたの?ぜんぜんらしくないよ。」
「・・・・・・」
 触れられたくないところを聞かれて返答に困る城之内。実際城之内自身がわかっていないのだから答えられるはずもなかった。
「なんでって言われてもなあ・・・」
 遊戯の真剣な瞳に見つめられて城之内も観念して口を開いた。どうやら満足のいく回答がない限りこの場から離してもらえなさそうだ。
「海馬くんが嫌いなの?」
 いきなり確信をつく遊戯。海馬と遊戯どちらがいいのかをはっきりと城之内の口から聞き出したい。
「べつに嫌いというわけじゃないけど・・」
「なにが不満なの?」
 こりゃ誘導尋問だよ・・と内心ため息をつく城之内。
「ほら、あいつは遊戯にしつこく絡んでくるだろ?じいさんは誘拐するわ、カードを盗むわ。挙句の果てには俺たち殺されそうになったんだぜ?いつもろくなことしねえしな。だからだよ。」
 ―――ちがう。おれのことをみてほしかったんだ。―――
「ほんと?ほんとにそれだけ?」
 まだ、疑っているようだ。いくら日ごろの行いが悪いとはいえ、理由もなくこちらから喧嘩を売ることはしないことを知っている遊戯だけにまだ腑に落ちないようだった。
「高飛車で何を考えているのか分からないだろ?性格も悪そうだし、とにかく俺とは生理的に合わない。」
―――そうじゃない。おれのことをわすれていることにはらがたつんだ。おれはひとめでわかったのに――
「人の好き嫌いは、そんなもんさ。な。」
 ―――かいばがこの学校に転校してきたときに一目で見つけたよ。すぐに見つけたのに――
「それだけさ・・・ほら、休み時間が終わっちまう。教室に戻ろうぜ!」
 城之内の心が痛む。遊戯にはこれ以上うそはつきたくなかった。
「そうだね。」
 遊戯もこれ以上詮索しても、真実を聞き出すことは出来ないだろうとあきらめた。

 教室に城之内と遊戯が戻った頃、海馬は車中の人となっていた。磯野からの連絡でシステム上のトラブルか、どうしても海馬がいなくては解決しない問題が発生したようだ。
 城之内のことが気がかりでならないが、仕事は放っては置けない。海馬の肩にはカイバコーポレーションの社員の命が乗っているのだ。今夜は社に泊り込みになるかもしれないと、雨に濡れる町並みを横目に社員に指示を与えるべく携帯を開くのだった。

 



 あわわわ。思ったより長くなってしまいまして、予告したとこまで入りませんでした。6.7を同時にUPしようとしていましたが、時間が空きすぎるのも申し訳ないので先にUPしました。すみません。
 やっと、W遊戯が出せたよう。と、もう一人の遊戯がヘタレすぎ!しっかりしなさいっ!と突っ込みながら書いておりました。
 あ、そうそうあまり関係ありませんが、何故季節が梅雨時期かというと、ただ単にこの話を思いついたのがちょうど梅雨だったから…もうかれこれ半年以上も妄想に浸っております。早く完成させて二人を幸せにしてあげたい。と思いつつ城之内にはもう少し(?)絶えてもらいますよ。
   背景はこちらからお借りしました。