ざーざーと雨の音がする。耳障りな音だ。
「……んっ…ぁれ…?」
見慣れた部屋。
まだ薬の影響が残る気だるい体で、辺りを見渡した。夜の明け切らないうすぼんやりした部屋はいつもの仕事場のマンションのようだった。
昨夜は数人がかりで犯されて俺は意識を飛ばしてしまったようだ。
気がつけばここにいるわけで。
「気分はどお?」
城之内の目が覚めてことに気がついたチーフがスポーツドリンクの入ったペットボトル片手に部屋の入り口に立っていた。
「ん〜あんま、良くない…」
ベッドから起き上がると、城之内は頭を掻いた。
ざーざーと雨の降る音が耳について仕方が無い。
「まだ、顔色が悪いかしら。飲む?」
チーフは城之内の顔を覗き込み、やつれた頬にかかる髪を指ではらうと、冷たいペットボトルを押し付けた。
「サンキュ〜もらうよ。」
城之内は一気に中身を胃に流し込むように飲み干した。
「うめぇ〜」
「そうそう、専務が喜んでたわよ。高く売れたんだって。」
口の中でいごごちわるく居座っていた男たちの精液をスポーツドリンクとともに押し流す。
冷たい液体がドラッグが灯した熱を冷ましてくれたようで、徐々に頭がすっきりとしてくるようだ。500mlを胃の中に収めると、大きく深呼吸した。
「さてと、配達に行くか。」
ぶるぶると身体を伸ばすと、ベッドから飛び出した。
「今日は休んだほうがいいんじゃない?」
チーフが心配そうに声をかける。
「平気だって!俺の飯がかかってるからさ。休めないよ。あっ、今晩もシフト入れといてくれよ。」
簡単に身支度をすると、スニーカーを引っ掛けて部屋を出る。
「大丈夫なのかしら…」
チーフはカチャリと閉まる扉の音を聞くと、窓から眩しい朝日を一身に浴びて走って行く城之内を不安げな表情で見送った。
ざーざー
雨の音かと思っていたのに、雨は降っていなかった。
雑音のような音は城之内の耳について途切れることがない。
昨晩のドラッグの影響が残っているのだと、抜けるまでの我慢だと城之内は極力気にしないことにした。
1時間目から、だるそうに机に突っ伏している城之内。遊戯が心配そうに声をかける。
「顔色悪いよ。城之内くん。風邪でもひいたの?」
「そんなことないぜ遊戯。バイトが忙しくてちょっと寝不足でさ。気にすんな。」
不安そうに城之内を見る遊戯に、心配は無用だと伝えるために、城之内は大げさに笑顔を作る。
「そう…城之内くんがそういうなら…ここのとこ、バイトが忙しそうだから…あんまり無理にしちゃだめだよ。」
仕方なさそうに同意する遊戯。
「わかってるって。」
いつもの笑顔で笑う城之内だが、そこには隠し切れない疲労が浮かんでいた。
本当は今すぐにでも病院につれていきたい。しかし城之内が素直に応じることはないんだからと遊戯はあきらめるしかなかった。
「それよりさ、俺、新しいデッキを組んで見たんだけど……」
「城之内、ちょっとこいよ。」
城之内がかばんからカードを取り出そうとすると、本田に腕を掴まれた。
「ぉおっ?本田?」
とっさの事に戸惑う城之内に本田が小声で、
「…また、キレルぞ。遊戯の前で……いいのか?」
「、、、、、、、、、ぁっ、、と、、」
「いくぞ。」
本田は強引に城之内を教室から連れ出した。
「のぁっ!、、、、遊戯、、、わりぃ、、こら!本田ぁひっぱんなって!」
本田に腕を引かれて教室から消える城之内を二人の遊戯は唖然と見送っていた。
「離せって!一人で歩けるからっ!!」
城之内は腕を振り払い、意外と強い力で掴まれて赤くなった腕を摩り、本田をきつく睨み付けた。
本田は、ふう、とため息をつく。
「どこがいい?屋上か?体育倉庫か?資料室か?保健室でもいいぜ。」
「ぐっ…」
本田のあきれた態度に城之内は返す言葉がない。
「もう、限界だぞ。どっかで寝て来い。遊戯の前でぶっ壊れたくないだろ?」
「んな、こと…ね…え…」
ざーざーざー
雨の音が止まらない。
雑音がして、本田の声が聞き取りにくい。
力なく首をふって、音を止めようとするが上手くいかなかった。
「保健室だ。」
今にも倒れてしまいそうな城之内の腕を再びとると、本田は保健室へと急いだ。
城之内の制服の下に隠された膝には白い包帯がまかれたままだった。普通なら乾き始めているはずなのに、この暑さのせいで、傷口が化膿してしまった。じゅくじくとふさがらない傷口を隠すように包帯を巻いている。
海馬に1度手当てをしてもらったが、それ以上に城之内の身体がつかれきっているのだ。単なるスリ傷さえ治すことが出来ないくらいに。
今朝からなんとなく身体が重い。昨夜のドラッグと3人を相手にしたせいだと思っていたが、膝は熱を持ってドクドクと鼓動を鮮明に伝えてくる。
そういえば今朝の新聞配達ではペダルをこぐ足に力が入りにくかった気がする。
これが、普通の人間なら即病院行きだろうが、城之内は保険に入っていなければ、病院にかかる余裕もない。いつものようにほおっておけばそのうち治るとたかをくくって放置していた。
城之内は気づかない。身体と精神が悲鳴をあげていることに。
その声はあまりにも心の奥に沈められているために誰にも聞き取れなかった。誰にも聞き入れられないからこそ城之内もきこうとしなかった。
本田はおとなしくベッドに横になる城之内に布団を掛ける。
「遊戯には上手く言っておくから、昼休み前には帰れ。2.3時間も休めばいつものようにもどるだろ?」
「…わりい。助かるよ。」
少し寝ればドラッグも抜けるだろう。この耳障りな音も消えるはずだ。城之内はおとなしく目を瞑った。
夕方、城の内にはいつものように仕事が入っている。
相手はVIP。
場所は例のホテルの最上階。
おそらく一番会いたくない人物だろう。城之内は重い足どりで指定のホテルに向かった。
(ばかやろう!指名なんか入れやがって。嫌がらせにもほどがあるぜっ。)
城之内は足元の小石を蹴飛ばした。
海馬は城の内に関しての調査書に目をとおしている。机の上には書類の他に数枚のディスクがあった。
書類を持つその手がかすかに震えているのに海馬はきづいているだろうか。
「よくここまで、生きてこれたのもだ…」
ある程度のことは海馬も覚悟していたが、そこにつづられている城之内の過去を目の当たりにすると知らず知らずのうちにため息が出る。
父親がだまされるような形で一般市民には到底返せない億を超える借金を背負わされたこと。そこから始まる家庭崩壊。酒とギャンブルに浸る父親。日常的に振るわれる暴力。妹だけを連れ逃げるように去っていった母親。荒れた中学時代のこと。最後には多額の借金が城之内の肩にのしかかっていた。借金返済のために身体を売る城の内。そして、その背後に見え隠れする組織のかげ。
典型的な不幸の連鎖がつつられている。
一通り報告書を読むと海馬は椅子に深くもたれ掛かった。
一体今まで城之内の何を見てきたのだろうか。
いや、何も見ていなかった。義父の影をひたすらに払うために仕事をしてきた日々。側にいたモクバでさえ目に入っていなかった。
追い求めたのは勝つか負けるか。
仕事にせよ、ゲームにせよ、それだけだった。
テーブルの上に投げ出されたディスクに目を馳せる。何が映されているのかたやすく想像できる。
扉をたたく音。
城之内がやってきたのだ。海馬は扉を開くと彼をまねきいれる。
やはり、黒の布で目隠しをしている城之内。
手を差し伸べたときの城之内の体温の高さに海馬は驚いた。
「シャワー使っていいかな。走ってきたから、汗かいちゃって・・・」
逃げるように浴室に入ると城之内は黒い布をはずした。
鏡に映る情けない顔。目の下にはくまができていた。
目隠しがあって助かったかも。少しでも表情を隠せるからな。
城之内にふっと、自虐的な笑いがこみ上げてくる。
なに、気ぃ使ってんだ・・俺・・・
そんな、想いをふっきるように城之内はシャワーをひねる。
ざーざーざー
保健室で休んでも音は消えなかった。それどころか大きくなる一方だった。
身体が熱いような気がする。火照る身体を鎮めたくてただひたすら水を浴びつづけた。
あと少しだけ、あと少しだけ…そしたら…出るから……しごとしなきゃ…
誰に言い聞かせようとしているのか、独り言をいいつづける。
ざーざーざーざー
シャワーの水音と耳鳴りが頭に響く。
「、、、、なんなんだよっ、、、くそっぉ、、、わけ、、、、わかんねえ、、、」
急に睡魔が襲ってきて、体から力が抜けてゆく。城之内は立っていられなくてその場にズルズルとしゃがみこんだ。
その時、浴室のドアが開いた。
開けた人物は城之内の予想通り海馬だった。視界が歪んでいるからはっきりと見えないけどグレーのスーツを着ているようだ。
へえ、まともな姿をしてるとかっこいいかもな・・・
あまりにも、らしい格好に、どうでもいいことが浮かんでくる。
「よお、、、久しぶりだな、、、」
重いまぶたを開くと、城之内は片手を上げる。
われながら場違いなあいさつだな、、、ごちゃごちゃ考えるのもめんどくせえや、、、どうでもいい、、、
「ああ、、、顔見ちゃったな、、、ごめん。」
鏡の前に置いておいた黒い布を取ろうと立ち上がるが、
「あれっ?」
立ちあがることが出来なかった。まったく体に力が入らないのだ。
海馬はその光景を見て立ち尽くす。
浴室特有の温度と湿度を感じることがなく、城之内が浴槽のふちにもたれかかるようにうずくまっていた。
こちらに気づき、手を上げる動作の緩慢なこと。ゼンマイの切れかかった人形のようだ。
先ほど感じた体温の高さといい、明らかに体調に異変をきたしているのだろう、海馬はあわてて城之内を抱き寄せた。
「水を浴びていたのか?なんて、無茶な!」
手にかかる水の冷たさに海馬は驚いた。
腕の中にいる城之内は震えが止まらない。いつもは桜色をしているくちびるも紫色になっている。
「おい、、、服が濡れる、、、ぞ。」
こんなときでも他人の心配をする態度に腹が立った。
しかし、ここで怒りを爆発させても仕方がないので、そばにあるバスローブで城之内を包むと抱き上げた。
「いいって、一人で歩けるから…!」
体をよじって抵抗する城之内だが、今の状態では海馬の力に勝てるわけもなく、部屋の中に運ばれて行くしかなかった。
城之内をそっとベッドに寝かせると海馬は携帯を取り出した。電話の向こうの部下にいくつか指示をだす。
熱のせいでぼおっとしていた城之内の意識が覚醒してくる。
「お〜い、かいばさまよお〜なにやってんだ〜、はやくやることやっちまおうぜ。」
熱のせいであきらかに呂律がまわっていない。
海馬に秘密の仕事がばれたことに、半ばやけになった城之内は喧嘩を売るように誘う。しかし、その呼吸は浅く荒い。先ほどは青かった顔色も今は熱によって赤くなっている。海馬はそっと額に掌を充て、その体温の高さに驚いた。
「うるさいぞ、凡骨。貴様は自分の体のこともわからんのか?医者を呼んでやるからおとなしくしていろ!」
「なに勝手なこと、してんだよ!んなっ金なんか持ってないぞ!」
あわてて、ベッドから起き上がる。こんな夜中に呼び出される医者の治療費はどう考えたって馬鹿にならない。後で請求される金額を予想するだけで気が遠くなりそうだ。
「こんな怪我くらいほっとけばなおるんだからさ、ただ転んだだけだぜ?」
「風呂場で意識を失いかけた奴が何をたわごとを。おとなしくしていろ。客の命令だぞ・・・貴様がどうしても拒むならこうしよう。これは今日のプレイのひとつだ。あきらめて治療を受けろ。」
「んな、ことあるか!めちゃくちゃだ!帰る!金はいらねえ!二度と俺を指名するなよ!」
城之内がベッドから立ち上がろうとするが…
「・・・?」
やはり、足に力がはいらない。
「くそっ…なんなんだよっ」
自分の体が思い通りにならないことにいらだちベッドに八つ当たりをする。
「ふっぁ、、、?」
海馬に後ろに倒されるともう起き上がることも出来なくなっていた。
(どうしたんだ…おれ…?)
城之内は体の変化に戸惑っていた。今までは、骨を折ろうが風邪にかかろうがなんともなかった。なのに、いまはどうゆうことだ?たかだが擦り傷くらいでこんなになっちまうのか?
「不安そうな、顔をしているな。医者が怖いのか?子供じゃあるまいし手でも握ってやろうか?それともキスでもしてやろうか?」
「いらねーよ」
城之内がふてくされて顔をそらすと、外で人の気配がした医者が到着したようだった。
「感染症からくる、発熱です。一晩点滴をして様子を見ましょう。」
医者と看護士が処置をしていく。
海馬はその様子を見ていた。
処置が終わると医者は海馬を呼ぶ。
「瀬人様、ちょっとよろしいですか?」
「・・・なんだ?」
医者は隣の部屋へ海馬を連れ出すと話をきりだした。
「彼には診療内科的な治療が必要かと思います。」
「なんだと?」
「瀬人様もお気づきなはずです。だから私を呼ばれた。」
呼び出した医者は瀬人の主治医だ。海馬が信頼している人間の一人だ。
海馬も剛三郎の養子になってから教育に名を借りた拷問のような仕打ちを受けていた。つらい日々に耐えかねてくじけてしまいそうな心を繋ぎ、また、剛三郎を死に追いやり罪悪感に悩まされていたときも側で支えていたのが彼だった。
「………」
海馬はいつものように言葉を返せない。図星だからだ。
「処置の時に感じましたがどうやら彼には痛覚というものの感覚に乏しいようです。先天的なものか……いや、後天的なものですね。とにかく適切な治療が必要です。」
「………何故、そう断言できるのだ?」
ほぼ予想通りの回答に海馬は戸惑い隠せない。開いたドアから見える城之内は薬が効いてきたのか眠りについている。
「彼の身体を見れば一目で判ります。消えかかっているものもありますが、体中にある無数の傷。彼は虐待を受けてきた。そうですね。」
「……」
そうだ、先ほどの報告書にもあったように、城之内は父親の仕事が上手くいかなくなった辺りから、日常的に暴力を振るわれていた。
「どうすれば、彼は治るのだ?」
「難しい質問です。根本的な治療はありません。」
「なんだとっ。」
あの頃の城之内はもどってこないのか?
「心の病気はやっかいなもので、外科のように切ったり貼ったりすることは出来ません。どこが悪いのか、何が悪いのか、原因がわかったところで治るともいえない。」
「………城之内」
海馬は城之内に目を馳せた。
「瀬人さま。つまらない好奇心や同情だけなら、これ以上彼に関わらないほうがいい。いつ治るかもわからず、仮に治ったと思ってもその傷跡は簡単に開いてしまう。心の病とは背負うには重すぎます。」
「覚悟ならとうに出来ている。6年越しの約束なのでな。」
「……!」
医者は海馬の返答に驚いた。
今までの海馬は他人に興味を示すことは一切無かった。
普段は冷静でどちらかというと喜怒哀楽をあらわすのが苦手としているはずだった。しかし、目の前には穏やかでやさしい表情の海馬がいた。
純粋でまっすぐな意思を読み取った医者は何も言わずに微笑んだ。
「大切な人なのですか。」
「そうだ。」
海馬にもう迷いはない。
城之内と共に生きていくことを心に決めていた。
いよお。海馬良い男じゃん。ついでに本田も。遊戯は相変わらずだなあ。
あ、ここに出てきた医者はバトルシップにも乗船していた人にしちゃいましょう。(えへっ)
城之内が仮死状態のときに診察した人かな…な〜んてね。
ちょうど更新がクリスマスと重なりました。メリークリスマス!
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