次第に夕色から、濃紺へと色を変える海面を高く飛ぶ一台のヘリ。機体には大きくKCのロゴが打たれている。それに乗っているのは、王国の決闘を終えた遊戯たちと城之内。そしてヘリを操縦している海馬だった。
モクバを助けてもらったという、大きすぎる借りを作ってしまった海馬は不本意ながら、遊戯とオトモダチ御一行とドミノ町までの帰路を共にすることとなっていた。
初めは興奮気味に騒いでいた遊戯たちも、長い戦いから解放されて、緊張が解れたせいだろう気がつけば夢の中の住人となっていた。
隣にいるモクバも窓に身体をもたれかけ眠っている。
それぞれの寝息は全てヘリのエンジン音にかき消され、ほかに音は無い。ある意味無音な中、海馬はヘリを操縦していた。
自動操縦に切り替えても差し支えはないのだか、海馬はあえてそうはせず、ただ前だけを見据えて、夜空を進んでいた。
遊戯に負けてしまったことを噛み締めるには、もってこいの時間なのかもしれなかった。
そんな海馬の背後で一人の影がのそりと動いた。
「…………なぁ、少し、いいか?」
「…………。」
海馬は振り返らない。
デュエリストを名乗るには、低次元すぎるものには用は無い。
「…………。」
海馬が答えないのを肯定と受け取った城之内は、狭い座席の間から、身を乗り出して、
「社長さんに頼みがあるんだけどよ。」
「―――俺には無い。」
操縦桿から手を離さずに、きっぱりと突っぱねる海馬。
「一度はデュエルした仲じゃねーか。ケチケチすんなよ。」
全く変わらない海馬に城之内は苦笑しつつ、ぐいっと海馬の視線の先に封筒を一つ差し出した。
「ぐっ!!」
強引な城之内に、相手をしなければ解放されないと、海馬はヘリを自動操縦に切り替える。
「手短に言え。」
それでも海馬は振り返りはしない。前方を見据えたまま、冷たく言った。
「ハイハイ。シャチョウサンは忙しいからね。」
城之内は嫌味たっぷりに言葉を返すと、封筒から中身をがさごそと取り出した。
城之内の指先に挿まれた一枚の紙切れ。
小切手だ。
海馬には十分になれたものを一番似つかわしくないだろう城之内が握っていた。
「大会の賞金だとさ。」
札束にすれば到底振れないものを、ひらひらと振って城之内はにやりと口角を上げる。
「すげっえ、金額だろ?」
城之内は自慢げに小切手に書かれている金額を読み上げた。
「それがどうした。」
遊戯に勝利しなければ、金額など意味を持たない海馬にはじつにくだらなくて興味のないものだ。
仕事の虫、デュエルの鬼と称される感情を表に出さないその綺麗な横顔を、城之内はなぜか満足げに見つめた。
しかし、その琥珀には悟りきった海馬よりも、感情の色が無いのに、海馬は気がつくはずも無ない。
「コレを換金して欲しい。んで、その全額を、妹の病院へ送って欲しいんだ。」
「………妹?」
さすがに「妹」の単語に麗美な眉がぴくりと動いた。
「だいたいさ、イチ高校生が持つには大金過ぎるし、現実的じゃない。
それに俺、コレをどうしたら現金に出来るかなんて、知らないし……こんなの持って銀行に行ったら、そのまま警察が呼ばれそうだしよ。
面倒なことはごめんだからな。」
「なるほど。それで、俺なのか。だが、もしかしたら、俺もくすねてしまうかもしれないぞ?」
城之内のもっともな言い分に頷きつつ、なぜ、決していい関係でない海馬に、重要なことを頼むのだろうか。
海馬はふと無防備な城之内に疑問を抱く。
「ハハ。
だって、コレくらい海馬サマにははした金だろうし、どこぞの負け犬の金なんて、手を出すはずないだろ?」
「良く、身分を心得ているようだ。」
海馬は納得すると小切手を受け取り、大切に内ポケットにしまった。
「たのんだぜ。シャチョウさん。
んで、これが、病院の住所と病室の番号で……名前は…。」
城之内はチラシの裏に殴り書きした住所や名前を書いた紙を海馬に渡す。
「貴様は、もっと、まともな字が書けんのか?」
とうてい、高校生には見えないミミズが張ったような字に、ため息を洩らす海馬。
明日、コレを解読する秘書の様子がありありと浮かんでくる。
「いいだろ。汚い字でも死なないぜ?別に苦労もないし。」
自分勝手な屁理屈にムッとくる海馬だったが、どこかで経験したことのあるようなやり取りに、ちりっと海馬の胸が熱くなる。
なんだ……?
どこかで、、、、こんな………?
ふぅっと、海馬の思考の片隅に何かが像をなそうとして、そして、消えていった。
「あと、どのくらいで、ドミノ町に着くんだ?」
海馬は不可思議な感覚に囚われているのを消すように、城之内が聞いてくる。
「……2、3時間もすれば着くだろう。」
思ったよりも綺麗に響く城之内の声に、どきりとしながら海馬は時計を見た。
「 そっか。 もう、 そんななんだ……。」
今度は海馬に聞こえないくらい小さな声で、いや誰にも聞かれたくないような独り言で呟くと、城之内はじっと前を見据えている海馬の横顔をもう一度見つめる。
決して振り返らずに、真っ直ぐに進んでいく海馬の横顔に
城之内は少しだけ、淋しそうに、でも、それ以上に良かったと儚げに微笑んだ。
「あーあ。夢の時間はもう、終わりかぁ。
楽しかったなあ。」
「?」
城之内らしくない発言に思わず振り返ると、その琥珀色と初めて視線が交わった。
「明日から、学校ってことだよ。」
不意に振り返った海馬を正面にして、城之内は動揺を隠すように、唇を尖らせると、頭をかいた。
「やはり、凡骨だな。」
ありきたりな回答に興味を失った海馬は再び視線を元に戻していった。
「凡骨で悪かったな。」
城之内もまた大げさに頬を膨らませると、元の位置に戻って、居心地悪そうに座りなおす。
去り際に、
本当に、本当に小さな声で
「海馬でよかったな。」
とだけ、言った。
「!?」
それはそれは、本当に小さな声で、呟くというよりも囁くようで、でも、海馬に聞いて伝えたいわけでもなく、ただ、心からの祝福を込めた、魂の声のようで、
城之内を追いかけるように振り替えるが、
すでに城之内は窓の外を眺めていて、
その彫像のように動かない、
何かを探すようで、
誰との接触を拒んでいるような、
気配に、
海馬は声をかけることが出来なかった。
その言葉の真意を問い直すには、余りにも荒唐無稽で、海馬は聞き間違いだったのだと思うしかなかった。
変わりに海馬の胸の奥がぢりぢりと焦げ付いたように、熱い。
海馬の中に、きな臭いものが広がって、どうしようもない不安感がどす黒く広がってくる。
城之内のらしくない言動と、城之内らしい言動が火種となって海馬の中でくすぶりだす。
しかし、それも明日からの煩雑な仕事に追われてやがては、消えていくものなのだけど…………
やがて、真っ黒な闇の中に、宝石を詰め込んだような、街の灯りが見えてくる。
街はもうすぐそこだ。
ピ。
再び背後する電子音と、押さえたくもぐった声に海馬は、そっと、気がつかれないように後ろを除き見る。
「……はい………勝手して………でした………もうすぐ、到着するので……何人か入れてもらっても……大丈夫です………から……」
青白いディスプレイの灯りに照らし出された、城之内の横顔に海馬は目を逸らせない。
長い前髪に隠されて口元しか見えなかったけれど、その横顔がどこかで見たような、大切な何かとつながるようで、
海馬の胸をきつく締め付ける。
『じゃぁな。』
じりりっ。
海馬の胸の奥が熱い。
誰かに手を引かれていく、小さな少年の後姿。
繰り返される日常を悟りきった傷だらけの少年。
『 に なろう 』
ああ、
大切なことなのに。
くすぶり続ける火種を炎にするには、まだ、材料が足りなかった。
海馬は凍りついたように城之内を見つめ続ける。その隣でモクバが目を覚ました。
「にいさま……?」
闇色を受けて、顔色が無い兄を心配して目を擦りながらも、モクバが覗き込んでいる。
「起きたのか。もうすぐ着くぞ。」
金縛りのとけた海馬はモクバの髪を撫でて、再び正面を向いた。その姿はもう、いつもの兄で、モクバは安心したように頷くと。
「ほらほら、起きろよ。ドミノ町へ着くぜっ!!!!」
眠っている遊戯たちを起こしにかかっていった。
急に賑やかになるヘリの中には、もう、先ほどの張り詰めた気配はどこにもない。
城之内もまた、何事も無かったかのように、遊戯たちと戯れている。
海馬はそんな城之内に違和感を覚えつつ、その思いを振り払うかのように操縦桿を握り締めた。
ドミノ町はすぐそこに迫ってきている。
ずっとそこにある日常もすぐそこだ。
もし、あの時に感じた違和感を海馬がすぐに、気がついていたら、城之内と海馬の人生は変わっていただろうか。
もし、あの城之内の感情のない琥珀を、気づくことが出来ていれば、城之内の抱える深い闇を照らし出すことが出来ていただろうか?
もし、あの時城之内の、言葉の意味と幼い残像を鮮明に掴むことが出来ていれば、別の救いの道があったのだろうか。
考えても仕方のないことだけれど、
考えずにはいられない。
もし………。
拍手からの移動です。
なんて、短文を作ってみました。
はぁ…なんといいますか、ふいに思ったんですよね。
傷跡な二人の王国編のヘリの中ってこんなのかなぁと。
海馬のヘタレさが大好きです。
背景はこちらからお借りしました。