初めては覚えてなくて。
次は逃げられなくて。
それから続いてきた俺と瀬人さんの関係。
酒を飲んで、たくさん会話をして、たくさん気持ちのいいことをした。
冷たいベッドで遊んでた。
夜の蒼い部屋にいて、瀬人さんのとなりにいて。
年の差も、立場も、本当の名前も関係なく、瀬人さんの隣にいることが楽しかった。
憧れて、背伸びして、
この遊びがずっと続いていくものだって疑いもしなかったんだ。
瀬人さんが社長だったなんて。知らなかった。
情けない。情けないよ。
なんて馬鹿なんだろう。
*****
「城之内。こんな時間にどうしたの?」
日差しが西に傾いて、空がオレンジ色に滲んでくるころ、城之内は舞を大学の近くの公園に呼び出した。
海馬と社長室での再会とも取れない再会のあと、城之内は会社を早退する。顔色も最悪だったから上司も本田にも怪しまれることはなく、反対に他の社員からも心配される始末だ。
城之内も頭の片隅では悪いと思いつつも、仕事を続ける状態でなくふらふらと会社を出た。
おぼつかない手つきで舞に電話をかけて、ここにいる。
この時間帯にしては人の少ない木陰のベンチに腰を下ろし、城之内は舞を待った。
何故、舞に電話をしたのか。
どうしてここにいるのか、城之内自身が良くわかっていなかった。
「いきなりだから、驚いたじゃないの。」
「………。」
「城之内?」
ベンチに座ったまま俯いて地面を見ている城之内に舞は不審げに眉を寄せる。
「………城之内?」
「……んっ?ぁあ……舞…。」
何度か名を呼ばれ、ようやく顔を上げる城之内。というより舞が来たことさえ気づいていなかったようだ。
「もう。人を呼び出しといて。や〜ね〜。」
呆けた城之内に苦笑しつつ、長い髪をかき上げて隣に腰を下ろす。と、舞の好きな香水の香りが城之内の鼻をくすぐった。
甘い匂い。瀬人さんとは違う……瀬人さんのはこんなに甘くなかった。
「で、何?夕ご飯でもご馳走してくれるの?」
「………。」
いつもの調子で舞はご機嫌だ。プロポーズをしてから舞は綺麗になった。笑顔が増えた。そんな舞を城之内は真剣な眼差しで見つけた後、小さく首を横に振る。
今頃、瀬人さんは仕事してるのかな…。家で家族とご飯を食べのかな…。
いいな。家族がいて。俺も家族が欲しい。
「……城之内……?」
見たことの無い城之内の様子に、舞の表情が陰った。太陽の加減でなく顔色が悪い。
「どうしたの。なんか変よ………。」
心配気な舞をよそに、再び城之内はうつむいてしまった。
家族が欲しいの………かな……俺……?
「……城之内?」
声も無くただうつむく城之内など、舞は見たことが無い。両親の離婚のときでさえ、こんなに暗く落ち込んだことは無い。
女の勘が働くまでもなく、城之内の背中に触れると、その体が震えているのにぎょっとした。
「ぇ…っ?」
尋常でない様子に城之内の顔を覗き込もうとすると、ようやく城之内が顔を上げ、
家族なんて簡単に壊れちゃうのに…簡単に絆なんてバラバラに切れちゃうのに。
家族なんて……欲しくない。
「舞。」
城之内らしくない低い声色に舞は思わず身構えた。
「別れよう。」
一言。簡潔に一言。城之内の唇が動く。
「!?はっ?何?なに……?」
唐突な別れの言葉に舞の膝からカバンが落ちた。
「ちょっ!城之内、何、言ってるの?」
カバンが落ちたことも気がつかない舞が引きつった顔で鸚鵡返しに城之内に聞き返す。
「別れよう。舞。」
俺……。
さっきまでの柔らかい雰囲気は消え、真っ青になった舞が城之内を凝視している。
「何それ。結婚しようって、言ったばかりじゃない。」
「ごめん。」
家族なんて欲しくない。
「ごめんって。嘘でしょ。冗談よね。」
「ごめん。」
ごめんな。舞。でも、もう、駄目なんだ。目が覚めたんだ。
「もしかして、先輩のことまだ怒ってるの?疑ってたの?」
「違うよ。」
怒ってなんかない。疑っても無い。先輩なんて顔も覚えてない。
「じゃぁ、どうして、どうして別れるなんて言うの。私、パパにも友達にも城之内と結婚するって言ったのよ。」
「大丈夫。良くあることだ。それに、口約束で正式になんてしてないし。予定も何にも決めてない。」
舞は、カイバコーポレーションの城之内克也が好きだろ?
「ずるい大人な言い訳だわ。先輩のこと怒ってたんでしょ?だから、こんなことするのね。」
「違う。先輩は関係ないんだ。」
一流のブランドを俺から取ったら、何にも無くなるぜ。
「私、ちゃんと謝ったじゃない。それに、先輩とは何もないの。本当よ。本当に何もないの!」
「舞のこと疑ったりしてないさ。でも、もう駄目なんだ。ごめん。舞。」
舞の家族もおれ自身じゃなくてカイバコーポレーションが好きだろ?
「仕返しだったの?私が浮気したから、疑って、怒ってるのね。私、十分反省したわ。ごめんなさい。城之内。」
「仕返しなんかじゃない。ごめんな、舞。」
俺、カイバコーポレーションをクビになるぜ。
「やだっ!!そんなんじゃ、納得出来ないっ!!怒ってなくて、疑ってなくて、どうして別れなきゃいけないの?理由を教えてっ!!」
「ごめん…。理由は言えない。」
社長とSEXしてるんだ。信じられないだろ?
「なんで、ごめんしか言わないの!!!どうしてっ…………ねぇ、もしかして、他に好きな女でも出来たの?城之内の会社には綺麗で大人な女子社員が沢山いるものね……っ!!そうでしょ!!他に好きな人が出来たんでしょっ!!」
「…………っ!」
………すきなひと……まいのほかに………?
「違う。そんなんじゃない。」
そう、好きなんかじゃないさ………瀬人さんなんか……年上だし、男だし、社長だし………好きじゃ……
「じゃ、何よっ!!城之内!!」
『城之内。』
大人な瀬人さん。
話が上手くて、何でも知ってて、SEXが上手くて、
俺に無いものを持ってる憧れの人。
胸が痛い。
あれ、胸が詰まる。
どうして、瀬人さんのことを考えるだけで、こんなになるんだ?
どうして?
どうして、こんなにどきどきするの?
憧れが好きに変わったのはいつ?
「城之内っ!!」
「これ以上、舞といたら、舞を傷つけてしまう……別れよう。」
ああ。瀬人さんのこと、好きだ。
憧れだけじゃなくて、遊びじゃなくて好きなんだ。年上なのに男なのに社長なのに………好きになってる。
「私を傷つけるですって?別れる以上に私を傷つけることがあるの!?ふざけないでよっ!!」
「ごめん。舞。本当にもう駄目なんだ……ごめん。」
瀬人さん……どうしよう…瀬人さんのこと好きになってる…
「やだやだっ!!別れないからっ!こんなに行き成り別れるなんて言われても、別れないんだからね!城之内ほ他の女に取られるなんて嫌よっ!!」
「違うんだ。そんなのじゃない。」
盗れないさ。瀬人さんは社長で、男で、家族がいて、綺麗な奥さんに可愛い子供までいるんだ。俺なんか、ただの遊びで。
「他に好きな人がいるんでしょ?」
「違う。」
好きになっちゃいけない人なんだ。瀬人さんは。
「ねえ、教えてよ。」
「舞のこと嫌いになったわけじゃない。」
瀬人さんは奥さんが好きなんだから。
「じゃ、別れる必要なんてないじゃないっ!!」
「でも、駄目なんだ。もう、付き合えない。」
ごめん。舞。舞のこと嫌いになったわけじゃない。でも、おれは器用じゃない。瀬人さんのこと好きなのに、舞とは付き合えないよ。
「もう一度やり直そうよ。ね。私の嫌なところがあるなら言って。直すから。城之内の好きなように直すからっ。別れるなんて言わないで。」
「嫌いじゃないよ。舞は可愛いし。魅力的だし。好きだよ。」
だから、今別れなきゃ。舞にならすぐに新しい恋人だって出来るから。
「やだ。やだ。やだ。どうしてっ……」
「舞……。」
泣かないで。泣かないで舞。泣く必要なんかないから。
「前みたいに私のこと好きになってよ。」
「舞のこと好きだよ。」
俺じゃ駄目だよ。
「じゃあ、別れない。別れる必要なんてないわ。」
「駄目なんだ。俺じゃ舞を幸せにすることが出来ないんだ。このままじゃ、舞をもっと傷つけてしまう。だから、別れよう。」
ごめんな……舞。
「やっぱり、他に好きな人がいるんでしょ!!」
「違う。そんなんじゃない。」
俺の気持ちは実らない。瀬人さんは手の届かない人なんだ。
「……馬鹿にしてっ!!結婚しようって言ったのに、別れるなんて、私のこと馬鹿にしてるわ。馬鹿っ!!城之内のばかっ!!!」
瀬人さんは、手の届かない人。好きになっちゃいけない人。
「ごめんな。舞。本当にごめん。俺のこと嫌いになっていいから。恨んでもいい。だから、別れよう。」
両手で顔を覆って、それでも零れてくる舞の涙が土に染み込んでいく。
突然の別れに、怒りと悲しみと、プライドを傷つけられて、ごちゃ混ぜになった感情が、涙になって流れ落ちる。
「お願い。お願いだから!!もう一度考え直して!!城之内が私のこと好きになってくれるのを待ってる。ずっと待ってるから、行かないで!」
「お互いのためなんだ。な、舞。別れよう。」
「どうして、別れなくちゃいけないの?城之内のこと好きなのに。どうしてっ!!」
「ごめん…舞。」
「……許さない。絶対に許さないんだからっ!!」
握り締めた両手が、体が震えているのにも関わらず、舞は城之内をきつく睨みつけて、
バチンっ!!!!
「ってっ!」
舞の平手が城之内の頬を打った。
怒りに任せた一撃が、城之内の頬に赤く残り、
「ばかっ!!!」
バチンっ!!!
間髪をいれずに反対の頬も、力一杯に殴りつけた。
舞の思いっきり手加減無しの一発を城之内は避けることなく受ける。今の城之内に出来る精一杯の償いだから。
「ばかっ!!!一生許さないんだからっ!!!!」
城之内に、甘い香水の香りと、痛みを残して、舞は公園を泣きながら髪を振り乱して走り去る。城之内はその姿が見えなくなるまで見つめ続けていた。
小さくなる後姿に、可愛い舞の笑顔が重なって、城之内は唇を噛む。間違った選択でないと言い切れるのに、この歯切れの悪さはなんなのか。
「いてっ……マジ、いてー。あいつ力あるじゃんかよ。」
じんじんと熱い頬を手でさすり、舞の痛みを推し量る。舞はもっと傷ついているに違いない。
「………これでよかったんだ……。」
舞にはひどい男と写るだろう。
わがままで、肝っ玉の小さい情けない年下の男。最低な男に格下げになるはずだ。
でも、このまま、舞と付き合い続けても、近い将来もっと舞のことを傷つけることになる。なら、今別れるほうがいい。
今はつらいけど、これでよかったんだ。
「ごめんな。」
城之内は見えなくなる舞にもう一度謝る。その声は届かないけれど……。
終わった。何もかも。
舞との結婚も。未来の家族も。
会社も辞めなくちゃだな。社長とSEXをした社員を働かせる会社は無い。
クビになる前に辞めよう。
瀬人さんの手を煩わせないためにも。
あーあ。
働き口も、返済の当ても無くなっちゃったな。
これからどうしようか。
はは………好きになっちゃいけない人を好きになった罰なのかな。
遊びで瀬人さんとSEXをした罰なのかな……
叩かれた頬よりも、胸のずっと奥が引きつるように痛い。
どうしてこんなに痛くなるの……。
「ははっ………っ……。笑えねー。」
胸を押さえて、ふと空に視線を移せば、夜の帳が街を覆おうとしていて、オレンジ色と藍色の境目に一番星が輝いている。
瀬人さん………。
好きです………。
ダブルベッド13
13になってしまいました。
痛い展開が続いていますが、次で最終回です。
舞さんにはかわいそうなことしたかな〜と反省しつつ。書いてました。
今までに書いたことのないパターンのお話に書いていながらどきどきしちゃいました。
城之内くんがんばれ!
あっ!!社長が出てこなかったわ〜(汗)
素材はこちらからお借りしました。
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