退職願………私は一身上の都合で………。」


 家に戻ってきた城之内は、早速便箋を取り出し、テーブル代わりのコタツで退職願をしたためていく。
 わずか数行の文章を書き上げると封をして、

「ま、こんなもんでいいのかな…。」

 一気に書き上げた退職願をコタツの上に置き、城之内はごろんと畳の上に寝転んだ。
 ちょうど夕食の時間帯で外からは、楽しそうな声とともに、香ばしい匂いが漂ってくる。久しぶりに早い時間に帰宅したことを実感しつつ、忙しかった昨日までが遠い世界のように感じてしまった。
 こうして天井の木目を見上げていると、入社して以来無我夢中で仕事をしてきたことがありありと思い出さてくる。
 なんの相談も無いまま退職することに、きっと本田に嫌味を言われるだろうと苦笑する。
 本田には4月からずっと世話になりっぱなしだった。
 仕事から得意先、飯を奢ってもらい、飲みにもいった。きっと兄貴がいたらこんな感じなのだろう。

 壁にかけたスーツを着るのも明日までだ。
 引継ぎといっても、一日で終わる内容だろうし、城之内がいなくなったからといって滞るものでもないはずだ。代わりの者は他にもいる。


 いつでも挿げ替えが効く、イチ平社員でしかない自分の存在に虚しさがこみ上げてくるが、社会とは往々にしてそんなものなんだろうと思う。

 


 自分で撒いた種は自分で刈取る。





 知らなかったとはいえ、社長と寝てしまった醜聞を広げないためにも、城之内はカイバコーポレーションを辞めることを決めた。


 男のケジメだ。


 瀬人……海馬の昼の顔を知ってしまった時――。
 遊びで無くなった、今―――。


 遊びの終わりの鐘が鳴っていた。










 高らかに――。 











 ピンポン。










「!?」
 突然、チャイムが鳴った。
 来客などありえない城之内への訪問を告げる音に、城之内は飛び起きる。
「誰だよ?」
 高校時代の友人が、なんてことも無く、ノルマに追われたセールスマンか押し売りだろうと、城之内は覗き窓から来客者を確認すると、





「遊戯?」





 丸い窓の外にいたのは、つんつん頭の遊戯だ。
 城之内は手早く鍵を開けた。



「どうしたんだよ。こんな時間に?」
「………。」


 驚いた顔をしている城之内を見上げる遊戯は無言だ。いつもの柔らかな雰囲気は無く、城之内の横を横切ると強張った表情のまま、遊戯は家へ上がりこんでゆく。

「ちょっ…遊戯っ!」

 遊戯らしからぬ強引さに、城之内は止めることも忘れて遊戯の後を付いていく。

 台所と続きの和室、布団が引きっぱなしになっている和室とを、家の主のようにざっと見渡して、ようやく口を開いた。


「一人みたいだね。」
「はっ?当たり前だろ?」
 やはり、いつもよりも低い声が他人行儀だ。城之内は軽く首を捻る。


「他の女がいたらひっぱたいてあげようと思ってたんだけど。」


「………あっ!?」


 遊戯の言いたいことを瞬時に悟った城之内は、真っ直ぐに見つめる視線から目を反らした。

「城之内くん。どうして舞さんと別れたの?」
 きつい口調は明らかに城之内を攻めていた。台所の板の間でお互いを見合ったまま、対峙する二人。明らかに遊戯は怒っていて、城之内は手を握り締める。
「遊戯………その…。」
 白い蛍光灯の灯りが余計に寒々しさを増し、城之内はそれから逃げるように、和室へと移動して、コタツの前に腰を下ろした。
 コタツの上に置きっぱなしにしていた退職願をぐしゃっとポケットにねじ込んだ。

 遊戯も後に続き、コタツを挟んだ位置に座る。


「夕方、杏子に電話が掛かってきたんだ。城之内くんから行き成り別れ話を切り出されてって、どういうこと?城之内くん、別れる理由を何一つ話してくれなかったって、舞さん泣いてたよ。」

「………。」

「今は杏子が付いてるけど、舞さん泣きじゃくってて、取り乱してて、正直、見てられないんだ。……どうしてなの?どうして別れようと言ったの?仲は良かったじゃないか。」

「………。」

「結婚しようとしたんでしょ?舞さんにそこまでしときながら、別れるなんて、おかしいよ。ひどすぎるんじゃないかな?」

「………。」

「黙ってるなんて卑怯だよ。ちゃんと説明してよ。僕たち親友だろ?」



 城之内は俯いたまま、頭を振る。
 高校のときから、ずっと一緒に行動してきた。学校でも、休みの時もみんなで楽しくしてきた。その時の舞への好きという気持ちには嘘はない。もちろん今だって舞は好きだ。でも、駄目なのだ。海馬への気持ちに気が付いた、今、自分に嘘はつけない。そして、舞を今以上に傷つけないためにも、関係を切らなければいけないのだ。


「…ごめん。遊戯。」
「僕に謝られても困るんだ。謝るなら舞さんにでしょ。」

 小さくうなだれた城之内に半ばあきれると、遊戯は息を吐く。


 本当のことは言えない。
 言ったことろで変わることでもないし、事態が好転することは無い。
 城之内は硬く口をつぐんだ。



「だんまりを通すなら、いい加減、僕も怒るよ。」



 古い付き合いだ。遊戯が怒っていることは気配でわかる。こんなに怒っている遊戯は見たことない。
 春の陽だまりのような親友を怒らせていることに、絶交を言い渡されるかも知れないと覚悟を決めた。
 道ならぬ恋をしてしまった罰として、城之内は甘んじて受け入れれる。

 そして、真実は守り通すのだ。
 好きな人の為に。



「城之内くんっ!!」
 遊戯はバシッとコタツを叩いた。
 完全にキレタ遊戯の迫力に城之内は押される。






 ごめんな……。遊戯。










「今日は帰ってくれないか……。」




 消え入りそうな小さな声で、城之内はやっと言うと、泣き出しそうな顔を上げる。




「城之内くん………。」
 やっとまともに反応をした城之内に遊戯は思わず息を飲んだ。


「……城之内くんから、別れるって言ったんだよね?」
 その憔悴した表情に遊戯の怒りのゲージも半減していき、















「どうしてフッた方の城之内くんが、フラレタみたいな顔になってるの?」














 そんな、不思議な問いが口を付いて出る。


 もちろん、城之内が答えることは無かったけれど…………。

























ダブルベット 14

















 フラれた……か。
 相変わらず、遊戯は鋭いや。



 何も言わない城之内に、一旦退却した遊戯を部屋から送り出すと城之内は冷蔵庫に常備しているビールを飲む。
 コタツの上と、畳の上には空になった缶が転がっていた。




 遊戯の言うことは半分当たってる。半分ははずれだけど。




 完全な片思いは実ることはない。
 告げられない想いは、結果など判りきっていて、不毛な恋の振り出す目は、最悪の結末だけ。
 フラレル前にフラレテイル。



 告げる気もさらさら無いのに、
 胸が痛い。


 その痛みを眠らせるために、城之内はアルコールをあおり続けていた。



 かつて、父親が会社が上手く立ち行かなくなっていった時に酒を飲んでいたのと、同じ仕草だと城之内は気が付いただろうか。




 しかし、どんなに飲んでも城之内は酔えなかった。冷蔵庫の中のビールを飲み尽くしても、頭は冴えていて、胸の痛みはひどくなるばかりだ。
 

「なさけね〜〜〜。」

 ざらつく壁にもたれ、城之内は空になった最後の一本を握りつぶし畳の上に放り投げる。カラカラと乾いた音を立てて缶が転がった。


「ビールも無くなったし、さてと、どうしようかな。」
 城之内は漏れ聞こえてくる階下の生活音から耳を反らして、財布をジーパンのポケットに突っ込み、ある場所へと向かう。



 本能に引きづられるように…………。




















*******


















「ちわーす。」






 ふらふらとよろめきながら、城之内はバーの扉をくぐる。
 グラスを磨いていたマスターが小さく会釈をして、城之内を迎えてくれた。


 真っ直ぐにいつものカウンターの席に着くと、

「いつもので〜。」

 陽気に片手を上げて、注文をし、そのままカウンターに突っ伏した。だから、マスターが苦笑いをしているのにも気が付くことは無い。





 シャカシャカと耳に聞こえの良い音に目を瞑っていると、今日のことが嘘のような気がしてくる。



 エレベーターに居た瀬人。
 社長室に居た瀬人。
 公園での舞の泣き顔。
 遊戯の怒り。




 全部、嘘だったらいいのに。
 明日にはいつものように会社に言って仕事して。舞にメールして、瀬人さんとここで遊ぶ……。


 そうだったらどんなにいいか。
 城之内は唇を薄く歪めた。









 瀬人さん……
 会いたい。
 遊びでもいいから。





 でも、もう、それはかなわないことなのだ。
 恋がれる人はもう、来ない。








 今日で最後。
 もう、ここにもこないようにしよう。





 瀬人に会えないのに、ここに来るのは虚しすぎるから。と、城之内は心に決めた。










「お待たせしました。」
 コト。
 と、軽い音がしてグラスが置かれる。注文の品が出来たようだ。
 城之内はゆっくりとした速度で顔を上げて、グラスを見ると、そこにはオレンジ色の液体が並々と注がれていた。


「マスター、注文のと違うぜ。」
『未成年者に酒を出す訳がないだろうが。』


 背後から、透明な低音が重なって、城之内の動きが止まった。




 えっ!?




「酒は飲むなと、注意したばかりではないか。」




 うそ……っ!?



「この店が潰れてもいいのか?」



 どうして…っ!?




 ゆったりとした足音と共に、近づいてくる声と気配。城之内の琥珀色の瞳が見開かれる。そして、振り向くと、そこには瀬人が涼しげな笑みを浮かべて立っていた。


「瀬人さ……ぁ、社長!!!」
 サラリーマンの反射速度で、立ち上がると城之内の背筋がピンと伸びる。

「社長はよせ。瀬人でいい。」
 緊張して硬くなっている肩を軽く数度叩いて、海馬は城之内の隣に陣取った。
「マスターに言っておいて正解だったようだ。」
 オレンジジュースが入ったグラスと、マスターを交互に優雅に微笑む海馬は、城之内の知っている海馬で、あの冷たさはどこにもない。
 そんな海馬につられ、城之内も隣に腰を下ろした。海馬と隣あう部分が熱く熱を発してきて、それに合わせて城之内の心臓がどきどきしてくる。












 どうして、ここに海馬がいるのだろう?
 怒っていないのだろうか?
 混乱する頭では何も考えられず、じっとりと汗が滲んでいる手を合わせて、城之内は唾を飲み込むと意を決して海馬のほうへ向き直る。



「あのっ……おれ、瀬人…ぁ社長が、社長って本当に知らなくて…そのっ…瀬人さんは瀬人さんだってずっと勘違いしていて…。」
 頭をぼりぼりと掻き毟りながら城之内は、必死に言葉を探した。海馬に誤解されたままでは嫌だ。
「だろうな。貴様は私が社長と知っていて、そ知らぬ振りが出来るほど、器用ではないだろうからな。」
「……!?」
 きょとんとする城之内の額をこつんと指で弾き、海馬もまたオレンジ色の液体の入ったコップを一口飲んだ。
 いつも冷たく感じていた蒼い色がなんだか暖かくて、不思議な違和感に戸惑ってしまう。
「騙すつもりも、邪な考えも無くて…その…すみませんでした。これ、受け取ってください。」
 さっき書いたばかりの退職願が入った封筒をカウンターに置く。
ポケットに突っ込んだままだったからしわくしゃになったそれを手で馴らして海馬の前に滑らせる。
「…どういうつもりだ?」
 表に書かれた言葉に、海馬の眉間に皺がよった。
「そのまま受け取っていただいて結構です。知らなかったとはいっても、俺、しちゃいけないことをした訳だし、男のケジメです。」
 決断していたのに、やっぱり、現実を前にしてくると身体が冷たい。
 ギリギリになってもまだ、会社に未練がある女々しい自分にほとほと嫌になってくる。
「それが、貴様の答えなのか?」
 海馬の大きな手が、封筒を取った。
「はい。」


 ああ。
 これで終わりだ。全部……。
 海馬の手の中にある封筒を見ながら、城之内は覚悟する。


「………。」
 そんな城之内の気持ちを知ってか知らずか、海馬は無言でその皺だらけの封筒を数秒眺めたのち、それを、二つに破った。


「えっ!!」
 海馬の予想外の動きに、城之内の瞳が大きく見開かれた。そうする間にも『退職願』は4つに別れ、海馬のポケットの中に消えていく。
「……?どうして?」
 海馬の意図がわからないくて、城之内はただ唖然とするばかりだ。



「退職願は受け取れない。却下だ。」
「???」
「私は優秀な社員をクビにするような愚者ではない。」
「………俺が…優秀?」
 聞き間違いでなければ海馬は確かにそう言った。
「俺が?」
 生まれてから一度も、優秀、などという単語とは無縁の世界にいた城之内だから、脳みそがその意味を理解できるわけも無く、口がぽかんと開いたままになっていた。
「城之内以外に誰がいる?俺が知る限り貴様は優秀だ。仕事に対する意欲も姿勢も、金に対する真面目さも申し分ない。そして何よりも、口が堅い。どんなに酔っ払っても何があっても内部事情に関することは一言も漏らさなかった。この俺が勘繰れないほどにだ。この意味がわかるか?」
 ぶるぶると首を横に振る城之内。ただ、普通に接していたのに、いきなりそう指摘されても、わかるはずも無い。でも、少しは海馬に認められていたらしい。
 頬を赤くしている子供っぽい仕草に、海馬は唇を歪めて、城之内の髪をぐしゃっとかき混ぜて、
「城之内のような見込みのある優秀な人材をみすみす逃すほど、俺は馬鹿ではないさ。」
 社長の顔で微笑んだ。
 海馬の大きな手に、海馬の器の大きさを改めて感じて胸の奥がぐっっと熱くなってくる。海馬に触れているだけで、もう舞のこともこれからの身の振り方もどうでも良くなってくる。



「社長…でも、おれは……おれは、社長と…。」
 その海馬の笑みに認められていたうれしさがこみ上げてくるが、城之内はそれを押し殺してもう一度首を振った。
「そのことは気にするな。第一俺にも責任がある。」
 もう一口、オレンジジュースを口に含んだ。



「………?」

 ジュースを飲む隣に居る海馬にふっとした違和感を感じる城之内。
 今までの海馬と何かが決定的に違っていて、その違和感の場所を探していき、
 そして、
「………無い……指輪が無い。」
 そう、海馬の綺麗な指にあった指輪が無くなっている。ただ単純に忘れたというには腑に落ちないもので、城之内の知る限り、海馬は一度たりとも指輪を外したことがない。
「なんで……?」


「俺の答えだ。」

 戸惑う城之内に海馬は左手を見せると、座りなおし、ごほんと咳払いを一つした。海馬らしくなく緊張しているようだ。


「答え?」
「城之内は前、俺に聞いたではないか?もし、俺が浮気をしていたらの例え話のことだ。あの時はちゃんと答えられなかったからな。」
「あっ…!」
 あのベッドの中でした、非常事態の想定のつまらない会話。
 冷たい部屋で浮気はしないと、言い切った海馬。初めて海馬が恐いと感じた時。城之内の身体が強張る。


「妻とは別れる。」


「!!!」


 爆弾発言に城之内は言葉を失くした。


「浮気をすれば妻を悲しませることになる。そして、浮気とされる相手も悲しませることになるんだ。だから、妻と離婚することにした。」


「瀬人……さんっ!?」


「とはいえ、簡単にはいかないだろうな。親権や財産分与のこともある。話し合いはこれからだから時間はかかるだろう。」


「ちょっ……!ちょっと待ってくれよ。なんで、離婚なんてしなきゃいけないの?奥さんを愛している瀬人さんが離婚する理由なんて…っ!」
 映画館で見つけた海馬は本当に幸せな家族で、楽しそうにしていたのに、どうして離婚しようとするのかわからない。


「理由は貴様だ。城之内。」


















「!!!!!」












 はっ?









「好きだ。」






 えっ?






「城之内が好きなのだ。」






 すき?
 せとさんがおれのことをすき?
 おれのことすきっていってる?
 おれはせとさんのことがすきで、せとさんはおれのことすきっていってる?









「ええっーーーーーーーーーっ!!」





 ちょっ、ちょっとまて、聞き間違いか?
 幻聴だ。
 幻聴に違いない。
 何が起こってるんだ?瀬人さんは、何を言ってる?
 夢なのか、もしかして、
 そうだ、夢だ。
 きっとオレは家で酔いつぶれていて、夢を見ているに違いない。
 はあ…夢だからって、都合よすぎだぜ。





「こんなに人を好きになったは初めてだ。」


 固まったまま、混乱しまくっている城之内に海馬は告白を止めない。


「家族と会社以外で大切なものなどありえないと思っていた。なのに、城之内はそれを簡単に打ち消して、俺の世界を変えていった。」
 冷たい部屋に温度と色を与え、海馬に人との繋がりを与えてくれた。

 そして、まだ、赤みの残る頬を手で覆うと、
「好きだ。」
 唇がゆっくりと動いた。



 


 瀬人さんが、俺のこと、好きって言ってる。
 はぁ……もう夢でもいい。
 夢でも、うれしいかも。
 あれっ?なんで、瀬人さんの手が冷たいんだ?夢って温度もあるのかな…?

 冷たい?
 夢じゃない……?


「えっ…夢じゃない?」
 海馬の手の温度が夢ではないことを教えていて、両頬を包み込んでいる海馬の顔がおもいっきり近くにあって、思わず身体を後ろへ引く。


「嘘、冗談だろ……?」
「こんなことが冗談なわけないだろう?本気だ。」
「…だって、瀬人さんには家族がいるんだぜ。」


 絵に描いたような理想の家族が瀬人を待っている。


「妻との間はもう冷え切っている。今はただの父と母でしかない。」
「じゃ、子供にはどう説明すんだよっ!!」
「それを言われるとつらい。だが、このまま中途半端でいたら、将来もっと傷が深くなる。」
「仕事だって、取引先だって黙っちゃいないし。」

 将来の傷……という、セリフに泣かせてしまった舞が過ぎる。城之内もまた、海馬と同じ選択をした。だから、海馬が真剣に考えていると感じるけれど、城之内とは立場が違いすぎる。
 海馬の肩には社員の生活と、世界の経済が掛かっているのだ。

 海馬の奥さんは取引先の娘だって言っていた。
 もし、離婚なんてことがあったら、どうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。


「仕事にはなんの影響もないだろう。それくらいでどうこうなる会社にしたつもりはない。」
「でも……でも…。」
「それくらい、城之内のことが好きなのだ。真面目に城之内のことが好きだ。」


 冷たいと感じてきた蒼色が、今夜は熱を持っていて、ずっと憧れていた人からの、告白にまだ夢の中にいるようだ。
 
 海馬にはもう嫌われているのだと思い、家族を見せ付けられて、落ち込んで。極め付けにお膝元で働いていることが判って。
 絶望的な気持ちで書いた、退職願は破られて、そして、海馬の告白。

 目の前で起こる、ジェットコースターのような変化に、酔いが急速にまわってくる。
 視界がぐるぐる回り、許容オーバーの情報に思考が完全にショートしてしまった。きっと頭から煙が出ているに違いない。


「だって、瀬人さん、今日、怒ってた。社長室で、めちゃめちゃ怒ってた。」

「当たり前だ。社長の顔も覚えていない、間抜けな社員に呆れていたのだ。それと俺の社内での認知度に少し落ち込んでしまったのだ。」

「………だって、入社式のときは列のずっと後ろだったし、緊張して社長の顔なんて覚えてなんかいないし、社長の顔なんで写真でしか見たことなかったし、それに、もっと恐そうだったもん。役員の顔なんて、みんなおじさんばっかで、怖そうにしか見えないから、フロアの部長ぐらいしか覚えてないよ。」

 校長や教頭だって覚えてないと、実に子供じみた言い訳をする城之内は、私服ということもあって、ただの子供にしか見えない。本当に子供だから仕方のないことなのだけど、今までとのギャップに何故か愛おしさがこみ上げてくる。

「なるほど。俺は怖いか。これからは善処することにしよう。」

「えっ…そんなつもりじゃ…っ!!」
 話せば話すほど露呈してしまう、自分の馬鹿さ加減を否定しようとした時―。




「うっ……吐く…っ、」


 嘔吐感が胃からせりあがって来る。
 緊張と弛緩。許容オーバーな海馬の感情に、城之内の身体がいち早く反応した。





「ええっ!!ここじゃ、まずいだろっ!!トイレだっ!!」
 差し迫った想定外の非常事態に、口を押さえて背中を丸める城之内を支えて海馬はトイレへ城之内を運んでいった。













******








「うえっ、、気持ち悪い。」
 胃の中にあった酒をあらかた吐き出して、城之内は便座でぐったりとする。昼からほとんど固形物を口にしていなかったので、出たものは水分だけだった。
「………どれくらい飲んだのだ。」
 手を洗いながら海馬が城之内を睨む。
 それくらいの量のアルコールを吐き出したのだ。
「……冷蔵庫、一個分かな…。」
 誰にも見せられない冷蔵庫の中身を吐露し、息を吐く。
「ばか者がっ!!酒は飲むなと注意しただろう。年齢はともかく、飲む量をコントロール出来ない奴が酒を飲んではいけないのだ。」
「……ごめんなさい。」
 トイレに余計に響く海馬の怒鳴り声に、素直に反省すると、額に冷たいものが触れる。
「急性の中毒にはなっていないようだが、しばらくじっとしていろ。すぐに自宅まで送っていこう。」
 濡らしたハンカチで城之内の火照った頭を冷やしていった。
「………。」



 初めての夜は酔いつぶれて。それから何度も身体を重ねてきた。でも、それでも、こんなに海馬を近くに感じたことはない。
 怒られて心配されている。
 冷静沈着な瀬人はもういなくて、怒られているのが嬉しい。


「すき。せとさん。だいすき。」
 ハンカチと同じように冷たい手を城之内が掴む。そして、咄嗟のことで反応の遅れた海馬に、アルコールが廻って力の入らない腕で抱きついた。
「っつ!!」
「せとさ〜ん。だいすき。おれ、ずっとまえからすきだったんだ〜。」
 ほにゃほにゃと呂律は廻らず、顔にも締りがない。

「ああ。それはありがたいことだ。」

 腕の中の城之内の重みを確認しつつ、城之内を抱きしめていく。

「ずっとすきでさ、せとさんの遊び相手の一人でもいいから、一緒にいたいっておもってたんだ。それくらい瀬人さんのことすきだったんだ〜。」

 酒の力は恐ろしいもので、しらふでは言えないだろうことが、口から次々と出てくる。

「瀬人さんのことが好きで好きで、でも好きになっちゃだめだって、舞にプロポーズして、でも、やっぱり、ダメで。上司で社長で男なせとさんを好きになった、ダメダメ男に結婚なんて、ありえないもん。」

「城之内……。」
 ぐたっと城之内を抱きつつ、予定調和のような同じ選択に海馬の胸が熱くなる。トイレで酔っ払った上での告白だが、それも良いかもしれない。

「瀬人さんは、社長で……男で…、大人で、年も離れてるけど………好きです。せとさんのこと………だい……    。。」

「城之内?」
 急に城之内の重さが増して、覗き込むと、すうすうと城之内は本当に夢の中に旅立っていた。

「……仕方のない奴だ。」
 こんなところはやはり、お子様なのだと海馬は苦笑して、城之内が成人するまでは禁酒しようと心に決める海馬。
 もちろん、城之内も同じことだ。


 怖い小言は明日に取っておいて、
 濡れたハンカチで城之内の赤いままの頬を冷やしていく。この赤い跡は海馬を思っての跡だ。
 そんな一途な城之内を腕に抱き、その頬に労わるように唇を落としていった。

「ん……っ。」
 きっと明日は二日酔いで欠勤になるだろうと、勝手に予測しながら、心配で様子を見に来たマスターに、タクシーを呼ぶように頼む。

 マスターもまた、眠りこけた城之内に肩を竦め曖昧に笑い頷いた。








 年の差も、性別も、社会的地位も、飛び越えて好きになった大切な人。
 この先もずっと城之内のことが好きでいると、鏡の向こうの映る自分に誓い、明日の予定を頭に巡らす。



 社長業の臨時休業もたまには良いだろう。




 二人を乗せたタクシーが、冷たかった部屋に行くのは数分後のこと。






 明日はきっといい日に違いないと信じて。










おしまい。


 
















 予告どおり終わりました。
 一気に行ってみましたがどうでしたでしょうか?予想通りの展開かなあ…(どきどき)
 いろんな意味で自分の未熟さが出たお話になった気がします。
 これをハピエンと見るかどうかは人それぞれだと、思います。が、結末は『1』を書き出したときから、決まってました。舞にプロポーズするのも、海馬が離婚を決意するのも。
 
 余談ですが、この後の展開としては、なかなか離婚協議が進まないことにいらだつ社長と、社内不倫に悩む城之内がいたりします。(こうなったら、どろどろの昼メロ状態ですね……)
 
 ラストに進むに連れ、モクバや舞さんに感情移入してしまい、城之内はひどい奴だ。と一人突っ込んでみたり、大ラスではモクバがかわいそうだぜっ…(涙)と離婚という言葉があまりにもリアルなので、キーボードを打ちつつ、戸惑ったきふじんでした。