「へくしっ!」
「あれ、城之内くん。花粉症?」
 大きなマスクをつけた遊戯が派手なくしゃみをした城之内を見上げる。
「違うぜ。このオレが花粉症になるわけないだろ?」
 鼻の下を軽くこすった城之内は、花粉症真っ只中でつらそうにしている遊戯の頭をぽんぽんと叩く。
「城之内みたいながさつなのに、現代病はありえないわよ。風邪だって引かないんだから。」
 同じくマスクをしている杏子が、この時期でも変わらずに平気にしてる城之内を羨やんだ。

 校庭に咲く桜は満開で、それと同じで空中を飛んでいる杉の花粉も絶好調だ。
 寒い冬が終わりを告げ、野原や、花壇に咲く花々が色鮮やかに咲き誇る季節にそれだけで、気持ちが上昇気分になっていたものだが、花粉症という国民病に掛かっている遊戯と杏子は憂鬱な季節で仕方がない。


「悪かったな。体が丈夫なのが取り得だからよ……へっ…へっくしょん!!」
 杏子にいつもの軽口を受け流しつつ、城之内はまた大きなくしゃみをした。
「城之内くん風邪ひいたの?」
 城之内らしからぬくしゃみの連続に、今度は風邪を心配している遊戯。どこまでも良い友人だ。
「大丈夫だって。誰か、オレの噂話でもしてんだよ。蛭谷とかさ〜。」
「あんたなら、ありえるわ。」
「城之内の噂なんかしても何の得にもならないけどよ〜。」
 杏子は納得したように頷いて、本田はからかう様に手を振る。
「だよな。オレが金持ってないのは有名だからな。」
「……ふうん。」
 へらへらと笑顔を崩さない城之内に遊戯もなんとなく調子を合わせている。


 今日はドミノ高校の卒業式だった。
 在校生として出席した城之内達は、体育館や校庭のあちこちでかたまってめいめいに写真を取っている卒業生を目で追った。
「あ〜あ。春休みが終わったらもう、3年生になるのね。この前入学したばかりなのに、早すぎるわ。」
「うん。僕も同じだよ。」
「進路に受験だろ。やることがありすぎて、卒業なんてすぐそこだぜ。たまんねえや。」
 進路を突きつけられている本田はうんざりして、薄い鞄を肩に担いだ。3者面談のうざったさを思い出したようだ。
「まだ、進路なんて考えられないっつうの。」
「僕も同じだよ。はぁ。このままずっとみんなと一緒にいられたらいいのにって、最近考えちゃうんだ。」


 行き成り突きつけられる将来。
 親の言いなりや、なんとなく流れでここまで来た子供に、将来の道を選べ。なんて無理な話だ。
 第一何をやりたいとか、やりがいのあることなんて分からない。


 あそこで、写真を撮ってる先輩たちも同じような気持ちを通ってきたのだろうか。この穏やかな時の中でいたいと願いつつも、時間の流れのなかで進路を選択したのだろうか。


 泣いたり笑ったししてる、先輩に一年後の自分を重ね合わせて、遊戯は満開の桜を見上げる。
「綺麗だね。」
「あぁ。こんだけ見事に咲くと綺麗としか言い様がないな。」

 高校で一番樹齢の古い大きな桜に城之内も目を細める。
 卒業後は就職しか道のない城之内にとって、進路で悩んでいる遊戯たちは幸せなんだと思いつつ、花粉症とは別の意味で満開の桜の時期が苦手だった。
 咲き誇る薄いピンクの花びらが、昔の自分とほろ苦い感情を連れてきて、散っていく。



 ま、これも一種のアレルギーって奴かな。



 城之内だけが知っているこのくしゃみの原因と、春の穏やかな日差しで白く霞む空が相まって、アンニュイな気分に浸ってしまいそうだ。









 あいつ、今ごろどうしてっかな………。






 ひらりと散っている花びらがあのころ見た桜に重なって思わず手が伸ばしてみる――――。




















 3年前―――。



 の夏の蒸し暑い夜。ドミノ街の汚い路地裏で、城之内はその男と出合った。



 それは偶然。
 きっと偶然。

 絶対に偶然。



 なのに、その時のいたずらともいえる偶然が、城之内の人生を変えていくなんて誰が予想しただろうか。



 夜のドミノ街の迷宮に迷い込んだ二つの他人が、ほんの少しの間だけ共に歩いた時間が、頑なな殻にひびを入れていき、城之内を確実に変えていった。








 これは、そんな昔話。














『さくら』









 
 
 ビルとビルに挟まれた狭い路地裏は表の街の顔とは違い灯りも届かない真っ暗な世界だ。そこらかしこにビールケースやダンボールが詰まれていて、ゴミも散乱している。そんな一角に見事に溶け込んでいる城之内もゴミの一部のようにひっくり返っていた。



 う……頭が痛い。
 って、なんで、オレココにいるんだっけ。たしか蛭谷ん家で、ビールとチュウハイを飲んで、飲みまくって、それからそれから良い気分になってたんだよな……
 そんで、良い気分で、久しぶりに家に帰って。


 
 頭が痛いのは額が切れて血が出てるからで、そうなった原因は分かってる。なのに、誰が元凶かは分からない。分かりたくもない。考えたくない。

 城之内は絶対にオレは悪くないと自分に言い聞かせて、拳をぎゅっと握り締めた。
 頬に伝う生暖かい血液を拭う気にもなれず、アルコールに浸った体は沈みこむようにゴミの山に埋もれていく。
 酔っている思考がそのまま暗闇に落ちていきそうな中、城之内は薄ら笑いに唇を歪めた。



 ……っははっ。結構、血、流れてるよな。
 このまま、ここで逝っちまうのかな。それも面白そうだぜ。どうせ、悲しんでくれる奴なんて一人もいないし。
 みんな清々するさ。
 ゴミが一匹居なくなったってな。



 汚い路地裏で、ゴミに紛れて死んでいく自分に哀れみをくれる人間などいないだろう。ただ面倒が増えたと第一発見者は嘆くだろうか。
 最後の最後まで人の手を煩わしてしまう自分に嫌気が湧いてくる。




 しかし、


 汚れた場所で、消えてしまいそうな自分の姿が脳裏に浮かんだとき、



「………いやだ…っ…。」


 声が声帯を震わせた。死にたくないと。


 死にたい願望はあるのに、臆病な心が生に執着していた。








 その時、城之内の頭上から聞きなれない言葉が降ってきた。


『 Take this hand if you do not want to die. 』


 そして、差し出される大きな手。

 城之内は反射的に顔を上げるけれど、暗い路地裏では顔なんて判別できるわけでもなく、城之内は首をかしげる。
「誰……だよ?」
「      」
 やっと手に入れられそうだった、開放の時を邪魔されて城之内の語気が上がる。しかし、男は無言で手を差し出したまま姿勢を崩さない。



 さっき男は何を言ったのだろうか。
 中学の授業もまともに出てないので、何を言ってるかさっぱりわからない。





「………。」




 全然分からないはずのに、城之内はその大きな手にためらうことなく手を伸ばした。




 多分その手が大きくて、ごつごつしていたから。
















『さくら 1』

 







はじまりはこんなものでしょうか(苦笑)