今にして振り返ってみれば、あの頃の俺はずいぶん荒れていたんだと思う。
 ずっと上目線だった大人との距離がだんだん縮まって、束縛されていた自由を開放されて粋がってたんだ。だけど、大人との視線が合うようになってきたからこそ知ったものもある。

 侮蔑と好奇心

 俺の家庭環境をまるでワイドショーのコメンテーター気取りで批判している近所のおばさんや教師に大人たち。
 子供心に感じていた違和感がスッキリと見えるように、聞き取れるようになって、俺は耳を塞いだし目も閉じた。

 卑屈な精神で見る世界は歪みきっていて、周りの奴らが全部うらやましかったんだ。
 都合のいい時だけつるむ様になった蛭谷やダチでさえ、俺から見ればみんな恵まれている。幸せな奴ばかりだ。
 家に帰ればあったかいメシと部屋が待っている。もちろん親の小言もくっついているだろうけど、そんなの、何もない俺から見ればどうってことない。
 冷たいメシも、うざったく感じる親さえいないのと比べれば天国みたいなもんさ。


 家にいるのは、リストラされて女房に逃げられたうっぷんを酒とギャンブルと女。そして、俺への暴力で晴らすしかないクソオヤジがいるだけだ。


 俺はお前達とは違う。

 不幸な自分に酔い、もたれきり、心の中で何度も吐き捨て、一匹狼を気取ってた俺。
 考えることをしないで、その時の感情のまま騒ぎ怒鳴り散らす。顔を顰める大人たちにざまあみろと舌を出しながら、しがらみのない自由を謳歌していたんだ。

 酒、たばこ、万引き、授業をサボってケンカ三昧の日々。好きなことだけをして、ただ流れてゆく時間を貪っていた。それが自由だと信じて疑わなかったあの頃。



 でも、それは自由でもなんでもなくて、閉じた世界で溺れて窒息寸前だったなんて、どうして気が付かなかったんだろう。




 子供だったから



 なんて、言い訳は許されるだろうか。














『 さくら 3 』












「一日、行方不明だったら、ずいぶんハデな顔での再登場だな。」
「るせっ!!」

 翌日、行くあての無い身を持て余して登校してきた城之内だが、勉強する気なんてあるはずも無く、1時間目からたまり場にしている屋上に足を運んでいた。

 鍵を壊したさび付いた鉄のドアを開けた途端、蛭谷と本田が目に入ってきて、城之内は別の場所にすればよかったとあからさまに不機嫌に顔を歪めた。

「わざわざ心配してやってんだ。バーカ。」
「蛭谷に心配されるほど、落ちちゃいねーし。」
 ぺっと唾を吐き捨てて、城之内は仕方なく蛭谷が陣取っている日陰の中に入っていった。真夏の太陽が照りつける屋上もこの影が無くなれば居られたもんじゃない。頑張ってもせいぜい1時間くらいが限度だろう。
「なあ、城之内、鏡見たか?すげー顔だぜ?」
 まだ、冷たいコンクリートに背中をくっつけて暑さを凌いでいう城之内に本田が心配そうにしている。
「見てねーし。」
「だろうな。」
 相変わらず自分に無頓着な城之内に本田はため息をついた。





 キースの部屋を飛び出した後、城之内は自宅で父親とケンカをしていたのだ。いや、一方的に殴られたというほうが正解か。
 いつもならば城之内に無関心を通す父親も、夕べはむしの居所が悪かったのだろう、無断外泊を怒鳴りつけ鉄拳制裁の拳を振り下ろしたのだ。
 初めのうちは抵抗していた城之内も、一向に勢いの衰えない父親に無駄な足掻きを止めたのだ。この悪夢の時間が早く終わるようにとひたすらに耐えることを選択したのだった。
 その結果が今の状態で、ぱっと見に飛び込んでくる大きな絆創膏と、赤く切れている目元と口元。きっとシャツの下に隠れている部分はもっと酷いことになっているに違いない。
 小学校からの付き合いの本田は城之内の変わりように、眉を潜めつつ、財布に潜ませた絆創膏を取り出した。

「ほらよ、見てて気分のいいもんじゃないから、貼り付けとけ。」
「いつも悪いな…。そだ、本田5,000円貸してくれねーか?」
 本田に財布に札が入っているのを目ざとく見つけ、当たり前のように金を無心する。



「おいおい、またかよ。城之内は借りるのはいいけどちゃんと返してるのか?」
「るせっ!蛭谷には関係ねーだろ。俺は本田に頼んでんだ。ま、こいつとは長い付き合いだから、友情が借用書代わりみたいなもんさ。な。」
 タバコを吸っている蛭谷を睨みつけ、城之内は当たり前のように本田に右手を出した。

「たく、仕方ねーな。」
 早くと催促する小さな骨ばった手に希望通りの5,000円と絆創膏が乗せられた。
「出世払いでいいからよ。」
「サンキュー。やっぱ理解のある友達はいいね。」
 いそいそとポケットにお金を突っ込む城之内の無様さに、本田の中でふつふつとしたいら苛立ちがつのっていく。しかし、それを本田は作り笑いで誤魔化した。


「じゃ、軍資金も出来たことだし、今日はもう帰るわ。」
「来たばっかじゃねーか。授業は?」
「いつまでも、こんなくそ暑いところにいられるかっちゅーの。今日はどっか涼しいところで暇潰しするわ。」
 そうしている間にもじりじりと暑さを増す屋上に未練なんか無い。
「ってか、さぼってばっかりじゃマジでやべえぞ、城之内。」
「俺以上にサボりまくってる本田になんか言われたくないぜ。じゃーな。」
「城之内!!!」

 さりげなく引き止めようとする本田を軽く無視して、城之内は鉄の扉の向こうに消えていった。









*****






「たく、本田は俺の親じゃ無いっつうの。」
 学校を抜け出し、商店街をふら付いた城之内は、とりあえずの朝飯と涼を求めて、ファーストフード店に入ることにした。


 注文したのをもって2階席に座る。ちょうど暇な時間帯なのか店内は閑散としていて、サボるにはもってこいの場所だ。


 小さなころからの付き合いの本田は最近特に城之内に構うようになってきた。
 昔は一緒にプールに行ったり、公園で遊びまくっていた気の合う友達同士だったが、城之内の家庭がおかしくなるのに合わせるように、行動が合わなくなってきた。
 馬鹿騒ぎしてる時でも、どこか同情と哀れみの色が本田から消えない。ちょっと前なら文句一つ言わず、城之内の言うことを聞いていたのに、今では反対のことばかりという。
 まるで自分のほうが正しいんだと主張する本田がうっとおしくてならない。身長差も大きな原因の一つだ。
「本田もうざったくなったぜ。俺にくっついてないと何も出来ないくせに。つまんねーの。」
 ずずずっと、コーラを飲んでふうっと盛大に息を吐く。



 本田に限らず、ここ最近はつまらないことばかりだ。
 父親の暴力は酷くなる一方で、学校だって面白くない。蛭谷たちとつるんでても、自意識過剰な愛され自慢に反吐が出てきそうだ。
 ただ頭上を通り過ぎていく時間に成すすべも無く、暇をもてあ増す毎日が大嫌いだ。

「まじ、うぜえ。」
 城之内は意味を持たない言葉と一緒にポテトを口に放りこむ。
 油の浸み込んだしけったジャガイモの切れ端が口の中でもたついて居座っている。
 口の中に広がる油っぽさが夕べのチャーハンの味を引っ張りだしてきて、ずっと忘れていた――――あの―――




『とーちゃん特製の残り物チャーハンが出来たぞ。上手いぞ。』
『おいしいよ!な、静香!』
『うん。すごくおいしい。』
『これだったら毎日でも食べられるよ。』
『そうか、じゃ、また作ってやるからな。』



―――― 忘れたかった時間をつれて来る。


「くそっ。あいつが悪いんだ。」
 城之内は不機嫌に椅子にもたれて、コーラをすすり上げた。
「おっさんが全部悪いんだ。」

 だいたい知らないガキを疲拾うなんてありえない。
 見るからに厄介ごとを抱えてそうなガキをしょいこんでも、意味のないことだろう?
 なのに、あいつは平気な顔してガキを家に入れた。城之内の中にある常識が通じないキースの言動が城之内を混乱させていく。そして、人種の違いがあいまってとうとう最後まで、キースのことが掴みきれないでいた。

「だーっ!もう、考えるのやめた。二度と会わないおっさんのこと考えても無駄なだけじゃん。馬鹿バカしい。」

 いつまでも頭にかかる男の残像を振り払うために、城之内はポケットからタバコを取り出した。

「ずいぶん遅い朝飯なんだな。坊主。」
「―― っ!!!」

 不意に頭上から降ってきた声に、心臓が飛び出してしまいそうなほど驚いた城之内の声が店内に響き渡る。

「……おっさ……んっ!」
「んんっ?今日は学校は休みか……っと。」

 キースは、口をパクパクさせている城之内からひょぃっとタバコを取り上げて

「成長しねーぞ。」

 箱ごと握りつぶした。

「かえせっ!!俺んだっ!」
「ダメだ。俺の前では一本たりとも吸わせないさ。」

 手を伸ばしてくる城之内を上手くかわしつつ、キースは向かいの席に腰を下ろす。

「……んで、そこなんだ。他にも沢山開いてる席はあるだろ?そっちへ行けよ。」
「いいじゃん。他人じゃ無いんだからよ。」
「どこからどう見たって他人だ。」

 じっとこちらを見つめてくるキースに城之内はそっぽを向いてコーラを一口すする。
 キースが離れる気がないのなら、こちらが早く食べ終えればいい。ちょっと悔しいが。
 城之内は無言でハンバーガーにかじりつき、そのふてくされた様子に、納得したように小さく頷いたキースも同じように食べ出していった。



 お互い無言のまま食べ進め、城之内はやっと最後の一口を口にいれた。それを見計らったようにキースが口を開き、その唐突な質問に城之内は飲み込もうとしていた肉の塊を喉に詰まらせてしまう。

「学校は?」
「っ!?  ぐっ  ゴホゴホッっ!」

 コーラを一気に飲み、胸を叩きながら城之内はキースを睨みつける。

「おっさんには関係ないだろっ!」
「さぼりか。中坊の分際でお偉いことだ。」
「人のことはほっとけよっ!!」
「悪いことは言わない、学校は行っとけ。」
「だ・か・ら・俺のことは構うなっていってんじゃん。おっさん耳付いてんのか?」

 まったく城之内の言うことに耳を貸さないキースの態度に城之内のイライラが募る。
 たった一日だけ会った他人にかまって何が面白いのか。威嚇も無視も通じない上、魂胆を読ませない、キースの得体の知れなさに、早くこの場を立ち去りたかった。


「     そだっ!」


 城之内はわざとらしくため息をつくと、タバコを入れていたのと反対のポケットをさぐる。さっき本田から借りたお金が入っていた。ハンバーガーを食べたから少し減っているがまあいいか。
 貴重な現金が無くなるのは惜しいが、キースに付きまとわれるのはもっと嫌だ。城之内は小銭を残して千円札をテーブルに叩きつける。

「昨日の分。足りないだろうけど、これでチャラにしてくれないか?」
 思いっきり眉を顰めて、凄みを利かせてキースを睨みつける。教師もこれで竦みあがらせてきたのだ。街一番の不良はわざと大きな音をたてて席を立つ。



 我ながら完璧だぜ。
 満足気に内心ほくそ笑んでいると、その腕をキースが掴んでくる。
「!!!っおっさ……んっ!!」
 腕を掴む力が想像以上に強くて、一瞬うろたえるてしまう城之内。じいっとこちらに向けられるキースの目が笑っていなくて、何も言い返せない。
 父親にさえ感じたことのない、恐れに城之内の背中に冷たい汗が流れる。


「………。」


 生唾が口の中に湧いてきて鼓動が早くなる。緊張に顔が強張る城之内とは対照的に、キースはすぐに態度を緩めて、城之内の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
 そして、あの苦手な笑みにニカッと笑うと、
「どうせ、学校に行かねえんだろ?なら、俺に付き合えよ。」
「はあ?」
 頭にいくつも???マークを付けた城之内を強引に連れ出して行った。










******







「……オイ。なんで、この俺がこんなのに付き合わなきゃなんねーんだよっ!!」

「ははっ。昨日の分にはちと足りないからな。その分を俺様が補填してやろうってんだ。」

「ふざけんなっ!!」



 じゃらじゃらじゃらじゃら……
 ♪♪〜〜〜〜
 136番台スタート!!!

 大音量の音楽に、それに負けない店員の声。そして店内に充満するタバコの煙。



 キースに腕を引かれたまま連れてこられたのは、パチンコだった。
 歯をむき出しにして、隙あらば逃げようと試みる城之内の腕を放さなかったキースは、城之内の金をパチンコ玉に変えると、適当な台に陣取って打ち出した。
 隣で城之内が大声で騒いでいるが、店内の騒音にかき消されてしまっている。

「俺が増やしてやるから、坊主はそこで見てろ。ちょっとうるさいけど、クーラーも利いてるしちょうどいいだろ。」
 大げさに肩を竦め、城之内にウインクをする。
「げっ…。最悪。」
 悪態を忘れない城之内ににこりと頷いて、キースはよれよれのタバコに火をつける。
「あああっ!!それ俺のっ!!!」
 伸びてくる城之内の腕を叩き、キースはにやにやしながらパチンコを打っていく。
「まあ、カリカリしないで、大人しく見てろ。そろそろ出るからよ。」
「……はぁ?んで、そんなことわかんだよっ!」
「なんとなく?そんな感じがするんだな。これが。」
「訳、わかんねーし。ってか、そんなの分かればみんな勝っちゃうじゃんかよ。」
 なんだかんだ言いつつ、城之内はキースの打っている台を覗き込んだ。本当に当たりがくるのだろうか?


 目の前でめまぐるしく変わる数字を目で追っいると、キースの予告通り、数字がそろっていった。
















 それから、数時間後―――。







「すげーすげーすげー。」
 ビルの片隅で、興奮気味にキースを見上げる城之内が居た。
 それも仕方の無いことで、城之内の……正確には本田のお金がものの数時間で何倍にもなったのだ。
「すげえよ。まじですげえ。ずっと当たりっぱなしだったじゃん。」
 ちかちかと派手な電飾といくらでも積み上がるドル箱の興奮がまだ残っている。
「坊主がいたからだな。今日は運が良かったみたいだぜ。」
 お菓子を詰め込んだ袋を片手に、キースはまた、城之内の髪をぐしゃぐしゃをかき回す。
「ちょっ…馴れ馴れしいんだって。」
 大きなキースの手をうざったそうにどかそうとする城之内だが、そこにはもうさっきまでの棘はない。


「まだ、痛いか?」
「えっ?」
「昨日の今日だろ。ここ、結構深く切れてたからよ、普通ならまだ痛むだろうと思ってさ。坊主は鈍感みたいだから、心配してやってんだ。」
「失礼だぜ。そういうのを大きなお世話ってんだ。これくらい平気だって。もう、痛くないよ。」

 と、言いつつも絆創膏の下の違和感は消えない。あったかい掌を感じて、城之内は無意識に目を細める。
「そっか。その絆創膏はあと2.3日はそのままにしとけよ。消毒も兼ねてるから。」
「わかったわかった。」

 さっきまではこの口うるささが嫌だったのに、そうでもない自分に城之内は苦笑いを浮かべた。

「しっかし、昨日よりも怪我が増えてるってのが、坊主らしいところだな。ただし、それ以上怪我を増やすなよ。可愛い顔が台無しになるぜ。」
 髪を撫でていた手で真新しい傷に触れ、もう一度、頭を撫でる。
「だから、やめろって。気持ち悪いからっ。」
 軽く頭を振り手から逃れる仕草をする城之内だが、本気で嫌がっては居ない。
 これが蛭谷や本田なら一発乱闘になりかねないだろう。そんな城之内の変化にキースはさらにやさしそうに表情を緩めて、

「今日は付き合ってくれてサンキューな。ただでパチンコが出来た上に馬鹿勝ちだろ。良いことずくめだったぜ。」

 キースはお菓子の入った袋を城之内に預けて、二つ折りにしていた札束から数枚抜き取ると残りを城之内のポケットに突っ込む。
「ええっ???」
 キースの予想外の行動に、お菓子を手に城之内はぽかんと口が開いたままになってしまっている。
「必要な分は差っぴいてある。残った分は坊主にやるよ。一日付き合ってくれた礼だ。」
「はあっ?訳わかんねえし。」
 礼と言われても城之内は特に何をしたでもない。ただ、隣に居て、あまつさえ昼飯も奢ってもらっていた。まったく城之内の予想の範疇を軽く飛び越えるキースに、困惑を隠せない。






「この金をどう使おうが坊主の自由だが、俺が増やしてやったんだ。有意義に使ってくれよ。あと、金を借りてる奴にはちゃんと返しといたほうがいいぜ。」



「えっ!?」
 その言葉に城之内の目が更に多きくなる。



「じゃな。」


 ヒラヒラと片手を上げて、立ち去っていくキースの背中を城之内はただ追うしか出来なかった。




「おっさん……にはお見通しってか…たまんねーや。」
 まるで城之内の幼い思考など読みきられているようで、ビルの谷間に残された城之内はしばらくそこから動けなかった。











『さくら3』




  
 









 無事に3を更新できた……
 なんだか、苦悩の後があちこちに見えてます。
 
 
 密かに本田が男前さんです。