祈り〜KATUYA・1〜


おとうさんとおかあさんが言っていた。
「春になったら、船に乗ってお父さんの国に行くんだよ。」
「船?」
港に停泊している客船を指刺して、
「大きな海を越えて、お父さんの生まれた国に行くんだよ。」
おとうさんは水平線の彼方にある祖国に思いを馳せている。
「楽しみだね。」
小さな国の小さな街しかしらない俺は
大きな国の大きな街を見てみたかった。

春になったら。

春が来たら・・・・



昭和13年 かつや9歳

俺はこの国の人とは少し違っているようだ。
目の色・髪の色・肌の色
青い瞳・金色の髪・白い肌
おおよそ日本人とはかけ離れた外見をしている。
お父さんがアメリカ人で
お母さんが日本人。
「合いの子」とか「混ざりっ子」と言われてる。
この外見のせいで何度ケンカになったか、数えてもきりがない。
同じ言葉を話して、同じような物を食べて、同じような生活をしている、同じ人間なのに、

どうして、俺だけ違うのだろうか。
何度、疑問を尋ねても明確な答えはなく、困ったような顔をした父が母が克也の頬にキスをする。
そして、必ずこう告げるのだ。
「愛しているよ。」
と。


 「ただいま。」
 ガラッと引き戸が勢い良く開かれて、冷たい北風と共に克也が帰ってきた。
 お勝手では母親がトントントンと小気味良くネギを刻んでいる。釜戸では米が炊かれ、合わせて味噌汁も湯気を上げている。
 「おかえり。また、ケンカしたのかい?」
 母親は包丁を持つ手を止めると、克也の泥だらけの格好に半ば呆れている。
 克也は外見の違いからケンカが絶えなかった。
 近所の子供たちとは仲良くしているのだが、離れた集落の子供とは上手くいかないようだ。
 今日も今日とて、
 「川向こうの、三太だよ!あいつ隣のよしちゃんを苛めてたんだ!」
 元来の性格からか買わなくてもいいケンカを買ったようだ。克也は泥を払うと、オレンジ色の炎を抱えている釜戸に薪をくべ、冷たくなっている掌を暖めた。
 「仕方のない子だね、怪我はしていないかい?」
 「うん。平気だよ!それより、おなか減った!晩御飯はまだ?」
 今日も野山で駆け回ってきたのだろう、母親の袖と掴む。
 「もうすぐ、お父さんが帰ってくるから、それまで待ちなさい。」
 「はあい。」
 素直に諦めると、克也は靴を脱いで和室に上がると、引き出しの中から紙と鉛筆を取り出して絵を描き始める。
 どんなに腹が空いていても、いったん絵を描くことに集中すると、時間の経つのも忘れてしまうようで、白い紙に瞬く間に台所に立つ母親の姿が浮かび上がってきた。

 着物に割ぽう着を着て夕食の仕度をする母。口うるさいが、やさしくて料理が美味しくて自慢の母親だ。
 父親はアメリカの新聞社に籍を置く特派員だ。9年まえ日本の取材をするために来日して、母と出会い恋に落ちた。周囲の特に海馬家の猛反対を受け駆け落ち同然に家を飛び出し、克也が生まれた。
 それ以来、海馬家との縁は切れているようで、克也は二人の複雑な事情も知らされることもなく成長していった。
 何も知らないが克也は幸せだ。
 父がいて母がいて、克也を愛してくれている。
 決して裕福ではないけれども、いつも笑顔のたえない家族が大好きだった。

 「かあさん、見て見て!描けたよ!ほらっ。」
 描きあがったばかりの絵を母親に見せに行く。
 「……すごいねえ。」
 母親が言葉が出ないのも仕方がない。その絵は8歳の子供が描いたとは思えないほどの絵が描かれている。
 親ばかながら絵を克也を交互に見比べる。
 (この子は絵の神様に愛されているのかもしれない。)
 繊細でいて力強く、今にも動き出しそうな絵は見るものを惹きつけて止まない。神さえ魅了してしまうのではないだろうか…
 「次はお父さんを描いてごらん?」
 うんとうなずくと克也は再び白い紙に向かう。きっともう周りの音は聞こえていないだろう。恐ろしいほどの集中力だ。
 克也の底なしの才能に喜びを感じる反面、不安が母親の胸を締め付ける。
 神は克也を愛し、才能を与えた。
 神は愛でるものには試練を与えるのではないだろうか。
 克也の幸せを何よりも願う親として、この溢れる才能が克也を苦しめるのではないかと心配でならなかった。

 がたん。と音がして誰かが家に入ってくる。
 「お帰りなさい。あなた。」
 母が父を出迎える。鞄と帽子とコートを受け取ると丁寧に畳み、出来上がった夕食を運び始める。
 「か・つ・や、帰ったぞ!」
 描くことに集中して、父親の帰宅に気付かない克也の耳元で声をかける。
 「…おとうさん!おかえり!」
 父親に気付いた克也が飛びつく。勢いのあまりに後ろに体勢を崩しそうになりながらも、父親は克也を抱きしめて頬にキスをした。
 克也もまた、外の空気で冷たくなった父親の頬にキスをする。
 「ほらほら、ごはんよ。克也、机を片付けなさい。」
 子犬のようにじゃれあう親子に母からの渇が入る。
 「はあい。」
 いつもの夕食が始まった。
 いつものような暖かな食事。
 いつものような両親の笑顔。
 これからも、続くはずの生活。
 春になったら海を越えてアメリカに渡る。
 克也は両親の愛情に包まれて、春がくるのが待ち遠しかった。

 春になったら……
 ……のはずが、幸福な生活は突然壊れてしまった。

 年が明けて1月25日。克也の10回目の誕生日にそれは起こる。
 父親が取材中に事故に巻き込まれて、帰らぬ人となった。
 朝から降りだした雨が雪に変わった頃、雪よりも冷たい父親が変わり果てた姿で帰ってきた。
 打ち所が悪かっただけなのか目だった外傷はなくて、父は眠っているようにしか見えなかった。
 朝になれば目を覚まして、「おはよう」と声を掛けてくれるに違いない。
 夏の空のような青い瞳に克也を映し、大きくてやさしい掌が克也の金色の髪を撫で、暖かな腕で抱いてくれるだろう。
 横たわる父の遺体の側には、使っていた鞄と取材用のカメラ、そして克也の9歳の誕生日プレゼントの絵の具セットがあった。
 父親は絵の好きな克也の為にこのプレゼントを用意した。克也の太陽のような笑顔が見たくて、克也の手によって生まれる色とりどりの世界を思い描いて絵の具を手にしたのだ。
 冷たく力のない手を握り締めて、克也は声をあげて涙を流し続けた。

 もう一度、目を醒まして。
 克也の願いも空しく、翌日、父親は荼毘に伏された。
 父と同じ色の青く澄み切った天に昇る一筋の煙。克也の青い瞳にはどう映っているのだろうか。
 震える母の手を握り締めて、天を見つめる克也。
 「お父さんは天国に行けたかなぁ…」
 ポツリと呟いた。
 「そう…ね…きっと克也をずっと…見守ってくれるわ…」
 母親は懐から銀の十字架を取り出した。
 「おとうさんがずっと身に着けていた十字架よ。天国のお父さんが克也を見失わないように、肌身離さず持っていなさい。」
 そっと首に掛けると克也を抱きしめた。
 堪え切れない嗚咽と震える肩。愛する人を失って悲しいのは俺だけじゃない。母も同じ思いをしているに違いない。
 克也もまた、母にすがり付いて泣き出した。
 神様、どうしてお父さんを連れていってしまったの?
 どうして、どうして、どうして…
 答えのない問いを心の中で叫びながら、克也は天を仰いだ。

 数時間後、白く小さな骨の固まりになった父親を母と海に帰した。
 波に飲み込まれてゆく、小さくなった父親。

 春になれば……

 3人で渡るはずの海を、父は一人で帰っていった。


 稼ぎ頭を失った克也親子。
 貯えはわずかでこれから先の生活の糧を得るため、母親は街の小さな工場に働きに行くことになった。昼は工場、夜は内職をと働きづめで、愛するものを失った悲しみに痛む心と疲れた体を癒すことも出来ないまま、日ごとに母親は痩せていった。
 克也も母が留守の間は掃除や洗濯、薪拾いなど出来ることは何でもするようになった。もちろん外見のために子供たちとの諍いは絶えなかったが、母親に心配をかけるまいと精一杯元気に振舞っていた。
 ささやかな夕食も終わり、縫い物をしている母親の細い肩を克也は揉む。骨と皮ばかりになった薄い肩が生活の厳しさを物語っている。克也も働きたいのだが、外見が邪魔をして働き口が見つからないのだ。暗くなるまで帰らない母を一人待ちながら、母を助けることが出来ない自分自身に苛立ちを感じるが、閉鎖的な社会ではどうすることも出来なかった。
 「俺、早く大人になって絶対に母さんを楽さしてあげるから。」
 この頃の克也の口癖だ。
 母親も有難う。と、変わらない微笑で頷いてくれる。
 早く、大きくなりたい。
 大人になって沢山働いて母さんと、父さんの育った国に行く。
 父さんがいつも語っていた、どこまでも続く、青空と地平線、夜には満点の星が全天に輝く国。
 母にその光景を見せてあげたかった。

 親子2人で生きていこうと寄り添い、命を繋ぐ。
 しかし、現実は厳しいもので貯えはあっという間に底をつき、母の着物が1枚1枚と売られて、食べ物に変わっていった。
 もちろん、紙も鉛筆も買う余裕があるはずもなく、地面を相手に克也は絵を描き続けた。
 描いては消し、描いては消し…無限に広ろがる薄茶色のキャンバスに枝の筆で、克也は沢山の絵を描いた。

 どうして、絵を描くことがやめられないのか?
 何故、手が動くのだろう……
 絵が好きだから。
 描くことが好きだから。
 何の見返りも求めずに好きだから描き続ける。
 穢れのない純粋な魂から生み出される、見る者を惹きつけて止まない絵。
 それゆえに、神は克也を愛するのだろう。
 そして、与えた才能の分だけ試練を与えた。
 
 父が死んでしまってから、何度か雪が降りようやくその雪が解けて、庭先の梅の蕾がほころび始め春の気配が漂ってきたある日、母親が倒れた。
 数日前から風邪をひいていたのをこじられたようで起き上がれなくなってしまったのだ。
 寝込んでから3日。母は回復する兆しを見せないどころか、悪くなっているようだった。
 「かあさん……お水だよ…」
 「…あ……りが…と…う…」
 苦しいのか荒い呼吸をしながら、母は一口だけ水を含んだ。
 再び布団に横になる母親の体は燃えるように熱い。克也は戸棚においてある父親の写真に目を向ける。そこには写真と一緒に生前、父親が大切に使っていたカメラがある。どんなに生活が苦しくても手放すことが出来なかったカメラ。
 (お父さんお願い!お母さんを助けて!!)
 克也は祈るような思いで父に語りかけると、カメラを手にして家を飛び出した。

 神様、おかあさんを連れて行かないでください。
 ケンカもしないし、いい子になるから、お母さんを助けてください。
 俺の命の半分をお母さんにあげてください。
 お母さんを助けてください……

 克也は夢中で走る。
 父のカメラをお金に変えて、苦しんでいる母のもとに医者を連れて行くのだ。
 「せんせい、はやくっ!こっち!」
 克也が息を切らしている医者を家に連れてきたのは夕方になったころだった。

 診察を終えた医者が克也に言う。
 風邪をこじらせた母親は肺炎になっていた。炎症が肺全体に回っていて手の施しようがないと。
 自力で薬を飲めないほど衰弱した母の命の炎が消えようとしているのだった。
 すまないね。と、頭をさげた医者に克也はすがりついた。
 「おかあさんを助けてください。まだ、生きているんだ!薬をください!お金なら支払いますからっ!お願いします!おかあさんを助けて……!」
 克也は叫ぶ。ここで医者に見離されれば母親の助かる道はないのだ。
 医者はコートを掴む手を解くと、克也の柔らかな金色の頭を撫でて、涙でぐしゃぐしゃの頬を拭った。
 「すまない、何も出来ないのだよ。君がお母さんの為に出来ることは、側にいてあげるしかないのだよ。」
 涙は後から後から溢れてくる。何度も首を振り、助けてくれと懇願するが医者はその場から立ち去ってしまった。
 心なしか背中を丸めた医者が扉の向こうに消えるのを見送ると、克也はその場にへたり込む。

 かあさんがしんでしまう……?
 信じられない、信じたくない。
 まだ、呼吸をしているのに。心臓は鼓動を刻んでいるのに。

   「くそっ!なんで…なんで…」
 ガツッ!ガッ!
 悔しくて、悲しくて、何も出来ない自分に怒りが湧いてくる。土間を何度も殴りつけた。拳に血が滲むまで叩きつけても痛みは感じない。心が痛い。

 「…………や…」
 母親が今にも消えいりそうな声で克也を呼んだ。
 「おかあさんっ」
 あわてて母親の側に駆けつけると、差し出された熱い手を握った。白くて、細くて折れてしまいそうな手に頬を寄せて克也は、母親を感じている。

 母は荒い息の下で克也に別れを告げた。
 克也を一人残して逝かなければならないことを「ごめんね」と何度も謝る。
 それと同じだけ、「愛している」と。
 熱の為に震える手で、止まることのない涙を拭い、柔らかな頬を撫でた。

 涙で滲む母親の最期の顔は、克也の大好きないつもの微笑みだった。
 強く生きなさい。
 お父さんといつも見守っているから。
 そう克也に告げると、母親は目を閉じる。

 規則的に上下する、母の胸。

 お母さん、死なないで!
 もう、ケンカはしないから。
 我侭も言わないし、いい子になるから!
 早く大人になって、働いてお母さんを楽にしてあげるから。
 お母さん……死なないで!

 克也の叫びはもう母親には届かない。
 母の代えても代えてもすぐに熱くなる手ぬぐいを何度も交換しながら、克也は最期の長い長い夜を母と共にした。
 外が白んできて、遠くで1番鳥の鳴き声が聞こえた頃、意識を失った母親はそのまま眠るように息を引き取った。

 急速に体温を失っていく母の側で克也は呆然としている。母を亡くす深い悲しみに泣くことさえできなかった。
 昇る朝日を浴びて咲き始めた梅の花が、この地に春の訪れを告げている。

 春が来たら…
 春になったら、3人で海を渡るはずだったのに。

 待ち望んだ春に、克也は一人になっていた。

     



 どのくらいそうしていたのか、にわかに外が騒がしくなり、玄関の扉が乱暴に開かれる。と、同時に数人の黒服の男たちが入ってきた。
 「誰だよっ!勝手に上がって…っ!!」
 男たちは無言のまま、母親をタンカに乗せると白い布ですっぽりと覆う。
 「お母さんに、なにすんだ!!こらっ、お母さんに触れるんじゃねぇ!!」
 タンカを持つ男の一人に掴みかかろうろして、反対に別の男に押さえ込まれた。どんなにあがいても大人と子供かなうわけがなく、克也は母親を連れ去ろうとしている男たちの背に叫ぶ。
 「返せ!お母さんを返せ!!」
 かぶり。
 克也は男の腕から逃れようと、無意識に腕を噛んだ。
 「いっ……!!!」
 口の中に広がる鉄臭い血の味を感じながら、緩んだ腕から克也の体がすり抜けた。
 「この、クソガキが!!」
 玄関に駆け抜けようとしたはずが、
 ズン……
 首の後ろに重い衝撃がはしって、克也の意識はそこで途絶える。
 暗くなる視界の端に見えたのは、男たちが踏み荒らした足跡だった……


   


貴腐人が負けました。意思が弱すぎですね。
更新の間が開いているにもかかわらず、増えるカウンターを見るたびに、訪れていただける方が「更新ないじゃん。(思ってない?)」と帰って行かれるのに忍びなく、ちょうどキリがいいところまで上がったのでUPしました。これくらいの長さが貴腐人的には読みやすいのです。この後も同じくらいの量になるはずなので。
<バレンタイン企画>と鼻息も荒くやってみましたが、かなりフライングか・・・じゃあ、銘打つなといわれそうですが・・・いやいや、後編をバレンタインにUPしよう!!軽井沢に来たあたりを・・・・克也が「城之内克也」になります。多分、あんまり関係ないけど。
ちょうど、「3」辺りで静香が回想していたあたりです。
暗すぎですね。面白くなかったらごめんなさい。城之内いじりが中毒のようにやめられないのでした。
背景はこちらでおかりしました。