傷跡.14



       
 牛丼屋を出てすぐにタクシーに乗り込んだ二人。目的のホテルまでは1メーターの距離だが、遊戯を撒くには十分な距離だ。
 エアコンの効いた車内では窓際にもたれた城之内が流れる景色を眺めている。色とりどりの光が街を飾っているようだった。
 「いつもの車じゃないんだ。」
 「いつものが良かったか?」
 海馬が悪戯に聞き返すと、
 「まさか。遠慮するよ。」
 城之内は大げさに肩を竦めると居心地が悪そうに座りなおした。
 「なあ、仕事は平気なのか?」
 初めての晩はともかく2連チャンで登校してきたり、おまけに今日は昼過ぎまで一緒にいたのだ。ここ数日間は物理的に海馬の仕事の時間は減っているはずだ。
 「…この俺をカイバコーポレーションを侮るな。たかがお前との時間をとった位でぐらつく様な屋台骨はしていない。」
 「そうだよな…お前の会社はでかいもんな。」
 でかいとかそういう問題ではなくて…妙なところで納得しそうな城之内に海馬はあわてて付け足した。
 「仕事というものは、単に長時間すれば良いというものではないぞ。集中して効率よくしなければ何の意味もない。現に俺は18時以降はよほどのことがない限りデスクワークはしないようにしている。接待や会議が入れば別だが、仕事はその時間で終わるようにしている。」
 大企業の社長ともなると会議と接待が重要になるのだが、ここで説明しても埒が明かないので省くことにした。
 「お前と違って、健康管理にも気を配っている。サプリメントとかジムにも通っているしな。まぁジムには取引先の役員がいたりするから、行けばそのまま商談になることもざらだが。」
 結局、仕事漬けじゃんか…海馬らしいな、と城之内は苦笑する。
 「へぇ。社長さんは大変なんだな。」
 「自分で選んだ道だ。」
 「そっか…」
 それきり二人の会話は途切れて、車内はタクシーの無線の音がするだ。程なく目的のホテルに到着した。

 料金を払い、ガラス張りのホールをくぐると、海馬に気がついた従業員があわてて駆けつける。遅れて支配人もやってきた。
 ドミノ町で1番豪華なホテルの1番豪華な部屋を当たり前のように使う海馬はやはり大企業の社長なわけで、邪魔にならないように城之内は少し離れた所からその様子を見ている。
 (やっぱり、海馬はすげえや。)
 父親ほど年齢の離れた支配人が深々と頭を下げている姿を見ていると、海馬との立場の差を嫌というほど感じるのだ。この男とついさっきまで肩を並べて牛丼を食べていたなんて信じられない。城之内を包んでいた高揚感が急速に引いていく。
 (ともだち…なんて……ありえなねえな。)
 海馬は施設でのことを思い出したと言っていたが、とっさについた嘘で上手く誤魔化せただろうか?
 (ばれてるよな…)
 あれだけのことを調べ上げているのだ、おそらく海馬には嘘は通じていないだろう。ならば、城之内自身が覚えていないフリをすればいい。
 (簡単なことだよな、俺、バカだし。)
 海馬は単に城之内の不幸な生い立ちに同情しているに過ぎない。捨てられた子犬を拾うようなものだ。決して城之内を求めているはずはないと、所詮は金持ちの気まぐれなんだと自分自身に言い聞かせる。
 (思い出してくれただけでいいじゃないか。そのことを胸にしまっていけばいい。)
 いつの間にか海馬の周りには、ホテルの関係者以外に取引先の会社の人間も集まって来ていた。きりりと対応している姿はどこからどう見ても高校生には見えない。この場にいる誰もが城之内と海馬の関係に気付くことはないだろう。
 (それでいい。こうして遠くから見ているだけで十分だ…よな…)
 学校で、デュエルで、メディアの世界で海馬の姿を追えばいい。今までもそしてこれからも。しかし、あやふやな状態が続けば必ず海馬の足を引っ張る時が来てしまうと、城之内の心に一抹の不安が走る。
 城之内を取り囲む組織の者には絶対に知られてはならない。その為にもう馬鹿げた時間は終わりにしないといけないのだと心の中で繰り返した。
 
 話が長引いている間に、帰ってしまおうかと思ったころ、海馬はエレベーターホールに向かう。付いてこいと合図をされて仕方なく城之内も距離をとって後を追う。


 海馬に促されて部屋に入った城之内は最上階の窓から夜の街を見下ろしていた。
 ビルの屋上でゆっくりと点滅している赤い点。色とりどりのネオン。川のように流れる車のライト。その一つ一つの灯りの下では沢山の人がいるはずだ。数十分前までいたはずの城之内が属する、悲喜こもごも欲望の渦巻く夜のドミノ町。
 ここにいちゃいけない。
 カーテンを握る手に力が入る。
 海馬と離れなければならないと思えば思うほど、反対に海馬を求めてしまう制御しきれない心に悩まされる。
 ふと、視線を変えるとガラスに映る自分の姿が夜の闇に浮かんでいる。
 洗いざらしのシャツに色あせたジーンズ、手入れなんてしたことのないボサボサに伸びた髪。海馬の洗練された物腰とは正反対の粗野な振る舞いしか出来ない俺。
 これが今の俺だ。
 借金しかなくて
 毎晩、売春をして
 罪を重ねている
 嘘を嘘で固めた自分で遊戯たちにトモダチ面してる
 サイテーの俺。
 海馬とトモダチになる資格なんてどこにもない。
 あの晩の約束はとっくに時効になっているんだ。
 今夜で海馬との時間は終わりにしないといけない。
 それでも駄目なら、学校だってデュエルだって辞めてしまえばいい。
 売春ならこの街じゃなくても出来るさ。
 城之内はガラスに映る半透明な自分に笑いかけた。

 「何をしている城之内。傷口の消毒をするからズボンを脱いでそこの椅子に座れ。」
 振り向くと新しい包帯やガーゼの乗ったトレイを手にした海馬がいる。
 「おおげさだな、ほっとけば治るって。」
 「そのせいで倒れた奴は誰だ?」
 「それはっ…」
 ドラッグのせいだと言いそうになって、あわてて口をつぐむ。
 「とにかくっ、熱はないしさ、こうやっても全然痛くないから大丈夫なんだよ。」
 膝を大きく曲げ伸ばして、なんともないことを見せる。
 「ほらな。それに中坊のときはこんなもんじゃなかったぜ?もっと派手な怪我しまくってたしよ。」
 「もういい。とにかく座れ。」
 能天気すぎる城之内に半ばあきれて、嫌だと騒ぐ城之内を強引に座らせて裾をまくり消毒を始めた。
 案の定、白い包帯には少し血が滲んでいる。手早く包帯とガーゼを取り払い傷口を消毒する。痛々しい真っ赤な傷口に顔をしかめる海馬だが、当の城之内は平気な顔をしている。
 「痛くはないか?」
   「もちろん。だから言ったろ?これくらいなんともないって。」
 城之内が痛くないと平気だと言えば言うほど、海馬には助けを求めているようにしか聞こえない。
 決して強がりで言っているわけではない。こうしてこなければ生きられなかったのだ。根本的な治療法のない心の病を前に城之内を救う方法を模索するしかないようだ。
 「そうか…」
 なぜ、海馬はこんな擦り傷くらいで真剣になるんだろう。怪我なんて自然に治るのに…
 なぜ、海馬が辛そうな顔をしているんだ?
 どこか感情を置き忘れてきた城之内には海馬が辛そうな顔をしていることが理解できなかった。
 海馬は新しい滅菌ガーゼで再び傷口を覆い、包帯で固定する。捻挫している足首もシップを取り替えた。

 「……やっぱ、やらねえのか?」
 城之内はズボンの裾を戻しながら、戸惑いがち言った。
 「ほう、勉強か?」
 城之内の意図していることは判っているはずなのに、わざとはぐらかす様に惚ける。
 「バカ野郎。SEXだよ。俺の仕事だろ。」
 海馬は汚れた包帯やガーゼを乗せたトレイをテーブルに乗せると
 「最初に言ったはずだ、今夜は”ともだち”になれと。お前こそ覚えていないのか?」
 「忘れたわけじゃないけど…」
 どうやら海馬にはSEXをする意思はないようだ。
 「じゃあ、今夜はこれで帰るよ。次の客もいるからさ。」
 「心配は無用だ。今日もお前の全ての時間を押さえている。他の客が入ることはない。」
 「ばっかじゃねえのか?」
 金持ちの同情とはいえ、海馬の常識のない金銭感覚に城之内は呆れる。
 「なに考えてんだ?たかが”ともだちごっこ”にいくら使ってんだよ。友達がいなくて寂しいなら学校に来ればいいじゃないか。」
 「生憎、その時間の余裕はない。お前ではなければ意味がないだろう。」
 海馬は至って冷静だ。穏やかな青い瞳には城之内が映っている。
 「ははっ、そういえば言ってたなあ。何とかの約束とか……悪いけど人違いだぜ?俺はお前と会ったことなんてない。海馬さまは客だから我慢してたけど、正直身に覚えのない約束を果たせなんて迷惑なんだ。」
 「人違いなどではない。」
 青い瞳が城之内を捉えて離さない。
 だめだ。もう俺の中に入ってくるな。
 「わりいな。本当に俺は知らないんだよ。さっき食べた牛丼で簡便してくれないか?違約金でも何でも請求して構わないから。」
 海馬はあの頃の俺を重ねているに過ぎないはずだ。そう、俺はあの頃の綺麗な俺じゃない。海馬の幻想を砕いてしまえはいいんだ。
 「海馬は俺のことをご丁寧に調べてくれたよな?なら、俺がこれまでどうやって生きてきたのか知っているだろう?」
 城之内は横柄な態度で椅子深く腰をかけて足を組み変える。
 「ああ。」
 「何が目的なんだ?金か?遊戯か?俺はさんざ海馬の邪魔をしたからな。叩けばホコリがいくらでも出る身だ。要求を言ってくれなんでも言うとおりにしてやるよ。」
 城之内の感情の変化に海馬は目を細める。馬鹿笑いをしたり、夜景を眺めてボーっとしていたかと思えば、挑発的な態度をとってくる。
 (熱のせいか…今夜は感情の起伏が激しいようだ。このまま少しでも城之内の内にある重荷を吐き出させてやれればいいが…)
 「馬鹿馬鹿しい…貴様の弱みをみ握ったところで何の徳がある。それよりもだ、貴様は自分の借金がどのくらいあるか知っているか?」
 「はぁ?」
 海馬の唐突な質問に面食らう。何を聞くんだ?
 「自分のことだろう?貴様の仕事に関わる重要なことだと思うが?借用書や契約書、返済表や利息を確認をしたことないのか?」
 棘のある言葉とはうらはらに声はやさしいくて城之内は答えを拒絶することができない。
 「うぅ…見たことくらいあるさ。借用書には保証人のとこに俺の名前が書いてあるさ。」
 父親に連れられていったマンションで犯された後、契約書にサインをさせられた。
 「ほう、では利息は?」
 「知ってるさ。”トイチ”だよ。」
 ”トイチ”の利息。
 この男は10日で1割という法外で違法な利息だということを知っているのだろうか?
 「高いな…明らかに違法だな。元金が1億2000万とすれば10日後には1200万円の利息だ。1ヶ月で約3600万円。契約自体なりたたない。債務整理や自己破産もできたはずだ。制度を知らないわけはあるまい?」
 自己破産〜簡単に言えば財産も失うが、借金もなくなる。
 「いいんだよ。」
 城之内は卑屈に笑う。
 「いいんだ。俺にはそれでも金が必要だったんだ。」
 どんなに違法な利息でも売春が違法な行為であっても城之内には生きる道はそれしか残されていなかった。離れ離れになった妹の治療費と借金を返済するために、そして海馬ともう1度会うために城之内が選択した道。
 「”必要悪”て知っているか?」
 「必要悪…か。上手いことを言うな。」
 「親父が金を借りた所はヤミ金で当然違法なところだ。だけどな俺たちみたいに何の力も持たない人間には銀行は金を貸してくれなかった。社会にとっては必要のない違法なヤミ金でもな、俺たちとっては生きるために必要な命の綱なんだよ。現に俺は男に抱かれるようになってからは、親父に殴られることはなくなったし、餓えることもなくなったんだぜ?」
 父親の会社が倒産しそうなとき、銀行が金を貸してくれたら倒産は免れたかもしれなかった。失業した父親を雇ってくれる会社があれば父親はここまで荒れることはなかったはずだ。
 城之内は胸に痞えていたものを吐き出すように言葉をつづる。
 親戚も社会も誰も助けてはくれなかった。羽振りがいいときは皆いい人だったのに、金に困ったと知ったとたんに掌を返したように冷たい態度をとられた。学校に行けば静香はいじめられ城之内の周りからも友人はいなくなった。
 「毎日男に抱かれてきたぜ?ノルマがあって、1日最低2人だ。月末や週末は稼ぎ時だから1晩で何人も相手をしたんだ。おかげで月曜の体育はしんどかったぜ。なんせ走ったりしてたらな残ってたザーメンが垂れてきたりさ。ひやひやもんだ。」
 「なるほど。それが貴様の料金設定なのか。」
 「すげえだろ?高校生で1月に3000万も稼ぐやつはなかなかいないよな。おやじも孝行息子を持ったもんだ。金を稼いで来る上にSEXの相手だってしてやるんだから。中出ししても子供が出来る心配もいらねえ。親父とのSEXはたまらないぜ?禁断の関係ってやつだな。興奮するぜ。」
 唇をゆがめて話す城之内に海馬は静かに耳を傾ける。
 「笑いたければ笑えばいい。馬鹿にしてもかまわない。友情とかデュエリストだとか説教垂れてたけどよ、これが俺の本性さ、1日中金のことと男の事ばっか考えてるような最悪な人間なんだ。」

 まだ足りないのか?海馬…どのくらい聞けば俺のことを見捨ててくれるんだ…

 城之内は気付いているだろうか。自らを貶めようと卑しい人間を演じようとしているのにも関わらずその顔は苦渋にみち、琥珀色の瞳が揺れていることに。
 「海馬も俺の味は知ってるだろ。あの時はサービスしたんだけど、どうだった……!!」
 「もういい。強がりはよすんだ。」
 海馬が城之内を抱きしめる。ふわりと香る海馬の匂い。
 「強がってなんかいない!」
 海馬の腕を振り解いて城之内は声を荒げる。
 「高校に通ってるのも、全て金のためさ!”現役高校生”なら高く売れるんだよ!しかも、今はデュエリストの端くれだ。この肩書きで俺の値段は跳ね上がったのさ。俺に利用されてるとも知らずにデュエルの相手をしてくれるんだから遊戯もお人好しだよな。そのうちあいつにもケツを貸してやるかな…」
 「城之内っ!!」
 さすがの海馬もこれ以上は聞くに堪えられない。エスカレートする城之内の腕を掴んで引き寄せる。
 息がかかるほど、近くに海馬がいる。青い目が城之内が映っていた。
 眉間に皺がよっていて、やっと挑発に乗ってきたと城之内はほっとした。あと少しで海馬から離れられる。
 早く、見捨てて!
 俺のことなんか、放ってくれればいい。
 凡骨でも、馬の骨でもいいから、俺ともう関わらないでくれ…
 きっと今夜で海馬とはおさらば出来るはずだ。今まで以上に蔑まれ、眼中にも入らなくなるだろう。海馬に迷惑をかけない為には城之内に取れる最善の方法だった。城之内は祈るような思いで海馬を正面から睨む。
 「馬鹿野郎!まだ判らないのか?俺を誰かに重ねるのはやめろ。身に覚えのない約束を押し付けられても迷惑なんだよ。俺とSEXする気がないなら…2度と指名を……するん………じゃね……え………?……」
 今まで威勢の良かった城之内の身体から急速に力が抜けていく。
 「………て……めぇ…な……ん…     」
 最後まで言えずに城之内の身体が崩れるように海馬の胸に倒れこんだ。
 やっと効いてきたか。
 夕食のあとに半ば無理やりに服用させた薬。抗生物質や栄養剤のなかに睡眠導入剤も混ぜてあったのだった。
 規則的な寝息。熱はほぼ下がっているようで、昨夜の病的な顔色はなく血色のよい肌にもどっている。
 海馬は手触りのいい金糸を整えると長めの前髪に隠れていた目元をあらわにした。施設にいたときの面影を残す変わらない城之内の寝顔。
 「手のかかる奴だ。少しは楽になったか城之内?今は眠るがいい。お前には休息が必要だ。」
 腕の中にある心地良い重みを受け止めて、海馬は眠る城之内に問いかける。
 答えはないけれど……
 海馬は城之内を抱きかかえ寝室へと運び、ベッドにそっと寝かせると海馬は城之内の額に唇をよせる。
 「悪夢は見なくていい。今夜はいい夢を見ろ。」
 海馬が今は亡き両親から、悪い夢を見ないように毎晩のようにしてもらっていたおまじないだった。最後に慈しむように柔らかな頬をなでると照明を落とした。


 その夜、俺は夢を見た。
 俺は子供になっていて、そこには遊戯も本田も杏子もバクラも…
 何故か海馬もいるんだ。
 みんなでかけっこをしたり、野球をしたり、もちろんデュエルもした。
 1日中遊んで遊び疲れた頃、夕方になっていて、
 気がついたら公園に一人取り残されていた。
 怖くて心細くて泣きそうになったら、
 とうさんとかあさんとしずかが迎えに来てくれた。
 多分これはいい夢になるんだろうけど、
 目が覚めたときには覚えていないければいいなぁ。

 夢なんていらない。











 また、やってしまいましたね。予告破り。13をあげた当初はここのシーンはもっと軽くて明るくてちゃちゃっと流して、海馬と遊戯の会話をメインにしようとしていたのですが…
 企画落ちしたあたりから沈んでしまい、不調の私に呼応するように、くら〜い城になりました。14というより13-2かな。この会話は入れる予定だったので(どのシーンかは内緒です)まあいいか。
 背景とかぶって読みづらかったと思います。が、ごかんべんくださいませ。
 次こそ、遊戯が出るぞ…
 背景はこちらでお借りしました。
 廃絶空虚 ― HAIZETU KU-KYO ―
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