おれは家族がほしかった。 父さんがいて母さんがいて静香がいて 笑って怒られて、一緒にご飯を食べて、眠って。 何事でもない、日常がほしかった… 『俺を愛してください』 おまえなんかうまれてこなければよかったのに ウマレナケレバヨカッタ 俺の子じゃない 『抱きしめてください。』 家を追い出された城之内は街をさまよっている。 雨の中、傘も差さず、靴も履かずに道を行く姿に、すれ違う人間は奇異のまなざしで振り返り肩をすくめる。しかし誰も助け手を伸ばす者はいない。見るからにやっかい事を抱えているであろう他人に首を突っ込むものはいない。 幼い頃から何一つ変わらない、他人の冷たさ。 助けてくれる人間なんか誰もいない。 警察も施設の人間もあてにならなかった。地面をはいつくばって生きている城之内に優越感を感じながら、哀れみの言葉を投げかける。耳に心地いいやさしい言葉に酔い、自分はなんて恵まれた人間なんだと確認するために城之内を利用している。感受性の強い子供は敏感にそれを感じ取り、心を閉ざす。 『ダレモタスケテクレナイ』 城之内の悲鳴が聞こえた大人はいなかった。自分を救ってくれるものはいないと理解することは容易かったが、母に捨てられた孤独と、父に売られる屈辱感は城之内を迷うことなく打ちのめし、慣れることのない感情に慣れようと城之内は一人で耐えてきた。 成長することを止め、泣きやまない子供のままの自分を心の奥に閉じ込めて、夜ごと男たちに身を任せ一人で生きてきた。 「せと」に会うために。 ただ、それだけのために命を繋いできたのだった。 大人の都合で引き裂かれた二人。共に過ごした時間は短かったけれど、醜い姿の俺を受け止めてくれたのは瀬人だけだった。擦り切れてしまいそうな心を癒し、包んでくれたのは瀬人だけだった。 大人たちの欲望に翻弄されながらも、繋いだ手のぬくもりを忘れることはなかった。 瀬人に会いたかった。 お前なんかウマレテコナケレバよかったのに どこぞの男とヤッて出来たガキなんだ!!! 『もともと、俺には瀬人と会う資格なんてなかったんだ…』 生まれてきてはいけなかった存在。 生きていてはいけない存在。 汚れた身体。 傷だらけの心。 違う…俺の存在があってはいけなかったんだ… 『なんのためにいきてきたんだ…』 すれ違う人にぶつかり、殴られても何も感じない。痛みも罵声も城之内には届いてこない。視点の合わないうつろな瞳には何も写らず音も聞こえず、頭の中にこだまするのは父親の声。 てめえなんか俺の子じゃない とうさんの子供だったから、我慢してきた。 とうさんのために我慢した。 オレハナンノテメニウマレテキタノ オレハダレ 「おれをこわしてくれ……」 城之内は雨の止まない天を仰いだ。 結局、電話の後に城之内がいつもの陽気な姿で教室に現れることはなかった。 もしかしたらちょこっとだけでも顔を出すのかもしれないからと、遊戯は放課後ぎりぎりまで残って城之内を待っていた。すでに時計は下校時刻を過ぎてぽつりぽつりと振り出した雨は勢いを増し締め切ったガラスを叩く。 「城之内君とうとう来なかったね。」 二人の遊戯は外を眺めている。 「あぁ…」 「どうしたの?顔色が悪いよ?」 もう一人の遊戯が雨に煙るドミノ町を見つめている。その視線の先に何かを感じ取っているようだ。 「相棒、なにか嫌な感じがする……城之内くんに何かあったのかもしれない。」 胸にかけられているパズルが熱い。こんなことは初めてだ。 「えっ!」 「いつまでもここで待っていても仕方がないから、城之内くんを探そう。」 「うんっ。」 遊戯はかばんを背負うと教室を飛び出す。 仕事を早く切り上げた海馬は待ち合わせ場所のホテルに到着した。 どうしても、別れ際の城之内の微笑が頭から離れない。 父を殺そうとするまで追い詰められていた城之内。やはり、あの時手を離してはいけなかったのかもしれない。 早く来い。 いつもより遅く感じる時間の流れにイライラしながらも、城之内の調査書に目を通すのだった。 行く当てもないままに、街を彷徨い歩いた城之内がたどり着いたところは、いつも逃げ込んでいた公園。 身体に染み付いた条件反射は城之内を公園に向かわせていた。 豪雨の中人っ子一人としていない公園は、今の城之内にとってはありがたい場所だった。城之内は濡れた身体を預けるように、ブランコに腰を下ろす。 城之内を乗せたブランコがキイッと金属の軋んだ音をたてた。 幼い頃、父親と日が暮れるまで遊んだ場所。 静香の手を引いた母さんが迎えに来てくれて、父さんの背中におんぶをされた帰り道。 そして、静香を連れて逃げ込んでいた場所。 「……っ」 腕に残る傷跡が疼きだし、城之内の忘れていた光景が甦ってきた。 施設に入る前の日、両親の喧嘩は激しいの一言に尽きている。お互いを罵り合い、聞くに堪えない罵声がとんでいる。城之内はおびえる静香を連れて公園に避難した。しかし、夕方になると雷を伴った夕立に仕方なく家に帰ることにした。喧嘩も終わっているだろうとささやかな期待を抱いて帰宅した城之内を待っていたのは包丁を握り締めていた母親だった。 そっと玄関を開けて、家の中を覗き込むと暗い室内に父さんと母さんが対峙している。二人とも息が上がっていてどんな状況が繰り広げられていたのかが想像がついた。俺は子供部屋に行こうと静香の手を握り締めた。 「お兄ちゃんがいるから……大丈夫…」 と言うつもりだったのが、何かに怯えて凍り付いている静香の表情に気付いて、背後を振り返ると、そこには台所の包丁を握り締めた母さんが立っていた。 「かあさんっ!!!!」 母さんは包丁を振るかざすと、震える声で言った。 「あんたなんか、生まなければ良かった。あんたがいたから、かあさんは……かあさんは…」 くらいくらい顔。 包丁を握る手がぶるぶると震えている。 「ウマレテコナケレバヨカッタノヨ」 呪文のように聞いたことの無い言葉の羅列を綴ると、その切っ先は城之内に迷うことなく向かってきた。 「かあさんっ!!」 ぱっくりと開いた赤い傷口。腕を伝い流れ落ちる赤い血。 静香は床に広がる血に声を上げることも出来ずに震えている。 城之内は何が起こったのか理解できないまま、母親を見上げた。 震える手で赤く染まった包丁を握る母親が泣いている。 カランと音をたてて包丁が床に落ちた。と同時に城之内の膝が崩れ床にへたりこんでしまった。 母親と静香のすすり泣く声と雨音が部屋を支配する。 かあさんがおれを…… 母親から包丁を突きつけられた恐怖から逃避するために城之内は意識を手放した。 子供の城之内はわからない。 母の言葉も行動も。 わかりたくない。信じたくない。母さんが俺をコロソウトしたなんて。 そして、城之内は記憶に蓋をする。 翌朝、傷口を包帯で覆った城之内は瀬人のいる施設へと連れて行かれた。 「ははっ…」 お笑いだ。情けなくて笑うことしか出来ない。 自分を捨てた母と静香を守るために城之内はその身を差し出した。父でないものを助けるために城之内は男に抱かれてきたのだ。 どうして、母は城之内を捨てたのか、父は簡単に城之内を売り飛ばし平気で抱くのかようやく理解できた。 城之内の存在が両親にとっての傷跡だったのだ。 父に似ない姿形。色素の薄い身体。成長とともに母を犯した人間に似てくる城之内は両親を苦悩させた。 ひとは弱い。 生まれてくる子供には罪はないからと、二人の子供として育てようと誓い合った。 会社は軌道に乗っていて生活が安定しているときは誤魔化せる。しかし、会社が倒産にて生活が成り立たなくなると、父親は憤りを怒りの矛先を城之内に向けた。全てお前のせいだと。一度狂った歯車は元には戻らず、城之内に理不尽な暴力が繰り返された。 父は弱い自分から目を逸らすために城之内を犯し続けた。 お前が全ての元凶なんだと。 繰り返される暴力と虐待によって城之内は壊れていく。 現実の世界には逃げるところはどこにもない。ここは悲しくてつらくて痛いところだ。誰も守ってくれる人はいない。絶望の先に見えたのは重い鉄の扉。外界から隔てるようにあるそれを城之内はためらいなく開く。 おれには瀬人を求める権利なんかない。 もっと早く気づけはよかった。 おれはここにいてはいけないんだ。 城之内の求める幸せは存在しなかった。 両手からすり抜けたと思っていた幸せはもともとなかったのだ。 無いものを求めても見つかるはずがない。 いらない子ならどうして、俺を生んだんだ… ……もう、どうでも…いいや…… このまま、雨に闇のなかに溶けてしまいたい。 存在自体が罪ならば消えてなくなればいい… 「城之内君!!!」 公園に遊戯の声が響いた。もう一人の遊戯に導かれてようやく城之内を見つけ出した遊戯が慌てて駆け寄ってくる。 「どうしたの!!!びしょ濡れじゃないか?こんなに冷え切って……一体何があったの?」 「………」 遊戯の声が聞こえていないのか、城之内はうつむいたままだ。どのくらい雨のなかにいたのだろうか城之内の身体が小刻みに震えているようだ。遊戯は傘を城之内に無理やり持たせて、かばんの中からタオルを取り出して城之内の雨をぬぐう。 「……ゆ…うぎ…?」 柔らかなタオルの感触にようやく、城之内の焦点があった。 「よかった。」 城之内が答えてくれたことに一安心する遊戯だったが、タオルに付いた血に慌てた。城之内の額がぱっくりと裂けていてそこから血が滲み出ているのだ。 「怪我してるじゃないか。とにかく僕の家に行こう。」 ここにいても埒が明かないからと、遊戯は城之内を家に連れて行こうと手を引っ張った。 「……」 しかし、城之内は動こうとせず反対に遊戯の手を振りほどいた。 「城之内くんっ」 「おれにかまうな。おれは……そ……資格んて…ない…」 唇を震わせて、声を絞り出す。 「城之内君…」 尋常ではない城之内の様子に遊戯もどうしていいのかわからず戸惑う。 「よお、やっと見つけたぜ。」 声のするほうに視線を向けると、そこには数人の柄の悪い男たちがいる。 暗くて顔はよくわからないが、皆一様に下品な笑いを浮かべている。 「探したんだぜ?城之内よぉ。」 男たちはゆっくりと城之内に近づいてくる。 「……蛭谷…か?」 蛭谷たちからにじみ出る吐き気のするような気配に、城之内の目に生気が戻ってくる。 「遊戯…逃げるんだ。」 固まっている遊戯に小声で話しかける。 「逃げるって?城之内くんは?」 中学からの因縁が切れない蛭谷だ。おそらく目的は城之内だろう。いつもなら迷うことなく相手をするが今日は遊戯がいる。まずは遊戯を身の安全を確保することが先決だった。 「あいつらの相手は俺だ。お前は逃げろ。」 「城之内くんだって怪我をしてるじゃないか?放って逃げられないよ。」 「ばかやろう。」 そんな会話の間にも蛭谷との間合いは詰まる。これ以上近づけば逃げられなくなる。城之内は遊戯の腕を掴んで逃げようとするが、 「おっと逃げられないぜ?」 背後にも蛭谷の手下が回りこんでいたのだ。 「…ひぁ…!」 手下の男は背後から軽々と遊戯を締め上げる。 「遊戯!!」 「ぐっ…じょ…の…」 遊戯を捕らえられては、城之内は手も足も出ない。 「くそっ!」 遊戯を人質にとられて動けない城之内の首筋に鈍い衝撃がはしった。 「……ぐっぁ……」 続いて蛭谷のコブシが城之内のみぞおちに入る。 「がぁっ」 胃の中のものを吐き出しながら、城之内が水溜りの中に沈む。倒れて泥だらけになった城之内はピクリとも動かない。 「……じょ……う…」 遊戯もまた、締め上げられて目の前が暗くなっていく。 閉じる視界の中見えたのは、男たちに担ぎ上げられてた城之内の姿だった。 |