傷痕22



 
 海馬の見た薄暗い廃工場は凄惨な光景だった。
 蛭谷を筆頭に十数人の男たちに囲まれている城之内。全裸の城之内は蛭谷に抱えあげられ、深く挿入されている。下半身を丸出しにしている男の姿から城之内がどのように扱われたのか想像に難くない。
 「貴様らっ!!!」
 ぎりりと歯を食いしばり拳を握り締めた。
 「瀬人様…」
 海馬の背後には磯野を初め、多くの黒服姿ものがいる。その圧倒的な人数の差に城之内を囲む男たちが呆然と動けない。
 「城之内っ!!!」
 叫ぶと同時に海馬の身体が動く。
 周りにいる男たちは下半身を露呈していることに気がいってしまい、一瞬反応が遅れた。
 この一瞬で十分だ。海馬はまずチンピラ風の男に殴りかかる。『ぐごっ』と顎が砕ける鈍い感覚を海馬の拳に残し、チンピラ風の男が飛ばされる。
 そして、振り向きざまに蛭谷の鼻っ柱に靴底をめり込ませた。
 「ぐえぇっ」
 蛙のつぶしたようなうめき声を上げて、蛭谷が床に沈む。
 「城之内。」
 蛭谷の支えを失った城之内が前のめりに倒れ、そのまま海馬の腕の中に納まった。
 「………ん……?」
 だれ?
 覚えたコロンの香りと、力強い腕。
 「…かい……ば…?」
 「分かるか、城之内。」
 汗で張り付いた前髪を払って、海馬は慈しむように頬をなでる。
 「城之内君。城之内君。」
 遊戯は顔を涙でぐしゃぐしゃにし、城之内の横でへたり込んでいる。
 「ん…なんで…ここ…に…」
 海馬のひんやりと感じる掌が城之内の意識をこちら側へ引っ張ってくる。
 「ばかものが…」
 腕の中の城之内を抱きしめて無事を再確認すると、海馬は白ジャケットを城之内に羽織らせる。
 「海馬……」
 「貴様には話がたくさんある。」
 「……そっか…」
 海馬の暖かな腕の中にその身を預け、城之内は安心したように微笑んだ。
 「すぐに医者の手配をさせるから、もう少し我慢しろ。遊戯、城之内を頼んだぞ。」
 「うん。」
 海馬は遊戯に城之内を預けると、磯野たちに指示を出す。
 「ここにいるもの一人残らず捕まえろ。」
 その声を合図に、磯野をはじめ黒服たちが一斉に廃工場内になだれ込み、逃げまどう男たちを捕まえていった。蛭谷もまた磯野に縛り上げられている。


 「城之内君、ごめんね。ごめんね。」
 遊戯は何度も何度も謝った。
 「…いいんだよ。遊戯。どのみちこうなってたんだからさ。」
 城之内はいつもの笑みを浮かべて、首を振る。
 あの公園で蛭谷に会ったとき、遊戯がいようがいまいが城之内の運命はそう変わることはなかっただろう。
 「そんな…だって、僕が足でまといにならなければ、こんなことには…」
 「いいんだ…それより、ほら、あっちの遊戯がまってる。」
 鎖の絡まった腕を遊戯に差し出した。
 「外してくれ…な。」
 「ありがとう。城之内君。僕は、僕は…」
 遊戯は時折鼻を啜り、城之内の傷ついた身体をいたわりながら、鎖を解いていった。
 じゃらっ。
 遊戯の胸にパズルが戻る。
 「よかった…な、遊戯。」
 城之内はうれしそうに微笑んだ。

 よかった。

 遊戯の胸でパズルが輝きを増すと、次の瞬間にもう一人の遊戯が現れた。
 「城之内君っ!キミはなんて無茶なことをするんだっ!」
 パズルの中で叫んでいたのだろうか、もう一人の遊戯の声がかすれている。
 「…わりい…心配かけちまって…」
 「馬鹿だ、キミは馬鹿だ。城之内君が犠牲になっても何も解決にはならないんだよ。どうして、もっと自分を大切にしないんだっ。」
 もう一人の遊戯は何を見てきたのだろうか?
 城之内の傷ついた身体を隠すために、震える手で白いジャケットの前をあわせる。
 「…ごめん。」
 「話は後だ。病院へ行くぞ。」
 残りの処理を磯野に任せた海馬が城之内の側に戻ってくる。
 「海馬。」
 もう一人の遊戯の眼光が鋭くなる。
 「医者はいいって…」
 「貴様の言うことは聞かんぞ。」
 海馬は城之内を抱えあげるために膝をついた。
 「こ…のやろう……」
 脱力しきった身体では抵抗出来ない。城之内が情けなさそうに、笑みを浮かべる。



   

 海馬は城之内の側にたどり着いた。
 パズルは遊戯の元に戻り、
 蛭谷たちは、捕まった。このまま速やかに警察へと行き、それなりの処遇が待つ。
 全てが終わった。

 皆が、そう思った。







 だが、海馬の背後で一つの影がのそりと動く。








       
海馬っ!!!







俺は叫んだ。

ゆらりと起き上がったチンピラ風の男が海馬に銃を向けてたんだ。
砕かれた顎をだらんと下げて、血に染まったその顔は狂気に彩られている。
どこから持ち出したのか、銃口は海馬に向けられていた。
もちろん海馬は気づいていない。


あぶないっ!!


体はもう、動かないくらい疲弊しきっているのに、
俺は叫んだとほぼ同時に海馬を突き飛ばした。

これが火事場のなんとかってやつか。

海馬を助けなきゃ
それ以外は考えられなかった。



「かいばぁっ!!!」



ぱん!
ぱん!

乾いた音と同時に背中に衝撃を感じた。
1回、2回。
撃たれたんだ…
俺はぼんやりと感じた。
でも、痛いとは感じなかった。
強いていえば熱いって感じかな。

海馬の白いジャケットに穴が開いちゃったよ。
きっと、血で汚してるだろうし……血はなかなか落ちないんだよな・・
海馬の服は高いんだ、弁償しなきゃなあ…

なんて、こと考えてたら目の前が暗くなってきたんだ。

俺は死ぬのか……?

揺らぐ視界。

だけど思考は研ぎ澄まされていて、俺ははっきりと気づいたんだ。

海馬が好きだ。
友達なんかじゃなくて……
この世の誰よりも…自分自身よりも…

初めて出会ったときから、好きになってたのかもな。
高い空のような深い湖のような瞳に。
怒っているような表情の中にある慈しみの微笑み。
心地よく響いてくる声。
俺は一瞬で捕われていたんだ。

だけど、認めたくなかった。怖かったんだ。
失ってしまうことが。
求めても手に入らないことが。
ならば、何もいらない。
何も欲しがらなければいい。

手に入らないものを求め続ける苦痛より
欲しいものさえわかならい苦痛を俺は選んだ。
海馬は笑うだろうけどそれが俺の生きていく術だったんだ…

ああ、俺は海馬の腕の中にいるんだろう。
海馬の鼓動が聞こえる。俺はこの音が好きだったんだ。暖かくて安心する。

顔に暖かいものが落ちてくる。
海馬が泣いているのかな。

俺の為なんかに泣かなくていいよ。
最後に
俺はお前の役にたてて、うれしいんだ。
ここまで俺が生きてこれたのは、海馬がいたからなんだぜ。
ありがとう。


海馬に『すき』って言われたときは、うれしかったんだ。
だけど、俺にはお前と共にいる資格なんてないから、
気が付かないふりをした、諦めたんだ。

すき

っていう気持に。
今頃、気づくなんてやっぱり俺は凡骨なんだな。

ごめんな…
…海馬…

もう、泣かないで…

苦しいとか、痛いとか、感じないから

本当の自分に出会えて幸せなんだからさ

泣かないで…俺の為なんかに泣かなくていいよ…





なんか、眠たくなってきた……

海馬の言葉が聞き取れない…また、はずかしいこと言ってそうだな……

………ねむい…

……今度、目が覚めたら言ってやろう。

お前がすきだって。

どんな顔をするかな…

何回でも、言ってやろう。

好き



……やっ…ぱ、ね…む……いや………

……………  …   …  ・






全てがスローモーションのようだった。

「かいばっ!あぶないっ」
城之内が海馬を突き飛ばした。
海馬の背に向けられた銃口から海馬を守ろうと、それだけを考えて身体が動いていた。

「・・・城之内っ!?」
海馬が突き飛ばされて尻餅をついた瞬間


ぱん!


乾いた音。
少し送れて、城之内が海馬の腕の中にゆっくりと倒れこんできた。

白いジャケットを赤く染めて。

「城之内くんっ!」

「城之内―!」


「ひゃひゃははっ、じゃばぁびろっっ!!!」
チンピラ風の男は崩れ落ちる城之内をあざ笑う。

遊戯はチンピラ風の男をにらみつけ、その額に黄金の目が浮かびあがってくる。

「貴様だけは、ゆるさない。その罪は死をもってつぐなえ。」

遊戯は千年パズルに手をかざした。パズルが金色に輝く。

「ひゃ…はっ…??!!ぐっぎゃぁ!?」
チンピラ風の男は銃を咥えると静かに引き金を引いた。








「城之内!」

俺は腕の中にいる人にの名前を叫び続けた。

「死ぬなっ!俺の許しもなくいくな。断じて許さんぞ!」

掌に生ぬるい液体があふれてくるのがわかる。
白いジャケットが紅く染まってゆく。

初めて会ったときのようだ。

腕の中の城之内の顔色は蒼白で、死が迫ってきているのを明白に伝えている。

なのに、城の内は微笑んでいるように見えた。
口元が静かに動いて、言葉を紡ごうとしている。

…す・・き……

海岸で海馬が城之内に語りかけた気持ち。
困ったような顔をして目をそむけた城之内。その表情が切なくて、繰り返しささやき続けた言葉。
だけど、城之内は受け入れなかった。

なのにこの絶望的な状況での一方的な告白。

ずるいぞ……

視界が滲む。俺は泣いていることに気づいた。
涙は後からあとから流れてくる。俺のなかにはこんなに涙が存在したのかを思うくらい、涙が止まらない。

「逝くな、俺を置いて逝くんじゃない!そんな言葉は後で聞いてやる。」

目を開けて。その太陽のようなまぶしい瞳に俺を映して。

憎まれれ口でもいい、俺に語りかけて。

お前がいれば何もいらない。
地位も名誉も肩書きも全て捨ててもかまわない。
城之内がいてくれればそれだけでいいんだ。



「じょうのうちー!」




俺は人形のようになった城之内を抱きしめた。


















城之内は暗闇の中にいる。

何も見えない。

ここは

光も時間もない空間。

どんなに大声を出してもその声は拡散していき、体温さえ感じられなかった。

何もない暗闇を見渡して城之内はため息をついた。

不思議なことに暗闇が怖くなかった。

あんなに怖がっていたことが、嘘のようだ。

「ここが死後の世界?たしか、花畑があるとか誰かが迎えにきてくれるとか聞いたことあるけど…天国じゃないよな…ということは地獄?……まあ、俺にはお似合いかもな。」

あきらめようとして時、どこからか声が聞こえてきた。

「……?」

声のするほうに歩いていくと、小さな子供が泣いていた。背中を丸めて泣いている。

「ああ、俺だ。」

城之内はそう直感した。

ここにいるのは俺だ。

小さな子供は傷だらけの身体を抱えて泣いてる。

容赦のない現実から身を心を守るために、重い扉の向こうに押し込めた自分自身。

泣くことを許されなかった、現実世界に置き去りにされた城之内の代わりに、その少年が涙を流していたのだ。

城之内の苦しみも悲しみを一身に受けて、何年も泣き続けていたもう一人の城之内。

城之内が笑うために、生きるために。

海馬にもう一度会うために。

城之内はそっと泣いている自分を抱きしめた。

「大丈夫だよ。心配ない。俺はここにいるから…」



そうだ、俺はこうやって欲しかったんだ。優しく抱きしめて欲しかったんだ。

大丈夫。
平気。
慣れている。
自分に言い聞かせながらも、城之内は常に愛情を欲していた。
愛してください。
助けてください。
俺を見て。
俺に気づいて。

城之内の声なき声に気づくものはいない。



どのくらいそうしていただろう、腕の中の子供は泣きやみいつの間にか寝息を立てている。城之内はその髪をなでながら不思議な気分になっていた。

自分で自分を慰めるなんて変だよな…でも、悪くない気がするのは何でだろう?心が落ち着いてくるような気がする。
そうか……おれが諦めちゃいけなかったんだ。
俺が、おれ自身を諦めちゃだめだったんだよな。
俺を手放しちゃだめだったんだ……

ごめんな……おれ。

もう、手放さないから、諦めないから。

だから安心して休んでいいよ。


城之内は子供の城之内をぎゅっと抱きしめた。


腕の中の少年は微笑んでいる。
帰るところを見つけて。



そして、少年の身体が淡く輝くと、
城之内の周りの暗闇もまたはれていく。


やさしい光が城之内を包んでいった。





ようやく、ここまできました。どこで切ろうかと迷いましたが、このへんでいかがでしょうか?
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