傷痕25




 カポン

 手入れされた日本庭園に響く、鹿威しの音。
 竹やもみじをはじめ季節の木々が緻密な計算のもとに配置された庭は、夏の気温を吸い取っているようで、日本独特の肌に纏わりつく湿気がない。
 見た目は美しい庭だが、そこに流れる空気はピンと張り詰めている。海馬邸とは対照的な純和風の邸宅で、海馬はある人物と対峙していた。
 庭に引けを取らない簡素ながら贅を尽くした和室の正面に座るのは、ドミノ町の夜を掌握し城之内を縛りつづけた組織のトップだ。
 やくざの長なだけあって、その男のかもし出す空気は海馬に負けることは無い。ドミノ町の日の射さない暗い深部を牛耳る者の気概と、長年培われた凄みのある年季が入っていて、気の弱い人間ならば一睨みで失禁してしまうだろう。
 組長の刺すような視線をモノともしない海馬。背筋をピンと伸ばし正面から組長を見据えている。対する組長は柿渋色に染められた和服姿で、正座こそしているが腕を前に組み海馬を威圧している。
 廊下に控える者、和室の壁際に正座している者、誰一人言葉を発しないまま、時間だけが過ぎていった。
 呼吸の音さえ立てることさえ憚られる拮抗を破ったのは組長だ。
「天下の海馬の若社長ともあろうものが、何ゆえにここに来られた。」
「フッ……答えなくてもわかるだろう。」
 狸親父め。海馬は唇を歪めると、
「城之内を解放してもらおうか。」
 余分な会話も必要ないと単調直入に本題に入る。組長も城之内の一件は耳にしているから、海馬が言わんとしていることは承知済みだ。だが、素直に相槌を打つことはない。
「さて、若社長は何か勘違いしているのではないか。」
 城之内など知らないと言わんばかりの態度に
「この海馬瀬人に白を切れると思うな。」
 海馬の蒼が濃さを増す。

かぽん。

 城之内の存在はこの組の資金源の一角を担っている。借金の返済と丸め込んで、その肉体の稼ぎ出す金額のほぼ全てが組の懐を潤していた。金のにわとりが産む金の卵をそう簡単に手放すはずはない。
「証拠は俺の手の中にある。」
 海馬は城之内とこの組の関係を把握している。
「さあて。言っている意味が分からんな。」
 腕を組みふてぶてしい態度が、義父の剛三郎に重なり海馬の眉間にしわがよる。
「フッ……
 貴様が分かろうが分かるまいがこちらには関係ない。腕ずくで城之内を取り戻すだけだ…まぁ、そちらが簡単かもしれんな。」
「……何?」
 海馬不敵な笑みに組長の眉がピクリと動く。
「叩けば埃の出る身だろう。売春防止法・児童ポルノ法・覚せい剤取締法・出資法違反…どれがいい。貴様らの醜い姿を日の下にさらしてやろう。」
 海馬は膝の上に置いていた両手を前に突き出すと、法律の数だけ指を折っていく。海馬の指が折られるたびに、組長の顔が赤く染まり、額に脂汗が滲んできた。
「小僧が…社長と言っても所詮は子供ではないか。出来るわけなかろう。」
 もし海馬の言っていることの一つでも、警察に証拠が渡れば芋ずる式にネタが上がるのは間違いない。そうなれば、組の存続さえ怪しくなってしまう。
「カイバコーポレーションも舐められたものだ。軍需産業からは撤退はしたが、影響力は昔となんら変わりは無い。疑うならば試してみるか?カイバコーポレーションと、裏の力の真実の恐ろしさを身をもって知るのもいいだろう。」
 そう言うと海馬は内ポケットの中から携帯を取り出すと、ある番号を呼び出す。
「良いことを教えてやろう。表で待っている磯野には15分たって俺が戻らないときは、この組を跡形もなく潰すよう指示を出している。俺が邸に入ってから何分が経過したかな。それとも、今ここで裏の力を見てみるか?」
 海馬の冷たくも怒りの視線に射すくめられた組長がごくりと唾を飲み込んだ。数え切れないほどの修羅場をくぐってきたが、海馬の威圧的な空気に圧倒されて言葉も出ない。
「表の権力と裏の暴力。貴様はどちらを選ぶ。」
 海馬の指が携帯の発信ボタンにかかる。あと少し力を加えればこの組は終わりを迎える。側に控えてことの成り行きを固唾を呑んでみていた幹部に緊張が走った。夜のドミノ町で右に出るものはいない規模に成長した組織が、たかが高校生に潰されるわけにはいかないと、懐に手を忍ばせる者もいる。
「まっ…待てっ。」
 海馬の本気の圧力に屈したのは組長だ。右手を上げると入り口にいた組員に指示を出す。城之内を失うことは痛いが、城之内一人の為にこの組織をおじゃんにするつもりは髪の毛の先ほど考えていない。
「分かった。若社長の言うとおり、城之内は解放する。これが借用書と、契約書だ。」
 組員が金庫を開けて取り出した2通の証書を海馬に渡した。
 長い間、城之内を拘束し続けた薄っぺらい紙。海馬は内容を確認するとそれを内ポケットに仕舞った。
「これで、城之内は貴様らとはなんら関係は無い。二度と城之内の前に姿を現すな。もし、反故した時は跡形も無く、組ごとこの世から抹殺する。」
 海馬ならば容易く実行してしまうだろう迫力に、格の違いを見せ付けられた組長の威厳は台無しになっていった。   

かぽん。

 鹿脅しの乾いた音が空しく和室に吸い込まれていった。


 用が済めばこのような処に居る必要はない。海馬は組員の刺すような視線などに臆することなく長く続くヒノキの廊下を進む。
 行きは客人として、帰りは敵として。丸腰の海馬ならば指の動き一つで命を取る事が出来るが海馬の「死」イコール自らの「死」となることを理解している、組員たちは誰一人、動くことが出来なかった。

 そこに一人の人物が立ちふさがった。
「………。」
 進路を遮り廊下の真ん中に立つのは、この組の跡継ぎである、専務と呼ばれている人物だ。面識は無いけれど、海馬の頭の中にはこの男のことは入力されている。側にはチーフも控えていた。
 通してもらおう。と海馬が言うより先に専務が動く。
「何故、組を潰さないのか。社長の力をもってすれば容易いことだろう?」
 自分たちが城之内にしてきたことを考えれば、海馬怒りはもっともなはずで、組を潰しても納まらないのではないだろうか。
 並ぶと海馬よりも長身の専務は、海馬を見下ろした。
「………。」
 城之内を玩具のように扱ってきた人間を前にして、握り締める拳が震えるのを止めることは出来ない。爪をたててそこからくる痛みさを冷静を保とうとする。全ては城之内のためだ。
「城之内が言っていたのだ。社会に寄生する世の中の屑でしかない貴様らも、力のないものからすれば“必要悪”だと。世間から置き去りにされた親子を生きながらえさせたのは貴様らだ。
 貴様らの城之内への仕打ちを思えば、貴様らを潰してもあまりあることだが、城之内に免じて生かしておいてやる。だが、2度目は無い。先は言わなくてもいいだろう。」
 養父への復讐と会社の乗っ取りに心血を注いでいたころ、城之内の生活を繋いできたのは紛れも無く組長を初めとする、この組だった。口惜しいがそれが現実だ。男娼という歪んだ形であったが、彼らが居なければ城之内が生きていられ無かったのかもしれない。
 違法で暴利を貪る集団だけど、街の暗い闇の中城之内の生きる糧を与え続けた彼らは、城之内のいうように“必要悪”だったのかもしれない。
「克也が…」
「聞きたいことはそれだけか。無ければ通してもらおうか。」
 廊下の真ん中に突っ立ったままの専務を一瞥すると、海馬は磯野の待つ玄関先へと向かった。
 

 
「必要悪…上手く言ってくれる。」
 海馬の気配が邸から消えた頃、切りそろえられた髪を撫でて専務は笑いだした。
「だが、人が良すぎる。社長と言っても、やはり、まだ、お子様だな詰めが甘い。俺ならば問答無用で組を潰すぞ。」
 海馬の消えた廊下へと視線を馳せた。今頃の若社長は城之内の元へと向かっているのだろう。
「仕方ないじゃないですか。かっちゃんの魅力はそこなんだから。専務も気に入っていたのでしょう。」
 専務の隣に足音もなく移動するチーフ。専務がおもむろに取り出したタバコに火をつけようと、ライターを手にしている。
「確かに。しかし、城之内を手放すなんて親父も年を取ったな。親父の代もこれで終わりになるな。金のにわとりは消えちまったし、これからどうするか、思案橋だ。」
「冗談を。かっちゃんが居ないくらいで、ぐらつく組ではないでしょう。」
 オレンジ色のライターの火をタバコに移すと、紫煙を胸一杯に吸い込んだ。
「冗談だ。手放すには惜しい人材だったがな。」
 男娼としての役目が終われば、兵隊しようと考えていた専務は、いい人材だったのにと、唇の端を歪ませる。
「仕方ないですね。」
 チーフも愛用のタバコに火をつけた。空中にたなびく紫煙を無意識に眼で追いながら、もう会うことのない城之内に『よかったね。助け手がいて。』を小さな声で呟いた。
「何か言ったか。」
「いえ、なんでもありません。」
 あいまいに笑みをつくると誤魔化すために、もう一度、タバコを吸い込んだ。


******


 痛み止めが効いて眠っている城之内の寝顔を二人の遊戯が眺めている。少し開いた窓からは夏の香りのする風が白いカーテンを揺らしていた。
 包帯だらけの痛々しい姿だけど、改めて見る寝顔は幼い。
 海馬と入れ替わってから、どのくらいの時間が経過したのか、ベッドの隣に座り、こうして穏やかな時間を漂っていると廃屋でのことが夢の中の出来事のようだ。
『夢じゃないよね…夢であって欲しいけど……』
 遊戯は胸で鈍い光を放っているパズルを弄る。城之内はパズルを取り戻すために暴行を受けた。そしてけん銃で撃たれて何日も死線を漂った。
『現実だ。全部、本当に起こった。俺たちは何も出来なかった…城之内くんの暗い深い闇に気づいたのに。』
 もう一人の遊戯が唇を噛む。
 二人の遊戯は城之内の抱え持つ闇に、扉の存在をしったが何も出来ることはなかった。
『僕たちがもっとしかっりとしていれば…』
 結果的には変わることは無かったとしても、何も出来なかった非力なことが悔しい。強大な力を持っていても、城之内の心を救うことが出来なかったことに、二人の遊戯は非力な自分を責める。

「ごめんね。城之内くん…」

「………んっ……」
 薬による強制的な眠りから、城之内が目を覚ます。
「………ぁ……ゆ……うぎ?」
「ごめん。起こしちゃったかな…。」
 椅子に座り直して姿勢を整える。
「………ぇ…ぁ…ううん。それより、怪我は無いのか?」
 海馬からは怪我は無いと聞かされていたけれど、やっぱり心配になってしまい、城之内は自分の怪我のことを忘れて、体を起こそうとした。
「いっっってっ!」
 痛み止めを使っているけど、身体を動かそうと力を入れると、痛みが全身を駆け抜けていく。顔を歪ませて痛みに耐える城之内。
「そのままでいいから。無理しないで。城之内君。」
「ごめん。」
 起きるのは当分無理なのかもしれない。
「遊戯…ほんとに怪我してないよな。」
 廃屋でのことは途中から記憶が曖昧になっていた。蛭谷たちに囲まれて…
「           ぁ 」
 城之内の琥珀色の瞳が揺れる。

 遊戯に見せてはならなかった部分。
 背徳に満ちた行為。と、城之内の暗い欲望。
 そうするしか、他に手は無かったとはいえ、遊戯に知られてはいけない、醜い自分の姿を見られてしまった。
 遊戯もまた、これまでの友のように城之内から、離れていってしまうのだろうか……

 しかたないよ…な…あんなの見せられたら…誰だって…遊戯だって…

 
 一人は慣れている。
 夢の時間が終わっただけのこと。
 夢はいつか覚めるのだ。少し時間は早まったんだ。

 と、城之内は覚悟する。
 遊戯に怪我が無かったことが、唯一の救いだ。

 巻き込んじまってごめんな…俺が……早くこの街から出ればよかったんだ……女々しく、決断できなかったせいなんだよ。

「ごめ……っ」

「本当だよっ!!もうっ!!」
 城之内の小さい声を遮る。
「……………っ」
「城之内くん、僕に嘘をついたでしょう。ママの肉じゃが食べたって。」
「にくじゃ……が…?」
 遊戯は大げさに頬を膨らませて、腕を前で組み合わせる。
「覚えてないのかな…ママがこの前城之内くんに肉じゃがを持たせたでしょ。あれね、失敗作だったんだよ。ママったら、砂糖と塩を間違えたんだって。」
「……ゆう…ぎ…っ…」
 てっきり遊戯の恨み言や、軽蔑の言葉を覚悟していた城之内は、予想外の遊戯の言動に、ぽかんと口を開けている。
「あのときの夕飯は最悪だったんだ。ものすごくしょっぱい肉じゃがを食べさせられたんだよ。今時、砂糖と塩を間違えるなんてドラマでもやらないよね。
 ……だから、分かったんだ。城之内くんが嘘ついてるんだって。」
 遊戯の話を聞いているうちに城之内は、公園に捨ててしまった肉じゃがを思い出した。
「ごめっ…遊戯…おれ…っ…」
「謝らないで。城之内くん。僕たちも城之内くんに何もすることが出来なかったんだ。いつも城之内くんに甘えてばかりいて…助けてもらってばかりいたんだ…僕たちのほうが謝らないといけないんだよ。ごめん。城之内くん。」
 遊戯は深く頭を下げる。
「遊戯は悪くないんだってば。頭を上げてくれよっ…っぃっ…」
 俯く遊戯の髪の間から、光る水滴が落ちていき、膝の上で握り閉められている手の上に水溜りを作っている。
「遊戯。」
「ごめん…僕たちは…」
 涙声で何度も何度も謝る遊戯に、城之内は痛みを堪えて身体を起こすと遊戯の肩を掴んだ。
「遊戯…もう、謝るな…頼むから…な。」
「じょうのうちくん…」
 ずずっと鼻を啜って、遊戯は顔を上げた。鼻が少し赤くなっている。
「遊戯に……んなこと言われたら…おれ、どうしていいのかわかんなくなっちまうよ。俺、頭、悪いからさ。」
 どんな顔をしていいのか分からなくて城之内は笑った。
「うん…城之内くん。」
「いっっ…!」
 遊戯が顔を泣き止んだことに気が抜けた城之内は背中の痛みを思い出す。
「無理しちゃ駄目だよ。ほらっ、寝てていいから…」
「わりぃな。」
 遊戯に身体を支えてもらいながらベッドに横になった。
「城之内くんも自分のこと考えてよね。」
 乱れた上掛けを直し、遊戯も、もう一度椅子に座ると、
「僕と一つ約束してほしいんだ。」
 小指を城之内に見せる。
「僕たちに嘘はつかないでほしい…ううん……嘘をつかないでっていうのは無理かもしれない。でも、僕たちのことは信じていてほしいんだ。
 僕たちは決して、城之内くんのことは裏切らない。
 僕たちは城之内くんのことを信じているから。
 どんな時もどんな場面でも、僕たちは城之内くんのことを信じるから、
 城之内くんも僕のことを信じていて。」
「ゆうぎ…」
 友達になってから、遊戯は一番真剣な顔を見せた。パズルの不思議な力も、もう一人の遊戯の力も借りない、遊戯として。
 やさしさと、つよさと、おもいやりと、友を大切にする心が城之内の心に染み込んでいく。

 人として、最低のところを見せてしまったのに、遊戯は去って行かない。
 穢れた人間なのに、それでも 友 であり続けていようとしてくれている。
「………」
 遊戯ならば信じれる。
 友 として、信じていいのかもしれない。
 ありがとう。遊戯。
「約束する。俺も、遊戯のこと信じるよ。そして、俺も裏切らない。」
 感謝をこめて、城之内も指を差し出した。

 ありがとう。
 遊戯の友達でよかった。

 城之内の空っぽだった、手の中に一つ大切なものが生まれる。






 遊戯が来たあと……午後の俺の病室は賑やかで…というより、うるさいの一言だ。
 遊戯は午前中から、授業をサボったんだけど、本田たちも午後になったらすぐに病室になだれ込んできた。
 遊戯はずるいとか、俺たちも連れてけばいいのにとか、文句をいいながら“お見舞い”に持ってきたケーキをつつく、いつもの面々。これじゃぁ、見舞いに来たのかサボりに来たのか分からないや。
 本田が「てめえも運が悪いよ。やくざのトラブルに巻き込まれるなんて。日ごろの行いが悪すぎるんだ。」といつもの調子で悪態を言ってきて、俺はドキッとする。
「本当に怖かったんだよ。映画やドラマみたいでさ。城之内くんと遅くまで、ゲームに夢中にならなければよかったんだ。ね。城之内くん。」
 本田に遊戯も言葉を合わせている。これでいいんだよって、意味ありげに片目とつぶってるし…。嘘は駄目だって遊戯は言ったばかりなのになぁ…まっ、いいか。
「ああ。すげかったんだぜ。迫力満点さ……って、途中からあんまり覚えてないけどな。」
「てめえは人に心配ばっかさせんなよ。マジで死にかけたんだぜ。輸血とか大量にしてよ。何日も眼ぇ覚まさねぇし、すっげ、心配したんだからな。分かってんのかよ。」
「悪かった…本当にごめん…反省してる。」
 中学のときからの付き合いの本田だから、こいつがマジで怒ってるのが分かる。
 ちょっと、嘘があるけど、ごめんな。
 心の中で謝った。
 真実とは少し違うけど、多分海馬が裏工作をしたんだろうなと、無理やり納得した。それからは、遊戯たちと、いつもと変わらない、馬鹿話をした。







 夕方になり、遊戯たちは「また、明日来るから。」と言い残して、それぞれ帰宅していく。騒がしかった病室が打って変わって、しぃんと静まりかえる。
 窓からは、オレンジ色の空と同じ色に染まった雲が見える。何度も見上げた空の色。この色が蒼く変われば、仕事の時間だった。刷り込まれた時間の感覚が城之内の鼓動を早める。
「もう、こんな時間なんだ。早く退院しないとな……いつまでも海馬に甘えている場合じゃないし…」
 まだ、契約が続いていると思っている城之内は、仕事をしない間に増えていく利息を考えると気が重くなる。父親の変わりに働くと決めてから、これまでどのくらい返済できたのだろうか。あと、どのくらいの夜を重ねれば完済できるのか。今度、チーフにこっそりと聞いてみよう。
「あんま期待できねぇか……」
 空と同じオレンジ色に、色を変えた部屋を眺めて、城之内は一日でも早く、無理にでも退院しようと考える。
「ははっ…海馬は怒るだろうな…」
 前に進むために、少しでも多く働いて金を稼ぐ。そして、海馬とのスタートを切るために、借金を完済してやる。

「誰が怒るのだ……」

「へっ?」
 ずっと、窓の外を見ていたから海馬が入り口にいることに気が付かなかった。
「なぜ、俺が怒らねばならん。」
「えぇっ…へっ……へんなこと言うなよ。」
「こっちのセリフだ。ばか者。」
 ドアを閉めると、ベッドの側の椅子に座った。
「また、俺が怒らねばならんような、つまらないことを考えていたのか。」
 城之内の考えていることはお見通しだと、乱れた髪を撫でる。
 夕日の色に染まらない、深い青い色が城之内をやさしく包む。
「つまんないことじゃないさ。早く働いて借金返そうって、決めたとこなんだぜ。」
 ああ、なんで遊戯も海馬も、俺の考えていることがわかってしまうのかと、こいつらは誤魔化せないやと諦める。
「たくさん働いてよ、一日でも早く完済するんだ。そしたら、学校も行けるしな。」
 なっ。
「そしたら、海馬も学校に来いよ………まぁおめぇにはつまんないだろうけどさ。たまには息抜きとでも思ってさ、一緒にメシでも食おうぜ。屋上で食べるのも悪くないんだ。
 そうだ!思い出した。海馬とはサッカーの決着がついてないんだからよ。」
 この際、金を稼ぐ方法は空しくなるから考えないでいよう。
「いい心がけだ。ならば、城之内の気が変わらないうちに渡たしておこうか。」
 海馬は城之内に2通の証書を渡した。
「???」
 少し黄色く色を変えたもの。どこかで見たような気がする。城之内は海馬に促されて折りたたまれた証書を開いた。
「これっ!!」
 城之内の瞳が驚きに見開かれる。そこには震えている字で城之内の名前が書かれていた。
「海馬がなんでこんなの持ってるんだ?」
 幼いあの日、脅されて書いた自分の名前。
 ここから、城之内の生活が始まった。
「それとこれも受け取るがいい。」
 海馬は通帳を取り出した。
「!!!!!!!」
 通帳を開いて、城之内は驚きのあまりに声が出ない。
 新しく作られた城之内名義の通帳には、拝んだことの無いような数字が並んでいた。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん………なんだよこれはっ!」
 城之内の持つ債務以上の金額が通帳に入金されている。
「かいば……何、したんだ……」

「心配するな。正当なことをしたまでだ。その借用書は本物だから、破くなり、燃やすなり、城之内の好きにしろ。」
「正当って…だって、これは…」
 この借用書は組長が所有しているものだ。どうして海馬が持っているのだろうか。第一「正当」とはどういうことなんだろう。
「城之内は今ままで、どのくらい稼いできたのか計算したことはないだろう。法律で認められている金利を調べたことがあるか?」
 ない。
 城之内は首を横に振る。
「トイチの利息など違法そのものだ。それにな、お前の一晩の値段は、相場より相当高く設定されていたんだ。だから、俺が現行の法律に照らし合わせて城之内克也の返さなければいけない借金の総額と、稼いだ額を計算しておいた。
 その通帳に入金されている額は過払い分だ。簡単に言えば、とうの昔に借金はなくなっているのだ。お前は金を返しすぎていたということになる。」
「へっ??」
 海馬の説明が上手く理解できなくて、城之内は不思議な顔をした。
 今の今まで、あとどのくらいの借り入れがあるのかと考えていたのに、急に借金は無くなったと言われても、実感がわかない。
「お前を縛るものは、もう、何も無いんだ。これからは身を売らなくてもいい。夜に怯えなくてもいい。学校に行って好きなことをして、好きな時間に眠ればいい。誰にも縛られずに自分の未来を歩いていいんだ。」
「んな…事…海馬がしたのか…?」
 いくら、正当なことといっても、簡単にアイツらが認めるわけがない。借用書には俺の名前が書いてあるしハンコも押してある。しかもアイツラはまともに話が通じる相手じゃないはずだ。いくら海馬だからって、無茶をしたのではないだろうか。
「俺を誰だと思っているのだ。城之内が思うをほど、俺様は非力ではないぞ。いらぬ心配はしなくていいから、今は傷を治すことに専念しろ。」
「でもっ……こんな金額受け取れない。」
 金には散々苦労してきた。それが急に大金が入金されている通帳の、拝んだことの無い数字に城之内は戸惑う。
「なにも今、使えとは言わない。いつか必要になる日が来るから、受け取っておけばいい。金はあることに越したことはないんだ。」
 城之内はそんな日が来るのかと想像してみるが、思い浮かばない。しばらく通帳を手に考えていた城之内は海馬にそれを差し出す。
「やっぱ、いらないよ……頼みがあるんだけど、この通帳を預かってほしいんだ。」
「俺がか?」
「うん。今の俺がこれを持っていても何の役にも立たないと思う。反対に親父に知られたら、親父はもっと駄目になると思うんだ。海馬は必要になる日が来るって言うけど、俺には思いつかないよ。俺が持つには相応しくない金なんだ。だから、必要になる日が来るまで海馬に預けとくよ。海馬なら安心だし…これくらいの金額、見慣れてるだろ。」
「いいのか。」
 この額があれば生活に困ることは無い。父親があちこちの店に「つけ」だってきれいにできる。
「ああ。これを受け取ったら、俺は駄目になっちまうよ。今の俺には必要ないものさ。海馬に借金を無しにしてもらったので、十分だよ。
 ありがとう。海馬。」
 城之内が金を受け取らないことは、海馬にも予想がついていたので、通帳を再び鞄の中にしまった。
「たく、お前には欲がないのか。普通ならば喜ぶものを、必要ないなんて……城之内らしいといえばらしいがな。」
「だろ。」
 鼻の下をこする城之内は、海馬の記憶の中で一番古い城之内に似ていた。









 新年、一発目の更新が出来ました〜
 最後に更新してからかなり、間があいてしまいました…すみません…なんとか、ようやくココまで着ました。もう、終盤です〜とりあえず小休止かな。城之内弄りを一杯してきたから、一休み一休み。たぶん傷跡も残すところ2話になりました(←まだ続くんかいとか言わないで下さいね。)この後はどうなるんでしょうね〜〜〜プロットは出来てますよ〜ほほほほ……
 海馬には遅まきながら活躍していただきましたが、う〜〜〜〜ん〜〜おっさんだ。どう見ても年相応にならない。何回書き直してもじじむさくなるので、「このおっさん」と書きながら何回も突っ込んでました。
 25 にはこの話を纏めているときに出てきたシーンを詰め込んでおります。どこかは内緒です。
ではでは。

背景はこちらからお借りしました。
 NEO HIMEISM