ダブルベッド〜連休〜










「暇だ」
 テレビのスイッチを切って、城之内はごろんと寝転んだ。
 世間ではGWの真っ最中。
 カイバコーポレーションに入社してはや一年が過ぎ、無事新人の枠を突破した城之内。城之内の部署にも新入社員が配属されて、城之内もいっぱしの先輩になった。
 会社に居れば、食事をする間も無いほど慌ただしいが、ひとたび会社を出れば時間と暇を持て余すばかりだ。



 なんだかんだありつつ社長の海馬瀬人の恋人になってしまった。それはそれで喜ばしいことなのだけど、現実はそう甘くはない。
 海馬が楽天的に見積もっていた妻との離婚協議は一向に進まず、それどころか、何かに付けて自宅に帰るようになってしまったのだ。

 海馬曰く、妻が離してくれず束縛が厳しいらしい。

 城之内も海馬に説明されなくても、奥さんの心境は想像に硬くなかった。一流企業の社長の妻の地位だ。関係が冷え切っていても手放しがたいに違いない。
 そのうえ、実家はカイバコーポレーションからの仕事の受注がなければ倒産の憂き目を見るのは火を見るよりも明らかで、妻としてのプライドと実家を守るために、奥さんも必死なのだろう。


 判りきっていた事態の進行に城之内は大きくため息を吐き、壁に掛かっているカレンダーを恨めしそうに見つめた。
 二つ並んでる赤い丸印が二つが目だってしょうがない。
 二人でどこかへ旅行しようと約束した日だった。初めての遠出に胸を躍らせて丸を付けたのだったが、気が付けが今日がその日なのだ。
「あ〜あ。つまんね〜」
 これが障害の無い普通の恋人ならば、今頃は楽しい時間を過ごしているに違いない。現に去年の今頃は舞と遊戯、杏子との4人で旅行に出かけていた。
 観光をして、遊んで、美味しいものを食べて回り、温泉にゆっくりと浸り……時間が過ぎるのが惜しいほど充実した休日を送っていた。

 ずっと昔のように感じる時の流れに城之内は自嘲に唇を歪めて、そういえば舞は元気にしているだろうかとふと思う。
 酷い別れ方を突きつけて以来、一度も連絡を取っていない。忘れた頃に届く遊戯からのメールで、それとなく現状が添えられていた。もちろん遊戯と杏子とも気まずくなっていて、会うこと自体を城之内が避けているのも事実だ。


 妻も子も居る人を好きになり、その上相手は同姓で、勤めている会社の社長で、絶対に口外出来ない後ろ暗い関係の果ての結果に、城之内は目を閉じた。

 こうなることは分かりきっていたし、ある程度の覚悟もしていたつもりだ。でも、現実に合うことさえままならなくなった今、じりとしたジレンマが重い瘤のように胸の奥でわだかまっている。

「こんなんだったら、好きにならなければ良かったかも……」

 お互い何も知らない時はあんなに会って話しをして、SEXをしていたのに、恋人になってからはあのマンションに行くことさえためらうようになってしまった。
 もしも、どこかで、誰かに見られていたら………。
 なんて目に見えない恐怖が城之内を襲う。
 くだらないと海馬に笑われてしまうが、カイバコーポレーションの社長が社員と不倫なんてスキャンダルを露呈するわけには行かないのだ。

 もう社会に出た城之内には、自分の軽はずみな行動一つがどれだけのダメージを会社に与えてしまうかなんて身にしみている。

 大きすぎる人を好きになってしまった重大さに、少しだけ後悔してしまいそうだ。

「だー!!!こうしてても仕方ないや。気分転換に散歩でもしよう。ついでに、明日はオヤジの顔でも見に行くか」
 家に閉じこもっていると嫌でも塞ぎこんでしまいそうで、城之内は大きく伸びを一つすると、財布をポケットにねじ込んだ。








********









「あれっ?城之内さん?」


 特に行く所もなく、時間つぶしに本屋で立ち読みをしていると、ふいに背後から声を掛けられた。

「……?」
「やっぱり城之内さんじゃないですか。こんにちわ。○○製作所の吉住ですよ」
「ぁ…こんにちは」
 読んでいた雑誌を閉じつつ軽く会釈する。
「一瞬分からなかったです。普段着だと全然イメージが違いますね」
 吉住と名乗った男は額の汗を拭いつつ、城之内にヘラヘラと愛想笑いを浮かべている。きっと健康診断ではメタボと注意を受け、一つか二つは再検査を勧められるであろうせり出した腹がシャツを膨らましている。
 いつものスーツを着ていない吉住もお互い様で、城之内も誰か分からなかった。名乗られてようやく気が付いたのだ。
 営業先の部長だ。
「一人ですか?」
「ええ。特にやることもないので、こんなところで時間潰しですよ」
 適当に答えつつ城之内は営業スマイルを作る。時間外とはいえ相手が取引先ならばこれも仕事の一つだ。
「私も同じですよ。連休なんていっても、しがない中年のオヤジには行くところが無くて困ってしまいます」
 ははは。と、笑う吉住の無精ひげがやけに目に付いて城之内はそれとなく視線を外す。早くどこかに行ってくれないだろうか。
「ところで、城之内さん。これから時間はありますか?こんなところで立ち話もなんですから、どこかで飲みませんか?」
「……はぁ…」
「いえ、駄目ならいいんですよ。実は妻も娘も旅行に行ってまして今夜は一人なんです」
「……」
「明日も休みですからね。たまには羽根を伸ばして思いっきり飲むものいいでしょう?それに仕事の話も出来ますし……ぁ…仕事の話だとせっかくのメシが不味くなりそうだ」
 吉住はわざとらしく一人で突っ込んで、大きな額を撫で付ける。自分の子供ほど年の離れた城之内に愛想を振りまかなければならない滑稽さと、城之内の先にある海馬コーポレーションに営業を仕掛けている、中年親父の哀愁に妙に共感してしまい、
「行きましょう」
 城之内は快く応じた。
 多分、妻と娘が……というくだりが妙に城之内の心の琴線に触れたのかもしれない。









*****








 吉住に連れられてきたのは、最近出来たばかりの居酒屋だった。上手いと評判は伊達ではなく夕方の早い時間から店内は込んでいる。
 薄暗い入り組んだ店内は、簡易の個室形式になっていて壁に隔てられた席は他人の目を気にすることなく酒を飲めるようになっていた。


「さ、さ、今日は気兼ねなく行きましょう。まずは何を飲みますか?」
 出されたお絞りで額を拭き拭きし、メニューを広げる。
「あ…俺、未成年なんでアルコールはちょっと…」
 メニューの写真に生唾が湧き上がってくるが、海馬と禁酒を約束しているのでぐぐっと堪える。
「あれ?そうでしたね。ついつい、いつものクセが出てしまいました」
「すみません。来年はご一緒出来ますから、とことん付き合いますよ」
 本当は飲めるし飲んでました。なんて言えるはずもなく城之内は申し訳なさそうに頭を下げた。
「気にしないでください。成人した暁にはお祝いも兼ねて朝まで付き合わでていただきます」
 吉住は顎の下から襟元までお絞りで拭うとやっとテーブルに置いた。
「じゃ、私はビールで。城之内さんは何がいいですか」






 それから数十分後。

 テーブルの上には沢山の皿が並んでいる。休日の接待に城之内は恐縮しつつ、割り勘にしようと何度も念押しをするはめになってしまった。

 そのほかは、特に取り留めの無い、にこやかな時間が過ぎていく。
 吉住は見た目よりは話題が豊富で、部長の地位までたたき上げた実績で話も上手い。
 工場のラインの話も、昔の苦労話も嫌味になり過ぎない巧みな話術に、城之内は料理を食べるのも忘れて吸い込まれていった。
 なによりも父親と同年代の吉住に父親の面影を重ねてしまっていて、いつか一緒に酒を飲めたらいいなと切望しつつ、それは一生叶わない夢だと一抹の寂しさが過ぎっていた。



 だから―――。



「家に帰れば私もただの粗大ゴミ扱いですよ。妻は友人と海外へ旅行でしょ。娘は娘で彼氏とどこかへ行くし…全く情けない話です」
「そんなことないですよ。きっと奥さんも娘さんも吉住さんに感謝してますって」
 飲みながら家族のことを愚痴るのは限度を越えなければ、酒の摘みにちょうどいい。きっと複数で飲んでいればそのまま家族や恋人の愚痴大会の開催だ。
 ジョッキを片手に家族のことを愚痴る吉住をお決まりに慰めつつも、愚痴る家族がいる幸せに目を細める城之内。
「そういえば、城之内さんには彼女は居ないんですか」
「残念ながらいないです」
「意外ですね。きっと城之内さんなら可愛い女性なんて選り取り見取りでように。是非、娘に紹介したいくらいです」
「お世辞でもうれしいです」
 軽く会話を流しつつも城之内の鼓動が早くなる。突然話を振られて焦ってしまった。
 動揺を隠そうとお絞りで手を拭こうとすると、ポケットの中の携帯が震えた。着信のようだ。







――――― 吉住の油ぎった眼鏡の向こうにある、城之内を舐めるように見るいやらしい視線に気が付かなかったのも仕方が無い。







「あ…すみません」
 ごそごそとポケットをあさりつつ、城之内は席を外した。だってこんな時間に城之内に電話を掛けてくるのは一人しかいない。
「いいですよ。ごゆっくりどうぞ」
 焼き鳥を手ににっこりと微笑む吉住に城之内は申し訳なさそうに頭を下げて、靴を履く。



 その背後で吉住の手が動いて、城之内の飲みかけのグラスに伸びていった。




 もちろん電話に全神経を集中させている城之内は気付くはずもなく、震え続ける携帯を手に、急いで人のいないところへ移動していき通話ボタンを押す。

『……私だ』
「うん」
 頭の中に直接流れ込んでくる、待っていた人の声。
 海馬だ。
『ずいぶん賑やかだな』
「うん。外に夕飯を食べに来たんだ」
『そうか…』
 電話を通してだけでなく、海馬の声はどことなく暗い。
『約束を守れなくてすまない。この埋め合わせは必ずする』
「いいって。忙しいんだし、状況は分かってるから平気だよ。気にしないで」
 旅行が駄目になったことをしきりに謝る海馬を城之内は気遣い、平気だということを強調した。海馬に時間が無い理由も、身にしみて分かっている。
『週末は時間が空きそうなんだ』
「マジ?」
 久しぶりの逢瀬の予感に城之内の声も軽くなった。連休の寂しさも週末に会えることを思うだけで吹き飛んでいきそうだ。
『今日の代わりにどこかへドライブをしよう。見せたいところがある』
「うわ。すっげ、楽しみになってきた。絶対だぜ」
『期待してていいぞ』
 城之内につられて海馬の声もまた嬉しそうだ。顔を見られなくても海馬の顔が浮かんでくる。きっと屋敷のどこかで隠れて電話をしてきているのだろう。
「もうもどったほうがいいんじゃないか」
『……』
「あんま長いと怪しまれるぜ」
『すまない……』
 海馬の立場を考えれば長く話すのは難しい。本当はもっと朝まででも話していたいけれど、ぐっと喉を押しあがってくる感情を押し込めて無理に笑顔になった。
「じゃな」
『ああ。また』
 ぷち。
 っと、切れる音を確認して城之内は携帯を閉じる。今まで海馬と繋がっていたと思うだけでなんの変哲もない携帯すら愛しく感じてしまい、まるで少女じゃあるまいしと自分に苦笑してしまった。そして、何事も無かったようにポケットにしまう。

 そう、今は吉住と食事の最中だ。城之内は来たときと同じく早足で吉住の待つ席へと戻っていった。





*****


 








 注文した料理があらかた腹に納まったころ、城之内に異変が生じた。どうしようもない眠気が襲ってくるのだ。


 ………んっ〜へんだなぁ…?


 勝手に閉じようとする目蓋を無理やりにこじ開けて、気付け代わりにグラスのジュースを一気に飲み干した。
「城之内さん?どうかしました?」
「……ぇァ…だ、大丈夫…です…ちょっと…その………」

 やべ…むちゃくちゃねむい。

 どんなに頭を振っても、料理を食べても醒める気配のない眠気。アルコールに酔ったときのように呂律まで回らなくなってきて、身体も熱い。視界もぐんぐんと狭くなってくる。

「すみ……ませ…ん…よし……ず…」
 どうして急に眠気が襲ってくるのか疑問すら湧かないほど、思考まで支配されてどうしようもない。
 まるで津波のように押し寄せてくる睡魔と、倦怠感に苛まれとうとう城之内はテーブルに突っ伏してしまった。
「………」
「城之内さん?寝ちゃいました?」
 吉住は城之内に呼びかけながら身体を揺する。
「城之内さん。寝ちゃいましたよね」
 力を込めて揺さぶっても、城之内の意識が戻ってくることはなさそうだ。
 無防備に目を瞑る城之内の頬が赤く染まっていて、時折唸り声を上げる姿はどこからどう見てもただの泥酔した酔っ払いにしか見えず、城之内の出来上がりに満足した吉住はほくそ笑んだ。
「では、2次会と行きましょう」
 誰に聞かせる気もなく呟くと、明るくない照明の下で吉住の本当の顔がぬうっと現れた。



















********












「じゃあ〜次はどこに行く〜?」
 今日のこの日の為に予約していたレストランでの夕食を終え、満足気に助手席に座るミホが甘い声を出している。
「もう。俺に言わせるのかよ〜」
 あー。こちらも甘い声だ。もし声に色が付いているのならさしずめピンクというとこだろうか。
「え〜だって〜本田くん。いじわるなんだ」
「ははっ。この俺がミホに意地悪なんかするわけないだろ?」
 赤信号の交差点でハンドルを握っているのは本田。どうやら恋人のミホとデートの真っ最中らしい。
 一日、あれこれと出かけた総仕上げの夜を前に二人ともテンションがとろけそうに甘くなっている。さりげなく手を握り合ってこのあとに思いを馳せているようだ。
「うん。わかってるよ」
「だろ」
 本田は早く信号が変われと念じつつ、ふいに交差点の向こうに見知った人影に気が付いた。

 それは本当に偶然で、信号一つ違えばすれ違うことも、ミホにキスをせがんでいたら目に入ることもなかった。
 頭の中がこのあとホテルで一杯になっていたからか、その違和感に敏感に反応する。


「あれ?城之内?」
 おぼつかない足取りでというより、隣の中年にほぼ支えられるように歩いている後輩の姿。反対車線からだが、それは泥酔しているようにしか見えない。
「おいおいおいおい、アイツ、また飲んだのかよ」
 城之内が未成年だとうことを十分に承知している本田は、城之内の様子に唖然とした。
 入社したときとは違い、最近は禁酒したと言っていたはずなのに。連休だというだけであっさりと、禁酒宣言を破ってしまったのだろうか。
 見た目よりもずっと真面目なところに好感を持っていた本田は、そんな城之内から目が離せない。というより、そのちょっとありえない城之内の様子に車を路肩に寄せて、二人の行く先を注意深く追っていく。

「本田くん?」

 急に真剣な表情で何かを見続けている本田の横顔に、ミホの顔が強張った。

「ちょ…そっちはやべえだろ?」
 身体を後部座席のほうに捻り、後ろの窓から見える何かに、本田の表情が一変した。
 この街で働いているのだから、大体の地理は頭に叩き込んでいるのだ。
 夜の街に溢れる人に混ざるように、城之内と中年の男がある路地に消えていく。その路地の先はいわゆる、それな宿が軒を連ねている一角だ。
「ミホ。ちょっとここで待っててくれ。すぐに戻ってくるからっ!」
「えええっ!!!本田くんっ!?」
 シートベルトを外し、ドアに手を掛けながら本田はそういい残すと、突然のことに口をぽかんと開いた恋人を残して、走っていった。


「もうっ!なんなのよっ!!」
 一人残されたミホは路地に消えていく本田の後姿に頬を膨らませた。
 この埋め合わせは何にしようとか、頭の中の欲しいものリストを引き出すことにした。












*****










「はあ。さすがに眠った人を担ぐと重いですね。久しぶりにいい運動になりました」

 どさりとベッドに城之内を転がすと、吉住は汗だらけになった額をシャツで拭く。

 意識の混濁した城之内を吉住はホテルに連れ込んだ。ここは吉住の御用達のホテルの一つで、男女だけでなく、それそうおうなカップルも受け入れるところだった。


 ま、そんなことはどうでもいいけれど。
 前々から城之内に目を付けていた吉住は、本屋で城之内を見つけた時からこのつもりのだったのだ。

 ベッドで、すうすうと寝息を立てる城之内を見下ろして、吉住は沸きあがってくる生唾を飲み込む。
 下半身は猛烈に猛っていて、窮屈になっている。

「私はなんて運が良い」

 城之内が営業に来たときから吉住は城之内を気に入っていた。もちろん自分が男もいける口だなんて、公言していないから密かにではあったが。
 送ってきた人生の年輪の差からか、鼻が利くからか、吉住は城之内が男とSEXをしているであろう確信をもっていた。もちろん相手が誰かなんて関係ない。
 それもここ最近のことで、初めて会った時には全く感じなかった匂いの差に吉住の男が猛烈に反応していたのだ。


「君は危険だよ。無意識に男を誘う色気を振りまいちゃいけない。私を誘ったのは城之内くん、君なんだからね」
 責任転嫁もはなはだしい、まるで見当違いな言い草をしつつ、城之内を跨いでシャツのボタンに手をかけた。
「ああ。想像以上だ」
 芋虫みたいな指でボタンを外していくと、はだけたシャツの下で均衡の取れた胸が現れる。冬の間で日焼けのあとの落ちた肌は白く、着やせするのか想像以上に筋の張った身体は男を強調している。
 なのに、そこからかにじみ出る甘い匂いは男を引き寄せるようで、すんすんと匂いを嗅ぐ。
「寝てるのがちょっと残念だけど、ま、いい。たまにはこんな趣向もいいさ。君の声は次の楽しみにとっておこう」
 吉住の中には、居酒屋で気分が悪くなったのを介抱して城之内に誘われたのだと言い訳も構築済みだ。そのうえ既成事実を作り次のネタにするのだろう。
 日ごろは温厚な仮面の下には醜悪な顔が隠されていた。
「じゃ、いただきます」
 ぎしっと二人の重みにベッドが軋む。





コンコンコン…
『お客様』



「んだ?」
 吉住が城之内にまさに被い被さろうとしたら、ドアを叩く音が聞こえてくる。宿の従業員だろうか?
 この宿は何度も使っていたが、従業員が部屋を訪ねるなんて今までに一度も無い。やっとの楽しい時間に吉住は無視しようとするが、


『お客様』
 コンコン……


 相変わらず扉を叩かれて、吉住はしょうがなくベッドを降りる。何か事故でもあったのかもしれない。
 それでも、せっかくのお楽しみタイムを邪魔されることに不機嫌な表情を隠さずに吉住は鍵を外す。
「どうした?」
 ノブを廻してドアを少し開けようとすれば、外から強い力で扉が吉住に向かって開き、
「  !!!  おいっ  !!!」
 バンッと大きな音と共に、何者かが部屋に押し入ってくる。



 バフッ!



 不審者が。なんて吉住の脳が理解するよりもずっと早く、腹に強烈な衝撃が走り、脳天に激痛が突き抜け、

「    !! 」

 げふ。
 と蛙がつぶされたような音を吐き出して、吉住はひっくり返った。せり出た腹がまたなんとも絶妙に後押ししている。



「うへ〜あぶね〜」
 右手首を軽く振りつつ、本田は足元の中年男に舌を出した。昔の腕は落ちていないようで、一撃で中年を昏倒させる腕力とためらいのなさに本田がそうとう場数を踏んできたことを示している。
「ミホちゃんには、見せられないな」
 こんなとこを見られたら逃げられちまうと苦笑して、この部屋を見渡して、
「……あ〜」
 部屋のほとんどを占拠するベッドに、横になっている同僚を見つけ本田は息を吐く。いかがわしい宿の一室にいる男二人。一人は上体を顕にしてベッドに寝転がっている状況は、どう取ってもそれ目的だけでしかなく、いたってノーマルな本田には理解出来ない世界だ。
「たく…なにやってんだ。この馬鹿」
 情けなさにずかずかと足音が大きくなる。
 城之内は外で見たように、眠っているのか反応が無い。
「禁酒宣言は、終わりかよ」
 その挙句にこのざまだと、本田は呆れ顔で城之内の乱れた服を調えていった。
「ってか、なんで、俺がこんなことしてんだろう」
 もしも、二人がそちらの趣味で一致していて、合意の上のことならば本田のしていることは犯罪と変わりない。しかし、城之内の見たことのない様子に、本田には確信があった。
 何かが違う。
 と。
「起きろよ。城之内?」
 全く目を覚ます気配の無い城之内はどう見ても変だ。
「酒、飲んでないのか?」
 そう、床に転がっている中年男からはアルコールの匂いがしたが、城之内にそんな気配は一切ない。泥酔のように眠り込んでいるのに、酒の匂いのしない、普通と変わらない城之内の様子に、予感は確信い変わり、背筋に冷たいものが流れていく。
「城之内っ!!おいっ!!起きろっ!!」
 頬を強めに叩きながら城之内を呼ぶ。
「何か盛られたのか?これって、やばい寸前。危機一髪だったってことだよな」
 一向に城之内が目覚める気配はないようで、もし、あそこで城之内を見落としていたら、今頃、城之内はどうなってしまったのだろうか。
 女じゃない本田でも、城之内の危険だった状況に冷や汗が滲んでくる。
「とにかく、ここを出ないと」
 吉住がいつ気が付いてもおかしくないのだから、本田は城之内を背中に担いで足早に部屋を出る。

 
 入り口で、ひっくり返る中年男を靴先で小突き、今度は音を立てないようにドアを閉め、エレベーターに乗り込んでいった。
 追っ手の無いことと、緩やかに下降にほっとした本田の耳に、



「………せ……と……さ…」



 城之内のうわ言が届いた。
「せと?」
 その珍しい名前に本田はしばし思考し……



「……まじかよ…」
 言葉を無くした。























******










 長い連休も終わり、何事も無かったように通常業務に戻るカイバコーポレーション。
 もちろんそこで働く城之内も同じ事で、休んだことにより止まっていた仕事が一気に流れ込んできて、昼ごはんを食べる時間さえ取れなかった。
 しかし、長い休みを持て余していた城之内にとって、仕事に追われているほうが気が楽だ。何も無い部屋で世間から取り残された疎外感を感じるよりもずっといい。
 仕事に踊らされているのを自覚しつつ、城之内はふと隣の席の本田がいないことに気が付いた。
「あれ?便所かな」
 さっきまでいたのにと城之内は首を傾げた。
「ん〜まだ、連休ぼけしてるのかな」
 怪しい記憶と言えば、吉住と食事をした時も目が覚めたら自分の布団の中にいて、どうやって家に帰ってきたのか判らなくなっていた。

 食事の途中から記憶があいまいになっていて、最後は全くと言っていいほど覚えていない。今まで記憶が無くなるなんてなかったことに、何か失態をしたのでは無いかと吉住に連絡を入れたが、まだ休んでいるとのことだった。


 途切れた記憶に薄ら寒い恐怖を抱きつつも、何も覚えていないから手立てがあるわけでなく、城之内は仕事に戻っていった。










 その真上の社長室の海馬もまた朝から山積みになっている書類と格闘している。城之内以上の重要事項に決済をしていかなければならない。
 秘書が分類してもなお膨大な情報に目を通し、手が休ますことはない。
 そんな一分一秒が惜しい海馬の手が止まっていた。招かれざる社員の乱入に海馬の眉間が狭くなっている。

 午前中の業務時間が終わるのを見計らって、社長室に押しかけてきた社員。秘書の静止を押し切る強引さに、さすがの海馬も声を荒げてしまいそうになったが、その社員の真剣な眼差しとある特定の人物の名前に秘書を遠ざけなければならなかった。




「時間が無い。用件だけ簡潔に述べなさい」
「はい」
 勢いと先輩の意地だけで社長の元へ突っ込んできた本田だが、社長の貫かれる視線に身体が震えてくる。
 いくら学生のころにやんちゃをしてきたといっても、本物の男には敵わないようだ。


「では、事実だけをお伝えします。先日営業部の社員一名が取引先の部長と酒を飲んだようです」
 緊張に直立不動の本田は大きく息を吸い込んだ。これでもう後には引けない。
「わが社は取引先との飲食は、一人で行うことを禁止していたはずです。それは休日も同じ。しかも、その社員は一人でした」
「……何が言いたいのだ?そんなことならば直属の上司に言えばいいことではないのか」
 まるで子供の言いつけのような稚拙さに、海馬の秀麗な眉がピクリと動く。
「単なるミスならばそうするのが当然でしょう。ですが、その社員がなにかいかがわしい薬を飲まされて、安ホテルに連れ込まれたというなら話は別のはず」
「!?」
「幸いなことに私が発見して、事なきを得ましたが、一つ間違えば取り返しの付かないことになっていたでしょう」
「…………」
 海馬はデスクに肘を突いたまま動けない。

 社員の一人とは城之内を指しているからだ。しかし、ここで動揺するわけには絶対に行かず、海馬は本田の出方を伺う。
 
「ならば余計に直属の部長にでも報告すべきではないか?報告順序を飛び越えて社長たる私のところへ来れば、公にしなくていいことも、もみ消せるものも問題になってしまうぞ」

 そう、仮に本田の言うように事なきを得たのならば、本田の胸の内に納めればいいこと。
 暴力沙汰や、警察がらみの事件になっていないのだ。わざわざ社長のもとへ来なくてもいい。ならば、本田の真意はどこにあるのだろう。


「社長はそれで良かったのですか?大切な社員の身が危険に晒されそうになって、それでよかったのですか?」

「……っ!?」


 本田の真っ直ぐな視線が海馬を正面に捕らえている。あえて城之内の名前も情報も出さず、多くを語らないけれど、よどみの無い確信が本田から発信されていて、海馬は白旗を揚げた。


「…わかった。では、相手の会社には私がそれとなく処理をしておく。この件に関しては他言無用にするように」
「ありがとうございます」
 平静を装って、いつもように問題処理をする海馬。しかしその胸の内では激しく同様してしまっていた。
 本田が頭を下げるのも、部屋から出て行こうとしているのにも気が付かず、
「では、失礼したします」
 扉を開こうとしている本田に、海馬は慌てて付け加えてしまう。
「この先、何か気付いたことがあればいつでも報告にくるように」
「わかりました」
 まるで、城之内との関係を認めたような言葉にはっとした海馬は、失言に肝を冷やすが、本田が大きく頷いたことに、胸を撫で下ろした。
 城之内と同じく、本田もまた優秀な社員のようだ。



 かちゃっと完全に扉が閉まることを確認した海馬は、大きく息をはき、背もたれに深々ともたれかかる。

「まったく、危なっかしい……」
 天井を仰いで、下の階で働いている城之内に海馬は眉間を押さえる。まさか、海馬のいないところで城之内がトラブルに巻き込まれようとしていたなんて、想像だにしなかった。
「もう少しまめに連絡を取らなくてはならないな」
 連休中に一度電話で話したことしか、接点を持たなかったことに後悔して、まだ、昼休みだなと卓上の時計を確認する。











******








「はあ〜まじ、寿命が縮まったぜ」
 まだ、動機の治まらない心臓に手を当てながら、タバコに火をつける本田。
 休憩スペースの喫煙場所で一息ついていると、携帯を片手に城之内が営業フロアから出てきた。足早に窓際に移動して小声で会話をしている。
「………バレバレだ……」
 見たこともないくらい嬉しそうな城之内の表情に、電話の向こうの相手を想像して、本田はタバコをめい一杯肺に吸い込んだ。
 あの、社長を相手に城之内は何を話して、思うのだろうかと、二人が隣り合っているところを頭に浮かべてみて、
「ごほごほごおごほっ!!」
 煙に咽てしまう。



「ま、仕事が進めは問題ないか。人の趣味をとやかくいうなんてことはしないぜ」

 変に味の変わった紫煙を吐き出しながら、本田は一人呟いた。




 この本田だけが知ってしまった、秘め事を胸に収めると自分に言い聞かせて。









 おしまい












携帯サイトのほうでリクのあった『ダブルベッド番外編』です。またおじさんが出てしまいました。たく自分も懲りないなと思いつつ、親父の餌食になりそうな城之内君に一人よだれをたらしてしまったことは言うまでもありません。

これを書きながら、続きは書かないと言いつつも先の話を想定して


悶えてしまいました(ドン)

絶対的に穏やかなBLチックな話でないですが、ハピエンでした。と自分に言い聞かせてみる(ごほん)

城之内くんってスーツも似合うよねっ。と一人ごとを言いつつ、次の話を書いていこう。


背景はこちらからお借りしました

NEO HIMEISM