客は城之内の頭を悩ます張本人の瀬人だった。
 瀬人は狭い店内を見渡し、城之内に気づくと、マスターと二言三言会話を済ませ、城之内の隣に腰を下ろす。


「また、会ったな。」
「……。」
 夕べのことなど無かったかのように、変わらない口調の瀬人に城之内は思わず苦笑する。きっとこの大人の男には、夕べの行為すら割り切れるものなのかもしれなかった。



 ならば自分もそうすればいいと、城之内は赤くなるのを隠すために、グラスを口にする。








 偶然を装う必然が




 城之内と海馬を深く絡みとってゆく。









ダブルベッド 3











「……ども……。」
 城之内が視線を合わさないようにしながら小さく頷くと、平静を装おうとしているのに見事に撃沈している、城之内の若い仕草に、海馬は軽く頬が緩んだ。


 社会に出てきたばかりの城之内は海馬の目にはとても新鮮に映るのだ。


 さすがに夕べのことがあるから会話が続くわけも無く、客が城之内と海馬だけの店内には、サックス奏でるのメロディーが流れるだけだ。





「どうぞ。」
 海馬の手元に注文したカクテルが出てくる。そして、城之内にも一杯のグラスが並べられた。



「……おれ、頼んでない…」
 はっと顔を上げると、何事もないように営業スマイルのマスターと目が合う。マスターは海馬をそっと指し示して、この酒が海馬のおごりなのだと伝えた。


「あの…これ、もらえないです……。」
 城之内が遠慮して、グラスを戻そうとすると、
「警戒しなくていい。何かしようとするつもりはないから。」
 海馬はやんわりとそれを止める。
「何かって…っ」
 忘れよとしていた情事がばばばっと思い出された城之内の体温が一気に沸点に達する。グラス越しに触れている綺麗な手が自分に触れていたのだ。






 目の前に、海馬がいなければ、たちの悪い夢のことだと思い込めたかもしれないのに、触れるところからの体温が鮮明にあの時間を呼び起こしてくるのだ。



 
 照明を落とした部屋は、街の灯りが薄蒼く染めていて、水槽の中のようだった。
 冷たいシーツとは対照的に熱く火照る体を重ねた。
 このグラス越しの指が、城之内の体を隅々まで触れて、薄い見た目よりも柔らかだった唇が、それを追ってきた。
 男二人が寝るのには少し狭いベッドの広さ。


 何よりも、城之内を戸惑わせるのは男とSEXをしたのに嫌悪感を全く感じていないことだった。
 どうしてだろう。
 初対面の素性を知らない年上の男と飲んだ勢いとはいえ、ベッドを共にしてしまった。
 他の人ならば、後先考えずに殴り飛ばしているに違いない。なのに、今、張本人を前にしてそんな思いはひとかけらもない。
 ただ、あるのは恥ずかしいという気持ちだけだ。




 理想の男を目の前にしての恥ずかしさなのか。
 男のプライドを踏み外してしまったことなのか。
 きっと見せたであろう醜態にか。 





 その恥ずかしさの真の意味が分かるのは、まだ先のこと。










「何かされたら……こまりますから…。」
 城之内はその手を振り切るように、グラスを引き寄せて酒を口にする。美味いはずなのに味なんて感じられなかった。
「すまな……。」
「あっ、謝らなくていいです。俺も、愚痴とか言っちゃったし……、その、今、瀬人さんに謝られたら、オレ、すごく情けなくなるから。」


 男なのに戯れに、寝たなんて謝られたら立場ないじゃん。


 城之内はグラスを口から離し、何でもないことなのだと軽く笑って見せた。



「そうか。」
 海馬は強がる城之内に合わせ、グラスを合わせる。
 ちん。
 上質のガラスが澄んだ音を響かせた。


「再会の記念だ。もう、会えないかと思った。」
「………。」
 違う男がすれば、鼻で笑ってしまうような気障な台詞と仕草だが、海馬がすればサマになっていて、カッコいいと思えてしまう自分に、城之内は心の中で苦笑した。
 疲れが溜まっているのだろうか。
「マスターの作る酒は美味いから。それに、オレ、この店が好きなんだ。」
「私も同じだ。」
「へぇ、奇遇だぜ。」
 意外な共通点についうれしくなる城之内の表情が緩んで、二人の間にある空気が変化していく。



「今朝はいつ部屋を出たのだ。意味深なメモに驚いてしまった。」
 城之内がベッドサイドに残していったメモには『ごちそうさまでした。』とだけ書かれてたのだ。
「別に、深い意味じゃない。ただ、酒をおごってもらったから、そのお礼さ。もう、会うことは無いかなって思ったからよ。」
「年の割には律儀だな。」
「そうか?」
「そうだ。だが、どうして直接言わないのだ。慌てて去る必要もないだろう。」
 城之内ほどではないが、海馬の朝も早い。
 海馬コーポレーションの社長の身。よほどのことが無い限り朝の6時前には起きているのだ。その海馬よりも早い朝を迎えた城之内に、海馬の疑問がわくのは当たり前かもしれない。
 気恥ずかしさに、逃げたのかもと思ったが、こうして目の前の城之内からだとそうは思えなかった。
「慌ててじゃないさ……ちょっと野暮用で……オレさ、新聞配達のアルバイトしてんだ。
 もちろん、こんなこと会社に見つかったらクビなんだろうけど、わけありでさ。」
「……?」
 海馬の秀麗な眉が少しよる。


 適当な嘘でこの場を取り繕えばいいのに、城之内の口は勝手に動いていった。
 

 あれ、なんでこんなこと話してるんだ?


 ありえないことに城之内は疑問が頭をかすめていくが、
 この男に嘘は通じない。
 嘘をつきたくないという、気持ちのほうが強かった。
 

 
「あー。その、オレの親父ってさ、アル中で病院に入ってるんだ。
 不景気で親父の工場が倒産しちゃって、あちこちに借金があって。まぁ、自己破産したから返す必要も無くなったんだけど、親戚にもお金を借りてるんだ。
 金融関係はもう、関係ないけどさ………さすがに親戚はほっとくわけにはいかないだろ。
 だから、親父の代わりに少しずつだけど、返してるんだ。新社員の給料なんてたいした額にはならなけど、少しずつなら何とかなるからさ。
 プラス親父の入院費だろ。いくら働いても足りないくらいさ。」


 城之内は一気にそこまで話すと、グラスを空にする。


「こう見えてもオレ、結構苦労してるんだぜ?
 借金取りに追われたり、親の諍いや離婚だろ?人生の修羅場もそれなりに見てきたし。
 朝から晩まで働いて、親父をみて、借金を返して。
 だから、オレにとってここの一杯の酒が唯一の楽しみで、贅沢なんだよな……。」



 ほらな。
 と、城之内は空になったグラスをかかげて、片目をつぶる。
 一月に数回ここで、飲む酒が、城之内の贅沢であり、心を休める時間と空間だったのだ。


「親父が酒乱だから、量は控えてるけどな。」
 やはり、血は争えないのかも知れないと城之内は酒を飲むたびに、親のことが頭を離れることはない。
 まだ、未成年だから営業や接待の場では飲まないようにしているから、一人だと無性に飲みたくなるのは、内緒にしておこうと思う。
 曖昧に笑うと、


「夕べは飲ませすぎてしまったな。知らなかったこととはいえ、悪いことをした。」
 城之内の事情など思慮せずに、豪快に飲んでゆくのが頼もしくて、かなりの量を飲ませてしまった短絡的な行動を後悔している海馬がいて、
「えっ!?あっ、そんなつもりで言ったんじゃないから。
 瀬人さんのお酒は美味しかったし、オレも調子に乗りすぎたからさ。」
 グラス越しの海馬の顔が歪んでいて、城之内はいきなり重い話をしてしまったことに気が付いた。
「あ……っ。
 ごめん。きつかったな。こんなこと話す気は無かったんだ。失言だな。忘れてくれ。」


 真実だとはいえ、話す内容を間違えてしまったことに、城之内は髪をぐしゃぐしゃと掻く。
 自分の軽率な言動に下を向いた。
 別に、今の生活が大変だとか、嫌だとか思ったことはない。ただ、城之内としての筋を通していることに、自信とプライドを持っていたのに、自分で自分を辱めてしまったことに、改めて羞恥心がこみ上げてくる。








「勤勉な人間は好きだ。」









「……えっ?」







 なに?なに?なんて、今、言った?







 耳を疑ってしまう海馬の言葉に、城之内はハッと顔をあげ、海馬を見ると、
 海馬の深い蒼がじっとこちらを向いている。




「勤勉な人間は好感がもてる。と、言ったのだ。」 
 海馬の薄い唇が動く。


「別に、勤勉じゃない。
 負け組みの遠吠えってやつだよ。」
 なんだか、海馬には城之内の思っていることを見透かされているようで、城之内は肩をすくめてみる。


「負け組ではないだろ。城之内はがんばっているではないか。失言でもなんともない。もっと胸を張ればいい。」





「………。」







 慰めていてくれているのだろうか。
 同情されているのだろうだ。


 生活レベルからいえば、そうとう上の世界の人間で、住む世界の違う人なのに、嫌味を感じさせないどころが、城之内を労わっていてくれる、その、色に城之内は息をするのも忘れてしまった。



 そして、


 胸の奥がむずむずとしてくるこの感じは何?



 海馬の言動に胸の奥に広がってくる、言いようのない感情の名前は何だろう。
 







「…………ぁっ……。」
 ぽろりと城之内の見開かれた瞳から、涙が零れ落ちる。


「あれっ?」
 一度零れた涙は、後から後からついて来て、テーブルの上に丸く形を作っていった。
「ぅぁっ……どうして……泣くつもりなんて、ないのに…」
 人前で泣くなど、初めての経験に、焦る城之内はハンカチを探す余裕もないまま、手で涙を拭う。



「使うといい。」
 皺ひとつない綺麗にプレスされたハンカチを城之内に渡した海馬は、城之内の薄茶色の髪をなでる。
「………っ。」
 その大きな手から、海馬の偽りのないやさしさが伝わってくるようで、城之内はされるがままになっていた。


 ああ。そうだ。
 俺は誰かに認めてもらいたかったのかもしれない。
 がんばってるな。
 って、見てほしかったんだ。



 恋人の舞にも言ったことのない、城之内の生活の暗部。
 父親のことも、借金のことも一言も話したことはなかった。

 話した先にある恋人としての結末に城之内は口をつぐんでいたのだった。




 強がって、粋がって生きてきた、でも、本当は弱い自分をこの男はいとも簡単に見透かしてしまったようだ。








*****







「たく、情けないや。こんなことで泣くなんて……さ。これ、洗って返します。」
 涙と鼻水で汚れたハンカチを城之内はポケットに詰め込んで、やっと顔を上げる。
「かまわなくていい。」
「オレがかまうんだ。」
 城之内はイーッと子供のように舌を出して、
「今度会ったときに返すから。」
 次にははにかんだように笑う。
 そんな城之内のころころと変わる表情に、海馬もつられて破顔した。




「辛気臭くなったからさ、場所を変えようぜ?この後とか時間はある?」
「……ないが。」
「じゃ、軽くカラオケとか行こうぜ。パーッとさ。男二人でなんて面白くないだろうけどどうかな?」
「カラオケ?」
「近くによく行く店があるんだ。」
「…………いいだろう。」
 不覚にも泣いてしまった場所にいるのはなんだか、居心地が悪くて雰囲気を変えるために、海馬をカラオケに誘ってみる。
 海馬も一瞬と惑ったような顔をしたが、城之内の誘いを受けることにした。











******










「531は…と……あったここだぜ。」

 指定の部屋を探し当て、城之内が先にドアを開く。
 かばんと上着を適当に投げ、テーブルにメニューを広げる城之内。その慣れた様子に、海馬は思わず苦笑する。


 カイバコーポレーションの社長が、接待でもなく知り合ったばかりの青年とカラオケに来ているなどと会社の人間が知ったらどんな顔をするだろうか。曲の流れていない、ガランとしたカラオケルーム同様、滑稽だな姿に違いないと海馬は思う。


「な、何がいい?ここはワンドリンク製だから。」
 海馬にメニューを渡した。どうやら城之内はもう、決めているようだ。
「ふうん。」
 海馬も城之内に習い、適当なアルコールを選んでいった。
「あ、でも、あんまり美味くないぜ。と、つまみは適当でいいよな。」
 城之内は壁にしつらえている内線に、注文の品を読み上げていった。
 海馬といえば、返す言葉もなく、部屋を観察しているようだ。そのどことなく落ち着かない様子に、城之内はふと違和感を感じるけれど、
「じゃ、俺からでいい?」
「いいぞ。」
 今日一日のもやもやした鬱憤を晴らすべく、曲を入力していった。




 すぐに部屋に前奏が流れてきて、城之内がマイクを握る。
 その歌声に、海馬の目が釘付けになった。







♪♪♪♪♪♪〜〜〜〜





一曲を歌い終え、城之内がマイクを置く。
「じゃ〜ん。次は瀬人さんだな。決まった。」
「……いや、まだだ。」
 城之内の歌声にすっかり聞き入ってしまっていた海馬。
「えっー。仕方ないな。」
 と、口ではいいつつ、城之内はリモコンを手にして次を選曲していった。
「じゃ、また、オレが入れるから、その間に入れてくれよな。」
「……そうしよう。」
 あれだけ歌えれば、カラオケは得意なのだろうと、また流れてきたメロディーを耳に受けながら、海馬は城之内の歌に耳を傾けていった。








「決まった?」
 歌い終えた城之内は、選曲がされていないこと見て膝の上に歌本を置いたままの海馬に肩を落とす。
 もしかしたら、瀬人はカラオケが嫌いだったのかもしれない。
「……カラオケは嫌いなのか?」
 接待や遊びで使うカラオケだが、みんなが好きというわけではない。中には嫌いな人だっているのだからと城之内は、海馬の顔色を覗き込んだ。

「すまない。城之内の歌が上手いから、聞き入ってしまったのだ。」
「!!!まじっ??」
「ああ。上手い。正直なとこ驚いたぞ。」
「へへへっ。」
 海馬に褒められて、城之内は照れ笑いをすると2曲目の間に運ばれてきた飲み物で喉を潤す。
「ありがとな。瀬人さんに褒めてもらえてうれしいや。」
 まんざらでない城之内に海馬の表情もつい緩みがちになる。


 立場やしがらみの無い純粋な遊びと、物怖じしない快活な城之内のいる空間に海馬は不思議な開放感を感じ始めていた。



「じゃぁ、次は瀬人さんの番だぜ。」
 褒められて気を良くした城之内はリモコンを持って、目を輝かせている。海馬の選曲を楽しみにしている。
「………わるい。歌える歌はないのだ……。」
 二人だけとはいえ、盛り上がっている城之内に水を差すのは悪いなと、思いつつ、海馬は本を閉じた。
「ええっーー!まじ?ひとつくらいあるだろ?」
 がっかりと肩を落として背もたれにもたれる城之内。
「すまない。カラオケ自体あまり来なくてな。歌謡曲も普段から聴かないから、知らないものばかりなのだ。」
「接待とか、営業とか、付き合いとか…………家族とかでも来ないの?」
 このご時勢、カラオケに来ないなんて城之内の中ではありえないことに、思わず身を乗り出した。


「モクバはまだ小さいからな。」
 海馬の左手の指輪が鈍く光る。
「へぇ。モクバっていうんだ。何歳なの?」
 歌以外の話題が出てきて、城之内はほっとしつつ、知らない海馬の部分を知りたいと思った。
「来年小学校に上がるのだ。」
 海馬は携帯を取り出すと、保存しているモクバの写真を呼び出して城之内に見せる。
「かわいい〜〜。」
 ちいさな画面の中には、

 青い園服と着た小さな黒髪の男の子と、長い髪の女性がいる。


「こっちは奥さんなのか?」
「そうだ。」
 にこにこと笑顔の二人がこちらを向いていて、絵に描いたような幸せな家族に城之内は遠くにいる母親と妹を思い出した。
「綺麗な女(ひと)だね。想像以上に、すごく瀬人さんとお似合いかも。モクバくんもかわいいし。素敵だね。幸せな家族って感じがする。」
「………。」
「モクバくんは、お母さん似なんだね。良く似てる。目元なんてそっくりじゃん。」
 やさしそうな母親に、かっこいい父親。
 不自由なく育っている写真の中の少年。
 

 

 そんな幸せとは対照的な、冷たく淋しい印象のマンションの部屋。
 違和感を感じつつも、今も家で父親の帰りを待っている家族から、瀬人を取り上げていいのだろうかと、城之内ははっとする。
 わざとらしく時計を見て、



「家に帰らなくてもいいのかよ。」
 時間には早いけれどお開きにしようと暗に促そうとした。
「もう、モクバは寝ている時間だ。妻も寝ているだろう。」
 海馬は城之内にわからないように息をはく。
「それに、今は、城之内といるほうが楽しい。」
「………っ!」
 海馬にじっと見つめられて、城之内は固まってしまった。



 急に大きく見えてしまった海馬に、
 綺麗な蒼色に










 夕べのことが



















 鮮明に思い出してしまって……














 体温が2度上昇した。












「嫌なら、言え。止める。」






 大きく感じたのではなく、実際、海馬が近づいてきたからであって、、







 止めるといいながら、


 手が重なり、逃げられなくて、



 唇が重なった。














 



 ずるいや……。







 2回目の海馬とのキスは、安物のアルコールの味がして、歪んだ城之内にはお似合いだと思いながら、

 




 舞としたキスよりも、気持ちよかった。















 携帯の中の家族に申し訳ないと後ろ髪を引かれながらも、城之内は海馬に惹かれていく。








 どうしようもないくらいに………。




























 そして、その夜、






 もう一度、二人は身体を重ねた。















 あの、冷たい部屋で。


 

  

 

 

 





  
 









 3デス。
 これまでと違う海城風味になればいいと思っています。
 
 30オーバーの社長を想像するだけでよだれが垂れます。ただ、外見は今とぜんぜん変わらない。(笑)はずだ。
 社長の奥さんはキサラさんで、モクバが子供になってしまいました〜〜
 意外とはまりますよね(……ダメ?)