『J』3






 コツコツコツコツ



 殺風景な廊下に靴音が響く。
 
 海馬は『J』が指定してきた処へ向かっていた。

 

 ここはカイバコーポレーション本社ビルからそう遠く離れていないところにある、総合病院。
 その一室が『J』のメールに記されていた。
 本社から近いところにあるので、海馬は昼食の時間を利用して『J』に会いに行くことにした。


 海馬の手には大きな花束が握られている。『J』が病室を指定してきたから、病人だろうとの判断だった。
 食べ物と花で迷ったが、気の利いたものが浮かばず、結局無難に花束にした。
 部屋番号を追って、『J』のいる病室を探す。
 『J』の病室のある階は病室の数が極端に少ない。そのうえ、全てが個室だった。


「………。」
 病院独特の消毒液の匂いと、他のフロアにはない静けさに言いようの無い緊張がはしる。
 全ての扉が閉ざされて、物音一つしない。


「ここか。」
 長い廊下の端に目的の部屋を見つけた海馬は部屋番号を確認する。

「なるほど……J……だな。」
 数字の下にある名前に海馬は一人納得した。




 城之内克也




 そう、記入されていたからだ。



 



 
 久々の強敵が病人という事実にか、純粋に謎のデュエリストの正体を知ることの出来る興奮にか……
 暴いてはならなかった、
 開けてはならない箱を開けてしまうような背徳心に、海馬は柄にも無く掌が湿っている。

 心を落ち着かせようと数回大きく深呼吸をして、海馬は扉をノックした。


『どうぞ。』
 聞こえてくる篭ったような声に一抹の不安を覚えながらも、静かに扉を開く。








「……………。」








 その病室に海馬は声を失い立ち尽くす。
 普通の個室だとばかり思っていたのに、目の前にある光景は……


 病室と入り口を隔てる一枚の大きな壁。腰ほどの高さから上は分厚いガラスが入っている。壁の前には椅子が立てかけてあった。
 天井から床まで一枚の大きな壁がこちら側と、向こう側を完璧に別けていた。
 
 しかし、それ以外はごく普通の病室。

 真っ白なシーツのベッド。
 側にはテレビや、棚があり、テーブルにはパソコンが置かれていた。



「なん…なのだ。ここは…?」
「おどろいただろ。」
「…っ!」
 窓際にもたれていた一人の少年が、ゆっくりとこちらを向く。


 部屋の造りにばかり気の取られていた海馬は、その部屋の主の存在を忘れていた。


「KAIBA…だろ。」
 少年が海馬のほうへと歩いてくる。部屋の主の声がスピーカーを通して海馬の耳に届く。
「……J……なのか……?」
 海馬らしくないが、極度に緊張したため、喉の奥がからからに乾いて声に詰まってしまった。
「ああ。俺が『J』さ。本名は城之内克也。頭文字で『J』……簡単だろ。」
 海馬とは反対に、城之内は落ち着いている。立ち尽くしたままの海馬の元へ一歩一歩近づいていった。



 部屋に差し込む午後の太陽の光を反射して金色の髪がきらきらと輝いているようだ。
 すらりとした身体は健康そうで、とても病人には見えない。ただ、日に焼けることは無いのか、透き通るような肌の色が長い入院生活を如実に物語っている。
 外見から予想するには海馬とほぼ同じくらいの年齢なのだろうか。



「初めまして。海馬さん。」
 城之内はガラスを挟んで海馬の正面に立つと、鮮やかな笑顔で右手を差し出す。その腕に巻かれたままの点滴の管が痛々しく見える。
「ってな。残念ながら握手は出来ないんだ。」
 笑顔を崩さないまま、ガラスをこつこつと叩いてみせる。


「………。」


 海馬は無言のままだ。何を言えばいいのか、目の前の光景に頭が真っ白になってしまっている。
 今までのどんな大きな仕事でも、会議でも、プレッシャーなどを感じたことはない。
 柄にも無く緊張していて、心臓が飛び出したかのように耳元でなっている。
 
 この部屋に来るまでは、『J』を倒し、『J』の正体を暴けることへの優越感に浸っていた海馬。しかし、この普通でない部屋に、その部屋の主として似つかわしくない『J』の現実を目の当たりにして、立ちつくしたまま指一本動かすことができない。


「改めて、自己紹介しておくぜ。
 『J』こと城之内克也。16才。お前と同い年さ。」
 必要最低限だけ話すと、微笑みをくずさないまま、
「気が済んだか。」
 


 ガラス越しに聞こえる篭った声。
 鮮やかだと思った笑顔が、実は、哀しくて………





 俺はなんということをしてしまったのだ………。



 罪悪感が海馬を押し流していった。












*******











 病院から帰社してから、午後の仕事はほとんど進まなかった。
 消しても消しても浮かんでくるのは、あの、哀しい微笑み。



 隔離室。


 城之内がいた病室はそう呼ばれていた。極端に外の菌やウィルスへの抵抗力がない人間が入る無菌状態に保たれている特別な部屋。
 城之内の病気がどのようなものなのか、海馬に知る由も、権利も無いけれど、健康な人とは違う処を、ただ下種な好奇心で暴いてしまった。
 唯一、外の世界に出られる貴重な場所で、海馬は禁忌を犯してしまったのだった。




 仕事を終え、屋敷に戻ってきても食欲のない海馬は、夕食もそこそこに部屋へと戻ってきた。

 脳裏に焼きついて離れない、『J』に会うため、海馬は重い気分でパソコンを開いた。






「                   ……っ…  」




 海馬は画面を見て、息をのむ。



 そこにあったのは、見苦しい言葉の羅列だった。


 『J』を馬鹿にして、侮辱する言葉の数々。
 偽名によって自分を隠し、相手を誹謗中傷する。
 悪意が悪意を生み、まことしやかな噂が一人歩きしていた。



「……くそっ……っ!」
 音がするくらい強く、テーブルを叩く。
 自らがまいた種とはいえ、見るに耐えない現実に海馬の手が握り締められた。




 この画面を『J』が見ているかもしれないと想像するだけで、寒気が走る。
 昨日までは、皆、『J』の味方だったのに……


 それを壊してしまったのは



海馬。




 海馬にはそのつもりがなかったとしても、結果はこの有様だ。
 一人のデュエリストを、孤独な人間を苦しませてしまっている。


 改めて、犯してしまった罪の大きさに、海馬はやり切れない思いで一杯になる。
 


「けじめをつけねばならんな。『J』の名誉のために。」
 前とは違う意味で震える指で、海馬はキーボードと叩く。
 一文字入れれば、もう、怯えはない。手入れされた指先が淀みなくキーを押していって、画面に文字が現れる。








 『J』に会ったこと。
 夕べの約束通り、『J』は海馬に自分のことを教えたと、だから、『J』は卑怯者でも弱虫でもないのだと、訴える。



 もちろん、『J』の手ががりになることは一つも話さない。
 海馬は自分のプライドにかけて『J』のために、一晩中パソコンに張り付いた。









 
 JさんさんをUPしました。
 まあ、べたですが、『J』は城之内くんです。かつ、べたなねたで申し訳なく……っ(汗)
 最悪さんと続いての城之内君病気ねたにちょっと微妙な気分出続けていきます。
 
 ひっそりと、七夕までに終わればいいなあと思っていたりしています。
 
 背景はこちらでお借りしました。
 LOSTPIA